夜明けの一番星
私は、大学1年生の秋に土日と祝日の3日間をいかして、実家に帰り、けいちゃんが教えてくれた山へと向かった。
渓流が目の前にさわさわと流れていた。私はもう少しだと思った。「けいちゃん。あと、少しだよ」と言った。私は立ち上がった。砂がしゃりと鳴った。
渓流の上流には滝があった。川の水が崖の上から落ちてきて、音を立てて下の瀞に溜まっていた。深い、深緑色の瀞は木々が開け、太陽が木々から漏れてくる。夕焼けが近づいていて、木々が深い闇を作っていた。もう少しだ、と私は思った。けいちゃん、もう少しだよ。私はリュックサックから、けいちゃんの遺骨を出した。白いそれを振ってみると、けいちゃんの骨がからからと音を立てた。
わたしはけいちゃんの遺骨を墓に入れるのを拒んだ。両親は何回もわたしを説得したが、わたしは頑なに嫌がった。わたしはいやだった。けいちゃんをあんな暗いところに入れないで。ひとりにしないで。
わたしは遺骨を自分の部屋に置き、小学校、中学校、高校とけいちゃんに話続けた。実家を離れた大学の寮にもけいちゃんの遺骨を持って行った。異常だと自分でもわかっていた。でも、けいちゃんにずっとわたしは語り続ける。ねえ。けいちゃん。こんな事があったの。けいちゃんは微笑んでそれを聞いてくれていたと思う。
もう少しだ。あと、もう少しで。
私はけいちゃんの骨壺の蓋を開けた。白いね。けいちゃん、白いよ。私は生きなきゃと思っても生きられないの。と、言う。辺りはもう暗闇だった。私は骨を瀞に向かって、ばら撒いた。けいちゃん。けいちゃんが教えてくれた此処に撒くのが一番だと思ったんだ。私の目からは一筋涙が流れた。心の奥底が疼く。ねえ。けいちゃん、私もそっち行くよと言って、瀞の方へ向かって歩きだした。浅いところの水辺から靴で入っていく。靴の中に水が染み込んでいく。つめたいね。けいちゃん。つめたいね。
その時、私はぐいっと誰かに腕を掴まれた。私は「やめて」と叫んだ。けいちゃん。私も。私の腕を掴んだその手はごつごつしていて、血管が浮き出ていた。私は気を失った。
気づくと朝だった。太陽が光り、薄い青色の空が広がっている。私は、起き上がると体がぎしぎしとなって痛む。なんで、私、此処にいるんだろう? と思った。瀞を見ると、朝焼けで光っている。けいちゃん。死なせてくれないの? あなたの傍に行かせてくれないの? と言った。私は、口を手で押さえた。嗚咽が漏れる。けいちゃん、何か言ってよ。
太陽は次第に登っていく。木々の間から木漏れ日が刺す。その時、滝の中間に「虹」が出来る。私はけいちゃんのエプロンを思い出した。「けいちゃんのエプロン、虹みたいだ」とわたしは言った。けいちゃんは微笑んでいた。
ねえ。けいちゃん。もういいのかな? 生きていいのかな? 私は空を見上げた。青い、蒼い空が広がっていた。夜明けの一番星が光っている。その横を流れ星が流れる。私は大きく叫んだ。けいちゃん。待っててね。私、生きるから。40年後、そっち行くから。待っててね。私は俯いて、祈った。けいちゃん。ありがとう。さようなら。