第四百五十八節 『傲りの代償』
ミツキは肉体とともに再生させた王耀晶で模した蟲を使い、仲間への通信を試みる。
が、口からは呼吸音が漏れるばかりで声が出ない。
今は念動で肉体を操作しているが、発声は四肢を動かすよりもずっと難しいのだと気付く。
横隔膜を動かして肺から空気を吐くとともに、声帯を振動させ音を出し、舌を動かし声を作る。
「………はー、か……へぁ、あー、あ、ああ……あ、い、う、う、え、お、あ、お」
死にかけたうえに魔王を上空に待たせている状況で、なんで己は発声練習などしているのだと、もどかしく感じながらも、逸る気持ちを抑えて言葉を紡ぐ。
「あー、うぉ、を……ぼ、ヴォリ、ス……ヴォリス、聞こえるか?」
一拍の間を置き、後方の空中要塞から指揮を執っている、ヴォリス・ドゥ・ヴァーゼラットの声が耳に響く。
『み、ミツキ殿!? ご無事でしたか!』
「あ、ああ、それより、状況を、簡潔に、報告してくれ」
『は、はっ! 〝近衛〟の討伐を成功させた後は、市街の魔族の掃討を進めておりましたが、陽が完全に沈んでからは、一部の部隊を除いて拠点化した施設に籠り朝を待っております。夜間は視覚の利かない人間よりも魔族の方が有利なのに加え、兵たちの疲労も限界を越えておりましたので。ただ、そんな味方を狙う敵勢力を遊撃するため、レミリス将軍閣下が精鋭部隊を指揮し、今も非市民区にて戦闘を継続中です』
〝近衛〟の討伐を成功させたと聞いて、ミツキは内心で胸を撫で下ろす。
「この暗闇で、レミリスは戦えているのか?」
『ミラ殿が上空より魔法で地上を照らしてくださっているうえ、地上部隊を援護法撃していただいているおかげで、今のところ優位に戦えております』
「は? ミラ殿って誰?」
『え? ハリストンのヴィエン・シン殿の妹御、ミラ・シン殿ですが……ミツキ殿が応援を要請してくださったのでは? 他にも少人数ながら同盟各国の精鋭が到着しております』
「あ、ああ」
アニエルが約束を果たしてくれたのだと、ミツキは即座に察した。
酒の席での口約束を守るとは、律儀な男だ。
「わかった。それで、もうひとつ確認したいことがある」
『なんでしょうか』
「市民区にいる兵の数だ」
『それでしたら、すべての兵は非市民区へ退いております』
「ん? なにかあったのか?」
『なにかというか……黒曜宮から強力な魔力攻撃が放たれた後、讐怨鬼討伐の助太刀に駆けつけていたジョージェンスのフュージ・ディッツ殿から危険であるとの進言を受け、ティスマス・イーキンスが独断で全軍を引き上げたのです』
魔王の放った黒い光だろうとミツキは察する。
フュージもティスマスも良い判断だ。
おかげで、後顧の憂いなく目論見を果たせそうだ。
『市民区へ攻め入った部隊ではもっとも階級が高く現場の指揮を任されていたとはいえ、いち士官の差配としては越権行為とも言えますが、その後、市民区上空で謎の発光現象が確認されたことも鑑みるに、イーキンスの判断は妥当であったと――』
「いやそれでいいんだ。これからオレは、魔王に対して大規模魔法攻撃を行う」
実際は魔法などと言えるものではないが、説明している余裕はない。
「ただ、おそらくかなり高威力の魔法ゆえ、地上にも影響が出る可能性がある。それがどの程度のものになるのか、オレ自身はじめて使う魔法ゆえ判断ができない」
『な、なんと』
ヴォリスが唾液を呑む、グビリという音がミツキの耳にまで届く。
「だから非市民区の兵には、早急に対魔法防御の指示を出してくれ。随伴の魔導士がいる部隊は防御魔法を展開し、それが望めない者たちは、できるだけ安全な場所へ退避させるんだ。そうだな……建物の中よりは、爆風を凌げる窪地のような場所に伏せるのがいいだろう」
『りょ、了解いたしました。攻撃までの猶予は、どの程度ありましょうか』
「あまりない。魔王は今、王都の上空に浮かんでいて、いつ攻撃してくるかもわからない。オレは用意ができ次第攻撃を行う。だから急がせてくれ」
『はっ! すぐに指示を出します!』
「頼んだ」
忙しなく通信が途切れる。
〝近衛〟討伐を任せた味方の安否を確認したかったが、今は時間も余裕もない。
ミツキは王耀晶でできた足元に手をつくと、汚染魔素の抜けた黒曜宮に干渉し、その形を変えていく。
なだらかなドーム状だった屋根の一部が大きく隆起する一方、ミツキの周囲は深く窪み、建物の中へと呑み込まれていく。
黒曜宮の形状を、魔素の操作能力を駆使して粘土のように変えながら、ミツキは思考する。
魔王は、己が幻獣蜃楼妓の力を使いこなせていないと指摘した。
実際、自分に心を許している者であれば精神へ深く干渉することもできるが、そうでない相手、特に警戒している敵に対しては、少なくとも心を自在に操るような真似はできない。
ただそれでも、操作する精神の持ち主が、己自身であるならば、能力を十分に発揮できる。
魔王との戦いの最中、ミツキはあえて己の精神を操作し、不安や恐怖の感情を喚起した。
汚染魔素そのものである魔王は、自らの元となる人の負の感情を感じ取ることができる。
ミツキはその相手の能力を利用して、自分が勝ち筋のない戦いに絶望していっているとミスリードを誘ったのだ。
結果、魔王は決着を急ぐことなく、ミツキを弄ぶように戦いを楽しんだ。
ミツキはそんな魔王に目論見があることを悟られぬよう立ち回りながら王都の上空へと誘導した。
そこで、ミツキの作り出した傀儡の軍勢に囲まれ、魔王はそれが最後の切り札であると考えたようだが、実際には、あれらも相手の動きを封じるための仕掛けに過ぎなかったのだ。
そうして戦いながらミツキは、魔王を天空に留めたまま、己ひとり黒曜宮へ戻るために、どこかで攻撃を受け墜落する機会を待った。
〝虚無〟の現出などという食らえば即死不可避の攻撃を見せられたため、こればかりは慎重にならざるをえなかったが、それも相手に蹴り落とされたことで、難なく果たすことができた。
奴が、トリヴィアから黒髪の男の肉体へ依り代を移したのも、この状況を作り出すことができた大きな要因だったとミツキは思う。
魔王の性格は明らかに、肉体からの影響を強く受けていた。
最初に対峙した際、魔王は、その性質を鑑みれば、かなり穏やかな性格と感じられたし、ミツキに対してどこか親しみさえ抱いていたようだった。
人間に対する感情を〝愛〟などと表現したのも、トリヴィアがそうあろうと努めていた影響だったのかもしれなかった。
しかし、依り代を黒髪の男に換えてからは、ミツキへの執着は保ったままに、時間を経る程に好戦的な性格となり、獲物を嬲るような嗜虐性も発揮した。
ミツキが生前の黒髪の男とかかわったのは、十分にも満たない時間ではあったが、それでも、傲慢で冷酷な性質だということは強烈に感じ取れた。
それに、トリヴィアとオメガが怯んでいたことを鑑みれば、おそらくその力に相応しく、戦いや破壊を好む性質だった可能性が高いとも推測できた。
そんな性質の肉体から影響を受けたことで、魔王は戦いに夢中となり、同時に、傲慢さゆえにミツキを格下と見下した。
そして、いつでも殺せたはずのミツキを、ここまで来させてしまった。
「その体は、たぶん、オレが出会った誰よりも強いよ。トリヴィアや白生、幻獣よりもな」
だがそれでも、その肉体に入ったのは大悪手だったとミツキは思う。
誰よりも強かったはずの黒髪の男は、その驕りから、とるに足らない虫ケラ同然と軽んじたレミリスに呪いを使われ、あっさりと命を落としたのだ。
そして今、魔王もまた同じように、傲慢のツケを払うことになるのだと、ミツキは確信した。