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喪失の性

 方向音痴の人間は往々にして謎の自信と共に道を間違える。酷い奴はナビを受けても『こっちの方が近い気がした』という意味の分からない理由で逆らったりもする。

 記憶喪失している癖にどうして歩き回るのか俺には理解出来ないのだが、方向音痴と同じ理屈なら納得がいかない事も無くはない。ただし理解が及んだとしても腹が立つ事に変わりはない。生徒会もエツナさんも別ベクトルで自分勝手だ。

 一番自分勝手なのはお前だと言われれば返す言葉もないが、どうせ俺が投票しなくても選挙は続くのだから別にいいだろう。それに比べてエツナさんと来たら無駄に世話を焼かせるし、生徒会は自分勝手で龍斗は強欲で。全ての不幸が俺に収束している感覚は傲慢だろうか。

 巡回中の警備隊と遭遇した時は血の気が失せた。しかしこちらの想像とは裏腹にスルーされたのでまだ事件が起きた訳ではないらしい。奇跡に近い。海岸は警備隊のサボり場所として有名だ(俺の中ではは)。そんな所に行って誰にも見つからないなんてあり得ない。煙草を吸ってる奴が確実に一人はいる。そいつは確かにサボっているのだろうが、着物を着た人間を見て声を掛けないのはサボっているというより職務放棄だ。流石にそんな人間はいない。

 保健室で堕落した日々を過ごした反動か、走っていたら急に足が動かなくなった。よく言われる足が重いからではない。一定以上の速度を出そうとすると麻痺してしまうのだ。特別指導だからと甘えていたが、堕落は決して人の味方をしてくれない。麻痺の影響から足が震え出すのはきっと堕落が俺を嘲笑っているからだ。『今まで俺に寄りかかって生きてきたお前が悪い』とでも言わんばかりに。

 

 ―――心臓が痛い。


 堕落は体力を奪う。早まる拍動が心臓を今にも突き破りそうだ。それでも海岸まではもうすぐ。そう、正に今そこの階段を下りればその先は―――

 残った体力を振り絞って、俺は階段から大きく跳躍した。階段を下りる負担に耐えられないと踏んだのだ。どちらにしてもこれでは着地に負担を強いられるが、そんなものはしなければいいだけの話。落下先がコンクリートなら致命傷だが海岸において大部分を占めるのは砂だ。痛い事は遺体が、変な角度から入らなければ無傷でやり過ごせる。

「……ばあッ!」

 身体を使った最低限の受け身は成功。砂まみれになったが怪我はしていない。急いで顔を上げて周囲を見渡すと、遥か遠くの地平線を見つめるエツナさんを見つめた。人の苦労も知らないで呑気なものだ。

 今日は風が強い事もあってか波も荒い。あんな所に居たら呑みこまれてしまいそうで―――少しだけ不安だ。

「エツナさんッ! 何してるんですかッ?」

「蓮二殿。ここで会うとは奇遇だな、そちらは何用があってここに……ん? 何故砂に塗れている」

「アンタ……じゃない貴方を追ってきたんですよ! 勝手に外出して、他の人に気付かれたらどうなるか分からないんですかッ?」

「どうなる?」

「面倒臭い事になります」

「具体性がないな」

「そりゃエツナさんみたいな人はこの国に居ないんですからそうですよ。前例がない。逆に言えば前例がないからこそ面倒な事になるのが目に見えてます」

 マニュアルがあればその通りに行えばいいが記憶喪失の着物美人についてのマニュアルなど用意している奴が居たら是非俺に譲ってほしい。お金に糸目はつけない。頑張って働いてもいい。

「エツナさんこそこんな所で何してるんですか。ていうか土地勘もないのによくこんな所行けましたね」

 しかも警備隊の誰にも見つからず。サボりが居ないのは幸運と見てもいいが、俺はついさっき警備隊とすれ違ったばかりだ。どうやって掻い潜ったのだろうか。それも幸運と片づけてしまうのは少々ご都合が過ぎるというか、計算に入れちゃいけないタイプの幸運というか。

「……誰かに呼ばれた気がしたのだ」

「知らない人にはついていっちゃダメって教わりませんでした?」

「他人ではない。とても大切な誰かに……全く思い出せないのだが」

 何じゃそりゃ。

 記憶喪失に重ねて幻聴まで聞こえるのか。つくづく救われないというか厄介というか。というか思い出せないのに大切という事は分かるなんてどんな状況だ。記憶喪失になった事が無いから嘘とも本当とも言えないが―――どちらにしても厄介だ。何かの拍子に戻ってくれたら嬉しい。言い方は悪いが今は彼女にあまり構っていられない。

「とにかく戻って下さい。警備隊とかが来ない内に」

「ふむ……やはり思い出せぬ。今は貴殿の発言に従った方がよさそうだ。迷惑をかけたな」

 エツナさんは身を翻して、足早に海岸を後にした。案内が無くて帰宅出来るのかどうかは分からなかったが、尋ねてこなかったという事は帰宅出来るという解釈で大丈夫……と信じたい。遅れながら後を追ったが、既に彼女の姿は視界の届く限り消えていた―――


 え?


 海岸を出て直ぐに道が入り組んでいるならまだしも、およそ三〇〇メートル先まで開き切っている。全力疾走していたと考えても余程素早くなければ不可能だが、一時的に視界から消えるまで歩いていた事を加味すると、ある種の意図の様なものを感じる。俺に走る所を見られたくない……とか?

 何から何まで行動が不審すぎるが、これなら目撃されずに済みそうだ。段々もどかしくなってきたがどんな事をされても今の俺には優先すべき行動があるので追及はまたの機会になってしまう。

 しかしエツナさんが只の記憶喪失者ではないと分かったのは収穫か。彼女には確実に何かある。記憶喪失だからと手放しに信用して良い人物では無さそうだ。

 懐疑の余韻も終わらぬ内に携帯電話がけたたましく鳴り響いた。かけてきた人物も見ずに応答する。

「はいもしもし」

「貴方の頼れる協力者、邦条蒔凛ですわッ!」

 邦条財閥が頼れないとは口が裂けても言えないが、自分で言うなよと。

「手筈が整いましたわよ、貴方は何処へ居るのかしら」

「俺は海岸の方に居る」

「あら、そう」

 電話はそのまま切れてしまった。

「―――え」

 あまりにも一方的に切られたせいで理解が追いつかない。改めて画面を見たが通話は確かに終了している。


 ―――な、何の用だったんだ。


 準備が出来たら電話しろとは言ったが、それなら俺の居場所を聞く意味が無い。会話を楽しみたいかと思えば言いたい事だけ言って勝手に切る。何のつもりだ。

 何か少しでも分からない事があると足を止めて考え込むのは俺の悪癖だ。五分ばかり立ち止まって思考に没頭していると、一台のトラックが俺の正面に止まった。

「御機嫌よう、賽原蓮二ッ。迎えに来てあげたわよ」

 その荷台で寝転がっていたのは邦条蒔凛。ここまでお嬢様に似つかわしくない風景も中々無いだろう。トラックそのものも錆が散見され、安物か年代物という事は素人目にも見て分かった。育ちの良いお嬢様はこういう古ぼけた物体を汚らわしいとしか思えないというのは俺の偏見だったか。

 Shall we dance? と尋ねんばかりに蒔凛はノリノリで掌を向けて俺に同乗を促している。

「……え?」

「え、じゃないわ。早く乗り込みなさい。現場の方では既に準備が整っていますわよ」

「いや、え……どういう事? それに……え。ちょい待ち、全く理解が追いつかない」

「とにかく乗る! 龍斗君の部下に見られたくないならね!」

「―――ああもう、分かった! 乗ればいいんだろ乗れば!」

 荷台の後ろから急いでよじ登って、彼女と同じようにうつ伏せに。

「それでいいの。じゃあ行きましょう―――動かしてッ」

 大きな揺れを一つ挟み、トラックは軽快に動き出した。

 

 















「何で荷台なんだ……ていうかお嬢様なんだからもっと良い車用意しろよ」

「あまり得策とは言えないわね。だって潜入するのに普段使いする車で行ったらそれだけでバレてしまうわ」

 女の子、それもスタイルが良くて美人でお金持ちの女性と二人きりになるなんて、普通の男子なら感極まってもおかしくない状況だが、トラックの荷台というのがいまいち魅力的じゃない。吹き抜ける風は気持ちいいが、だからと言ってここをデートスポットの最上階か何かと勘違いするのは無理がある。

「そう言えば材緣寺財閥は何処に校長の死体を持ってったんだ?」

「この国の端にある死体安置所と聞いていますわ。勿論材緣寺の所有物よ。私達財閥が所有する土地や不動産は全て生業に関連している筈なのだけれど。死体安置所がどう関わっているのでしょうね」

「『治安維持』が生業だったよな。死体安置所なんて持ってても確かに……いやまあ死体の処理はそれっぽいけどな」

「貴方も知っての通り私達財閥には黒い噂があります。例えば私個人なら支持者の男子に身体を売っているとか、龍斗君なら支持者にこっそり違法な品物を流通させてるとか。まあそれらは私達に嫉妬した者が流したデマに過ぎないのですが―――」

 蒔凛は何かを言いかけた所で「やめておきますわ」と口を噤んだ。何を遠慮したのかは気になるが、それを気にすると今度は投票を条件に取引を持ち掛けてきそうなのでやめておく。

「時に蓮二。私からの信用の証として貴方の家に側近を置いておきたいのですが、如何?」

「結構です」

「あら、とっても可愛いメイドさんよ? 貴方って独り暮らしでしょ、私が選んだとびっきり美人な女の子と一緒に暮らせるなんて素敵って思わない?」

「うまい話には裏があるんだよ。一旦は無償で協力して付け入ろうたってそうはいかないからな」

「ウフフフッ! 警戒心の強い男って素敵ね。どうかこれからもその警戒心を忘れず……気が向いたら私に投票して下さると嬉しいですわね」

 散々揶揄いを楽しまれた。蒔凛は艶やかな笑みを俺に向けてから満足して天を仰いだ。荷台の上には初めて乗ったが不規則且つ大きな揺れが段々癖になってきた。この妙な心地よさは電車で揺られている時のそれに近い。あれが大袈裟になったら多分こういう風になる。

 いつかはトラックから降りなければいけない訳だが、それが少し名残惜しくなってしまった。

「……ふと気になったんだが、何かの間違いで例えばお前と龍斗が結婚したとして、お前が選挙に勝ったとするじゃん。そしたら世界の支配者って誰になるんだ?」

「私に決まってますわ。支配者を目指すのは財閥全体の意向でもあります。去年こそ敗れはしましたが、今年は勝ってみせる。票は入れなくても構わないけれど応援はしてね?」

「……まあ。それくらいなら。でも後で票を入れなさいって言っても出さないからな?」

「話が堂々巡りですわね。強制なんてしないわよ。ただその代わりと言っては何ですけれど」

「代わり?」

 立候補者に票の代替品となるものがあるのだろうか。こと選挙の話になると食い気味に否定する俺だが、何を言うのか興味がある。

「私―――もしかしたら選挙を戦っている間に、もしかしたら弱音を吐きたくなるかもしれないから、その時になったら貴方に吐き出させてほしいわ」

「財閥の代表にしては弱気な発言だな」

「幻滅したかしら」

「いや―――」

 それはない。自分の弱さをすすんで他人に曝け出せる人間は凄いと思う。俺には出来ない芸当だ。

「俺で良ければ幾らでも付き合ってやるよ。邦条蒔凛様?」

「じゃあ約束ね。小指出して」

「小指―――?」

 言われるままに小指を近づけると、蒔凛の指が強引に絡めとった。

「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますッ! ゆびきった!」

「…………なんかの呪術か?」

「お婆様が教えて下さったのよ。大切な約束を交わす時にしなさいって!」

「大切な約束なら契約書を作れよ」

「そういう問題じゃありませんッ。蓮二はロマンが無いのね」

 俺の発言の何が気に障ったのか、蒔凛は景色の方に体勢を変えた。間違ったことは言ってないと思うのだが。

「……所でこれ、いつになったら着くんだ?」






「夜の八時くらいでしょうか。暗い方が車も隠しやすいし好都合ですわ」  

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