『自由』
「……オレは、この先どうなる?」
問われたサクヤは、少し考えこんでから答える。
「わからん。おまえのような存在など前例がないからな。明日にでも、意識が霧散して消えるかもしれんし、千年でも万年でも今のままかもしれん」
「……なるほど」
ミツキは立ち上がると、尻を叩いて付着した木のカスを落とす。
「でもま、なんとかなるだろ」
「随分と楽観的だな」
「どうも悩んでもどうしようもない問題っぽいからな。それに、この世界で目覚めてからずっと、自分の置かれている状況がわからなかったり、いつ死んでもおかしくないなんてのは、当たり前だっただろ? だから、やることは今までと同じ、今を精一杯生きるだけだ」
「そうか」
続いて立ち上がったサクヤに、ミツキは問う。
「それで? おまえはなんの目的でここへやって来た? 旧交を温めるためってわけじゃないんだろ?」
サクヤの目が、きゅっと細まる。
「さて、どういう目的だと思う?」
「あの時黒曜宮で、おまえを裏切った復讐――」
一瞬、探るような視線を向けながらも、ミツキはすぐに首を振る。
「じゃないな」
「あたりまえだ。復讐など時間の無駄でしかない」
だろうなとミツキは思う。
己に執着してはいたが、基本的にこいつは自分の興味の対象以外はどうでもいいという性質だ。
恨みつらみを晴らすために人生のリソースを浪費するなど、ナンセンスとしか思うまい。
「じゃあわからん。降参するから教えてくれ」
サクヤは少し迷ったように顔を俯ける。
めずらしい反応だとミツキは思う。
こいつでも、躊躇ったり迷ったりすることがあるのか。
「おまえにひとつ訊いてみたいことがあってな。正直、些細な疑問なのだが、ずっと心に引っかかっていたのだ」
「なんだよ?」
サクヤは上目遣いにミツキの目を見つめながら、問う。
「あの時、アルハーンを救出しに潜った闇地で、汚染魔素に侵されたのがトリヴィアではなく私だったら、おまえはあいつにそうしてやったように、すべてを賭して私を助けたか?」
なんだその質問は、とミツキは思う。
あり得ない仮定だし、答えたところでなにがどうなるわけでもない。
それでも、こんな世界の果てまで追ってきたのだから、こいつにとっては切実な問い掛けなのかもしれない。
「助けていただろう」
答えを聞き、サクヤは僅かに顔を上向ける。
「トリヴィアが何度もオレを救ってくれたように、おまえにも数えきれないほど助けられた。あの時だって伝えたはずだ、感謝してるって」
トリヴィアに半身を吹き飛ばされてから、ずっと生死の境をさまよっていた己の命を保つため、サクヤはずっと付きっきりで面倒を見てくれていた。
精神を喪失したトリヴィアの介護生活を経たからこそ、より一層、あの頃のサクヤの献身には頭が下がる思いだった。
「だから、あいつを助けて、おまえは助けなかった、なんてことはなかっただろうよ」
「……そうか」
「まあおまえは、汚染魔素に侵されても、素とあんまり変わらなかったんじゃないかとも思うけどな」
「ふっ、ひと言余計だ」
微苦笑すると、サクヤはミツキに背を向ける。
「ん? どうした?」
「聞きたいことは聞いた。ならばもう用は済んだということだ」
「帰るのか?」
「弟子を待たせているものでな」
「あー……まあちょっと待てよ」
引き留められ、サクヤは首だけでふり返ると、ミツキに訝しげな視線を向ける。
「どうした?」
「肝心なことを聞いていないぞ?」
「ん? なんの話だ?」
「オレたちが、ここにいる理由だよ」
「ニースシンクを出て、人目につかぬよう逃れて来たと自分で言っていただろう」
「それはそうなんだが、でもそれだけならこんなに遠くまで来る必要はないと思わないか?」
言われてみれば、と思い、サクヤはふたたびミツキに向きなおる。
「他に何か理由があると?」
「まあな。サクヤおまえ、大陸の地図は頭に入ってるよな」
「あたりまえだ。元は軍属だぞ」
「だよな。で、あの地図、北と南と西は、海で陸地が途切れていたけど、東は陸地で終っていただろ?」
「ああ。湖群大闇地帯を越えても闇地が続くので、探索ができていないとか。だから、地図の途切れた向こうの土地は、どうなっているのかわからないのだったか」
そこまで話し、サクヤはハッとなる。
「おまえたちは、もしや――」
「そう。人類の未踏領域を踏破するつもりだ」
ミツキは東の空に視線を向ける。
「陸が続いているんなら、闇地の向こうには、オレらの知らない土地が広がっているのかもしれない。そこには、人も生活しているのかも。もしそうなら、そっちの人たちは魔王なんて知らないはずだから、普通に交流できたり、友好的ならしばらくその土地に住まわせてもらうのもありかもな」
「誰も行ったことがないのだから、陸地は程なく途切れるかもしれんだろうが。そうなればどん詰まりだ」
「陸が途切れるのなら、その先は海だな。なら、航海に出るって手もある。この世界の海は、巨大な海洋性の魔獣の領域だから、人が船で漕ぎ出すには危険すぎるらしいけど、今のオレなら王耀晶で頑丈な船を作れるし、念動や白炎の噴射で海上でも自由に移動できる。人の手には負えない海の魔獣だって、余裕で狩れるだろうしな」
「……たしかに、そうかもしれん」
なにか言いたげなサクヤに、ミツキは提案する。
「おまえも一緒に来ないか?」
「なに?」
思いがけない誘いに、サクヤは眉を顰める。
「帰りがけに言うことか」
「たしかにな。でも、おまえ大好物だろ、未知ってやつが」
「それは、その通りだが」
「それに、約束していたしな。おまえとは、魔王を斃した後、闇地を旅するって」
「憶えていたのか」
王都を奪還するためドラッジを発つ前日の夕暮れ時、城壁の上で交わした会話をサクヤは思い出す。
「とっくに反故にされたものと思っていたがな」
「その節は悪かったよ。でも、もう根に持ってはいないんだろ? だったら、こうして会いに来てくれたんだから、三人でこの世界を旅してみないか?」
サクヤは迷った様子を見せる。
「しかし、クレスが――」
「他人のことをそこまで気にするなんて、本当に丸くなったもんだな。以前のおまえは、自分の好奇心のためならなんだって犠牲にしてきたのに」
ミツキは一歩、サクヤに歩み寄る。
「その弟子の少年、さっきの話から察するに、おまえがいなくてもたぶんやっていけるだろう。生きていくための術は十分に教え込んだようだし、王都にはオレたちの仲間もいる。おまえの身内なら、困っていれば助けになってくれるだろうさ。ただ、おまえが自分の好奇心を殺せるほどにその子との日常が大切なら、これ以上無理に引き留めはしないよ。今のおまえには帰る場所があるっていうんなら、それはきっと幸せなことだと思うから。でもオレは、もっといろんな場所へ行き、いろんなものを見て、この世界を満喫するよ。呪いで脅されるのでも、戦争に駆り出されるのでも、世界を救わなければならないのでもなく、ようやく自分自身の意思で、自由に生きられるんだからな。おまえはどうする?」
「……私は――」
その時、ふたりの間に影が伸びたのに気付き、揃って横を窺うと、トリヴィアが後ろに手をまわして傍に立っていた。
「……なんだ?」
警戒するサクヤに向かって、トリヴィアは大きく一歩踏み出すと、隠すように持っていたものを差し出す。
「……これは」
それは、ふたりが話し込んでいる最中に、摘んだ花で編んだ、花冠だった。
「あ、あげる!」
トリヴィアは青らめた顔で、さらに花冠を突き出す。
サクヤが戸惑っていると、ミツキが横から口を挟む。
「友だちになりたいってさ」
ニースシンクの施設で匿われている間、遠出もできないので、ミツキはトリヴィアとよく中庭で遊んでやった。
そんな時、中庭の花壇の花で、冠を作って被せてやったことがある。
外界と隔絶された施設の中で暮らしていたため、贈り物など貰ったことのなかったトリヴィアは、はじめてもらった花冠をとても喜び、枯れるまで宝物のように持っていた。
だから、自分で作った花冠は彼女にとって、このうえなく気持ちのこもった贈り物なのだとミツキにはわかった。
サクヤは困惑した様子で花冠を見つめていたが、己を真っ直ぐ見つめるトリヴィアの視線に耐えかねたように、溜息を吐く。
「友だち、か」
おずおずと差し出されたサクヤの手に、トリヴィアから花の冠が渡されるのを見て、ミツキは笑みをこぼした。
これにて完結です。978回にも及ぶ大長編をここまでお読みいただき、まことにありがとうございました。読者の皆様と一緒にこの旅を終えられたことを心より嬉しく思います。今後の活動等につきましては、少し時間を置いて、あらためて活動報告よりお知らせいたします。