第四百三十三節 『大樹崩壊』
ファンの魔法によって〝血獣〟が保有する量産型耀晶器・甲型すべての王耀晶を純粋魔素に還元して流し込まれた大樹は、浄化された影人間と同じく急速に劣化し、崩壊しはじめた。
千遍万華の本体であった大樹は、その大きさゆえ、枝さえ大木並みに太い。
崩落して頭上より迫るその枝を指差し、〝血獣〟の団員のひとりが悲鳴のような叫びをあげる。
「おぉおい! や、やべえぞ!」
すかさず、フレデリカが〝ムーンディガー〟を真上に向け乱射し、大木のような枝が見る間に削れていく。
しかしそれでもすべてを消し飛ばすには至らず、枝は地面に激突し、周囲に積もっていた枯れ葉が舞い上がる。
「げほっ! おいみんな無事か!」
「なんとか!」
「オレも、生きてるぜ!」
身を伏せた〝血獣〟の団員たちが、次々と立ち上がる。
「ファンは大丈夫か!?」
すかさず、大柄な団員に背負われたファンの様子を、近くの仲間が確認する。
「……ああ、問題なさそうだ」
今、彼女は全身に包帯を巻かれており、ひとりでは動くこともできない。
魔法のおかげで生きてはいるものの、一部の臓器は避けながらも、全身をほとんどくまなく刺し貫かれたことで、呼吸以外の動作は行えない状態だ。
〝血獣〟の仲間達は、魔法を放ち終えた彼女の失血を少しでも抑えようと、全身に止血措置を施したうえで運ぶことにした。
シェジアとの通信は一向に繋がらないものの、大樹の下に留まれば崩壊に巻き込まれて全滅するのは時間の問題だったため、一行は離脱するため移動を始めたのだった。
舞い散った枯れ葉や砂埃が晴れると、兵士たちが密集している場所を避けるように、巨大な大樹の枝が転がっているのが確認できた。
自分たちに命中する部分を〝ムーンディガー〟の射撃が消し飛ばしたことで助かったのだと彼らは気付く。
頭上に向けていた銃を降ろしたフレデリカに、数人の兵士が駆け寄る。
「よお姉さん! おかげで助かったぜ!」
「この調子で離脱まで頼むわ!」
「……いや、そりゃ無理だな」
浮かない顔でそう返答すると、フレデリカは〝ムーンディガー〟のバックパックを固定しているベルトを外しにかかる。
「お、おい! あんたなにやって――」
「弾切れだ」
背負っていた荷物を下ろしたフレデリカは、〝ムーンディガー〟の銃身を投げ捨てる。
「も、もう使えねえ、のか?」
「ああ。当てが外れちまったなぁ」
青褪めた兵士の傍に、大樹の破片が落下し、木片が飛び散る。
先程の枝に比べればずっと小さいが、それでも直撃すれば即死してもおかしくはない。
そんな大樹の残骸が、雨のように降って来る。
ここへ来るまでは、物質を転移させることで消し飛ばすという〝ムーンディガー〟の特性と、フレデリカの神懸った射撃の腕のおかげで、大きな犠牲を出さずに済んでいたが、もう自力で避ける以外に身を護る術はなくなった。
「こいつを食らわずに逃げ切るのは簡単じゃねえぞ。急がねえと」
「くそっ! 馬を降りたのはこのあたりだったはずだよな!? どこ行っちまったんだよ、一頭もいねえぞ!」
「あんだけ寄生体や根っこが大暴れしてたんだ。とっくに逃げたか死んじまっただろ」
「おい!! うだうだ言ってねえで死ぬ気で走れや!!」
明らかに浮足立っている〝血獣〟の団員たちにフレデリカが声を荒げた直後、周囲に影が落ちる。
フレデリカと兵士たちが息を呑み、同時に頭上を見上げると、暴れていた大樹の根が折り重なるようにして一行の上へ落ちて来ていた。
そのすべてが先程の枝よりも太く長く、とても避けられそうにない。
「伏せろ!」
全員が死を覚悟しながらも、奇跡的に根と地面の隙間で生き残ることを期待し、その場に身を投げ出す。
うつ伏せて頭を抱えていた兵士たちは、なかなか根が落ちて来ないことを不審に思い、おそるおそる顔を上げる。
その目に飛び込んできた予想もしていなかった光景に、ひとりの兵士は無意識に呟く。
「なんだ、こいつらは?」
兵士の視線の先、小城のような体躯の泥の巨人が、数体がかりで根を受け止めていた。
フレデリカはその光景に目を見張る。
「こいつらは……アニエルの泥人兵じゃねえか。どうしてここにいやがるんだ?」
その言葉に応えるように、男の高笑いが響き渡る。
「ぅふはははは! どうやら間に合ったようだな! このオレが来た以上は、もう大丈夫だ!」
アニエルを掌の上に乗せた巨大な泥人兵が大樹の陰から姿を見せ、フレデリカは渋面を作る。
「な、なんでテメエがここにいやがんだ!」
「おおフレデリカではないか! まさかこんなところで再会するとは! このオレたちは余程強い縁で結ばれているらしいな! 喜ぶがいい!」
「うれしくねえ」
近付いて来る泥人兵を〝血獣〟の団員たちは警戒する。
立ち上がったフレデリカに、近くの兵士らが問う。
「あんたの知り合いか?」
「ディエビア連邦の一国、マキアスの元大統領だ」
「ディエビア連邦かよ」
「オレが言うのもなんだが、フィオーレを襲ったのとは別の勢力だ。あと、今ティファニアとは連合を組んでいる友好国でもある」
「大統領ってのは、王様みてえなもんだろ?」
「だいぶ違うが、国の首長って意味ならそうだ」
「なんでそんなお偉いさんが、泥の化け物引き連れてオレたちを助けてくれるんだ?」
「泥人兵は奴が祝福魔法で泥から生み出した傀儡だ。どうしてここにいんのかはわからねえ。今から理由を聞き出してやる」
近付いて来た泥の巨人の掌の上から跳び下りたアニエルに、フレデリカは駆け寄る。
「ヘイ! さっきの質問に答えろ! なんでここにいやがるんだ!?」
「ミツキから加勢を頼まれてな。あ奴には大きな借りがあるゆえ、応じたまでよ」
その答えでフレデリカは概ねの事情を察する。
おそらく、天龍討伐の前後、ふたりの間にそういう話し合いがあったのだろう。
「そりゃありがてえが、どうしてここなんだ? 本隊は王都へ向かった後だぞ」
「そちらには別の助っ人を向かわせた。こちらも大物相手に苦戦しているのではないかと判断したゆえ駆けつけたのだが――」
アニエルは崩壊しつつある大樹を見上げる。
「よもやこの巨大な魔族を討伐していたとはな。どうやら出遅れたらしい」
「いや、見ての通りだいぶヤベエ状況だ。今さっきも、テメエがあの根っこを傀儡に受け止めさせていなけりゃ、オレらは全滅していたかもしらねえ。おかげで助かったぜ」
フレデリカの表情と態度から、余程の危機だったのだとアニエルは察する。
「先の作戦で借りを作ったのは、ミツキばかりではない。巨群塊を討伐できたのはフレデリカのおかげだ。ゆえに今こそ、このオレの全霊をもって恩を返させてもらうとしよう」
周囲の地面が波打ち、泥の巨人が次々と出現する。
ミツキの凍らせた地面が溶けたうえ、大樹の根が大地を掘りおこしたことで、泥はいくらでもある。
偶然にも、泥を操るアニエルが力を発揮するのに、このうえない環境が作り出されていた。
「皆、泥人兵の傍に寄るがいい! 落下物はすべて受け止めさせよう!」
〝血獣〟の団員たちは、急いで泥の巨人の足元へ駆け寄る。
降りそそぐ瓦礫を受け止め、あるいは打ち払いつつ、巨人は歩き出す。
「このまま泥人兵に護衛させながら安全圏まで移動するぞ。さすがにあの大木が倒れて来たら防ぐことはできんからな。急いだ方が良いだろう」
頭上からたれ落ちて来る泥を被り、フレデリカは苦笑いを浮かべる。
「これさえなけりゃ言うことねえんだがな」
「ふっ、戦場でこのオレについてくる者は皆、泥に塗れる宿命なのだ。我慢するがいい」
「ちっ、おい! ファンを汚さねえように気ぃ付けろ! 治療と輸血ができても、破傷風にでもなったんじゃ元も子もねえぞ!」
「ああ、わかってる!」
泥人兵の動きは鈍いが、生み出された個体はどれも巨体で歩幅が大きいため、兵士たちは駆け足でその下についていく。
走りながら、アニエルは傍を駆けるフレデリカに問う。
「念のため訊くが、ミツキがどこへ向かったかわかるか?」
「知らねえ。オレらは王都に着く前に本隊と分かれたからな。ただ、作戦通りなら奴は王都の中心の黒曜宮へ直行したはずだ。もしかしたら今頃、魔王と戦ってるのかもな」
「やはりそうか」
アニエルは航空機の上から見た王都上空に浮かぶ漆黒の構造物を思い浮かべる。
「しかし、あんなところに引き籠っているのでは、魔王も存外大したものではないのかもしれんな。少なくとも、天龍を苦も無く斃したミツキが負けるとは思えん」
「……どうかな」
フレデリカは闇地で後の魔王と戦った時のことを思い出す。
自分も含め、ティファニア軍の精鋭が束になって手も足も出なかった。
無論、今のミツキも人間離れした強さだが、テトとトモエに体を斬り裂かれ、己の銃で頭を撃ち抜かれながら、まるでこたえた様子もなかった魔王の底知れなさを想うと、簡単に勝てるなどとは考えられない。
そしてなにより、ミツキが彼女を相手に本気で戦えるのか、フレデリカは疑問を覚える。
「……ただ敵のボスを斃して一件落着、ってわけにはいかねえのかもな」
「む? なにか言ったか?」
「いやなんでもねえ。それより急ぐんだろ? 口よりも脚を動かしな」
その後、無事に大樹の崩壊から逃れた一行は、本部の指示を受け、衛生隊と合流。
衛生兵の治癒魔法と、重傷を負って先に収容されていたアリアの増血魔法によって、ファンは一命を取り留めた。
そして〝血獣〟の団員たちは、クリッサの手で救出された、瀕死のシェジアとの再会を果たしたのだった。