第四百二十八節 『蚍蜉大樹を撼かす』
千遍万華が切り離した、巨大な根を蛸の触手の様にのたくらせる大樹から少し離れた岩の近くで、〝血獣〟の団員たちは身を寄せ合っていた。
岩は大きめの家屋ぐらいの大きさで、比較的細い根の直撃や、根が跳ね飛ばした土砂から団員たちを護ってくれるかもしれないと期待できた。
しかし巨大な根が振り下ろされれば、ひとたまりもなく砕けるだろう。
それでも、人の手ではどうしようもない大樹の暴走を前に、団員たちは為す術もない。
この状況をどうにかできる可能性があるとすれば、〝血獣〟唯一の魔導士で、複数の強力な魔法を発動可能な耀晶典籍を持つファンだけだ。
彼女は、シェジアと分断された際、大樹の暴走を止めるよう託されている。
だが、今現在、ファンは周りを仲間の団員によって護られながら、蹲って無心に耀晶典籍の頁を捲るばかりだった。
「おいファン! いい加減にどうにかしねえと、みんな揃ってペシャンコだぞ!」
焦った仲間に急かされ、ファンは頁に目を落としたまま応じる。
「うるせえですよ! 今必死にこの樹をどうにかするための魔法を探してんだろ! 気が散るから話しかけんじゃねえですよ!」
「燃やすんじゃダメなのかよ!?」
「このバカでけえ樹を燃やし尽くせる魔法なんざ、この世にねえですよ! そんな正攻法じゃこいつは殺せねえです!」
「正攻法以外なら、なんか手があるってことか!?」
「……ねえこたぁねえです」
「はあ!?」
周りの仲間達が、一斉にファンに詰め寄る。
「手があんならとっととやれや! なにを迷ってんだ!」
「そうだぜ! この状況じゃ、いつ根がオレらに直撃するかわからねえんだぞ!」
大樹はあくまで暴走しているだけなので、彼らを狙って攻撃しているわけではない。
だから今まで犠牲なく凌いでいられたが、裏を返せば、偶然真上から大きな根が振り下ろされれば、一瞬で全滅してしまう。
「テメエらに言われねえでも、んなことわかってんですよ!」
「だったらどうして――」
「こいつを始末すんなら、強力な酸とか、植物にも効く毒を、広範囲に散布するような魔法しか思いつかねえんですよ!」
「さ、酸?」
団員たちは戸惑った様子で互いの顔を窺う。
「つ、つまり、オレらも巻き添えになるってことか?」
「テメエらが死ぬ程度の犠牲なら、とっくに使ってるですよ!」
「ひ、ひでえな」
「でも離れて戦ってる頭だって巻き込まれるし、下手すりゃ王都の味方にも被害が及んで、この戦に負けかねねえです。それに、こいつを枯らしきるだけの魔法となると、この一帯の土地を酷く汚すことになるはずです」
「土壌汚染か」
「王都の近くでそれは、さすがにまずいか」
「そういうことです。こいつを枯らしたって、人が住めねえ土地になったんじゃ本末転倒じゃねえですか」
ファンが耀晶典籍に写した魔導書は、彼女の父親の遺産だ。
そのコレクションの大半は、禁止魔法や実験魔法をまとめた禁書に特化している。
そして、実のところ手段さえ選ばなければ、大樹を枯らせそうな魔法はいくつかあった。
しかし、そのいずれも、高すぎる代償を伴うため、ファンは使用できずにいたのだ。
「ただ、そのリスクを別の魔法で打ち消すことができるなら、強酸魔法だろうが猛毒魔法だろうが使えるわけです。だから今、この状況で使うべき魔法の組み合わせを探してんですよ!」
「し、しかしよ、もう時間が――」
団員は言葉を途中で止め、息を呑む。
もとより大樹とその葉に陽を遮られ薄暗かったが、急に周囲を濃密な影が覆ったからだ。
団員たちが咄嗟に頭上を見上げると、樹の根によって跳ね飛ばされた岩と土砂が自分たちの立っている場所へ降って来るのが認められた。
「や、やべえぞ! 逃げろ!」
「ダメだ! 間に合わな――」
身を竦める〝血獣〟の団員たちに、耳を劈くような金属音が届く。
一瞬の間を置いて土砂が降って来るが、予想外にその量は少なく、土で頭や肩が汚れるだけで済んだ。
「あ、あれ? 助かった、のか?」
「ヘイ! なにやってんだテメエら!」
声を荒げ、フレデリカが〝血獣〟に駆け寄る。
「揃いも揃ってなにぼっさっと突っ立ってやがる! 死にてえのか!」
「あ、あんたが岩を消し飛ばしてくれたのか?」
「テメエらのボスから頼まれたからな。仕方なくだ」
「今までどこ行ってたんだよ?」
「あの植物女が残してった寄生体を始末してた。いつまた動き出すかわからねえからな。んなことより――」
フレデリカは団員たちを掻き分け、ファンに詰め寄る。
「おい魔法使い! なんでテメエはなんにもしてねえんだ!?」
「ちっ! 二度も三度も説明させんなです」
「ああ!?」
「ちょっと、姉さんよ。こいつもただ手をこまねいていたわけじゃねえんだ」
近くの団員が、手短に説明する。
「……手段はあるが代償が大きすぎる、か」
「そうです。でも味方への被害を避け、酸や毒を中和するような魔法があれば――」
「ちょっと待てや。それが見つからねえからなんもできてねえんだろうが。だったらいっそ、その魔法を使う案は棄てて、他の手を考えてみるってのもありなんじゃねえのか?」
「他の手?」
首を傾げるファンに、フレデリカは近くの兵士が腰に差している耀晶短剣を引き抜いて刃を向ける。
「あ、おい!」
「連中の弱点は純粋魔素なんだろ? んで純粋魔素なら人体にとって毒にならねえと聞いてる。ならこの量産型耀晶器・乙型を使ってどうにかできねえのか?」
フレデリカの提案に、周囲の団員たちは溜息を吐く。
「そいつを根っこに刺して、刃を魔素へ還元するってのは、もう試した」
「相手がでっかすぎて、ビクともしなかったよ」
そう口々に言って首を振る団員らとは対照的に、ファンは表情を変え、なにやらぶつぶつと呟きはじめる。
「……純粋魔素を流す……場所はどこに……なら魔力の源は……でもそれだと私の体が……いやだったらそれを魔法で……」
「ファン? おいどうしたファン」
「閃いたです!!」
大きく眼を見開いて立ち上がったファンの勢いに圧され、団員たちは身を仰け反らせる。
「こ、これなら、いけるかもしらねえです!」
「はあ?」
「なに言ってんだおまえ。閃いたって――」
「ああ、うっせえ! とりあえず、そこ退けです!」
ファンの前蹴りを受け、近くに立っていた団員が倒れる。
「あ! なにすんだ!」
「いいから道を開けやがれです!」
密集していた団員たちが左右に割れると、ファンは大樹に向かって駆けはじめる。
「どうしたんだ、あいつ」
「ついてってみりゃわかんだろ。行くぞ」
フレデリカを先頭に、皆はファンの後に続いて走りだす。
樹の根はなおも暴れまわり、大地は地震のように振動しているため、皆幾度も立ち止まり、時には転倒する。
それでも、運良く全員無事に大樹へ辿り着く。
ファンは根元をよじ登り、樹が窪んでいるところで身を屈める。
そこは、千遍万華が人に模した体を生み出した場所で、萎びた花托が残されている。
その縁に手を当て、ファンは目を閉じる。
「……強い魔力の流れを感じる。やっぱり、ここならうってつけです」
彼女に続いて根元を登って来た仲間たちは、戸惑った様子で問う。
「いったいどうしたってんだ! たしかに樹の幹に引っ付いてた方が、根の被害を受けずに済みそうだってのは盲点だったがよ」
「んなことたぁどうでもいいです! それより、こいつをどうにかする方法を思いついたんですよ!」
「お……おお、マジか」
団員たちは色めき立つ。
「それで、どうするんだ!?」
「テメエら、まずは量産型耀晶器・乙型を抜きやがれです!」
耀晶器を持たないフレデリカ以外の全員が、ファンに従い小型の得物を抜く。
「抜いたぞ! 次は、どうすりゃいい!」
「全員、そいつで私をぶっ刺すんです!」
希望を示され綻んでいた団員たちの顔が、ファンの言葉で瞬時に凍り付いた。