第四百三十七節 『袂別』
ミツキの酷薄な表情に戸惑いつつ、サクヤは問う。
「これはおまえの仕業かミツキ? だとしたら、どういうつもりだ」
しかし、ミツキは答えない。
その反応を肯定と受け取り、さらに自分に仕掛けているのが攻撃と認識し、サクヤの目が据わる。
「そうか……よりにもよってこのタイミングでなぜ楯突くのか、なかなか興味深いが、とりあえず私が動けなくなる前に――」
そう言いつつサクヤはゆっくりと目を閉じる。
「先におまえの動きを封じてやろう」
額の目も含めて開眼した瞬間、彼女の紫水晶の瞳が妖しい光を放つ。
「無駄だよ」
そうミツキに短く返され、サクヤは眉を顰める。
「金縛りにするやつだろ、それ。でも忘れたのか? その術は、カエルがヘビに睨まれて動けなくなるのと同じだって、おまえが自分で言ったんだぞ?」
はじめてこの瞳術でミツキを動けなくした時、そんなことを言ったかもしれないとサクヤは思う。
「つまり、一方的に捕食できるぐらい実力差がある、格下相手にしか通用しないんだって、オレはそう受け取ったんだがな」
「だったらどうした」
「おまえ、もしかして未だに自分の方が格上だと思ってんのか?」
表情が険しさを増し、サクヤは最強の僕に命じる。
「白生! 制圧しろ!」
サクヤの後ろに従っていた白生が、弾かれたようにミツキへ襲い掛かる。
しかし、ミツキは己に向け伸ばされた手を身を捩って躱すと、白生の額を掴んで床に叩きつける。
「寝てろ」
ズンッ、と黒曜宮が大きく揺れ、白生は体を跳ねさせた直後、動かなくなる。
一瞬、サクヤは惚けた顔になる。
「は? なっ!? 一瞬で!?」
状況を理解したサクヤが、激しく狼狽える様子を目にして、こいつのこんな反応は初めて見るなとミツキは思う。
ただ、それも無理はない。
幻獣クラスの手駒を、即座に行動不能にするなどとは、サクヤでも予想できなかった。
ミツキと長く離れていた彼女は、彼の得た力の大きさと、それを隠す術まで得ていたことを知らなかった。
「傀儡ってのは扱いが楽だな。いくら強い力を持っていようと、おまえが付与した術を機能しなくしちまえば、動かなくなる」
「わ、私の外法を解除するような知識と技術を手に入れたというのか!?」
「いや。単に大量の魔力を流し込んだだけだよ」
電化製品をショートさせるようなものだとミツキは考える。
「そんな、ことが……だがそれなら、数で圧し流して――っ!?」
突然、目が眩むような光に照らされ、サクヤはおもわず顔を背ける。
「な、なんだ!?」
薄目で光源を探ると、頭上に浮かんだ無数の王耀晶が発光している。
「これもおまえの仕業かミツキ!」
「そうだ。これでもう、眷族は呼び出せないだろ?」
「なんだと!? なにを――あっ!」
足元に視線を落とし、サクヤは大きく眼を剥く。
あらゆる角度から光を当てられ、影が消失している。
「この光はな、この世界の魔法としてはごくごく初歩的な生活魔法だよ。そんなものでも、王耀晶を精製して操れるオレの力と組み合わせれば、影を好んで使うおまえの能力を簡単に封じられる」
「生活魔法……そんなもので」
屈辱に顔を歪ませるサクヤは、毒の霧を発生させるため腕を上げようとするも、動かない。
いつの間にか、王耀晶の結晶は彼女の手まで呑み込んでいた。
「これを解けミツキ! 最後の警告だぞ! 私には今すぐおまえを蟲憑きにする用意がある!」
「ああ、もしかして、耳ん中に入れられてる通信用の蟲か?」
「わかっているのなら――」
「とっくに死んだよ、それ」
「なっ、ん」
言葉を詰まらせるサクヤだったが、すぐに反論する。
「見え透いた嘘は止せ! おまえはこの作戦中も蟲の通信を何度も行っていた!」
「おまえの蟲をそっくりそのまま再現した王耀晶のコピーを使っているんだよ。オレは幻獣不凍體に百日間ぐらい氷漬けにされたんだ。そんな環境で生き残れるほど、おまえの蟲の生命力は強くないだろ?」
そう言われ、サクヤはミツキの体に己の眷族の気配を探るが、感じ取ることはできない。
どうやらはったりではないと理解し、歯を軋らせる。
「そういやずっと前、サルヴァに脅迫された時、オレの脳をいじった際に任意で頭を弾けさせる仕掛けを施したとか言っていたな。あれこそブラフだ。今のオレは、〝情報の祝福者〟の力で、あらゆる魔素を知覚できる。そして魔素は万物に宿り、魔法を使うためにも不可欠だ。だからオレは自分の体をくまなく調べられるし、魔法の類をかけられていれば間違いなく気付くことができる。おまえの外法も、技術体系としては別物でも、魔素や魔力を使うという点ではこの世界の魔法と変わらない」
ミツキは人差し指でこめかみをつついてみせる。
「この中にそんな仕掛けはなかったよ。つまり、これでオレへの対抗手段は完全に封じた。まあ、おまえなら隠し玉の三つ四つあっても驚かないが、残りの時間でオレをどうにかできるかな?」
「くっ!」
話す間にも王耀晶の結晶はサクヤの体を覆っていく。
焦りの色を浮かべる彼女に、ミツキは穏やかな口調で伝える。
「心配すんな。全身王耀晶に覆われても死にやしない。意識を失うだけだ。捕獲した魔族や動物で実験済みだよ。人間では試してないが、まあおまえなら大丈夫だろ」
「……なんなんだこれは」
「使用した対象の捕獲と保護、両方を目的に編み出した技だよ。そうだな、〝晶結〟とでも名付けるか。複数の治癒魔法を組み合わせることで封じ込めた対象の生命維持を行い、施された防御魔法で外部の攻撃から護ることもできるんだ」
「これから魔王を斃そうというのに、どうしてそれを私に使うのだ!」
「もうわかってるだろ? おまえを連れて行かないためだ。こっから先はオレひとりで行く」
「何故だ! 私がおまえの足を引っ張るとでも思っているのか!?」
「いや。白生がいれば足手纏いにはならないと思う。少なくとも自分の身ぐらいは護れるだろ」
「ではどうして――」
「おまえがトリヴィアを殺すつもりだからだろ」
サクヤは少しの間言葉を失う。
「…………トリヴィア? なにを言ってる。奴はもういない。汚染魔素に取り込まれて消えたんだ!」
「生きてるよ! あいつは強い。体から汚染魔素を取り除いてやれば元に戻るはずだ」
「バカを言え! ただの希望的観測だろう! だいたい、汚染魔素を取り除く!? どうやって! よしんばそれができたとして、奴が魔王としてどれだけの人間を殺してきたかわかっているのか!? 決して許されはせんぞ!」
「だから今まで黙っていたんだろうが! その代わり人の手に負えない幻獣はすべて斃したし各国の復興にも手を貸して来た! 今までこの世界の人類のために尽くしたんだ! 最後ぐらい自分のために戦わせてもらう!」
「ふっ……ざけるなよ」
サクヤは身を震わせると、かつてないほど感情をむき出しにして喚き散らす。
「あの女はおまえを殺しかけたんだぞ!! そしてもう死ぬだけだったおまえの面倒を見て、こうして生き永らえさせてやったのは私だ!! その私を裏切って、助けられる確証もないあの女のためにひとりで戦うだと!!? 絶対に認めんぞ!!」
「おまえには感謝してるよ。たしかに命の恩人だ。それに、おまえが神通を授けてくれなきゃ、オレはこの世界で戦う術さえなく早々にくたばってただろう」
「だったら――」
「でもそれはトリヴィアだって同じだ。あいつにゃそれこそ数えきれないほど命を救われた。出会った時だってあいつに治療してもらってなきゃ、そもそもおまえとだって会えなかったはずだ。そんなあいつを見捨てることなんてできるわけがない。こんな世界に勝手に召喚されて、人間の垂れ流した悪意なんてもんに侵され、挙句あいつは全人類から敵意を向けられ化け物からは崇拝されて……おまえだってとっくに割り切ってあいつを素材か未来の研究対象としか見ちゃいなかった。だったらオレひとりだけでも、あいつを助けるために力を尽くすしかないだろ」
ミツキは一度言葉を区切り、自分を食い入るように見つめるサクヤに伝える。
「だから申し訳ないけど、おまえとはここまでだ。おまえを黒曜宮から脱出させる手筈は整えてあるから安心してくれ。じゃあ、世話になったな」
「……なんだ、それは」
王耀晶の結晶は既にサクヤの首まで覆っている。
しかし、彼女はそんなことなど気付いた様子もなく、ヒステリックに叫ぶ。
「認めんぞミツキ!! おまえは私のものだ!! 私だけが、おまえを、好きにしていいんだ!!! 私から離れるというのなら、その身を解剖させろ!!! 私におまえのすべてを見せろ!!! 私は!! おまえを――」
叫び声の途中で口が覆われ、フロアは一転して静寂に包まれる。
それでも、サクヤは完全に全身を結晶で包まれる寸前まで、三つの瞳でミツキを見つめ続けた。