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第四百三十二節 『死に際に想うこと』

 核石を突き刺した千遍万華(サウズフラブレム)(もつ)れるように倒れたシェジアは、ゆっくりと身を起こすと、ふらつきながらもどうにか立ち上がる。

 目の前には両腕と下半身を失った千遍万華が(あお)のけに倒れたままだ。

 耀晶短剣(ヴェリスグラヴス)の刺さった胸の核石は、中心から真っ二つに割れている。


「よお……これで満足ですか?」


 声をかけられた千遍万華は、しばらくの間、呆然とした様子で虚空を見つめていたが、やがてゆっくりと視線を動かしシェジアを見つめ返す。


「満足……どうなのかしら」

「ああ?」

「なんだかピンとこないのよね。私、本当に死ぬの?」


 千遍万華が肘から先を失った左腕を持ち上げると、断面から蔦が生え、一瞬で複雑に絡み合い、腕が再生される。


「ほら。失った体も、一瞬で元通り。これで本当に死ねるのかしら?」

「いや、テメエは――」


 シェジアは千遍万華の顔から胸へと視線を下げる。

 砕かれた核石は色を失い、その周囲の体は枯れたように(しお)れつつある。

 程なく体全体が朽ちるはずだが、痛みを感じぬ身では実感が湧かぬのだろう。


「確実に死にますよ。もうすぐに」

「ふぅん? あなたがそう言うのであれば、そうなのでしょうね」


 無感動な様子の千遍万華に、シェジアは釈然としないものを感じる。

 ここまでこいつの自殺願望に振り回され、苦労してようやく殺してやったというのに、まるで他人事のような態度だ。


「テメエは本懐を遂げたんだろ? だったらもっと喜んだらどうですか?」

「そう言われてもねぇ。死ぬのは初めてだし、嬉しいのより戸惑いの方が大きいといったところね」

「誰だって死ぬのぁ初めてだろうよ」

「それよりも、さっきの攻防は楽しかったわ。長く生きてきたけれど、あんなに刺激的な体験は初めてだった。できれば、もう一度味わってみたいわね。ねえ、あなたもそうじゃない?」

「……できねえぞ」

「ええ?」

「私もテメエもここで死ぬんだから、もう二度と戦えやしませんよ」

「ああ……そうね……そう、だったわね」


 小さく溜息を吐いた千遍万華は、己の体の異変に気付く。


「あら?」


 再生させた腕が、小刻みに震えている。


「ようやく死の前兆が(あらわ)れてきたのかしら」

「そうじゃありませんよ。たぶん」

「ん? どういう、こと?」

「びびってんだろ、テメエ。死ぬのが怖えから震えてるんですよ」

「怯えている? 私が?」


 千遍万華は自分の意思では制御できずに震え続ける手を見つめる。


「そう。この寒気(さむけ)にも浮遊感にも似た得も言われぬ感情……これが恐怖、なのね」


 少しの間ぼんやりしていた千遍万華だったが、唐突に噴き出したかと思うと、ケタケタと笑いはじめる。

 脈絡を欠いた反応を、薄気味悪く思い、シェジアは顔を(しか)める。


「なにが面白えんですか」

「嬉しいのよ! やっぱり私は間違っていなかった! 悠久を生きる大樹のままだったら、たとえ朽ち果てるその時を迎えたって、こんな鮮烈な感情を味わうことなんてできなかったわ! でも今、私はついに死を実感し、深く感じ入っている! そして無意味だった生から抜け出し、命の火を燃やし終えるのよ!!」


 それから朽ち果てるまでの短い時間、千遍万華は目から樹液を流しながら(わら)い続けた。



「……っとに、テメエは満足して逝けたのかもしらねえが、つき合わされたこっちはたまったもんじゃありませんよ」


 枯草(かれくさ)の様に色褪(いろあ)せながらも、狂気じみた笑みを浮かべたまま絶命している千遍万華の骸を見下ろし、シェジアはぼやいた。


「ちっ。まあノルマは達成したってことで、良しとしましょう」


 そう言うと左手で右腕の付け根あたりを掴み、外れた肩を戻す。

 きつく歯を喰い締めた彼女は、辛うじて動ける程度に痛みが治まると、深く息を吐く。


「ふうぅ……さて、それじゃあ、あいつらんところへ、戻るとし……」


 言葉の途中で、胸の奥からこみ上げるものを感じ、シェジアは口を(つぐ)む。

 その喉が一瞬大きく盛り上がると、次の瞬間、口から噴水のような血が吐き出された。


「ぅぼへっ!!」


 異常な量の血を吐き出し終えると、シェジアは千遍万華の屍にぶちまけられた己の体液を見て、諦めたような表情を浮かべ微かに笑う。


「はっ……〝血獣(ラヴィ・ヅィーヴェ)〟に相応しい、最期、ってわけ、で――」


 その時、足元の根が大きく傾き、シェジアは抵抗もなく宙に投げ出される。

 もはや指一本動かす余力もない。

 このまま地上まで落下し潰れるだけだ。


「……ったく、こんなもんの、なにがいいんだか」


 死を前に、最後まで己の命の終わりを求め続けた千遍万華を想い、シェジアは呆れる。

 落下しながら周囲に視線を巡らせれば、暴れていた根が地上へ墜落しはじめ、枝からは葉が散り、巨大な幹がゆっくりと傾き始めている。

 どうやら、別れ際に伝えた通り、ファンが暴走する大樹をどうにかしたのだろうと察する。


「そういや……約束……守れそうに、ありませんね」


 互いに生きて帰ったら、奴の気が済むまで虐めてやるつもりだったが、どうやら無理そうだ。

 他の仲間やミツキたちともう会えないのも、心残りだ。

 そんな自分自身を、彼女は意外に感じる。

 かつて己は、師の仇を打ち、家族の復讐を果たした後、残りの人生はただ無為に消化するだけのものだと思っていた。

 しかし、こうして死に際に振り返ってみれば、むしろ〝血獣〟を結成し、民兵としてティファニア軍に参加してからの方が、ずっと濃密な時間だった。


「……途中から、妙な成り行きに、なっちまったが……まあ、退屈しねえ、人生でした、よ」


 誰に聞かせるでもなく最期の言葉を絞り出したシェジアは、薄れゆく意識の中で、遠くに、光りを放つ一羽の鳥が飛翔しているのを認める。

 幻かとぼんやり思う間に、鳥は近付いて来る。

 もしかしたら、人は死ぬとこの鳥に命を運ばれていくのかもしれない。

 そんな考えが心に浮かんだ直後、シェジアの意識は完全に途切れた。



 落下する女の体を、鳥の精獣に乗るクリッサは、どうにか受け止めることに成功する。


「……ぎりぎりだったな」


 もし、今の一瞬で捉え損ねていたら、救うことはできなかっただろうと彼女は考える。

 巨大な樹は急速に風化し始めているようで、葉や実に加えて折れた枝なども大量に落下し始めており、そんな中旋回して女を追うことなど、まず不可能だと思われたからだ。


「ん? この女、見覚えのある顔だな」


 たしか、ドラッジに大国の代表者が集められた際、勇者を連れて来たティファニア兵だと思い出す。

 ということは彼女は、今の今まで魔族と戦っていたということか。

 よく見れば、自分のものか返り血かは不明だが、尋常でない量の血で全身を汚している。

 だが近くに魔族の気配はない。

 かなり弱っているようだが、五体満足であるところを見ると、おそらく彼女は樹上での戦いに勝利した直後、力尽きて足を滑らせたのだろうと彼女は憶測する。


 落下傘を背負って降下したアニエルに続いて、精獣を生み出し航空機から飛び立ったクリッサは、巨大な樹を前にまずはどうするべきか考えあぐねていたところ、樹の陰に火花の瞬きを見たような気がして、近付いてみることに決めた。

 大樹へ寄ると、思いがけず朽ちて倒壊しようとしているのに気付き、やはり離脱しようかと考えたのだが、樹から落下していくものの中に人の姿があるのに気付き、慌てて救助に向かったのだった。


「運の良い御人だ」


 クリッサは、戦いに勝利したからなのか微笑を浮かべて意識を失っている女の顔を横目で確認すると、血で滑りそうになる体を抱えなおし、急いでその場を離脱した。

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