『魔女の弟子』
ティファニアという国、延いては世界の命運を決した王都での決戦にてもっとも武功を立てたという異世界の魔女は、朋輩である異世界人たちが戦死、もしくは行方不明となり姿を消す中、ただひとりティファニアに残り、魔王軍残党の討伐や戦で傷付いた兵らの治療に尽力し、その後も国の治安の回復に貢献、時には政にも助言するなど、復興の大きな助けとなった。
国が安定すると、それまでの働きの褒賞として、取り壊される予定だった王都城壁の保存と管理権限を臨時政府から得て、魔女はそこに棲み着き魔法の研究をしながら日々を過ごすようになった。
そして、ある時ひとりの戦災孤児をどこからか連れて来て、弟子として育て始めた。
この国の復興に力を尽くしながらも、魔女は相対する者を惑わす妖しくも美しい容姿と、数々の不穏な噂ゆえ、王都の人々から畏怖されていた。
必然的に、〝魔女の弟子〟も、色眼鏡で見られることになる。
現に今も、人混みの中、声をかけて来たリエッタの連れの年若い兵士たちは、皆一様に戸惑った顔で、クレスに惧れを含んだ視線を向けていた。
「ちょっと! 私と話してるときに、何処見てんの!?」
リエッタが一歩踏み込み、下から睨め付けるようにクレスを見上げる。
「……キミら巡回任務中でしょ? オレなんかにかまってていいの?」
「そ、そうだぜリエッタ! こんなとこで油売ってるのがバレたら、最悪懲罰房行きだ! もう行こうぜ!」
仲間のひとりの訴えに、リエッタは振り返る。
「巡回はあんたたちだけで続けて。私はこいつに用があるから」
「は、はあ!? さぼろうってのかよ! 上官に報告すんぞ!」
「……へえ? べつにいいわよ? でもセアス、あんたに私を敵に回す度胸があるなんて驚きね」
リエッタが声をワントーン落としてそう伝えると、セアスと呼ばれた兵士は目に見えて狼狽える。
「ち、違っ! そんなつもりはないって!」
「だったら黙っときなさい。べつに見回りぐらいあんたたちだけでできるでしょ? それとも、私がいなくちゃなんにもできないの?」
「わ、わかったよ。おい、行くぞ」
数人の年若い兵士たちは、逃げるように去って行った。
仲間たちを見送ると、リエッタはクレスに振り向き、何ごともなかったように促す。
「じゃ、移動するわよ」
「は? 何処へ?」
「いいから、ついてきて」
歩き出したリエッタに、クレスは渋々従う。
ふたりで歩いていると、やたらと通行人に視線を向けられ、クレスは居心地が悪くなる。
注目される原因は、リエッタの容姿だ。
整った容貌に加え、血の色に近い赤の長髪と青と緑のオッドアイが、人々の目を引かずにはおかない。
しかし、当の本人は、どれだけ目を向けられようと、意に介した様子もない。
慣れているのだろうとクレスは思う。
リエッタは大通りを外れ、裏路地を進んでいく。
途中、ガラの悪い男たちがたむろしている横を通り過ぎる。
リエッタのような若くて容姿の良い女を見ればちょっかいをかけて来てもおかしくなさそうだが、男たちはむしろ慌てた様子で彼女から顔を背ける。
こいつらは、とクレスは思う。
彼女がどういう人間なのか知っているのだろう。
魔族の跳梁を経て、この世界には身寄りのない子どもが溢れた。
クレス自身そんな子どものひとりだったが、どうやらリエッタも同じような境遇らしかった。
といっても、彼女の過去を詳しく知っているわけではない。
クレスが師やまわりの大人たちから聞いたところによると、彼女は、人の特別な才覚を見抜くという、先王の妹姫の能力によって発見されたのだという。
王族に、しかも特別な力によって選ばれた子どもということなら、養子の当ては事欠かないはずだ。
しかし、リエッタは引き取り先で大きな問題を起こしては、そのたび養子縁組を破棄された。
それでも国は、王族に見出された特別な才能を無碍にできなかったのだろう。
最後はその王族とつながりのある軍のトップの将軍が、孤児院の運営をはじめたばかりのかつての部下に彼女を預けた。
シェジア・キーフェという孤児院経営者の女は、半身不随の身でありながら、暴れるリエッタを押さえつけ、わからせたのだという。
そうして孤児院に入ったリエッタは、それまで誰に対しても攻撃的だったのが嘘のように聞き分けが良くなり、院長を母のように慕った。
その院長の薫陶を受けた彼女は、元より王族に見出されるほどの優秀さもあって、武術の才覚を発揮した。
折しも、ティファニア軍は人員を国内各地に割かねばならず、人手不足に陥っていた。
そこで国は、軍学校を設立し、入学希望者を広く募った。
学校といっても、教育課程は二年という短期で修了となり、その後は見習いの兵として軍に組み込まれる。
ただし、成績優秀者は出自を問わず士官候補になれるとあって、多くの少年少女が入学した。
リエッタはその初年度の入学生となり、トップの成績で修了後、今は同期とともに見習いの兵として軍に所属している。
といっても彼女は、成績トップで卒業したうえ、元王妹殿下のお墨付きということもあって、同期とは異なり士官候補として特別な待遇と教育を今も受けているのだという。
ただ元々の気性の荒さに加え、養母である孤児院経営者の影響を強く受けたことで、かなり苛烈な性格に育っている。
先程の、仲間の若い兵士の反応から察するに、同期や同僚からさえ恐れられているようだとクレスは考える。
先程のゴロツキ共も、おそらく既に見回りの時にでも手を出して、散々な目に遭わされたのだろう。
「な、なによ」
「え?」
ぼんやりと横顔に視線を向けていると、気づいたリエッタがクレスが問うてきた。
「なに人の顔じろじろ見てんのよ」
「え、ああ、えっと――」
クレスは咄嗟に、思ってもいなかったことを答える。
「さっきのお仲間の人たち、あんなに邪険にして大丈夫なの?」
「ああ……いいのよ、べつに。私がいたんじゃ、なにかあっても私にばっか頼ろうとするんだもの。見回りぐらいなら、あの子たちだけで行かせた方が経験を積めるでしょ」
「いやぁ、でも、もうちょっと言い方があったんじゃないかな。あれじゃまるで恫喝だ。友だち失くすよ?」
「はあ? 私以外に友達いないあんたが言う?」
「え? キミってオレの友達だったの?」
そう伝えると、途端にリエッタは顔を赤く染め、射殺すような目をクレスに向けて来た。
「ああそうね! 私とあんたはお友だちなんかじゃないわよね! ふんっ!!」
リエッタは歩調を早め、それきり何も話さなくなる。
なにかまずいことを言っただろうかと考えながら、クレスは急いで彼女の後を追った。
やがてふたりは、人気のない広場に出る。
どうやら建物の建設予定地らしく、端の方に資材が置かれているが、作業員などは見当たらない。
「ここなら邪魔は入らないでしょ」
リエッタはクレスに振り返りつつ、腰に二本差した刀の一本を引き抜く。
「なに?」
「なに、じゃないわよ。私があんたに用があることなんて、ひとつしかないってわかってるでしょ」
「また手合わせ?」
「決闘って言いなさい!」
相手に気取られないよう、クレスは小さく溜息を吐く。
クレスがリエッタとはじめて会ったのは、三年前だ。
クレスの師とリエッタの養母は旧知の間柄らしく、彼女の養母が側壁塔に連れてやって来たのだ。
当時、孤児院では既に、元傭兵だったという職員たちが、希望する子どもに戦う術を教えていたのだが、リエッタは傑出した才覚ゆえ他の子どもたちでは相手にならず、おかげで大分天狗になっていたという。
そこで、彼女の養母である孤児院の院長は、世代が近く、魔女の教えを受けているクレスに引き合わせることにしたらしかった。
リエッタは初対面のクレスに突っかかり、当時、師から彼女の外法の一部を伝授されて間もなかったクレスは、加減を誤った力をリエッタに揮って、泣かせた。
それ以来、彼女はたびたびクレスのところへやって来ては、一対一での勝負を挑むようになったのだった。
リエッタはクレスに刀の切っ先を向ける。
「安心しなさい。こっちの刀はあくまで制圧用で、刃は引いてあるから。斬られてもすごく痛いだけで済むわ。打ちどころが悪ければ骨折ぐらいはするかもしれないけど」
「いや、そう言うけどキミ、オレにひと太刀だって浴びせられたことないじゃない」
「黙りなさい! 今日こそ私が一本取って勝つのよ! さあ、あんたも得物を持ちなさい!」
「そんなこと言ってもな……」
クレスは短剣ぐらいしか武器を持っていない。
周囲を見回し、積み上げられた建築資材に目をつける。
「あれでいいか」
資材の方へ足を向ける。
怪訝そうにその様子を見ていたリエッタの顔は、クレスの手に取った物を見てみるみる険しくなる。
「……私にはそれで十分だっていうの? 刃が潰れてるとはいえこっちは鉄剣を持ってるっていうのに?」
クレスは細い角材を手にリエッタに相対する。
「じゃ、始めよう」
「バカにしてぇ!」