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第四百四十九節 『死に至る病』

 体から噴き出していた黒い(もや)が途切れた途端、魔王、否、トリヴィアは膝を折り、両手を床に着いた。

 駆け寄りたい気持ちを抑え、ミツキは彼女を注意深く観察する。

 汚染魔素は完全に排出した。

 もはや彼女の内には僅かな汚濁(おだく)さえ残っていない。


「……トリヴィア」


 名を呼ばれ、トリヴィアはゆっくりと顔を上げる。

 その視線は定まらず、表情は虚ろだ。


「トリヴィア! オレがわかるか!?」


 問い掛けられ、トリヴィアは視線をミツキに留める。


「…………ミツキ?」


 呟いたトリヴィアの口元が綻ぶ。

 その反応に、ミツキは深く息を吐き、緊張していた表情を緩ませる。

 実のところ、汚染魔素を追い出したからといって、トリヴィアの意識が戻る保証はなかった。

 だから、目論見通り彼女を取り戻せたのだと確信でき、安堵する。


「心配させやがって」


 ミツキは笑顔でトリヴィアに歩み寄る。

 トリヴィアも、笑みを浮かべてミツキに手を伸ばそうとする。


「ミツ…………キ?」


 持ち上げかけた腕の動きが唐突に止まり、トリヴィアの笑みが強張る。


「ん?」


 不自然な反応に気付き、ミツキも足を止めると、小さく首を傾げて問う。


「どうかしたのか? トリヴィア」

「……どう、か……した?」


 白銀の瞳が揺れ、トリヴィアは唇を震わせる。


「どうした、のだ? ……私は、ミツキ……キミに、なにを――」


 ふたたびミツキに視線を向けたトリヴィアの脳裏に、長く意識を途切れさせる直前の光景がフラッシュバックする。

 あの時もミツキは、様子のおかしくなったトリヴィアを気遣い、サクヤの制止を振り切って駆け寄ろうとしていた。

 そんなミツキに、己は何をした、とトリヴィアは記憶を必死に探る。

 すると、抑えようもなく放たれた黒い閃光と、半身をごっそりと消し飛ばされたミツキの無惨な姿が浮かび上がり、あまりの衝撃に、息が止まる。


 そうだ、己がミツキを殺したのだ。


 (くずお)れる彼を受け止めたオメガと、駆け寄ったサクヤを前に、自らの行動を確認したトリヴィアは、絶望し、自分の中へ入り込んだ何者かに、抗う気力を失った。

 すべてを諦めると、何故か体が勝手に動いた。

 邪悪な意志のようなものに乗っ取られたと気付くも、もはやどうしようもない。

 完全に支配された状態で、トリヴィアは己のしていることを見せつけられ続けた。


 己を止めようとした仲間達を返り討ちにしたうえ、サルヴァの腹を手刀で貫き、エリズルーイという魔導士にも致命傷を負わせた。

 次に、自らに宿った新たな力を使って周囲の魔獣を支配し、サクヤが傀儡(かいらい)にしていた異世界人の屍を動力源に利用して、墜落したままだった空中要塞を再起動すると、眷族とした魔獣を載せて、逃げた仲間たちの後を追った。

 追いついたトリヴィアは、殺意に支配されるまま、仲間たちを撃ち落とそうとした。

 しかし、遠方に人間たちの都市を認めると、殺意はそちらへ移った。

 どういうわけか、人間に対する憎悪が抑えられなかった。

 否、むしろあれ程強く深く求めた狂おしい感情の正体は、憎しみよりも愛情に近かったのかもしれない。

 いずれにせよ、衝動のまま力を(ふる)い、人間たちの街を焼き払った。

 半壊した街の上空へ到達すると、魔獣たちを落とし、自らも降下して、逃げまどう人間共を狩り、抵抗する者は容赦なく殺し、従う者は支配した。

 その後も、空中要塞を移動拠点として、闇地に戻って手勢を増やしつつ、人界の制圧に勤しんだ。

 各大闇地帯最深域を巡り、そこを縄張りとする幻獣を調伏すると、芋づる式に配下は増えていった。

 ついでに、大闇地帯に澱む力を吸収すると、身の内に巣食う邪悪な意志は、その濃密さを増していった。

 そうして膨れ上がる軍団を使役しつつ、人間たちを蹂躙(じゅうりん)した。

 古巣であったティファニア王都を陥落させるまで、人の支配領域のほとんどを制圧すると、配下によるあらゆる非道を容認し、自らも衝動のまま悪逆の限りを尽くした。


「あ…………あ、あぁ――」


 平伏し、命乞いをする兵士の頭を踏み潰した。

 人々が立て籠もる施設に押し入り、涎を垂らす魔獣どもを(けしか)けた。

 人間を捕えては生皮を剥いで吊るし上げる(しもべ)どもの蛮行を無感動に眺めた。

 捕獲した人間を食料として配下に与えた。

 隠れた男どもをあぶりだすため、捕らえた女たちを(なぶ)り殺させた。

 家畜化した人間たちを娯楽のために殺し合わせた。

 泣き叫ぶ子どもたちの前で、次々と親を(くび)った。

 半狂乱の母親を抑えつけさせ、赤子を魔獣の口の中へ放り込んだ。

 弱者を、怪我人を、年寄りを、妊婦を、子どもを、ただ淡々と、しかし彼ら彼女らの苦しみを、恐怖を、悲しみを、無念を、絶望を、愉しみながら、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。


「あっ! あぁ!! あぁぁあぁあぁ――」


 己自身が働いた非道の数々が止めどなく頭に溢れ、トリヴィアはかつて人間たちに対して抱いた失望とは比較にもならぬほどの己自身に対する失意に、絶望に打ちひしがれ、煩悶しながら顔や頭を掻き毟り、悲痛な叫びをあげた。


「あぁぁあぁあぁぁぁぁあっぁあああぁぁああぁああぁぁっぁああああっぁあぁああーぁあぁぁーあぁぁーああぁあーーあぁあああーあああああーーーーーー!!!」


 正気を欠いたようなトリヴィアの様子に、ミツキは愕然として立ち(すく)む。

 ただ、理由はわからないが、このままでは彼女が壊れてしまうと思い至り、必死に名を呼んだ。


「トリヴィア! しっかりしろ、トリヴィアぁ!!」


 その途端、叫び声が止み、トリヴィアは青い血に塗れた顔をゆっくりとミツキへ向け、か細い声を口から絞り出した。


「………………見ないでくれ……ミツキ」


 そう言った直後、彼女の目が裏返り、糸の切れた操り人形のように倒れ伏した。


「お、おい……なんだってんだよ!」


 トリヴィアに駆け寄ったミツキは、彼女の肩を支え、抱き起こす。


「トリヴィア!! おいって!! 目を覚ましてくれ!! トリヴィア!!!」


 完全に意識を喪失した彼女を揺さぶると、目尻から一筋涙が零れた。


「だから言ったのに」


 唐突にかけられた声に、ミツキはトリヴィアの顔に落としていた視線を上げる。

 声の方を見上げると、玉座へ続く階段を、長い黒髪を揺らしながら、ひとりの男がゆっくりと降りて来る。


「お、おまえ……サクヤの、屍兵の……どうして――」


 ハッとして頭上を見上げたミツキは、トリヴィアの体から排出され、天井のあたりで淀んでいた黒い靄が、いつのまにか消えていることに気付く。


「まさか……魔王か!?」

「御名答」


 (はりつけ)にされていた男の死体を依代(よりしろ)とした魔王は、階段の半ばで立ち止まる。


「忠告したはずだ、ミツキ。私をその体から追い出せば、トリヴィアを失うことになるとな」


 そう言って、魔王はトリヴィアを指差す。


「もういないぞ?」

「は?」

「トリヴィアだ。彼女の精神は、死んだ」


 ミツキは咄嗟にトリヴィアの手首をとる。

 すると、たしかな脈動を指先に感じる。

 だが魔王はゆっくりと首を振る。


「精神が、と言った。肉体的な生命活動は続いていても、()()()の抱えている()()は、ただのがらんどう。心無き抜け殻だ」

「な、なに言ってる。そんなわけ――」

「おまえは知っていたはずだ。トリヴィアは誇り高く、優しい。そんな彼女が、魔王としての非道な振る舞いを思い出して、耐えられるはずなどないだろう」

「はぁ!? ふざけんな! 非道を働いたのはおまえだろ! トリヴィアは体を乗っ取られていただけだ!!」

「そんなこと、彼女は知らないさ……いや、知っていたとしても関係ない」


 魔王はトリヴィアを指射した腕を下ろし、小さく首を傾けた。

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