第四百五十三節 『美しい時間』
薄闇の中に、閃光が弾ける。
未だ地上で交戦している兵士たちと魔族は、不意を突かれて動きを止め、原因を探ろうと空を見上げる。
すると、黒曜宮よりさらに上空で、光の軌跡をたなびかせるなにかが、別のなにかとぶつかり合い、そのたび空に青白い波紋と飛沫が、さながら花火のように広がる。
雨中の水面のごとく、波紋と飛沫はみる間にその数と勢いを増し、地上は光の明滅に包まれる。
ひと際大きな波紋が広がり、空を縦横無尽に斬り裂いていた光が動きを止めると、その周囲に別の小さな光が無数に出現する。
星のようでありながら、星とは一線を画す輝きを放っているそれは、ミツキが精製した王耀晶の礫、〝屑星〟だ。
汚染魔素そのものである魔王に、より重いダメージを与えるため、表面を還元しているので強い光を発しているのだ。
一斉に動き出した光の粒は、鳥か魚の群れのように、規則性を持った動きで流れるように空を掻きまわす。
そしてなにかにぶつかり破裂しては、飛び散った破片がきらきらと瞬きながら地上へ降り注いだ。
光の粒は際限なくその数を増し、やがて星雲を彷彿とさせる光の点描が出現する。
刻々と変化する光の模様は、黒を失った黒曜宮に乱反射し、光線の雨となって地上へ降り注ぐ。
それ自体が生きているように有機的な変化を続ける空の光と、巨大なミラーボールと化した王耀晶の塊に照らされ、ダンスホールとなったティファニアの街で、人と異形はともに熱狂し、血飛沫を散らしながら踊り続ける。
「…………なんという、光景だ」
非市民区にて兵士たちの指揮を執っていたレミリスは、散開して追っていた敵を討ち果たしたと部下から通信を受けた直後、上空に出現した光の氾濫を見上げ、立ち尽くしながら呟く。
「きれい、だな」
その背後の地面が盛り上がり、巨大なミミズのような魔族が姿を現す。
光に気をとられているレミリスとは対照的に、魔族は目が退化しているため上空の異変を気にした様子はない。
その長い体の先端には筒状の口が開き、びっしりと細かな歯が並んだその中に得物を呑み込もうと、体をうねらせレミリスの頭目がけて襲い掛かる。
ようやく背後の気配を察知した彼女は、慌てて振り返るも、避けるどころか剣を振り上げる余裕さえなかった。
「しまっ――」
しかし丸呑みにされる寸前で、空から降り注いだ光の粒が魔族を撃ち抜き、飛び散った体液がレミリスの髪と鎧を汚した。
魔族の体深くに埋まった〝屑星〟は強烈な輝きを放ち、その身を内から焼く。
体内の穢れを浄化された魔族は、ゆっくりと身を傾けると、倒れて動かなくなった。
レミリスは呆気にとられて魔族の屍を見下ろしていたが、やがてハッとして空を見上げる。
「……ミツキか?」
ひと際強い輝きを放ちながら独立して動く光点を見つめていると、上空のそれとは明らかに異なる、三対の翼と光の輪を背負った人間が近くへ降り立ち、レミリスに駆け寄る。
「閣下!」
「ミラ殿。降りて来られたのか」
「え、ええ、空があの様子では、私が灯りを務める必要もありませんので」
ハリストンの勇者の妹、ミラ・シンは、金泥の撃破後、上空からの支援攻撃に徹していたが、陽が沈んだ後はそれに加えて、味方の視界を空より照らす役目も担っていた。
「それに、天空は今、あの光とその敵対者の独壇場です。私如きが飛んでいては、戦いに巻き込まれてすぐ墜落することになるでしょう。それより、降りて来る途中で閣下が襲われかけているのに気付きました。しかし、私ではお助けするのが間に合わず申し訳ありませんでした」
「お気になさらず。彼が救ってくれましたので」
レミリスはミラに向けていた視線を上空へ戻す。
「彼……では、空で戦っているのはやはり」
「ええ、ミツキでしょう」
「ということは、相手をしているのは、魔王ですか」
ミラはレミリスの隣に並んで、ともに空を見上げる。
「ミツキ殿が戦っているところを見るのは初めてです。幻獣を斃した力というのはどのようなものかと思っていたのですが、納得いたしました」
「私も、あの者がこれほどまでに人を超越した力を得ていたとは知りませんでした。後の世に神話として語り継がれることとなる景色を、我々は目にしているのかもしれません」
「ええ。こんな美しい光景は見たことがありません。そして同時に、とても恐ろしい光景です。あの戦いの余波が地上に及べば、我々の誰一人として抵抗することさえできないでしょう」
「そうとわかっておられるなら、ミラ殿には街の外へ退避してもらってもかまわないのですよ? 既に義理は果たしていただいた」
レミリスの申し出に、ミラは微苦笑して首を振る。
「この場の誰もが命を賭して戦っているというのに、今更保身など……」
「しかし、これはティファニア王都を取り戻すための戦いで――」
「いいえ。人類と魔族の対立、その最後の決戦です。きっとあの方も、国や立場なんて考えずに戦っているのだと思います。だから私も、最後まであなたたちにお供させていただきますよ」
「……かたじけない」
空を見上げたまま、レミリスは眩さゆえか目を細める。
「打算もしがらみも越え、皆が死力を尽くしている……この戦いの結末がどのようなものになろうと、私にはもう感謝しかない。特にミツキ、おまえにはな」
空中を高速で飛行しながら、ミツキは自分に追ってくる魔王に向け、万を越える王耀晶の礫を放つ。
光が炸裂し肉眼の視界を奪われるが、すぐにその中心で闇が盛り上がり、きらめく粒子を呑み込みながらミツキへ迫って来る。
「どうしたミツキ! いくら数を重ねようと、この程度の攻撃で私を止めることなどできんぞ!」
「っとにこの、バケモンが!」
汚染魔素特効の攻撃がまるで通用しない。
そもそも王耀晶の還元で汚染魔素を浄化するのは、汚れを激しい水流で洗い流すようなものだとミツキは考えている。
世界中から集めた汚れにいくら水をかけたところで、効果があるはずもない。
それでも、人型の肉体を使っているということは、その依り代を攻撃することでダメージを与えることができるはずだ。
そう考え、白炎を纏わせた爪で斬りつけたうえ、不凍體の体液を掌打で叩き込んだ。
堅牢を誇る天龍の鱗を抉じ開けた、凄まじい温度差による熱応力を利用した攻撃だ。
しかし、どういうわけか黒髪の男の肉体には、ほとんど効果がないようだった。
トリヴィアの肉体は壊れても即座に再生するのに対し、こちらは単純に異常なほど頑丈なのだ。
「くそっ! 死体の劣化で崩壊が進んでいるって話じゃなかったのかよ!」
首元を狙って振り抜かれた汚染魔素の刃をすれすれで躱しつつ、ミツキはぼやく。
壊れかけでこれでは、万全な状態ならそれこそ手に負えなかっただろう。
生前のこの男の傍若無人な言動を鑑みれば、未だこの世界に馴染まぬうちに殺したレミリスの行動は、とんでもないファインプレイだったのかもしれない。
翼から白炎を噴射して間合いをとるミツキを、魔王は空中に静止したまま凝っと見つめる。
距離を空けて相対すると、魔王は右腕を拡げ、左手を胸に当ててミツキに訴える。
「楽しいなミツキ。愛おしき者との戯れというのは、これほどまでに心躍るものなのか」
「ちっ! 遊び感覚かよ」
「空へ飛び立ってからここまで、短いながらも実に美しきひと時だった……ただ、ひとつ看過できんことがある」
「あ?」
「おまえ、さっき味方を助けていたな?」
魔王との攻防の最中、仲間の様子が気になり、魔素の探知能力で地上を調べていたところ、たまたまレミリスの危機を察知し、〝屑星〟を放って助けた。
魔王の視界を塞ぐ目的でも〝屑星〟を浴びせ続けていたのに、あれに気付いたのかとミツキは軽く驚く。
「だったらどうした?」
「もっと集中してほしいものだな。今はふたりだけの時間だろう。それなのに、なぜ私だけを見ない? これ以上余計なものに気をとられるようなら、地上を更地に変えてしまっても良いのだぞ?」
「なんだと?」
「おまえがちまちまと細かい攻撃で私を削ろうとするのも、地上への影響を怖れてのことだ。幻獣を斃したのと同程度の攻め方で私を仕留めきれるのだと考えているのなら心外だぞ。そろそろわからせてやった方がいいか?」
魔王の発言に、ミツキは内心で焦りを覚える。
こうして魔王が一対一の空中戦につき合っているのは、単なる気まぐれに過ぎないのだ。
興が醒めれば、こいつは本当に地上を巻き込むだろう。
「……そこまで言うなら力を解放してやる。オレもいい加減、埒が明かないと思っていたところだ」
「ほう? 大技を使う覚悟ができたか。では見せてみるがいい」
「言われるまでもない」
ミツキは両腕を突き出し、その手の中に魔力を注いでいく。
全身にかかる負荷をコントロールし、力を一点に圧縮する。
一方で、地上に被害が及ばぬよう僅かに高度を下げ、攻撃の角度を調節する。
「おお、これは――」
なにかに思い当ったように、魔王が感嘆の声を漏らしかけるが、すべて言い切らぬうちに、ミツキは前方へ向け魔力を放つ。
光すら捻じ曲げる重力波の束、天龍の〝咆哮〟が魔王を呑み込んだ。