第四百四十四節 『頂上の戦い』
ミツキの斬撃を剣で受け止めた魔王は、踏みしめた床を砕きながら、自分の体が後方へ押し込まれていくことに軽い驚きを覚える。
「この膂力、人の肉体から絞り出せるものではないな……その鎧に仕掛けがあると見た」
歯を喰いしばりながら、正解だ、とミツキは思う。
〝黒鎧〟は無論防御にも有効だが、パワードスーツ的な役割が大きい。
魔素を自在に操るミツキだからこそ、魔素の結晶体である王耀晶製の鎧を念動で動かすことで、人の肉体を遥かに超越した速さや力を発揮できる。
「なるほど。トリヴィアの識るキミではないらしい。戦闘でも私に対抗できるだけのフィジカルを用意して来たというわけか。ただ、体は補強できていても、得物の強度は然程でもないようだ」
魔王がミツキを押し返そうと腕に力を込めると、対魔戦式耀晶刀の刃にひびが入る。
「なっ!?」
王耀晶の刀身が砕け散り、ミツキは咄嗟に身を翻して魔王が振り抜いた剣を躱す。
すると、剣圧で床が砕け、波飛沫のように斬撃が奔る。
ジャメサの地を這う斬撃に似ているが、威力は比較にもならない。
トリヴィアの膂力と魔力の為せる技だが、それだけの力で床を斬りつけながらも、刃には僅かな歪みも生じていない。
床に刺さった剣を斜めに振り上げ、魔王は続けて斬りつける。
上体を大きく反らして躱しながら、ミツキはおもわず戸惑いの声をあげる。
「なんだこの剣は!?」
「ジョージェンス王を殺した際に奪った得物だ」
他の武器にしても、ハリストンの勇者ヴィエン・シンの佩剣や、ニースシンクの教皇ヨルマ・ティエ・オブスズの権杖など、これまで陥落させてきた国でトップの実力者が使っていた国宝や、軍の切り札とされているような唯一無二の魔道具だ。
「魔法を付与していない王耀晶の刃じゃたしかに分が悪いか。だったら――」
ミツキの左手の爪が瞬時に伸び、バチンと打ち鳴らすと火花を散らし、白い炎を噴き上げる。
「人の武器じゃ受けられない攻撃をするまでだ」
魔王が三度剣を振るのと、ミツキが爪を振るうのはほぼ同時だった。
爪は一瞬で魔王の剣の刃に沈み、高温で加熱した包丁をバターに差し入れるような滑らかさで溶断した。
肌を焦がす熱気に、魔王は即座に跳び退き、刃を失った柄を放る。
「今の炎は、まさか――」
魔王が言葉を言い切るのを待たず、ミツキは間合いを詰める。
さらに後退しながら、魔王は全身から立ち昇る黒い瘴気を操り、地面に突き刺さった武器に纏わせ引き抜く。
まるで触手のように、汚染魔素が複数の得物を同時に振るう。
先程、離れた武器を触れずに動かしたのも、汚染魔素で操作したのだとミツキは察する。
自分の念動によく似た能力だ。
思考する間にも、貴重な素材を贅沢に用いて作られた、人の作り得るもっとも強力な武器の数々が、あらゆる角度からミツキに襲い掛かる。
それをアクロバティックな動きで回避しながら、白炎を纏わせた爪で次々と溶かし斬る。
「やはり、獄落鳥の炎か」
空中で回転しながら最後の武器を斬り落とすと、魔王の得物は残さずおしゃかとなる。
獄落鳥の炎は、大地に放たれれば触れた場所一帯を溶岩の沼と化す。
少なくとも、人に加工できる素材が、その熱に耐えることなどできない。
「近接戦は自分の方が圧倒的有利と思っていたようだが――」
ミツキが左手をひと振りすると、熱を吸収しきれなかった黒曜宮の床が炎を噴き上げる。
また、右手の柄にふたたび魔素を注ぐと、砕かれた王耀晶の刃が再生する。
「どうやら勘違いだったようだな」
両腕を交差させ、刀と爪を振りかぶりつつ、ミツキは床を蹴る。
「果たしてそうかな?」
正面から斬りかかって来るミツキを見据えながら、魔王は床を強く踏み付ける。
すると、漆黒の王耀晶が破片を散らしながら盛り上がり、巨大な棘のような形状となって斜め前方へ突き出される。
「あっぶ!!」
危うく腹を貫かれそうになるも、ミツキは咄嗟に蹴り出した足裏で棘の先を受け、突き出される勢いを利用して背後へ跳び退がる。
「この技――」
魔王が床を踏むたびに、新たな棘が生え、巨大な馬上槍のようにミツキを襲う。
続けて跳び退き躱しながら、ミツキは口を衝きかけた言葉を心の内で叫ぶ。
対魔族戦のために編み出した、王耀晶を精製して戦う己の戦法、〝晶戮〟の技のひとつである〝晶筍〟にそっくり、というよりほとんどそのものだ。
一瞬己の模倣かと疑うが、たぶん違うと思い至る。
考えてみれば、汚染した水晶宮を素材に、黒曜宮を造ったのは魔王だ。
つまり、魔王は汚染魔素で浸食した王耀晶を自在に操ることができるのだろう。
そして、形を自由に変えられる王耀晶を使った効果的な戦法を考えた時、己と同じ発想に至ったたのではないか。
自分と同じ技を使われるのは、こんなにも厄介なのかと考えるミツキの顔に、引き攣った笑みが浮かぶ。
対抗するために自分も、〝晶戮〟を使おうとするも、僅かに床が盛り上がっただけで、魔王の生み出す巨大な棘の発生を妨げることさえできない。
どうやら、〝晶戮〟を使えないわけではないが、汚染魔素に染まった王耀晶を操る力は、魔王の方が長けているようだ。
だとすれば、この黒曜宮は魔王の支配領域も同然であり、己はかなり不利なフィールドで戦わねばならないのだと、ミツキは気付く。
「くそっ!」
凄まじい勢いで生え続ける棘は、その大きさゆえに斬り払うこともできず、ミツキは後退し続ける。
その首筋にゾクリと冷たい感覚を覚え、勘に衝き動かされるまま顔を上げると、棘を踏み台にして跳躍した魔王が頭上から迫っているのに気付く。
振りかぶった手には、かつてトリヴィアが愛用していた鉈刀と似た、黒い王耀晶製の得物が握られている。
「しまっ――」
避けることもできず、分厚い刃はミツキの頭頂に打ち下ろされ、〝黒鎧〟諸共に頭蓋を粉砕し、そのまま股まで一気に斬り下ろされた。
真っ二つとなったミツキは、断面からバチャバチャと臓物を溢すと、左右に剥がれるように床へ崩れた。
ミツキの無惨な死体を見下ろす魔王は、しかし、次の瞬間強烈な違和感を覚え、俯けていた顔を上げ、素早く周囲へ視線を巡らせる。
「ちっ! 一瞬で気付くのかよ」
頭から股まで傷ひとつ入っていないミツキが、間合いを取って立っているのを、魔王は発見する。
足元をちらと窺えば、一瞬前までミツキの死体に見えていたものが、砕かれた人間大の王耀晶であったと気付く。
「……幻惑術。つまり、今度は蜃楼妓の力というわけか」
「そうだ。無論、獄落鳥と蜃楼妓だけじゃない」
ミツキの〝黒鎧〟がギチギチと音を立てて変形し、長い尾が生え、獣じみた姿となる。
「お次は絶影獣か」
呟いた刹那、魔王の視界からミツキが消え、次の瞬間にはけたたましい破砕音を伴い、床と天井が滅茶苦茶に砕ける。
音速を優に越える速度で動く絶影獣の身体能力を発揮し、ミツキは床と天井の間を跳ね回る。
まともな生き物なら残像さえ視界に写すことができないうえ、周囲は上から下から絶えず飛散する王耀晶の破片で濁っている。
そんな中でも、魔王は目に破片が刺さろうと構わず、ミツキの姿を視線で追う。
そして、天井を蹴った相手が、自分に向かって弾丸のように跳んで来ると察し、体を開いて躱しざま、鉈刀で撃ち落とすことに決める。
周囲の空間は汚染魔素に充ちているため、相手に実体があると探知できた。
降って来る相手が幻覚やダミーでないのは間違いないと魔王は確信する。
しかし、続けて動かそうとした脚の自由が利かないことに魔王は気付く。
視線を下げると、膝から下が氷に覆われ、足が床に固定されている。
だが、トリヴィアの肉体であれば、力任せに氷を砕くことなど雑作もない。
そう思った直後、全身が潰れそうなほど重くなり、体の動きを阻害される。
不凍體と天龍の力だ。
考える間に、飛来したミツキが、対魔戦式耀晶刀の刃を魔王の肩口に向け振り下ろした。