第十四節 『旧知』
面談を終えたミツキとサルヴァは、レミリスとカナルを残して部屋を後にした。
「あの老人の言葉は、あまり真に受けない方がいい」
廊下を歩きながら、サルヴァが呟いた。
「現役時代は〝人誑し〟として有名だった男だ。キミが今回の戦の重要人物でなければ、あんなに下手には出ていないさ」
そう言うおまえは〝女誑し〟だろうがとミツキは思う。
最近は、この近衛騎士が王女を巧く操っているのがなんとなくわかってきていた。
「別に真に受けてないよ。あんたも含めて、この国の偉い人間のことは信用しないことにしているんだ。重ねて言うが、あんたも含めて、な」
「手厳しいなぁ。私、キミに嫌われるようなことを何かしたか?」
危うく種無しにされかけたうえ一国の王の暗殺を強要しただろうがと言ってやりたかったが、この男にはどうせまともな反応など期待できないとわかっているので、ミツキはあえて話題を変えた。
「それより、あの爺さんとレミリスだけ部屋に残ったのはどういうことだ?」
「ああ、ふたりは旧知らしい。元大将軍様と渡りを付けられたのも、彼女のコネのおかげさ」
「そうなのか? てっきりおまえが姫様経由で話を付けたものと思っていた」
「たしかにティアは〝人見の祝福〟のおかげで各方面に顔が利くが、ああいう由緒正しい家柄の人間からは、むしろ評判が悪いのさ。その点、レミリスは武門の名家の出だ。私のような成り上がり者とは違って、軍閥にパイプがあってもおかしくはない」
てっきりサルヴァの方が立場が上だと思っていたミツキは、その僻んだような口調を意外に思う。
しかし、よくよく考えてみれば、それなりの立場の人間でなければ、アリアのようなメイドを傍に置いてはいないだろう。
「彼女は飲んだくれで、たまに異様な胆力を見せるって以外、未だに正体が謎なんだよな。そんな名家の人間が、どうしてオレ等みたいなのの監視をさせられてるんだ?」
「ああ、そういえば話してなかったか。まあ、別に珍しい話でもないよ。過去に大きな失敗をして、彼女は軍に居場所を失ったのさ。で、長い間隠遁生活を送っていたところをティアが〝人見の祝福〟で見つけだして、親衛隊として軍への復帰を餌に、キミたちの管理を任せたのさ」
「大きな、失敗?」
「ああ、大失敗さ」
サルヴァは人の悪そうな笑みを浮かべてからレミリスの過去を語り始めた。
「十年以上も前の話だ。ティファニアでとある国家プロジェクトが計画、実行された」
「国家プロジェクト?」
「そう、北部大闇地帯最深部の探索という途方もない計画だ。と言っても、キミには闇地最深部の探索というのがどれ程無謀な試みかなど理解できないだろうな。一国の軍が対応できる闇地の魔獣は中深域に生息するものまでとされている。高深域の魔獣には軍団でも歯が立たない。まして、最深部の魔獣ともなれば、神話に登場する伝説の存在だと考えられており、何かのきっかけで闇地から出るようなことがあれば大陸全土に大災禍をもたらすと言われている。当然、最深部に踏み入ればそういったとんでもない魔獣と遭遇する可能性もあるわけだ」
「そんなに危険なら、どうして探索なんてするんだ?」
「それだけの魔獣が生存するということは、土地に満ちる魔素が極めて濃いということが考えられる。そして、そこで採取できる素材は、非常に希少なのさ。その計画の目的は、闇地高深域の調査と、越流を起こさずに最深部までのルートを作ること。そのために、各分野のエキスパートからなる数百人規模の探索隊が組まれたらしい。それで、その探索隊の総指揮官に抜擢されたのが、代々優秀な軍人を輩出してきた名家、ルヴィンザッハの嫡子で、女性ながらに当時王国で最も優れた若手騎士にしてティファニアの華とまで言われていたレミリス・ティ・ルヴィンザッハだったというわけさ」
名門出身で才能にも恵まれ将来を嘱望された女性騎士。
その華々しい経歴と、酒浸りのやさぐれ女の姿が、ミツキの中で巧く結びつかない。
「遠征は三年ほどかけて、第一段階が終わる予定だった。レミリスは仲間とともに第二十二副王領から北部大闇地帯へと侵入した。で、結果から言えば、失敗した」
「失敗……でも、彼女が生きているってことは、引き返してきたのか?」
「まあそうなんだが、ただ逃げ戻ってきたわけじゃない。出発から二年近くが経過したある日、エメリア北部の闇地開拓村に、ぼろぼろのナリをした数人の男女が迷い込んだ。最初は遭難した冒険者か何かかと思われたらしい。しかし、持ち物から件の計画の調査団員だということが判明。しかし、彼らは皆失語症のような状態になっており、身元の確認にはけっこう時間を食ったらしい。で結局、四百人近かった探索隊は、その時村に姿を現した、レミリスを含めた五人だけしか生還しなかった。生き残りが持ち帰った雑嚢の中には、他の探索者の形見と思われる血まみれの荷物が入っていたりしたので、おそらく深域で魔獣に遭遇し探索隊が全滅したものと判断された」
「判断されたって……生存者がいたのなら彼らに訊けばよかったんじゃないのか? 失語症ったって、筆談はできるだろ?」
「いや、生存者は皆一様に闇地で何があったかを語ろうとしなかった。大規模な国家プロジェクトが頓挫したうえ各分野の優秀な人材が帰らなかったのだから、けっこう厳しめの尋問を受けただろうことは想像に難くない。にもかかわらず、ひとりとして証言しなかったらしい」
ミツキはおもわず生唾を呑み込んだ。
少々怪談じみた話だ。
「結局、レミリスは騎士の称号を剥奪されたうえ軍も追われた。負った責任まで考慮すれば、何らかの刑罰を下されるのが妥当だったはずだが、実家が庇ったのだろうな。といっても、自領の僻地の小さな別邸に十年近く軟禁されていたことを鑑みれば、家の扱いも穏当だったとは言い難いだろうけどね。その間、彼女とかかわった人物は、屋敷で彼女の世話を担当していたアリアだけだったようだね。あと、余談だけど、他の生存者は、生還から一年以内にひとり残らず死んだらしい。全員、自殺だったそうだ」
闇地の中で彼女に何があったのか、ミツキには想像もできない。
しかし、おそらく彼女が酒浸りとなったのは、その時の経験から逃避するためだったということは想像に難くなかった。
「王国最優の騎士が、トラウマもんの体験を経てどうにか生還するも、なにもかも失って軟禁されたわけか。予想以上にヘビーな過去だな。そりゃ並大抵のことじゃ動じなくなるわけだ」
「他人事のように言うが、ミツキ、彼女のことはキミ等とも無関係ではないんだ」
「は? 何が?」
「彼女をティアの配下として雇う際、いくつか条件を出されてね。まず、ティアが王位に就いたあかつきには、レミリスを指揮官として再び北部大闇地帯最深部への探索を行うこと。そして、その調査団に自分が管理することとなる異世界からの召喚者を入れること」
「なっ!?」
ミツキは驚きのあまり目を剥いて立ち止まる。
「しょ、承知したのかよ、そんな条件!?」
「戦争の危機が去っているという条件付きで承諾した。だから、こうして他国と戦っている間は、彼女と冒険に出るということにはならない。どちらがよりキツいかは判断しかねるがね」
サルヴァは笑みを浮かべながら振り返る。
「嫌なら戦争のどさくさで彼女を始末すればいい。ああでも、彼女が死んだらキミたちも呪いで死ぬんだったか。じゃあやっぱり駄目だな」
そう言ってさも楽し気に笑う第一王女親衛隊長を前にして、やはりこの国の偉い人間は信用できないとミツキはあらためて思うのだった。
ミツキがサルヴァからレミリスの過去について聴いている頃、当の本人は応接室でカナル元大将軍と向かい合っていた。
「久しぶりだな。最後に会ったのは、おまえさんが闇地へ発つ前だったか。手紙を受け取って驚いたぜ」
「ご無沙汰しております。私もあの後いろいろあって、今までご連絡もできず申し訳ございませんでした」
「ああ、まあその、大変だったみてえだな……親父さんは元気かい?」
「さあ。父とは十年近く会っておりませんので。一族から受刑者を出したくないと、闇地から戻った私をかなり強引な方法で引き取った後、勘当を言い渡され、ずっと軟禁されておりました。王妹殿下の計らいでこうして親衛隊として軍に復帰はできましたが、おそらくあの人はそのことを快く思っていないでしょう」
カナルは頭を抱えた。
先程までの飄々とした様子からはかけ離れた苦し気な表情を浮かべている。
「そんなことになっていたのかよ。すまねえ、おまえさんの実家には何度か問い合わせたんだが、闇地で深い怪我を負ってリハビリ中だと言われるばかりでな。だが強引にでも見舞に行くべきだった。そうすりゃおまえさんの境遇にも気付いて、何か力になれたかもしれなかったってのに」
「お気遣いありがとうございます。しかし、私が闇地に行っている間に閣下は引退されたのですから、元部下とはいえ責任に感じる必要などないでしょう」
「水臭えこと言いやがるぜ……そういや、今おまえさんの弟が前線に出ているはずだ」
レミリスは小さく首を傾げた。
彼女に弟などいない。
しかし、一瞬の間を置いて、カナルの言わんとしたことを理解する。
「私の後釜のことですか。弟と言っても、父の養子というだけです。遠縁ではありますが、私は会ったこともありません。勘当された以上、赤の他人も同然でしょう」
「まぁ、そうなるか。その赤の他人様だが、おそらく既に死んでるぞ。ということは、近衛とはいえ無事軍に復帰したおまえさんは、また実家に迎え入れられるかもしらねえな」
レミリスは小さく嘆息すると、底冷えのするような視線をカナルに向ける。
長く軍にいて様々な人間と接してきた元大将軍だが、これ程苛烈さを感じさせながら、同時に空虚でもある人間は見たことがないと感じていた。
「私にとってはもはや関係のないことです。かつてはあれ程私を縛った父からの期待も、今となってはまったくの無意味」
「……じゃあ、なんで軍に復帰したんだ?」
「闇地最深部にやり残したことがあります。それを成し遂げるまでは、死ねないと思って今まで生きてまいりました」
そう言って彼女の握り込んだ拳からは、掌に食い込んだ爪が皮膚を突き破り、血が滴っていた。
「そのために、ブリュゴーリュなどという邪魔な国は迅速に駆逐しなければならないのです。ですから閣下、どうか力をお貸しください」
瞬きもせず己を見つめるかつての優秀な部下の異様な様子と、己に理想を語った若かりし日の姿を重ね、老将はこの世の無常を儚まずにはいられなかった。




