『不可解な心の動き』
リエッタはクレスに跳び掛かろうとするも、ハッとなにかに気付くと掌を顔の前に翳して踏み止まる。
「おっと! 危うく挑発に引っかかるところだったわ!」
「挑発?」
首を傾げるクレスに、リエッタは左手で自らの目を覆いながら、刀の切っ先を向ける。
「この前の決闘では、あんたの目を見た瞬間、金縛りに遭って、何もできずに負けたのよね!」
「そうだっけ」
師に教わった外法だとクレスは思い至る。
手合わせに使ったかといわれると、よく憶えていない。
「でも、残念だったわね! あの姑息な技は、今の私には通じないわよ!」
そう言ってリエッタが左手を下ろすと、彼女は目を閉じている。
「いや、それじゃ見えないでしょ」
「そうね! でも、あんたは知っているでしょ!? 今、私を鍛えてくれている師匠を!」
そういえば、彼女はティファニア軍でも屈指の実力者だという、盲目の剣士に師事しているのだとクレスは思い出す。
たしか、トモエという名の女性だったか。
「私は師匠から視界を失っても周囲の状況を把握するコツを教わったのよ! これであんたの目を見ず斬り込めるってわけ!」
「全部教えてくれるなぁ」
とはいえ、視界に頼らず戦う方法を短期間で体得するなど、常人にできるはずもない。
やはりリエッタは天才なのだろうとクレスは思う。
ただ、いつも思うのだが、どこかぬけてもいる。
クレスは己の影を操って伸ばし、リエッタの影と重ねる。
影で影を縛る外法だ。
彼女は驚異的な速度で成長しているが、その間に自分も師から多くを学んでいたのだとクレスは思考する。
「じゃあ行くわよ! あ、あれ!? なに!? 動けない!!」
目をつぶって剣を構えたままの体勢で、リエッタはどうにか踏み出そうと体に力を込めるも、ビクともしない。
その間に、クレスはゆっくりと彼女に近付く。
「ちょっ、ちょっとどうなってるのよ、これ!!」
狼狽するリエッタの首に、角材を当てる。
彼女はびくりと身を震わせると、歯を喰いしばり、目を見開いて目の前のクレスを睨む。
「ま……また、金縛り」
クレスが外法を解くと、リエッタは身をつんのめらせる。
「はいオレの勝ち」
「ぐっぅうう……ひ、卑怯よ!」
「卑怯?」
「そうよ! いつもいつもまともに戦ったら敵わないと思って勝負から逃げて、私の動きを封じるようなズルばかりして! こんなんであんたの勝ちだなんて認めないんだから! もう一回、今度は正々堂々勝負しなさいよ!」
面倒だなと思いつつ、クレスはリエッタを言い負かす理屈を思考する。
「……もう一回か。キミがそうしたいならつき合うけど」
「本当!?」
「でもさ、自分の知らない魔法で動きを封じられて、それで負けたら卑怯だなんて、シェジアさんやトモエさんがそう教えたの?」
「そ、それは」
再戦への期待に笑みを浮かべたリエッタの表情は、途端に情けなく萎む。
「うちの先生なら、たとえどんな手段を使われようと、負けは負けって言うけどね」
リエッタはがっくりとうな垂れると、声を震わせる。
「うぅ……あんたの言う通りよ……負けを認めるわ」
「あ、そう? じゃあ用は済んだね」
クレスが角材を放って歩き出すと、リエッタは慌ててその背に声を掛ける。
「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」
「え? 手合わせは終わったんだから、もう行っていいんでしょ?」
「よ、良くないわよ! これは勝負なんだから、負けた方が勝った方に何か支払うの!」
「えぇ、そんなルールあったっけ?」
「今回からそう決めたの! 私はもう給金だって貰ってるんだから! 今なら屋台で奢る程度なら大して財布の負担にならないし!」
「いや、今急いでるから――」
「馬を探してたんでしょ!? 側壁塔へ帰るために!」
どうやらリエッタは自分の事情を察していたらしいと気付き、クレスは振り返る。
「私なら詰め所の軍馬を出せるわよ」
「送ってくれるの?」
「ええ。ただし、私に昼を奢られたらね。さっき帰って来たってことは、どうせまともな食事はとってないんでしょ?」
言われてみれば、大分腹が減っていることにクレスは気付く。
馬車の中では、あまり気分が良くなかったせいで、干し肉さえ口にしていない。
「……わかったよ。そこまで言うなら御馳走になる」
「そうこなくっちゃ!」
リエッタは一転して顔を綻ばせた。
大通りに戻ったふたりは、立ち並ぶ屋台の中から、適当に腹の膨れそうな食べ物を選んで買うと、最寄りの広場の噴水の傍へ移動した。
ふたりが買ったのは、〝英雄焼き〟と呼ばれる王都の名物料理だ。
嘘か誠か、ここ数年の戦や魔王軍との戦いで活躍したという英雄が、非市民区の商人にレシピを教えたのが名前の由来だという。
穀物粉を水で溶き、卵を加え、野菜と肉を和えて平たく焼き、タレを塗っただけという雑な料理だが、甘辛いタレはなかなかに食が進み、名物になるだけのことはあるとクレスは思う。
「それで? 闇地まで行ってどんな素材を採って来たわけ?」
ベンチの隣に座るリエッタに問われ、クレスは雑囊の中に意識を向ける。
「えっと……四角地龍の角と口凱虫の触覚、あと吸眼鳥の仙椎――」
リエッタは口に含んでいた水を噴き出す。
「ぶっほ! あ、あんたそれ、中深域帯より奥に棲息する魔獣じゃない!」
「よく知ってるね」
「軍学校で習ったのよ。それより、そんな魔獣を狩って素材を持ち帰って来いって、サクヤさんが言ったの?」
「うん」
リエッタは口に手を当て、深刻そうな顔で考え込む。
「なに? どうしたの?」
「普通じゃない」
「え?」
「ねえ、あんた歳いくつよ?」
「正確な年齢はわからないけど――」
クレスには、師に拾われる前の記憶がない。
おそらく、とても心が耐えられないような経験をしたため、脳が記憶を封印したのではないかと、師には言われていた。
ただそれは、べつに珍しいことでもない。
リエッタの孤児院にも、同じような子どもは何人もいる。
それだけ、子どもにとって生き辛い時代が続いたということなのだろうとクレスは思う。
「十三、四ぐらいじゃないかな」
「そうよね。そんなもんよね。どう見ても私とタメぐらいよね……あのねクレス、どんな厳しい軍の教官や魔道の指導者でもね、十代前半ぐらいのガキをひとりで闇地の奥に行かせたりはしないのよ」
「でも……あっちに滞在中お世話になっていた、鎮守府の長官の人は、もの心ついた時には闇地に潜ってたって言ってたよ?」
「は? なにそれ。ひとりでってこと?」
「あ、いや、おじいさんとだって言ってたな」
「開拓者か狩人かしら……その人は普通じゃないから参考にならないわよ」
「そう?」
「あのね、私が言いたいのは、弟子をひとりで闇地の奥へ向かわせるような指導は、まともじゃないってこと」
「厳しいって言いたいの? でも、それならシェジアさんだって滅茶苦茶厳しいじゃない」
「お母っ……頭はたしかに厳しいけど、子どもを危険に晒すような真似はしないわ」
リエッタは、孤児院の職員がそう呼ぶように、養母のことを「頭」と呼ぶのだが、時折「お母さん」といい間違えそうになる。
微笑ましい癖だが、今のクレスは和むような気分ではない。
「リエッタは、結局なにが言いたいの?」
「あんた、いいように使われてるんじゃないの? あの人に」
クレスは、自分の頭の芯が急速に冷えるような感覚を自覚する。
昔からそうだった。
自分が人からなにを言われようと気にしたこともないが、師に対する侮辱や悪口を耳にすると、その相手に対してひどく残忍な気持になる。
今も、リエッタは己のことを案じて言っているのだとはわかっているのだが、そんな気遣いに感謝する気にはまったくなれず、どう黙らせてやるかとしか頭が働かない。
「ねえ、あんたが今の暮らしを辛く感じてたりするんなら、うちの頭とか、師匠に――」
「誰がそんなこと頼んだ?」
「え? ひっ」
リエッタはクレスの顔を見て表情を引き攣らせる。
今、自分がどんな顔をしているのか、クレスにはわからない。
「オレと先生のことに、赤の他人のキミがどうして口を挟む? 余計なお世話なんだよ。それに、キミが先生の何を知ってるっていうんだ? あの人はスバラシイ人なんだ。先生がいなかったら、オレはとっくに野垂れ死んでた。先生のおかげで今のオレがいるんだ。それなのに、どうしてキミは先生を悪く言うんだ? えぇ? なあおい、どういうつもりなんだ? 答えろよ、黙ってないでさ。ほら、答えてみろって!!」
声を荒げた瞬間、クレスは我に返る。
隣に座るリエッタは、蒼白な顔で身を震わせ、目尻にはうっすらと涙を浮かべている。
「うぅ……わ、悪かったわよぉ……でも、だからって、そんな怖い顔で怒鳴らなくたっていいじゃない」
「い、いや、ごめん。こんな……怖がらせるつもりは、なかったんだ。本当に、すまない」
クレスはくり返し詫びながら、自分で制御することのできない己の心の動きを不可解に思うのだった。