第四百二十七節 『殲光』
「美しい」
背後から聞こえた声に振り返ったミラは、広がった粘液の上の金泥の人型が、薄笑いを浮かべて自分の方へ顔を向けているのを認める。
「亡くした兄君への心遣い、兄の死の原因となったティファニア軍人への赦し……やはりあなたは容姿だけではない、心根も美しい乙女だった」
ミラは金泥に体を向けるよう立ち位置を変え、さり気なくレミリスの姿を背に隠す。
そして、ないはずの目から滝のような涙を流す黄金の人型に問う。
「あなたとは初対面のはずですが、今の短いやりとりだけで、私のなにがわかるというのです?」
「わかりますとも。私には人の本質を見抜く能力があるのです」
首を傾げるミラを指差し、金泥は称えるような口調で告げる。
「そう! あなたの本質は〝無垢〟! 純真であるがゆえに怒りも恐怖もなく、ただ己の善性を示すことができるのです!」
「……無垢?」
レミリスは、ミラの肩が微かに震えたのに気付く。
「私が汚れていないと? ハリストン奪還のため血刀を振るい、敵の命を奪い味方の屍を越えて来た私が?」
「ほう! そのような戦歴があるとは! しかし、卑しき者共の血も命も、あなたを穢すことなどできなかった! 素晴らしい! 戦場という汚濁に咲く一輪の花! それがあなただ!」
金泥の賞賛(と当人は思っている)の言葉は、ミラに届いていない。
先程まで感情をおもてに出さなかった彼女は、眦を釣り上げ口元を歪めている。
「戦場にいながら無垢でいる? ヴァニちゃんみたいなことを言うんですね」
ミラは、本国に置いてきた友の顔を思い出す。
自分が汚れていないのだとすれば、それは彼女が進んで汚れ役を引き受けたからだ。
しかし、そんなことは望んでいなかったとミラは思う。
軍を率いる者として、己は真っ当に汚れ、命を背負わなければならなかったのだ。
大切に想っている友が、そんな己の想いを汲もうとせず、自分が負うべき咎さえ掠め取った挙句、死にかけたことを、ミラは未だ赦せずにいる。
「ああ恋しき乙女よ! 私は益々滾ってきましたよ! 何者も穢すことの叶わなかった尊き人! 究極の純真! それをわ、私が、今から侵すのだ!」
「尊き人? 私が? 他人に汚れを肩代わりさせて、自分だけ綺麗でいた私が?」
会話、というにはあまりに噛み合わない言葉を交えながら、両者は煮えたぎるような感情を胸の内に膨らませていく。
「行きますよ我が愛しき君! 今度こそこの抑えきれぬ想いの迸りをあなたに届けてみせましょう!」
「不愉快ですよあなた。賢しらに人のことを語るその厚かましさ、私には到底受け入れられません。ここで打倒します」
両者は感情のまま力をぶつけるため動こうとするが、一瞬早くふたりを制するように第三者の声が響く。
「〝氷槍雨落〟!」
レミリスがそう唱えた直後、街を呑み込む金泥の上に、無数の氷塊が出現する。
「む? これは……私たちが言葉を交わす間に、乙女の背後に隠れ私に気付かれぬよう詠唱していたのか!」
そう気づいた金泥は、落下を始めた氷塊に意識を向ける。
ひとつひとつが人間ひとりと同程度の質量で、どれも下に向かってつららの様に尖っている。
落下した先で直撃を受ければ、串刺しにされるはずだ。
「しかし、だからどうしたというのです! この私にそんなものが通用するとでも!?」
揶揄するように叫んだ金泥を無視して、レミリスが声を張る。
「テト!」
青い獣人が銅板屋根を蹴り、落下中の氷塊に向かって跳んだ。
「なに!?」
思わぬ行動に、金泥はテトを注視する。
彼女は落ちて来る氷塊を足場にして空中を移動していく。
その動きの意図するところが、己に対する攻撃ではなく、逃走だと気付き、金泥は彼女を捕らえようとして触手のように粘液を伸ばす。
だが、ただでさえ動きが緩慢なうえ、重力に引かれて思うように伸びない粘液では、オメガ並みの脚力を誇るテトを捕捉することなどできない。
あっという間に建物の屋根から遠ざかり、金泥の広がった範囲外への脱出に成功する。
「くっ! まあいいでしょう。ケモノ如きでは、せいぜい前菜にしかなりません。逃がした分はメインをじっくりと味わって……」
姿を消したテトを諦めた金泥が、残ったふたりに意識を戻すと、彼女たちが屋根の上に居ないことに気付く。
「なぁっ!? ど、何処に――」
だがすぐに、レミリスを抱えて上空に逃れたミラを発見する。
「どっ、何処へ……何処へ行こうというのですか!! あなたたちは、否、あなただけは絶対に逃がしませんよ我が愛しの君! あなたは今日ここで、侵して腐らせ私とひとつになるのです!!!」
巨大な体を上空に向かって伸ばそうとする金泥を見下ろし、ミラは呟く。
「逃げませんよ。言ったでしょう、打倒すると」
ミラの首に腕をまわしているレミリスは金泥の攻略法を伝える。
「奴は不定形種の例に漏れず、欠片でも残せばいくらでも増殖する。それでいて魔法への耐性が非常に高い。殺しきるには核石を砕くしかないが、何処に隠しているのかがわからん」
「なるほど。では私が核石を露出させますので、とどめは閣下にお任せしてもよろしいですか?」
「それは、もちろんだが、いったいどうやって?」
「まあ見ていてください」
眼下で蠢く巨大なスライム状の怪物に向け、ミラが開いた掌を差し向けると、魔法陣が展開される。
「〝榴散光爆雨〟」
魔法陣がら無数の光弾が放射状に発射され、シャワーの様に地上へ降り注ぐ。
光弾は指先程度の大きさながら、数が膨大なうえに、直撃すると閃光を放って炸裂する。
嵐のような爆撃を全身に浴び続け、金泥は絶叫しながら悶えるように収縮する。
「な、んという破壊力だ」
断続的に放たれる光弾の雨を見下ろし、レミリスはおもわず身を固くする。
「中域殲滅魔法です。これならこの巨大な相手でも、全体を満遍なく攻撃できます。そして、金泥が核石を己の弱点と認識しているのであれば……」
ミラは氾濫する光の中に目を凝らす。
すると、その身を蒸発させ、徐々に質量を減らしている金泥が、巨大な体の一点に粘液を移動させ厚みを保とうとしているのに気付く。
「そう。当然弱点は守ろうとするものです」
光弾の斉射が止み、魔法陣が消える。
「何故攻撃を止める」
「より強力な攻撃を、一点に向けて放つためです」
ミラは開いていた掌を手刀に変え、先端に魔力を集中させる。
その魔法に覚えのあるレミリスは、慌ててミラを止める。
「待て! それは威力が強すぎる! 他の街区まで巻き込めば味方に被害を出しかねない!」
「兄が使うのを見たのですね? 大丈夫、私は兄程の威力では放てませんし、そのうえでできる限り力を抑えます」
手刀の先端に光が凝集し、あまりの眩さにレミリスが目を閉じかけたところで、ミラの声が響く。
「光よ討ち掃え! 〝輝煌閃〟!」
地上へ向けて光線が放たれ、金泥のメタリックな体に直撃すると、周囲一帯を白一色に染めながら熱波が大気を掻きまわした。
閃光が王都全体を包み、人も魔族も等しく視界を奪われる。
その膨大なエネルギーをもろに浴びた金泥は、体の半分が一瞬で消滅し、残りの半分も粘液状ゆえに衝撃波を浴びて四散した。
数秒で光が収束すると、地上は抉られすり鉢状に大きく凹んでいた。
その中心付近に、赤熱した黒い石が、半ば土に埋もれるようにして転がっている。
その下から、ゴボリと音を立て、金の粘液が湧き出でる。
粘液はぶくぶくと泡立ちつつ徐々に増え、盛り上がって石を覆い隠そうとする。
その表面が凹んで穴が開き、内側に舌のようなものが形成され、人の口らしきものが生まれる。
「……ゴブッ……ゴボボッ……」
ヘドロをかき混ぜているような耳障りな音が鳴っていたかと思うと、それは少しずつ人の声に似た響きに変化する。
「……ゴベッ……おブッ……うヴィえぁ……」
金泥の口は、喘ぐように言葉を漏らす。
「……エじぇンぃ……ぬぁイ……んジ、じにダく、ぬぁいぃ……」
その中心に、光の刃が打ち込まれる。
僅かに再生していた金泥の粘液体は数秒震えると、動きを止め、黒く色褪せて溶け広がり、土に沁み込んでいった。
光の刃は残された黒い石を貫いており、その表面に亀裂が走った直後、真っ二つに割れ、内側から黒い汚染魔素の靄が立ち昇って消えた。
対魔戦式耀晶刀弐型から、長い光の刃を伸ばしたレミリスが、ミラに支えられて上空から降りて来る。
地上に降り立ったふたりは、割れた金泥の核石を見下ろし、レミリスは光の刃を消す。
「斃したようですね」
「……ああ」
〝魔視〟で周囲を窺うが、金泥の気配は完全に消失している。
飛び散った粘液は少しの間動き続けるかもしれないが、核石を失った以上、すぐに干上がるはずだ。
「あなたのおかげだ。感謝の言葉もない」
レミリスが頭を下げると、ミラは相好を崩して首を振る。
「お互いさまです。私も、私の国も、あなたたちに助けられました」
「そうか」
蟲の通信でテトの無事を確認すると、レミリスは周囲を見渡す。
街区ひとつ金泥の中に沈んで壊滅し、最後まで残っていた銅板屋根の建物も、ミラの魔法の巻き添えで跡形もなく崩れている。
復興には時間と人手を要するだろう。
「……生きていればどうとでもなる、か」
「え?」
小さな呟きを聞き逃し、ミラが首を傾げる。
「いや、おかげで約束を守れると思ってな」
そう言ってレミリスは穏やかにほほ笑んだ。