第四百三十六節 『冷たい眼差し』
白生を見つめながら、ミツキは呟く。
「やっぱりこいつ、他のサクヤの眷族とは、桁違いの力を持ってるな」
義体の視覚で捉えたその体の内には、ものすごい密度の魔素が詰まっており、それを攻撃に使う際には、眩いまでの魔力が放出される。。
視線を下げれば、足元には胸を貫かれた白肌の異世界人が転がっている。
心臓を失ったのだから当然だが、完全に息絶えている。
こいつも相当な実力者だったはずだが、背後からの不意打ちとはいえ、ああも容易く仕留められたのは、白生が規格外ゆえだろう。
「……いや、そうじゃないな。逆か」
白生でも、不意打ちでなければ簡単には斃せなかったのだとミツキは思い直す。
おそらく正面切って戦っても、勝つことはできただろう。
ただし、白生も無事というわけにはいかなかったのではないか。
そのぐらい、白肌の異世界人は危険な相手だった。
しかも、両脇にはやや格が落ちるとはいえ、それでもかなりの力を持った仲間が控えていた。
続けて魔王と戦おうというのに、そんな強敵共を相手にして、もっとも優秀な手駒を損ねるわけにはいかない。
そう考えたサクヤは、一計を案じたのだろう。
まず大量の狗賓を投入し、その多くを白肌の異世界人に宛がう。
白肌の異世界人は敵の対処で身動きがとれなくなり、他の二体は狗賓や魔族を背後で操っている術者、サクヤを狙って距離を詰めて来た。
しかしその動きを読んでいたサクヤは、強力な手駒をぶつけて二体の動きを封じた。
おかげで白肌の異世界人は孤立し、前方の狗賓を攻撃している間、背後への注意が疎かになった。
その隙を突いて、白生を影伝いに白肌の背後へ向かわせ、気取られる暇さえ与えることなく奇襲で仕留めたのだろう。
おそらく、加勢を頑なに拒んだのは、既に勝ち筋を見出していたのに、己というイレギュラーによって計算が狂うのを厭うたからだろうとミツキは察する。
想定外の強敵に遭遇したため気を揉んだが、結果を見ればサクヤらしい狡猾な立ち回りで、難なく脅威の排除に成功したと言える。
味方を討たれたことに気付いた甲殻の異世界人と四つ足の獣は、それぞれ相手にしていた屍兵に背を向け、白生に襲い掛かる。
一瞬、仲間を殺され逆上したのかとミツキは思うが、汚染魔素に侵された者にそんな心の動きはないはずだと考えなおす。
単純に、最大の脅威に反応しただけだろう。
対する白生は、自ら甲殻の異世界人との間合いを詰める。
意表を突かれた相手は両の手首から伸びた刃を振るうが、素手で掴んで動きを封じ、顎を蹴り上げる。
白生はよろめいた敵の甲殻の隙間に右の手刀を突き込むと、指を引っ掻け、左手で首を掴んで右手を思いきり引っ張る。
みちみちと嫌な音が鳴ったかと思うと、胸部の甲殻が剥がれ、紫色の体液が飛び散った。
相手はふたたび刃を振るおうとするが、それより先に白生は、ふたたび胸に手刀を突き込む。
甲殻の異世界人がビクンと身を震わせた直後、その胸に埋まった白生の手が魔力を放ち、敵の体を爆散させた。
粉々に飛び散った敵の体液と破片に塗れた白生は、青紫の光に包まれ頭髪を逆立てる。
四つ足の異世界生物の放ったプラズマだ。
しかし、狗賓を一瞬で消し炭に変えたその攻撃を受けながら、白生の体には焦げ目ひとつ付かない。
それどころか、胸の前で右掌を上向けると、彼女を覆っていた光が解けるようにしてその上に集まる。
獣は咆哮し、より強力な光を放つも、そのすべては白生の手の上に吸い込まれた。
ついに魔素が尽きたのか、獣が攻撃を途切れさせると、白生は掌に浮かべた光を圧縮し、ピンポン玉程度のエネルギーの塊を作る。
それを左手の指で弾くと、光の弾丸となって獣の額を貫き、体内で爆ぜ、フロア全体が閃光によって白く染まった。
光が収まると、獣のいた場所は王耀晶の床が臼状に抉れていた。
眩んだ目を瞬かせているミツキの横で、サクヤが小さく舌打ちする。
「ちっ、やりすぎだ」
一瞬、勝ったのに何故毒づくのだとミツキは思うが、敵の体が消滅してしまったことが不満なのだと気付く。
「あの白肌だけは使えそうか」
サクヤが手をひと振りすると、彼女の影が広がり、その中へ白肌の異世界人の屍が沈んだ。
ついでに、鎧の巨人と兎男も影の中へ姿を消すと、フロアに立っているのはミツキとサクヤ、白生の三人だけとなる。
白肌以外の死体を回収できなかったのが余程不満らしく、サクヤはしつこくぼやく。
「まったく、戦闘能力に秀でているのはけっこうだが、力が強すぎると扱い難くてかなわん。ある程度自律行動させねばスペックを活かしきれんが、かといってあまり自由にさせすぎるとこれだ」
「シンプルに死体は残せって指示するだけじゃだめなのか?」
「それで加減してこ奴が壊されたのでは割りに合わんだろう……とはいえだ――」
サクヤは白生に歩み寄り、険のある目で見上げる。
「これから戦う魔王は是が非でも五体揃った状態で手に入れたい。そのためなら貴様の四肢の一、二本は失ってもかまわん。リスクを負っても斃し方には気をつけろ」
白生は深く頷くも、死体ゆえに表情は抜け落ちている。
死してなお、奴隷としてこき使われる。
それが、この女に支配されるということなのだと、ミツキはあらためて思い知る。
「これでフロアの掃除は済んだ。あとは最後の目的を達するだけだ。進むぞミツキ」
そう言ってサクヤは、フロアの奥を顎で示してみせる。
離れた場所には、下のフロアで見たのとほとんど同じような階段が上へ延びている。
ミツキが黙って歩き出すと、サクヤも並んで階段へ向かう。
フロアは無駄に広いため階段にたどり着くまで少し時間がかかる。
その間、ふたりはひと言も言葉を交わさない。
ようやく階段に到着すると、ふたりは立ち止まって見上げる。
階段はかなり長く続いているようで、階上の様子は暗くて見えない。
しかも、階下であれだけ激しい戦闘が繰り広げられ、ガーディアンである異世界人たちは全滅したというのに、階上で侵入者を迎え撃つ準備をしているような気配はなく、それどころか物音ひとつ聞こえてこない。
それがかえって不気味で、ミツキはおもわず生唾を呑み込む。
「これは……」
困惑した様子で、サクヤが開いた掌に視線を落とすと、どういうわけか小刻みに震えている。
それを横目で窺うミツキも、足が竦んでいるのを自覚する。
魔力も感じないというのに、体は先へ進むのを拒否しているようだ。
「ふん……修羅場を潜ったことで身に着けた勘というわけか。つまり、たしかにこの先で待っているのだな。奴が」
その言葉を聞いて、ミツキはトリヴィアを思い浮かべる。
闇地で半身を消し飛ばされ、意識を失う瞬間まで、彼女は彼女のままだった。
だから、ミツキは一度も魔王と対面したことがない。
ただし、〝情報の祝福者〟によって、その姿を確認したことはある。
与えられた情報で、魔王は、サルヴァとエリズルーイを殺害し、バーンクライブの首都ヴラーヴェを火の海に変え、奪った空中要塞で大陸を巡り、魔族を従え人の世を蹂躙していった。
階上に待ち受けているのは、仲間と人類の仇であり、討たねばならぬ天敵なのだ。
「ミツキ、よもやこの期に及んで臆したわけではあるまいな」
階段の手前で立ち止まったままのミツキに、サクヤが問う。
「バカ言え。オレはこの時のために、死に物狂いで戦ってきたんだ。立ち止まったのは、ちょっとばかし感慨に浸っていただけだ」
「そういうのは魔王を斃した後にとっておけ。覚悟ができているのなら行くぞ」
そう言ってサクヤは階段へ向かって歩き出す。
その足が唐突に止まり、体をつんのめらせた。
「なんだ?」
サクヤは訝るような顔で、足元を見下ろす。
すると、己の脚が透明の結晶に包まれているのを認めて面食らう。
「これは、氷? いや、まさか、王耀晶か?」
透明の結晶は、彼女の脛から膝へと、少しずつその体積を増していた。
ハッとしたサクヤが弾かれたように振り返ると、背後に立つミツキが、ひどく冷たい眼差しを己に向けているのを発見した。