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『旅立ち』

 リエッタと別れた場所から少し歩くと、崩れかけた城壁が(そび)え建っており、左へ進むと、程なく壁に埋まるように円筒形の塔が出現する。

 魔女の住処である側壁塔だ。

 塔の下には大きな木製の扉が設置されており、資材の搬入出がしやす構造となっている。

 以前、この周辺には林が広がっていて、立ち入りには軍の許可が必要だったため、人が入り込むことはなかったが、今は城壁に沿って広場が続いており、立ち入りも禁止されていない。

 だから、何も知らない市民が興味本位で入り込んでもおかしくはないように見える。

 ただ実際には、魔女の手によって、無関係な人間が近寄ると施設に対する関心が逸れる結界が塔の周囲に張られている。

 だから、この側壁塔に足を踏み入れることができるのは、魔女とその弟子、そして魔女が認めるひと握りの人間だけだ。


 クレスは、門ではなくその横に設けられた通用口から側壁塔へ入る。

 建物の一階には窓もないため、中は視界が利かぬほど暗い。

 クレスは入り口脇の魔導機に触れて魔力を注ぎ、照明を点灯させる。

 上階を自室にしている魔女は、一日下へ降りて来ないことも珍しくない。

 照明が点されていなかったということは、今日も部屋に籠っていたのかもしれないとクレスは推察する。

 師に帰ったことを伝えて頼まれていた素材を渡すため、上階へ登る。

 二階の廊下には、攻城戦に備えて壁に一定の間隔で狭間が設けられているので、一階のように暗くはない。

 それに、今は壁の一部が崩れており、そこからも陽光が差し込んでいる。

 クレスは、師の部屋の前に立ち、扉をノックする。

 しかし、中から返事はない。

 もう一度、今度は強めに扉を叩きながら、声をかける。


「先生! クレスです! ただいま戻りました! 入ってもよろしいでしょうか!」


 やはり反応はない。

 クレスがドアノブに手をかけると、鍵がかかっていないのがわかった。

 一瞬躊躇(ためら)うも、ゆっくりと扉を開ける。


「……先生?」


 部屋の中は暗く、クレスは手探りで照明を点ける。


「あれ?」


 部屋の奥の寝床も含め、室内に人の姿はない。


「外出されていたのか」


 師は普段部屋に籠っていることが多いので少し意外に感じるが、考えてみれば己が不在の間は、食事等自分で用意しなければならないのだから、普通に外ぐらい出るだろうと思いなおす。

 クレスは部屋から出ようと後退しかけるが、机の上にカップとポットが置いてあるのに気付くと、考えなおして室内に踏み入る。

 自分の興味の対象以外にはとことん無関心な彼女は、実生活では不精なところがある。

 クレスが片付けなければ、飲みかけのカップなどいつまででも放置しかねない。

 出かける前に、身の回りの世話は(しもべ)にさせると言っていたが、それすら(おこた)っていたのかもしれない。

 机に近寄りカップに視線を落とすと、小さく溜息が出る。

 やはり、ハーブティーを飲みかけのまま長期間放置していたらしく、水気が飛んで茶色い染みが底にこびりついている。

 茶器を片付けようと手を伸ばしかけ、その下の紙に気付く。

 達筆な字で、〝弟子へ〟と書いてある。

 ここ数年、他国の製紙技術が輸入されたことで、紙は庶民にとっても随分身近なものになったとはいえ、伝言用のメモに使うのは先生ぐらいだと思いながら、カップを退けると書かれた文に目を走らせる。


「え?」


 おもわず、戸惑いの声が漏れた。


 〝遠出する。帰りはいつになるかわからない。不在中になにかあれば、こ奴らを頼れ〟


 彼女は出不精な一方で、ふらりと外出して、数日戻らないということが珍しくなかった。

 しかも、その程度家を空けるだけなら、わざわざ弟子に伝えたりもしない。

 そんな彼女が、書置きを残して消えたことが、過去に二度あった。

 いずれの場合も、買い出しから帰った後、部屋に食事を運ぶと、机にメモが残されていた。

 その時は、ただ〝出かける〟とだけ書き残されていた。

 しかし、一度目は半年帰らず、二度目は帰宅まで一年近く家を空けた。

 文面から察するに、今回はさらに長くなりそうだ。

 いやそれどころか、先生はもうここへは戻らないつもりなのかもしれない、という考えがクレスの心に浮かぶ。

 今回、闇地の奥まで素材を集めに行かされたのも、ひょっとしたら弟子としての最後の試練のつもりだったのではないか。


 クレスはカップとポットを持つと、師の部屋を出る。

 洗い場は一階だが、すぐに階段へは向かわず、しばし部屋の前に立ち尽くす。

 保護されるより以前の記憶がないクレスにとって、長期にわたり不在だったこともあるとはいえ、師は常に身近に居るのが当たり前の存在だ。

 そんな彼女が、ひょっとしたら二度と帰らないかもしれないということを、どう受け止めればいいのかわからない。


「……悲しいのかな」


 自分自身に問い掛け、否、とクレスは思う。

 寂しくはあるが、不思議にも悲しくはない。

 そもそも師は、別れというものは突然やって来るのだと、常日頃から言っていた。

 だから、ある日私が消えて失せるかもしれないと心しておくように、言い聞かされてクレスは育った。

 だからなのか、敬慕しているはずの師が去ったのだとしても、すんなり受け入れられるような気がした。

 それに、紙には己の帰りを待てとは書かれていなかった。

 だからもし、この先彼女に会いたくなったのならば、追いかければいいのだ。


「……明日から、どうしようか」


 生活費を得る当てはある。

 師からは薬を調合するための知識も授けられていた。

 魔女の薬は、治癒魔法では癒せない難病にも効果があると評判で、遠方から高値で買い付けにやって来る者もいる。

 今回採って来た素材は、その薬を作るためのものだ。

 つまり、しばらく材料には困らない。

 あるいは、軍に入るという手もある。

 師の手紙には、軍のトップの将軍をはじめ、魔王との戦で活躍した彼女の戦友たちを頼るよう名指しされていた。

 しかも、ティファニア軍は優秀な人材、特に魔導士を常に求めている。

 〝魔女の弟子〟ともなれば、もろ手を挙げて歓迎されるはずだ。

 無論、それ以外にも選択肢はいくらでもある。

 王都を出て冒険者となり気ままに暮らしても良いし、他国を巡って見聞を拡げるというのも悪くない。

 自分ひとりで先行きを決めかねたなら、誰かに相談するのもいいだろう。

 それこそ、早速リエッタを訪ねて話を聞いてもらうという手もある。

 つまり、己はどこにでも行けるし、何者にでもなれるのだ。

 そして、そう考えた瞬間、胸の奥から感謝の気持ちが湧き上がるのをクレスは自覚した。

 幼き日、捕らえられてどこかへ売られ、おそらくは雑に使い潰される可能性の高かった己に、師は選択肢を与えてくれた。

 そして生きる意志を示すと、引き取って育て、どんな未来にでも向かえるだけの智慧と力を授けてくれた。

 なぜ、己にだけ手を差し伸べてくれたのかはわからない。

 師は情で動く人間ではないので、なんらかの打算があったのかもしれないとクレスは思う。

 それでも、今どこにいるのかもわからぬ彼女に向けた気持ちが口を衝く。


「これまで、ありがとうございました、先生」


 いつの日か再会が叶ったその時には、直截伝えようと心に決める。

 そして、狭間から覗く空を見上げ、師のこれまでとこれからを想う。

 彼女は聡明であったが、目的意識もなく、ただ漫然と日々を送っているように見えた。

 もしかしたら、己を育てたのも、単に無聊(ぶりょう)(なぐさ)めるためであったのかもしれない。

 だとすれば、王都を発ったことで、彼女の人生が拓ければいいと、クレスは強く願う。


「どうか、良い旅を」


 呟きは、側壁塔の中で微かにこだました後、誰に聞かれることもなく消えた。

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― 新着の感想 ―
サクヤさんが手紙を用意している時点で気に入っていることがわかるな
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