第四百三十四節 『人外共の宴』
黒曜宮中層の広大なフロアは轟音と絶叫、振動と衝撃、光の明滅と血の香りで飽和していた。
巨大な顎を持った地龍が、八本腕で得物を振るっていた異世界人に喰らい付く。
その地龍を、車輪に刃が生えたような異世界人が真っ二つに両断した。
高速で走る車輪の異世界人は、炎を纏う蛇の息を浴びて溶け落ちた。
炎の蛇の魔族は、冷気を垂れ流す半裸の女が放った霧を浴びて氷漬けにされた。
その女に、紫色の光球の群れがまとわりつき、体を蜂の巣にした。
紫の光球の群れは、巨大な毛玉の吐き出した網に包まれ、圧縮されて消滅した。
巨大な毛玉は、両腕がハサミのようになっている大男に斬り刻まれ、数秒で肉塊となり果てた。
ハサミの大男は、バッタのような魔族に抱きつかれ、腹に卵管を差し込まれて幼虫の苗床にされた。
バッタの魔族は、緑の粘液を滴らせる半分魚のような異世界人に溶解液を浴びせられ体が崩れた。
半魚人の異世界人は、背中に棘を生やしたネズミが遠距離から放った大量の針を浴び、流し込まれた毒に侵されのたうちながら死んだ。
針を生やしたネズミは、無数の球が密集した異世界人から嵐のような殴打を受けボロ布の如きありさまで転がった。
密集した球の異世界人は、カバに似た巨大な口の獣の吠え声に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて潰れた。
巨大な口の獣は、頭上に三つの光輪を浮かべた青肌の男の念動を受け破裂した。
青肌の男は、両目の突き出た鈍色の毛の魔獣の髭に斬りつけられ、腹から内臓を溢して頽れた。
その凄惨な殺し合いを、サクヤと並び立って眺めながら、ミツキはぼんやりと思う。
まるで命の投げ売りだ。
「ふむ……敵の異世界人はやはり強さのバラつきが大きいな。半数以上は早々に脱落したが、もう半分は私が蟲憑きにした魔族共と互角以上にわたり合っている。こちらの手駒の方が、損耗する速度がだいぶ早い」
目の前の光景を興味深そうに観察しながら、サクヤは分析する。
「押されている割には余裕そうじゃないか」
「当然だな。なにしろこちらはまだまだ控えがいる」
そう言うサクヤの足元から伸びる影が蠢き、次々と魔族が這い出て来る。
「私がどれだけの間、手駒を集めてきたと思っている。言っておくが蟲憑きにしたのは王都の魔王軍だけではないぞ? アルハーンを救出しに闇地へ潜った時や、さらに遡って、ブシュロネアとの戦で闇地を貫く街道を防衛した時から、魔獣を集めてきた。今の私は、この世界のどの勢力より多くの戦力を有しているはずだ」
「そんなに手勢を充実させてどうするつもりだ? 世界征服でも目指してんのかよ」
「やってやれんことはないだろうが、興味がないな、そんなことには。私の関心の対象は、未知と可能性だ。支配というのはその両方を潰すに等しき行いだ。私にはデメリットしかない」
ブレないなとミツキは思う。
今までいろいろな異世界人と出会ってきたが、こいつほどのエンジョイ勢は他にお目にかかったためしがない。
「でもそうやって余裕こいてると、足元すくわれるぞ?」
「ん?」
数体の魔族をまとめて薙ぎ払い、斧を手にした人型の異世界人がふたりに向かって突進してくる。
ミツキは義体の爪を伸ばして前へ出ようとするが、サクヤが手を挙げて制する。
「活きの良い素材は大歓迎だ」
跳躍し、サクヤに斧を振り下ろそうとした異世界人は、彼女の足元の影から突き放たれた無数の棘に串刺しにされ、必死に藻掻いて逃れようとするも影の中へと引きずり込まれていった。
「魔王が手駒を失う程に、私の手駒が増えていく。なかなか愉快なゲームではないか」
それなりに強そうな襲撃者を、一瞬で捕獲したサクヤに、ミツキは感心する。
そして、多くの魔族を捕獲したことで、眷族が増えたばかりでなく、そいつらを養分にして自身も力をつけているのかもしれないと推測する。
「おまえが意外にやるってのはわかったよ。ただ、それでも厄介そうなのもいるだろ」
「……そうだな」
ふたりは揃ってフロアの奥に目を向ける。
視線の先では、三体の異世界人が戦いに参加せずじっとふたりの様子を窺っている。
向かって左の一体は、東南アジアや南米あたりに棲息する虫を想わせる、刺々しいカーキ色の甲殻に全身を覆われた人型の異世界人だ。
複眼の目と、雌のクワガタのような巨大な顎も、やはり甲虫を彷彿とさせる。
手首から生え、肘の方へ向かって延びた、刀とノコギリを合わせたような見た目の刃が、いかにも近接戦向きに見える。
中央の一体も人型で、滑らかな白い皮膚に毛が一本も生えていない細身の体が目を引く。
全裸だが、体には性器や乳首、顔にも口、鼻、耳などの、いずれも確認できない。
不気味な光を放つ、大きな緑色の目が、ふたりを見据えている。
右の一体は、全身を虹色の毛皮に覆われた四足歩行の獣で、見た目は虎に近い。
桃色の目は後頭部まで裂けたように延び、口からはルビーのような赤く透き通った鋭い牙が覗いている。
どうやら体が帯電しているようで、毛皮の上や足元に向かって小さな電が発生している。
体内魔素を見る限り、〝摂政〟や〝近衛〟より強いとミツキは判断する。
猿猴将があえて己ひとり先へ向かわせたのは、こいつらが守護しているからだったのだろうと察せられた。
一方、フロアでは、サクヤの眷族の魔族と、汚染魔素の虜となった異世界人たちの戦いが、もう少しで終ろうとしていた。
両陣営の戦死者の屍で床は埋め尽くされ、足元を満たす血と糞尿を跳ね上げながら、残った数体の異形が得物や爪牙、あるいはそれ以外の攻撃手段で最後の生き残りを決しようとしている。
その時、三体のうち中央の白肌が、両手に緑の炎を灯した。
その腕をひと振りすると、両陣営の生き残りに緑の炎が降りかかり、一瞬でその身を蒸発させた。
ミツキは顔を顰めつつ呟く。
「味方ごとかよ」
動く者がいなくなったのを確認すると、白肌の異世界人は背中からも緑の炎を翼のように吹き上げ、ふわりと身を浮かせて前進する。
同時に、他の二体も動き出した。
「こっからが本番ってわけだ。左右の二体も相当厄介そうだが、真ん中の奴は確実にヤバいぞ。どうする? やっぱ手伝うか?」
「出しゃばるな。任せろと言ったはずだ」
「あっそう」
ミツキが口をへの字に曲げると、サクヤは身を屈め影に手をつく。
「狗賓」
影の中から這い出てきた異形を見て、ミツキが顔を引き攣らせる。
「なん、だ……こいつら」
「合成生物だ。強い魔族ほど、無傷で手に入れるのが難しかったものでな。素材と割り切り繋ぎ合わせてこいつらを生み出した」
「……グロ」
波打つ臓物の中から大量の触手が生え、瘤状のその先端に無数の目と口が開いた化け物。
爪先立ちの十本の脚の中心に巨大な口が開き、その中から生えた繊毛が絶えず黒い液体を滴らせている化け物。
ナメクジに似た軟体の上に山のように盛り上がった殻を背負い、その表面に無数に開いた穴の中で赤くテカる肉が蠢いている化け物。
いずれの化け物も、直視に堪えぬほど悍ましい見た目だ。
「悪趣味にも程があるだろ。おまえの美的センスはどうなってんだ」
「相手を殺すためだけに生み出された使い捨ての合成生物に美しさなど不要だろう」
「ひっでえこと言いやがる」
言葉を交わす間にも、影の中からは次々と異形が溢れ出し、ミツキは目を背けるも臭気だけで胸に不快感がこみ上げる。
「なにを青褪めているのだ。〝幻獣狩り〟の名が泣くぞ」
「うるせえな。なんでもいいからさっさと終わらせてくれ。気分が悪い」
「ふん、情けない奴め」
サクヤはミツキをせせら笑うと、掲げた右手の指をパチリと鳴らす。
その音に反応し、化け物の群れが一斉に敵異世界人三体へ殺到した。