第四百三十節 『被虐の極み』
フレデリカの申し出に、〝血獣〟の面々は一瞬呆気にとられ、続いて皆が気色ばむ。
「はあ!? ふざけんな! 部外者がしゃしゃり出て来んなや!」
〝血獣〟の男のひとりが声を荒げると、フレデリカは不快げに眉根を寄せる。
「ふざけてんのはテメエらだろ。他に手立てなんてなんにもねえってのに、どうしてとっととやらねえんだ」
「あのなあ! その手立てってのを、さっきこいつが説明したのを聞いてたのかよあんた! このバカでけえ化け物を斃せる保証なんてどこにもねえってのに、こいつは全身に耀晶器をぶっ刺すって言ってんだぞ! 封印魔法とやらですぐには死なねえっつってもなあ、裏を返せば魔法が切れればその瞬間に死ぬってことだろ! そんな分の悪い賭けで仲間を死なせられるかよ!」
「おたくのボスもそこのメンヘラ女も、勝つためなら命を懸けるって腹ぁ括ってんだぞ。その覚悟に水を差すんじゃねえ」
「好き放題言いやがって! あんたに仲間を失うオレらの気持がわかるか!」
フレデリカの目が、スッと細くなる。
この世界に召喚されてから今日まで、彼女はほとんどの時間を戦場で過ごしてきた。
その間、革命戦争で、フィオーレでの戦いで、バーンクライブ軍〝王命・黒閃鉄騎団〟に対する迎撃戦で、ディエビア連邦での〝摂政〟討伐作戦で、自ら率いた隊の部下の多くが戦死した。
そして、異世界人ゆえ過去のない彼女にとって、仲間との死別に勝る無念はなかった。
だがこの場で、彼女はそんな己の気持ちを語ったりなどしない。
そんな時間的余裕はないし、あってもこいつらと傷の舐め合いをするなどごめんだ。
「命を棄てて戦ってこそ傭兵ってもんだろ。土壇場で動けなくなるような足手まといなら必要ねえぞ」
そう言ってフレデリカは、〝ムーンディガー〟の銃口を〝血獣〟の団員たちに向ける。
「て、テメエ!」
「いい加減観念しろや。さもなきゃひとり喪うどころか、全員仲良くお陀仏だぜ?」
フレデリカと〝血獣〟が互いに殺気を放ちながら睨み合っていると、ファンが困惑した様子で口を挟む。
「テメエら、さっきから私が死ぬ前提で話してやがりますけど、私はここでくたばるつもりなんざ、さらさらねえですよ?」
「……あ、な、なんだと?」
団員たちは戸惑いながら反論する。
「だっておまえ、全身に刃物を突き刺すんだぞ!? 死なねえわけねえだろ!」
「封印魔法が効いているうちに全部引き抜いて、味方と合流して治癒魔法で傷を塞ぎゃいい話じゃねえですか」
「いや、傷は塞げても、失血はどうにもならんだろう。全身を刺したら、治癒する前に致死量の血を失うはずだ」
「将軍のメイドが、増血魔法を使えたはずです。クソオヤジのコレクションにも入ってなかったレア魔法ですよ。それで失血は補えるはずです」
どうやらライフラインは確保されていたらしいと知り、〝血獣〟の団員たちは口を噤む。
「問題解決か? ならとっとと寄越せよ」
そう言ってフレデリカは銃口を下げ、ふたたび手を差し出す。
「……あんたの手は借りねえ。ファンはオレらの身内だ。任せてもらう」
「そうかよ。好きにしな」
〝血獣〟の団員たちは、ファンの前の窪みを避けつつ、彼女を囲むように集まる。
なおも顔に不安を浮かべる仲間たちに振り返り、ファンは諭すように言う。
「心配しねえでも、テメエらが思っているほど分の悪い賭けでもねえですよ」
「ああ?」
「この窪みは、核石を持った千遍万華のアバターが生まれた場所です」
「だからどうした」
「どんな生き物も体内に魔力の流れがあって、それが血管みてえに全身を走っているわけですが、魔獣の場合その中心にあるのが核石なんです」
「魔力の心臓みてえなもんか?」
「だいたいそんな認識で間違いねえです。で、ここから核石が出てきたってことは、この窪みは元々この大樹の核石が収まっていた場所と繋がっているはずなんです。そしてそこは、大樹の魔力の流れの中心だっつうわけです」
「……つまり、ここから純粋魔素を注ぐのは、人間で言えば心臓から伸びる大きな血管に、直接毒を流し込むようなもん、ってわけか?」
「そういうことです。実際、さっきこの窪みから大樹の魔力が漏れ出ているのを確認しました」
「わかった。そこまで考えてんならもう何も言わねえ。こいつの始末はおまえに任せるぜ、ファン」
仲間たちが次々と頷いたのを確認すると、ファンは正面へ向き直り、左手に持って開いた耀晶典籍の頁の上に、右の掌を置く。
「〝死命免延符〟」
呪文を唱えると、ファンの全身に薄青い色の細かな文字が浮かび上がり、その表面が仄かに光を放つ。
「おし、成功したみてえですね」
ファンは先んじて次に使う魔法の頁を開くと、背後の仲間に声をかける。
「んじゃ、やりやがれです」
彼女の後ろ正面に立つ男が、深く深呼吸した直後、引き抜いた耀晶短剣のトリガーを引き絞りながら、彼女の脇腹を突き刺す。
「っぐぅ!」
ファンの体が痛みに震えるのを柄を通して感じながら、男は仲間たちに促す。
「おまえらも、どんどん刺してけ! ただし頭と、念のため心臓と大きな血管はできるだけ避けろ!」
「あと肺と喉もな! 呪文を唱えらんなきゃ元も子もねえぞ!」
男の傍らの若い団員が、肩を突き刺す。
続いて、壮年の団員が腿に刃を突き立てる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!!」
体を突き刺されるたび、ファンは身を震わせ、口から圧し殺した呻きが漏れる。
「耐えろよファン! おまえが自分で立てた作戦だろ! 痛みで気絶なんてすりゃあ、ぜんぶ台無しになんぞ! だから歯ぁ食いしばってどうにか我慢を――」
「んぎもぢいぃぃぃぃいいいいいい!!!」
ファンの口から発せられた言葉を耳にし、〝血獣〟の団員たちは一斉に溜息を吐く。
「知ってた! そうだよな! おまえはそうなるよな!」
うんざりしたような仲間の声など届いていない様子で、ファンは半分白目を剥き、何ゆえか両手の人差し指と中指を立てる。
「しゅっ、しゅごしゅぎりゅ! こんな痛えの、は、初めれぇ!」
「くっそ! 魚みてえにびくびく痙攣しやがって! やっぱこいつ性癖を満たすためにこの作戦立てたんじゃねえか!?」
「心配してたのが、一気にアホらしくなってきたな」
「つき合ってらんねえぞ。おいまだ刺してねえ奴、早くやっちまえ!」
「そ、そうやって雑に扱われんのもまた、いいスパイスになりゅう!」
「やかましい!!」
次々と刃が刺し込まれ、還元中ゆえに光を放つ量産型耀晶器・乙型の刃を全身から生やしたファンは、傷から大量の血と、顔からは涙と鼻水と口の端から泡と、他にもいろいろな液体を体中の穴という穴から垂れ流す。
やがてすべての刃を刺し終えると、首から上以外は本人の体が見えなくなるほど耀晶器まみれとなったファンに、仲間のひとりが声をかける。
「おい! 終わったぞ! 生きてるか!」
「……い、生ぎ、い、ぐ――」
「わかったわかった! じゃあとっとと実験魔法とやらを使ってくれや」
「か、かはっ! 体、動か、にゃい」
「あ? ああ、たしかにこれじゃ、もう指一本動かせねえか。耀晶典籍は、どうにか手放してねえようだが。で、どうすりゃいい?」
「く、窪みに、もっと寄って……右手、を、その中、に、向けへぇ」
〝血獣〟の団員たちは、手にした耀晶器に力を込め、ファンの体を操り人形のように動かしていく。
すると傷から血が吹き出し、ファンと仲間たちを赤く染めていく。
その様子を離れて見守っていたフレデリカは、半ば呆れた様子で呟く。
「なるほど、〝血獣〟って看板に偽りなしか」
間もなく、ファンは大量の耀晶器に支えられ、窪みの中を覗き込むような姿勢で右手を突き出す。
「おいファン! これでいいのか!?」
「……上出来、れぇす」
失血のため蒼白となった顔に薄笑いを浮かべていたファンは、浅く息を吸い込み、短く唱える。
「〝我魔移譲〟」
その瞬間、耀晶器の放っていた光がファンの中へ吸い込まれ、掌から魔素の奔流となって放たれた。