開界式
―――暇だなあ。
休みはその対極に動きがあってこその休みなのだと、一学期を超えてようやく理解した。長すぎる休みは退屈でしかない。休みは嬉しいが退屈は悪だ。授業をよそに保健室のベッドでゴロゴロ出来るのは俺だけの特権だが、全く嬉しくない。嫌でさえある。
だがそれ以上に嫌なのはこの学校のイベントだ。だから俺は『意図的』に特別指導を解いていない。
校則その二『在学中の生徒は国界選挙の有権者として選挙に参加しなければならない。ただし、特別指導中の生徒はその限りではない』
申し訳ないが俺は選挙というものが嫌いだ。確かにこの学校は『対等』かもしれないが、決して『平等』ではない。国界選挙は生徒であれば誰にでも立候補する権利があるものの、一学期の終わりにして早々に有力候補達の争いの場となった。学校外における身分格差を覆してやろうと意気込んだ革命家は極少数居たかもしれないが、そんな人達も今となっては只の一票だ。
それもその筈、校則には穴があった。
校内においては対等でも、一度放課後となり外へ出れば今まで通りだ。有力候補にとってその時間こそ真の戦いの時間。立候補していない有権者達はそんな彼らの餌に過ぎない。俺はそうなってしまうのが嫌だったから、こうして特別指導のままでいる。変な争いに利用されるのは御免なのだ。
退屈の極みから時計の秒針を目で追っていると、保健室の扉が無造作に開かれた。因みにベッドを囲うカーテンは閉塞感を覚えるので使っていない。
「君はよくもまあ堂々と保健室を使えるね、賽原蓮二君。特別指導が続くのも納得の素行の悪さだ」
マイバッグ片手に入室してきたダウナーな女性の名は竜胆安宿。界立第二高等学校に所属する養護教諭であり、間違いなくこの学校で最も俺と交流している人物。手入れの行き届いたウェービーヘアーは見ていると無性に触りたくなってくるが、『髪は女の命』との事で触らせてくれない。
彼女が来てくれたら退屈とはもうおさらばだ。俺はベッドの上で勢いよく立ち上がり、先生を歓迎した。
「先生ッ! 戻ってきたって事は始業式終わったんですか?」
「ん、まあね。今、急いで購買に行って二人分の昼食を買ってきた所だ。皆クソ長い校長先生の話に飽きてたんだろうね……動きがとろくて助かったよ。お蔭で混む前に買えた、なはは」
「おーもうそんな時間ですかッ。いつも済みませんね先生。お金を渡してるとはいえパシってるみたいで」
「……君が保健室に入り浸る理由は、もしかして私のせいだったりするのかな。まあいいや、他の生徒は滅多にここへ来ないし、話し相手が居るならその方がいいしね」
白衣をハンガーにかけて、部屋の中央に机を囲む形で設置されたソファーの一端に座る。対峙する様に俺も座ると、机を滑って割り箸が渡された。
「済みません、いただきますッ」
「相変わらず元気だけは良いね……いただきます、と」
今は二学期の初めだが、一学期も大体こんな感じだった。学校に来て、安宿先生と昼食を摂って、帰宅する。学校生活を一ミリも満喫出来ていない暮らしと言われればそれまでだが、俺は一人暮らしだ。選挙に立候補してる奴以外には迷惑をかけていない。なので自堕落極まりなくとも続けている。半分惰性だが。
「中等部の頃から食らい続けて二年か。どんなに課題を出されても直ぐに終わらせていたらしいその気力は凄いと思うけれど、そろそろ飽きたんじゃないか?」
「だいぶ前から飽きてますよ」
「なら『特別指導を解除するならまた問題行為を起こす』なんて校長を脅迫しないで、クラスに混ざれば良いのに。まあこの学校にはクラスも学年も決められたものはないけどさ。初等部中等部の内に何人かの友達は出来てるんだろう?」
「その柔軟性が嫌なんです。今じゃクラスなんてのは有力候補に投票した人間の溜まり場じゃないですか。どのクラスに所属しているかがその人間の今の投票先ですからね。投票拒否と友人付き合いは両立出来ません。よって後者を捨てました」
「前者を諦めなよ。こんなおばさんよりも若くて元気なJKと絡んだ方が男子の精神衛生上とても良いよ」
等と自虐しているが、安宿先生も大概若々しい。元々童顔なせいもあるだろうが、それを差し引いてもおばさんとは言えない。それに彼女をそう言ってしまうと、彼女より年上の人への呼び方が婆もしくはお婆ちゃんしか無くなってしまう。
色々と気が引ける。
「まあそうは言いつつきっちり君のお世話をしてしまう私にも責任はあるか。選挙が嫌なのにどうして君は入ってきたんだ?」
「ここ以外選択肢無いじゃないですか」
「そりゃそうだ。悪い事聞いたね。お詫びにこのポテトサラダをあげよう」
「あんまり嬉しくないですね」
嬉しくないのは言葉だけ。実際は頂くや否や真っ先に口の中へ放り込んだ。安宿先生は自分をおばさんと言うが、彼女が放つ頽廃的な色気が地味に好きだったりする。それは高校生には持ち得ぬ魅力だと思う。
「君は今学期も投票から逃げる気なのか」
「そりゃ勿論。先生、今学期もよろしくお願いします!」
図々しくペコリと頭を下げる。「別に私はいいけど」とは置きつつ、安宿先生は続けて言った。
「君、今回の中間報告知ってる?」
「知る訳ないでしょ。有権者じゃないから関係ないですしね」
「まあ、そうだね。でも知っておいた方が良い。今年の国界選挙は接戦だ。まだ一年目とは言え、全ての立候補者が九百票以上千票以下で収まってる。隠す事でも無いから教えておくが、君は参加義務を免除されてるだけで有権者に違いはない。その内に君を懐柔しようとしてくるだろうね」
「そんな事してる暇あるなら流動性の高い一般有権者に目を向けると思いますけど」
「一票でも多く、が立候補者に取っての基本方針だ。そうでなければ国界選挙を制覇出来ない」
国界選挙とは呼んで字の如く世界に適用される選挙であり、次世代の支配者を決める為の戦い。その絶対性は校則にも記されている。
校則その三『世界選挙の結果は絶対であり、その結果は全世界に反映されなければならない』
果たしてこれが校則と言えるかは怪しいが、この選挙で勝った人間が来年の選挙まで世界の支配者でいられる。在学中に生徒が対等なのは誰にでもチャンスを与える為なのかもしれないが、家に力がある奴はそもそもの資金力と実行力が違う。対等であって平等ではないと前述した通りだ。
「困ったらここに逃げ込みますよ」
「ここは駆け込み寺じゃないんだ、勘弁してくれ。普段のお世話はついでにしてあげるけれど、自分の身くらいは自分で守ってくれ」
安宿先生は空になった弁当を閉じて、徐に立ち上がった。
「少し散歩をしてくる。滅多に人なんて来ないだろうが、来たら呼んでくれたまえ」
保健室に人は来なかったし、結局の所日常だ。今日は安宿先生と日が暮れるまでボードゲームをして遊んでいた。
「それじゃ先生。さようなら!」
「はい、さようなら。ボードゲームを買うのはいいけど、保健室には持ってこないでよ。ここは娯楽室じゃないんだ」
「そう言いますけど、なんだかんだ付き合ってくれるから先生って優しいですよねッ」
「生徒に優しくなければ教師にはなれないよ。じゃあ、事故には気を付けて」
気だるげな見送りを受けて俺は帰路についた。有力候補者の事など全く恐ろしくなかったが、念の為裏口から家に帰ろう。
―――懐柔、か。
大方お金に物を言わせた買収だろうが、その手は通用しない。そして乱暴な手段による懐柔も校則を考慮すれば行えない筈だ。
校則その四『在学中の生徒が死亡・第三者に因る干渉で負傷した場合、国界選挙はすみやかに中止され、その年は前回の結果を延長しなければならない』
選挙に興味が無い以上今の支配者についても全く知識は無いが、世界の支配者にならんとする候補者からすれば避けたい事態の筈だ。つまる所この選挙では強引な手段を失くした上で有権者の支持を受けなければならない。校外に出れば今までの通りの格差があると言ったって、誰かが問題を起こせば選挙そのものが台無しになる。
自分で言うのも何だが俺は強情なので、強引な手段で訴えてこない限り首を縦に振る事はない。裏口から帰ったのは気分だ。決して怖いからではない。
―――明日は何のゲーム持っていこうかなあ。
安宿先生はなんだかんだノリノリで付き合ってくれるから楽しくて仕方ない。明日を楽しく生きる糧にもなるだろう。
……え。
候補者からのコンタクトは遂に受けなかった。後は家に引きこもるだけと思っていたが、家の前に人が倒れているではないか。それも白の和服を着た女性が。
「…………」
どうしよう。
誰か俺に状況を説明してくれないだろうか。これは一体何の嫌がらせだろう。そもそも和服など何処で手に入れた。
俺の知る限り、和服は遥か昔に廃れた衣服だ。この国の何処を探してもこんなものは見つからない。存在しない筈だ。少なくとも学校ではそう習った。
たまたま周囲に人はいないが、この謎の人間を家に運ぶ訳にもいかない。取り敢えず通報すれば良いかと携帯電話を取り出した所で、女性の身体がぴくッと動いた。
「うわッ」
反射的に飛び退る。女性は真っ先に俺を見つけ、何度か目を瞬かせた後、首を傾げた。
「…………どちら様で?」
こっちの台詞だ!
叫びたい感情をぐっとこらえ、飽くまで冷静に対応する。
「人に名前を尋ねるなら自分から名乗ったらどうですか?」
「私の…………名前? 名前…………名前」
頭の上に大量の疑問符を浮かばせた女性は、またも首を傾げた。
「私の名前を知らぬか?」