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第四百四十一節 『穢の愛』

 (うつむ)き、黙りこんだミツキに、今度は魔王が問い掛ける。


「それで、キミはティファニア軍を率いて、私を滅ぼしにやって来たわけか?」


 ミツキはゆっくりと顔を上げると、沈んだ表情で答える。


「いや……オレは、トリヴィアを取り戻しに来た」

「ほう? そうか」


 (あざけ)るでも憐れむでもなく、あくまで無感情に、魔王は言う。


「しかし、私を(たお)したところで彼女は戻らない。当てが外れたな」


 こいつの言う通りだとミツキは思う。

 幻獣のように、ただ全力で打ち倒せば済む話ではない。

 それどころか、考え無しにこいつを殺せば、トリヴィアを失うことになる。

 だから、今はとにかく時間を稼がなければならない。

 そう思考し、ミツキは会話を引き延ばすため、ふたたび問う。


「そういうおまえは、どうして人類を攻撃する。やっぱり憎んでいるからか?」

「憎む? 私が? 人間を? ……とんだ勘違いだな」

「なに?」


 怪訝(けげん)な顔を浮かべるミツキに、魔王は両手を軽く広げて言う。


「私はな、人間を深く深く愛しているんだ」


 一瞬、ミツキは呆気にとられる。

 こいつは、いったい何を言っているんだ。


「……人格を得て、冗談まで言えるようになったわけか」

「私は大真面目だ。これまでの私の行動のすべては、愛ゆえのもの。そもそも私は、人の感情から生まれたのだ。つまり私にとって人は、親も同然だ。子が親を慕うのは当然だろう」


 まるで理解できない、とミツキは思う。

 愛しているのなら、なぜ世界中の国々を攻撃し、人を殺戮(さつりく)してきたのか。

 そんな疑念を見透かしたように、魔王は続ける。


「ただ、人のすべてを肯定しているわけではない。私が愛するのは、人の無秩序だ。欲望に衝き動かされた人間が生み出す悲喜交々(ひきこもごも)、それこそが、私の新たな血肉となるのだ」

「はっ! そういうことかよ。つまるところ、新しい汚染魔素を生み出す、自分に都合の良い人間が必要ってだけだろ。そんなものは愛でもなんでもない」


 顔に嫌悪を浮かべつつ、嘲るミツキに、魔王は(さと)すように言う。


「それは違う。キミも知っているはずだ。人間という存在の、本質を」

「なんの話だ」

「暴漢に襲われ腹を裂かれて赤子を引きずり出された妊婦の絶望」

「……は? な、なに――」

「敵国の民を根こそぎ焼き殺した武将の興奮、権力に屈して妻を憎い男に差し出した夫の慙愧(ざんき)、劣等と蔑んだ異種族を辱めた愛国者の愉悦、父との姦通の果て嫉妬に狂った母に刺殺された娘の哀しみ、己の潔白を証明するため友に濡れ衣を着せた若者の羞恥、金のため生涯にわたり小児の売買を生業とした商人が人生の最期に感じた空虚、戦で傷付きようやく帰った家で妻の不貞を目の当たりにした兵士の怒り、人を裏切り続けた女が唯一愛した男に裏切られた瞬間の自嘲、国を追われてなおも玉座を求めた王の執心、己を正義と信じながら意に沿わぬ相手を滅ぼした英雄の偽善…………どのような(ごう)も、歴史の彼方に忘れ去られていく。だが、私だけは憶えている。なぜなら、そんな人の想いが私を形作っているからだ」


 魔王の美しい顔が、(おぞ)ましい笑みに歪む。


「あらゆる虚飾を剥ぎ取った、心からの想い……あれこそが人間そのものだ。あの純粋な想いをこそ、私は愛している。この世界でもっとも尊く価値あるものだ」


 魔王は、しばらくの間うっとりと虚空を見つめていたが、ふたたび無表情に戻ると、ミツキに視線を向ける。


「しかし、放っておくと人は、道徳や規則などというもので、己の本質を隠そうとする。画一化されたルールや価値観に己を当て嵌め、心から沸き上がる感情に蓋をする。実に嘆かわしい。人はもっと自由で、多様で、解放されているべきだ。だから、私は人が人らしく生きられる世を作る手伝いをしているのだ」


 魔王の吐露する想いを、呆然と聞いていたミツキは、話が途切れたことで、ぱくぱくと口を動かし、ようやく声を絞り出す。


「…………おまえ…………それ……そんな目的で、人間と敵対、していたのか? 下手をすれば、人は滅亡、していたかもしれないんだぞ?」

「大丈夫。人は強い……私は信じている。いざとなればどんなことでもして生き残る、人の()()()()を。キミだって見てきただろう? たとえば、第十七副王領(アタラティア)の受けた侵略や開拓村への襲撃、あるいはフィオーレの爆撃だ。人は、生きるためなら、あるいは欲のためなら、もしくは特にたいした理由もなく、どんな犠牲だって払える。だから、なり振りかまわなくなれば、人はきっと魔族さえ討ち滅ぼすほど非人道的な手段を考え実行できる。キミだって、魔族との戦いの中で、その片鱗(へんりん)ぐらいは見たんじゃないか?」


 指摘を受け、ミツキの脳裏に浮かんだのは、ニースシンクの〝大聖女〟、マルリットの祝福魔法による虐殺の景色だった。

 彼女は、ミツキがこの世界で出会った中で、もっとも温厚で慈悲深い人間のひとりだった。

 そんなマルリットでさえ、極限まで追い詰められると、洗脳され敵対していたとはいえ、聖都を囲んでいた自国の民を魔族諸共に鏖殺(おうさつ)した。

 そして、この世界には魔法があり、今や爆撃機や空中要塞なんてものさえ創り出すだけの技術までもたらされている。

 もしも、自分たちが主導して魔族に対抗していなかったら、こいつの言う通り、人類はなりふり構わず魔族を滅ぼすを手段を編み出していたかもしれないとミツキは想像する。


「ただ、それが難しそうであれば、手を貸してやるつもりではあった」

「手を貸す? どうやって?」

「キミが下のフロアで殲滅(せんめつ)した異世界人を使ってだ」

「あれは、おまえの護衛じゃなかったのか?」

「私に護衛など不要だ。もし人類がどうしようもなく不利な状況に追い込まれたその時は、奴らを操って魔族を蹴散らし、戦況を覆してやるつもりだった」

「自分で人間を追い詰めておいて、本当に滅亡しかねないとなれば助け舟を出したって言うのか?」

「そう、すべては人をあらゆるしがらみから解放するためだ」

「幻獣はどうするつもりだった? 下の異世界人の中にはかなり強力な個体もいたが、幻獣を殺せるほどの力はなかった」

「あれらはそもそも人間に関心などない。捨て置いて問題なかっただろう。蜃楼妓(クーンピウロム)だけは例外だが、奴の目的は私の考えとかち合わない。目障りにならない限りは好きにさせて問題なかった」

「手放すぐらいなら、なぜ幻獣を手下に加えた」

「魔族を従えるためには奴らを飼いならして力を示す必要があったからだ」

「魔族……そう、魔族だ。奴らはおまえにとってなんなんだ? おまえは奴らの王じゃなかったのか?」

「今までの話から、察しはついているはずだ。あれらはただの道具に過ぎん。人を秩序から解放するという目的を果たせば、あとは用済みだ」

「仮にも自分を王と崇めていた奴らだぞ」

「あんな畜生共に価値はない。奴らの画一化された殺意と破壊衝動など、人の複雑な感情とは比べるべくもない。手駒とするにあたっては、人並みの知識まで授けてやったというのに、結局本質は変わらなかった。目的さえ果たせば、あとは適当に処分するつもりだ」


 なんて奴だとミツキは思う。

 人間に対する理解し難い〝愛〟とやらのために、こいつは人も魔族もすべて手玉に取っていたのだ。

 黒曜宮の外で戦っている魔族たちが、哀れに思えてくる。


「ただ……魔族も幻獣も問題ではないが、ひとつだけ私の目的の障害となるものが存在する」

「障害? なんだそれ」


 ミツキに向け、魔王は手を突き出す。


「な!?」


 向けられた掌が黒い魔力の光を帯び、ミツキはたじろぐ。


「なんだよおい!」

「キミだよミツキ。障害というのは」


 しまったとミツキは思う。

 話に気を取られ、いつの間には警戒が(おろそ)かになっていた。


「私は、魔族共がサクヤに封じ込められている間も、世界に広がる汚染魔素を通じて、この都の外がどうなっているのか情報を得ていたんだ。すると、人類はタガが外れるどころか、団結し、統制されているじゃないか。その大きな要因となっているのが、キミだ。魔族と対抗できる勢力の間を取り持ち、戦いを先導し、ついには幻獣さえ討ち果たしてみせた。今やキミの存在は、人間にとって希望そのものとなっている」


 話す間にも黒い光は輝きを増していく。


「トリヴィアに成りすまして懐柔すれば利用できると思ったが、どうやら付け入る隙もないようだ。ならばここでキミの命を絶ったうえ、あらためて魔族による侵略を仕切り直すとしよう」

「ま、待て! 話を――」


 ミツキの言葉を(さえぎ)り、魔王の掌から黒い閃光が放たれた。

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