第四百三十一節 『燃える命の花』
力尽き、膝をついて動かなくなったシェジアと相対していた千遍万華は、異変に気付いて周囲を見まわす。
「大樹が悲鳴をあげている」
どうやら、毒のようなものを流し込まれたらしい。
しかも、大樹の内の汚染魔素が急速に消失していることから、致命的な攻撃となったようだと察せられた。
千遍万華は身を屈め、足場にしている根に手をつく。
すると、大樹を通して地上の植物たちからの情報が伝わる。
「……そう、あの人間たちが」
己が選んだひとりを除き、木っ端と切り捨て地上に置き去りにしたティファニアの兵士たちが、大樹になにか仕掛けたようだ。
「予想外ね」
それは地上の人間たちばかりではない。
先程、王都の方で閃光が瞬き、大きな気配がたて続けに消えた。
おそらくは讐怨鬼と金泥だ。
奴らを斃したのは、ミツキや他の異世界人ではあるまい。
ふたりの願望を鑑みれば、両者とも異世界人との戦いは避けただろうと予想できる。
つまり、他の〝近衛〟のうちの二体を、人間が打倒したということになる。
だとすれば、まだ己の願いを叶えてくれるかもしれない強者は、複数人残っている可能性が高い。
「よかった……また無駄に永らえることになるのかと思った」
まずは地上へ降り、大樹に攻撃した連中を始末する。
それが済んだら王都へ向かい、ティファニア兵を片っ端から殺す。
そうすれば、いずれ〝近衛〟殺しの実力者と相まみえ、今度こそ命を燃やし尽くせるはずだ。
「楽しみだわ」
そう呟いて、千遍万華は踵を返す。
少し急いだ方が良いだろう。
大樹の全体に人の力が及び、汚染魔素が失われれば、おそらく急速に枯れ果てる。
そうなった大樹はおそらく自重で崩壊し、この周囲一帯はその残骸で埋まるだろう。
だから、速やかに地上の人間を処理して大樹から離れなければならない。
千遍万華は大樹の幹へ向かう。
そこから蔦を伸ばし、一気に地上へ降りるつもりだ。
しかし、数歩歩いたところで、背後から声をかけられる。
「どこへ行くつもりですか?」
先程まで戦っていた女の声だ。
だが彼女は、力尽き動けなくなったはずだ。
最後の力を振り絞って立ち上がったのだとしても、もはや己の相手にはなるまい。
そう思考しつつ、千遍万華は振り返る。
この期に及んでは、女に対する関心は失せていたが、一時でも楽しませてくれた感謝にとどめを刺してやるぐらいのことはしてやってもいい。
そんな気持ちは、女の姿を目にした瞬間、吹っ飛んだ。
「あ……あなた、なに? その姿は」
女の左胸に金属の杭のようなものが埋まり、そこから血が流れている。
ただ、それだけであれば、単に追い詰められてトチ狂ったとしか思わなかっただろう。
千遍万華には、先程までも強い魔力を放っていた女の身の内の核石が、凄まじい勢いで、文字通り燃焼しているのがわかった。
それを証明するように、立ち上がった女の全身の肌が赤く染まり、無数の花が咲き広がるように、紫色の痣が浮かび上がっていく。
魔力によって肉体の代謝が急激に高まり、勢いを増した血流に耐えられなくなった血管が破裂しているのだと千遍万華は察した。
しかし、いったいどういうカラクリでそうなっているのかまでは、わからない。
「核石を燃やして肉体が崩壊するほどの魔力を得るなんて、さっきまでのあなたじゃないわね。なにをしたというの?」
俯けていた顔を上げ、シェジアは充血した目を千遍万華に向ける。
「答えてやってもかまわねえが、その間に私は死にますよ?」
「なんですって?」
シェジアは、立てた右手の親指で血が流れ出している左胸を指差す。
「あと、十数秒もすりゃあ体が限界を迎えます。それまでの時間はくれてやりますよ。だが、テメエの望みはおしゃべりすることでしたか?」
千遍万華の全身が、歓喜によって大きく震える。
この人間は、一瞬で命を燃やし尽くすという、己の理想の生き様、あるいは死に様を体現しようとしている。
しかも、その最後の時間を、己に捧げると言ってくれているのだ。
「人間さん……いいえ、たしか、シェジア・キーフェといったわね」
首を垂れ、腰を落とし、千遍万華は目の前の人間に、今の状況での最大限の礼を示す。
「感謝するわ。そして願わくば――」
礼の姿勢を崩すと、千遍万華は体勢を戻さず、鋭く長い葉を生やした右腕を振りかぶる。
対するシェジアも、相手の動きに合わせるように耀晶鞭剣を構える。
「あなたが私の死でありますように!!!」
ふたりが同時に得物を振るい、無数の火花が散る。
シェジアはかつてないほど研ぎ澄まされた感覚によって引き延ばされた時間の中、瞬きするほどの刹那に十合以上も打ち合い、軋む体をどうにか制御しながら、最後の攻防に持ち込めたことを幸運に思う。
膝から崩れ立ち上がれなくなった彼女は、千遍万華の意識が自分から外れた隙を突き、思う通りに動かぬ手を震わせながら、懐に忍ばせていたものを取り出した。
それは、ジャメサ達がバーンクライブの反乱勢力を壊滅させた際に回収したという魔道具だった。
その楔を体の特定の部位に突き刺すことにより、兵士たちは体内魔素を自在にコントロールできるようになり、耀晶器に付与された魔法の威力を最大限に引き出せるようになった。
しかし、シェジアは既に魔獣の核石を全身に移植するという、極めてハイリスクな手段で自らの肉体を改造していたため、さらに負担が増えるような真似は危険と判断し、使わずにいたのだ。
その判断は正しかったと、実際に使ってみて彼女は思う。
楔を胸に打ち込んだ瞬間、体内魔素が活性化したのだが、それと呼応するように核石の燃焼も劇的なものとなった。
魔増楔挿術を施したところでその魔力は、あまりに膨大かつ強烈であるため、制御することは叶わなかった。
おかげで体がもちそうにないが、ほんの短時間ながら、それまで核石が彼女の体にもたらしていた恩恵の、数倍の効果を得ることができたのだった。
残されたリソースをすべて使い切って攻防を制するため、シェジアの意識は集中力を増していく。
足を踏みしめ、腰をまわし、肩を動かし腕を振り、肘を曲げ、手首のスナップを効かせ、指先にさえ繊細に力を込め、放った耀晶鞭剣の切っ先まで神経が通っているように感じる。
波打つ刃は、ひと振りで無数の斬撃を生み出すが、すべて千遍万華の葉とぶつかり、互いに弾かれる。
そんな得物のぶつかり合いが、秒間に百も二百も起こり、両者の間の空間は飛び散った火花と衝撃波で満たされ、無数の波紋の上に灯火を落としたような、類例のない視覚現象を引き起こす。
ただそれも、ほんの三、四秒のことだった。
シェジアの腕の数カ所の皮膚が破れ、スプレーで吹いたように血煙が飛び散る。
人体では到底耐えられるはずもない動きに、まず、もっとも酷使している部位から限界を迎えたのだ。
コンマ一秒にも満たぬ時間の空隙に、千遍万華は歓喜と落胆を同時に味わう。
この強い人間が命のすべてを差し出した攻防に、己は勝利する。
しかし、これだけの逸材ですら己の命には届かなかった。
となれば、もはや人に期待などできないのではないか。
甘美な虚しさで胸を満たしながら、千遍万華は次の一合で相手の攻撃を圧し切り、両断するための斬撃を放つ。
バヅンッ
鈍い音が鳴り、続いて行われるはずの攻撃が、繰り出されることはなかった。
さまざまな植物を撚り合わせるようにして作られた千遍万華のアバターは、魔族ゆえに頑強ではあっても、構造自体は人体の模倣に過ぎない。
つまり、人が耐えられない動きには、このアバターもやはり耐えることができない。
だからシェジアと同時に限界を迎えたのは必然だと言えたが、同時に、ふたつの理由から損壊の度合いに差が生じた。
まず、即席でアバターを拵えて間もない千遍万華には、自分の新たな器への理解が足りていなかった。
だから、肉体の耐久限界を見誤った。
そしてもうひとつの理由として、千遍万華は植物ゆえに、痛覚がなかった。
だから、人であれば無意識に動きを抑えるところを、限界を振り切って腕を振るい、結果、腕が肩口から捩じ切れて捥げ飛んだ。
千遍万華は肉体の異変を察知すると、咄嗟に左手から葉を生やして攻撃を続けようとした。
しかし、リカバリーする間もなくシェジアが耀晶鞭剣で最後の斬撃を放つ。
彼女の右肩の関節も外れるが、刃は千遍万華の胴を左腕諸共に両断する。
下半身から斬り離された千遍万華の上体が宙を舞うと、シェジアは右手の耀晶鞭剣を手離し、左手で腰の鞘から耀晶短剣を抜きつつ一足跳びに間合いを詰める。
そして反撃も防御もできない千遍万華の胸の核石に切っ先を突き込むと同時にトリガーを引いた。