『世界の果てのふたり』
大陸中東、ニースシンクの東、湖群大闇地帯を越えたさらに先、歴史上、人が立ち入った記録のない、深い深い闇地の奥で、ゆっくりと歩いていく中型の魔獣を、茂みの影から窺うふたつの人影があった。
「いいかトリヴィア? あの魔獣は草食性だが突進すれば大木を薙ぎ倒すし後ろ足の蹴りは岩をも砕く。それでいて体の大部分は分厚い毛皮に覆われて、刃も衝撃も通さないし熱にも強い」
「じゃあどうするの?」
「首が弱点なんだが、迂闊に近付けば反撃されかねないし、動きが素早いから避けられる可能性もある」
「私ならうまく仕留められるよ!」
「慌てるな。オレが隙を作るからその瞬間を狙うんだ。できるな?」
「わかった!」
ふたつの人影の小さい方、ミツキは、魔獣の頭上に王耀晶の礫を作り出す。
もうひとりの大きい方、トリヴィアは鉈刀を構えて身を低める。
ミツキが頭頂部に礫を命中させると、魔獣は唸り声をあげてよろける。
すかさず、トリヴィアが茂みからとび出し、掬い上げるように鉈刀を振り上げると、両断された首から上が宙を舞い、大量の血液を滝のように噴き溢しながら、魔獣はどたどたと足踏みしてから倒れた。
トリヴィアが後退ると、彼女の立っていたところに魔獣の頭が落ち、二度バウンドして転がった。
「やったぁ!」
とび跳ねて喜ぶトリヴィアに、ミツキは歩み寄る。
「いい動きだった。タイミングもばっちりだな」
「えへへ! じゃあ、じゃあミツキ!」
「え? ああ」
トリヴィアが平手を挙げるのを見て、ミツキは苦笑しながらも同じように手を上げる。
ふたりはハイタッチするが、明らかにトリヴィアの力が強く、ミツキの手は後方へ跳ね、腕が不自然に曲がる。
少し前にノリで教えたのを気に入ったらしく、狩りに成功するたびに、彼女はミツキと手を合わせたがった。
しかし、狩りの直後で興奮している彼女は毎回加減を忘れ、ミツキはその都度なんらかの怪我を負った。
これでは自分以外の人間と狩りはさせられないなと思いながら、ミツキは折れ曲がった腕を念動で戻し、壊れた関節を再構成する。
「さて、じゃあ早速さばくか」
ミツキは手の中に精製した王耀晶を伸ばして耀晶刀を作り出すと、倒れた魔獣を念動で浮かべ、刀を振るって解体していく。
今の暮らしを始めてから、念動が狩りの後の獲物の処理にとても役立つということをミツキは知った。
解体用の設備は不要だし、血の飛散も防げるので汚れないで済む。
あっという間に解体は済み、肉以外の部位は、一部の内臓と僅かな骨を残し、念動で遠くへ飛ばしてしまう。
皮や臓物は、肉食性の魔獣が処理してくれるはずだ。
毛皮は人の街に持ち込めばそれなりの値で売れただろうが、当面人里に近付く予定はない。
続いて、肉を適当な大きさに斬り分け、念動で血を絞り出すと、近くに生えている木から採った大きめの葉を皿代わりにして、すぐに食べる分だけ取り分けておく。
「……野菜もほしいな。トリヴィア、適当に山菜を採って来てくれ。その間にオレは肉の処理をしておく」
「うん!」
トリヴィアは荷物の中から籠を掴むと、キノコ、キノコ~♪ と即興の歌を口ずさみながら、森の中へ走って行った。
ミツキは近くの枯れ木を念動で集めると、白炎を放って着火し、取り分けておいた肉を木の枝に刺して焚き火の周りに突き立てていく。
焼けるのを待つ間、残りの肉から念動で水分を飛ばし、干し肉を作る。
味付けのため、地中から塩分を抽出し、浮かべたそれを肉にまぶした後、王耀晶の結晶の中に閉じ込める。
黒曜宮でサクヤやトリヴィアを生きたまま閉じ込めた〝晶結〟という技だが、よもや食べ物の保存に重宝するとは、あの頃は思いもよらなかった。
完全に密閉状態になるので腐敗を防止でき、臭いが漏れることもない。
干し肉を閉じ込めた王耀晶の結晶はバックパックに詰め、入らない分は念動で運んでもいい。
露出していても王耀晶に包まれているので、中身はまったく汚れない。
「採って来た!」
トリヴィアが森の中から駆け戻って来る。
「早いな」
籠の中には山菜やキノコ、木の実がぎっしり詰まっている。
ミツキは籠を受け取ると、事前に本で調べた通りに調理するため、食材を分けていく。
「これは焼く。これとこれは煮込むと美味くて……ん? これは?」
見たことのない木の実をとりあげる。
「これ食えるんだっけ?」
「わかんない」
「え? じゃあなんで採って来たんだよ」
「きれいで美味しそうだから!」
言われてみれば、少し林檎に似ていなくもない。
しかし、闇地には人にとって強い毒となる植物も少なくない。
ミツキは少し考えてから実を籠に戻す。
「食べられない?」
トリヴィアに問われ、小さく首を振る。
「わからないから、デザートにとっておいて、不味かったら捨てよう」
「うん!」
他にも、キノコ類にいくつか食べられるかわからないものが混ざっていた。
しかし、ミツキはそれもすべて鍋に入れることにする。
人にとっては毒でも、トリヴィアの害にはならないものの方が多い。
仮に腹でも壊したところで、トリヴィアなら自分の治癒魔法で瞬時に治せる。
己に至っては、とりあえず有機物ならまずなんでも大丈夫だし、なんなら無機物だろうと食ったところで問題はないだろうとミツキは思う。
今の己は、そういう体なのだ。
とっておいた骨でだしをとったきのこと山菜のスープ、そして大量の肉を食し、トリヴィアは満足げに腹をさする。
「もう食べられない~」
そりゃあれだけ食えばな、とミツキは思う。
成人男性五人前以上の量をひとりで平らげたのだ。
側壁塔時代も、彼女はよく食べたので食料を多めに仕入れているつもりだったが、今にして思うと、当時はあれで己に気を使い我慢していたのかもしれないとミツキは想像する。
「あ! 見て見て、ミツキ!」
地面に腰を下ろしたまま、仰のけに倒れそうなほど身を反らしていたトリヴィアは、頭上を指差す。
つられて上空に視線を向けると、鳥が一羽だけで翔んでいるのが見えた。
めずらしいなとミツキは思う。
あの大きさの鳥が群れもせずに闇地の上空を飛ぶのは、飛行性の魔獣から狙われる危険を伴う。
だから、闇地にも鳥はいるが、あんなに目につく飛び方はしないのが普通なのだ。
「こっちに降りて来るよ!?」
トリヴィアの言う通り、鳥はふたりの方へ急降下して来る。
不自然な動きだと感じ、ミツキは念のため周囲に王耀晶の礫を浮かべ、迎撃に備える。
鳥はふたりの手が届きそうなほど地上へ接近するも、墜落する前に身を起こして急上昇する。
鳥の影が顔の上を過り、そのまま遠くへ飛び去って行った。
「え!? なにしに降りてきたんだろ!」
「さあ。虫でも獲りに、降りてきたのか、も……」
言葉の途中で、強い魔力と体内魔素を持った存在を傍に感じ取り、ミツキは口を噤んだ。
しかも、何もなかったところに、突然現れたようだった。
警戒しながら、魔素の探知能力で相手の正確な場所を探る。
すると、自分のすぐ真後ろにいると悟る。
しかも、覚えのある気配だ。
「どうしたの?」
ミツキの様子に不自然なものを感じたのか、トリヴィアは首を傾げる。
彼女には構わず、立ち上がるとゆっくりと振り向く。
すると、地面に伸びた影が盛り上がり、中から白い髪と肌、紫色の瞳と赤い唇の女が浮上して来た。
「……サクヤ」
さっきの鳥の影に入って飛んで来たのだとミツキは気付く。
いきなり背後をとられたのは、急降下の際、鳥から己の影に移ったからだ。
一方、名を呼ばれたサクヤは、ふっと微笑む。
「久しぶりだな、ミツキ。思った以上に元気そうじゃないか」
サクヤはミツキの全身に視線を走らせる。
王耀晶の義体で補われていた右半身は、どういうわけか生身に戻っている。
それに、顔に刻まれた異世界人の識別番号と記号が、消えている。
「……ふん。そのあたりの事情もじっくり聞き出してやる」