第四百五十五節 『傀儡の軍団』
「ままならんものだな」
魔王の呟きに、ミツキは顔を顰める。
「はあ?」
「正直、私にとってはあまり嬉しくない能力なのだ。万物を消滅させるなど」
なに言ってんだこいつ、とミツキは思う。
いかにも〝魔王〟らしい凶悪な能力だ。
それだけに、言葉の意図するところがわからない。
「私は、人の負の感情と、魔素、その両方があってこそ存在できるのだ。すべて〝虚無〟に葬るなどという力は、この世界から私の元になる人間と魔素、その両方を失くすことにしか使えん。どうせ固有の能力を得るのであれば、蜃楼妓のような人の精神に干渉できる力がよかった。ああいう能力ならば、より効率的に人の負の感情を生み出せるものを」
説明されると、なるほどと思わないわけでもなかった。
こいつは、人間を滅ぼすどころか、消えられると困るのだ。
そのうえで、対人の武力なら〝虚無〟など使わずとも十分以上に強いのだから、オーバースペックの殺戮技など、むしろ手に余るのも当然だとミツキは納得する。
「そんな忌むべき力を、どうしてこれ見よがしに使ってみせた」
「決まっているだろう。おまえをさらに絶望させるためだ。おまえは切り札である天龍の〝咆哮〟を使っても私に傷ひとつ付けられないが、私はいつでもおまえを殺せるんだ」
実際、その目論見はかなり功を奏していた。
まともに戦えば、元より限りなく低い勝利の可能性が、〝虚無〟の現出などという凶悪な能力を使うと判明したことで、さらに下落した。
そして、そう考えることで心に沸き上がるネガティブな感情が魔素を汚染し、魔王にとって糧となるのだ。
これでは思うつぼだな、とミツキは思考する。
「皮肉なものだなミツキ。私が羨む蜃楼妓の能力を、おまえは保有しながら使いこなせていない。一方で、私にとってはさしてありがたくもない〝虚無〟を現出させる力が、おまえは喉から手が出るほど欲しいのではないか?」
ミツキは押し黙りつつも、その通りだと心の内で肯定する。
物質だろうとエネルギーだろうと、〝無〟の世界へ棄てられる力なら、魔王の依り代である黒髪の男をも難なく消すことができるはずだ。
そのうえ、器を壊せたとしても消すことのできない汚染魔素の始末という難題さえ解決できるのだ。
「しかしまあ、世の中というのはそんなものなのだろう。本当に欲しいものほど手に入らず、どうでもいいものばかり恵まれる。だが、そんな境遇を嘆いたところでどうにもならんのも事実だ。であるならば、たとえ望まずとも、与えられた手札を最大限利用するのが賢い生き方というものだろう。なあ?」
そう言って魔王は、嫌な笑みを浮かべながら指先に黒い点を生み出して見せる。
「くっ!」
あんな力を好き放題使われたのではティファニアへの被害が増すばかりだ。
そう考えたミツキは、翼から噴射させている白炎の出力を上げ、急上昇をはじめる。
「おや?」
魔王は頭上高く昇っていくミツキを視線で追う。
「ふむ、脅かし過ぎたか」
指先の黒い点を消すと、溜息を吐く。
「警戒せずとも、こんな力はそうそう使ったりせぬのにな。なにせ当てれば一発で消し去ってしまうのだ。加減さえできん。そういう性質も、この能力の忌むべき点だ。まあ、怯えてくれるのは喜ばしいのだが」
魔王は背中から黒い翼のように汚染魔素を放出し、自らもミツキを追って上昇し始める。
「よもや逃げたわけではあるまい。追って来いということか。いいだろう。天空ならいよいよふたりだけの時間を楽しめるというものだ」
上昇しながら、ミツキは魔王が追って来ていることを、魔素の知覚能力で確認する。
少しでも地上から引き離すため、奴を高高度まで誘い出す。
ただ、ミツキの本当の狙いは、魔王が追い付くまでの間に、迎撃の準備を整えることにある。
そのためには、己を見上げる魔王の目から、姿を隠す必要があると考え、雲の中へ突入する。
視界が煙り、冷たい氷の粒が全身に降りかかり、すぐに〝黒鎧〟の表面が凍結する。
しかし、不凍體の起こす吹雪に比べれば、温いとさえ感じる。
吹き荒れる乱気流と時折走る電も、今のミツキには飛行の妨げとならない。
それでも、これだけ荒れた天候であれば、目くらましにはうってつけだ。
ミツキは雲の中で上昇の速度を落とすと、魔素を操り魔王を迎え撃つための仕掛けを拵えはじめる。
魔王はというと、ミツキを追って、自らも雲の中へ突っ込んでいた。
姿は見失ったが、ほぼ垂直に上昇していたその後を追い続ければ、程なく追いつけるはずだった。
これだけ追い詰められれば雲に隠れて逃げたとしてもおかしくはないが、トリヴィアと記憶を共有していた魔王には、ミツキは地上の仲間を見捨てたりできないという確信があった。
凄まじい上昇速度ゆえに、ほんの数秒でぶ厚い雲を突破した魔王は、雲海の上に浮かびながら、身震いして体に纏わりついた氷を落とす。
「どこだミツキ」
首を巡らせ周りを見渡すも、確認できるものといえば満天の星と月、どこまでも広がる雲と、そこに落ちる自身の影だけだ。
「……追い越してしまったか?」
首を捻る魔王の背後で、雲の中からゆっくりと人影が浮上し、長く伸ばした爪を構える。
そして、翼から爆発的に炎を噴出させ、急接近した魔王の首元へ爪を振り下ろした。
しかし爪は空を切り、身を翻して躱した魔王に、顔面を掴まれる。
「雲に隠れて背後からの強襲。こんな天空まで誘い出して、そんな姑息な手段しか思いつかなかったのか? あまり失望させてくれるな……よっ!」
魔王が手に力を込めると、掴んだ〝黒鎧〟の顔面が砕ける。
顔面を潰されたミツキの悲鳴が聞けると思っていた魔王は、露わになった鎧の中身を見て目を見張る。
「……中身が、ない?」
砕かれた〝黒鎧〟の顔の中は、空だった。
にもかかわらず、鎧は腕を振り上げ、ふたたび爪を振るう。
「ちっ!」
相手を投げ捨てるようにして離れた魔王は、息を呑んで周囲に視線を走らせる。
「これは――」
雲の中から無数の人影が次々と浮かび上がって来る。
そのいずれも、ミツキの纏う王耀晶の鎧と同じ姿だ。
そしておそらく、そのほとんどは先程顔面を破壊した鎧と同じように、中身はがらんどうなのだと魔王は察した。
「なるほど……雲の中で精製した無数の鎧を、念動で操っているのか」
鎧の数は際限などないように増え続け、すぐに数百体が空を埋め尽くす。
しかも、鎧自体はどれも同じような姿だが、武装にはバリエーションがあるようだった。
長く伸ばした爪に白炎を纏わせた個体に、刀身を還元させ続ける対魔戦式耀晶刀を装備した個体、おびただしい数の王耀晶の礫を周囲に浮かべた個体、ミツキが以前愛用していた耀晶刀を両手に持ち連結させた無数の刃を飛ばしている個体、砂のように細かな王耀晶の粒子を身に纏わせた個体と、大まかに分けて五~六種類程の兵装を魔王は確認する。
「〝飛粒〟に〝飛円〟に〝塵流〟まで……今に至るまでの己の戦いを再現させた傀儡の軍団、これがおまえの切り札というわけか」
そしておそらく、この中の一体が本体なのだろうと察し、魔王は愉快な気持ちになる。
戦いながら本物を探し出して殺すゲームというわけか。
「おもしろい! おまえという人間を味わわせてくれ! ミツキ!」
両手を挙げて叫んだ魔王に応じるように、傀儡の軍団は言葉なく武装を構えると、一斉に襲い掛かった。