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第四百二十五節 『愚者』

 たったふたりでありながら、地形を活かしたゲリラ戦を繰り広げるレミリスとテトに、保有する核石を一方的に削られ続けた金泥(エルドルブロ)は、業を煮やして最終手段に出た。

 地中に潜めていた己の体を、一気に地上へ浮上させたのだ。

 金泥の全体積は、広がれば街ひとつをまるごと呑み込むほどに大きい。

 だから、家々の屋根伝いに移動していたレミリスたちが気付いた時には、周囲一帯は金色の粘液に満たされ、洪水のようなありさまとなっていた。

 当然、物質を腐食させる金泥に触れた建物は、見る間に腐って崩壊していく。

 王都は今や魔王軍のホームタウンゆえ、できればその街を破壊するような手段は採りたくなかったと金泥は思う。

 戦いの後、猿猴将(マジルゼラール)からはなんらかのペナルティを課せられるかもしれない。

 それに、他の魔族から反感を買う可能性も高い。

 だが、知ったことか。

 今や己を害することのできる存在は、魔王と幻獣ぐらいのものだ。

 魔王は黒曜宮に籠って下界になど興味を示さないし、幻獣は猿猴将によって王都を追われた。

 戦って他の〝近衛〟に負けるとも思わない。

 そして、魔族にとってなにより優先されるのは、調和や秩序ではなく、力であるはずだ。

 であれば、街区ひとつ潰す羽目になろうと、他の魔族に忖度(そんたく)する必要などない。


「おかげで奴らは、今や袋のネズミ」


 あとはゆっくりと追い詰め、恐怖に怯える様を楽しんだ後、苦痛に泣き叫ぶ奴らをじっくりと味わいながら溶かすだけだ。

 (はや)る気持ちを抑えながら、金泥は地表に露出させた体を流動させる。



 周囲の建物が次々と金の粘液に沈んでいく中、レミリスとテトはこの街区でもっとも高い建物の上に追い込まれていた。

 非市民区の建物の多くは木造ゆえ、金泥が周囲一帯を満たしているのにふたりが気付いてから、逃げる間もなくほとんどの足場が腐り崩れて沈没した。

 ただ、ふたりが退避した建物は石造りだったがために、どうやら倒壊の危険はなさそうだ。

 しかも、かなり大きく高さもあるため、この状況では避難先にうってつけだった。

 建物の正体は、ミツキの協力者であった非市民区の商人イリス・ゾラの営んでいた商会の本部だ。

 ミツキたちが王都を去ってから、避難民を雇用した商売で大成した彼女は、街の拡張のついでに弟たちの勧めで立派な社屋を建てたのだった。


「こんな建物があるとはな」


 市民区でもあまり見ないほど大きく豪壮な建物が非市民区の街中に建っていることに、レミリスは違和感を覚えるが、おかげで助かった。

 ただ結局、死ぬまでの時間が僅かに延びただけらしいと、すぐに気付く。

 周囲を満たす黄金の粘液が、海の潮が満ちるように、その高さを増しはじめたからだ。

 レミリスたちを追い詰めた金泥は、彼女らの乗っている建物を中心に、己の身を縮め始めたのだ。

 広く街を覆っていた金泥は、収縮するほどに盛り上がっていく。

 いずれはふたりが登った建物の屋根さえ呑み込むだろう。


「……ここまでか」


 レミリスは、完全に詰んだということを受け入れないわけにはいかなかった。

 金泥の本体は分厚く、もはやダミーも含めて核石がどこにあるのかわからない。

 わかったところで、自分の魔力では、対魔戦式耀晶刀(ヴェリスサージュ)弐型を使っても、これだけの質量の粘液を貫くことなどできない。

 さらに、いくら縮まろうとも、金泥が覆っている範囲は未だ広大だ。

 テトが跳躍したところで、その外へ逃れるのは無理だろう。

 ただし、それは先程までのように、己を抱えていた場合だ。


「テト」


 名を呼ばれ、周囲を窺っていた獣人が振り返る。


「ろうした? この状況(りょうきょう)打破(らは)する妙案を思いついたのか?」

「いや。だが貴様ひとりであれば脱出させることができるかもしれん」

「なに?」

「私が魔法で氷塊を降らせる。金泥の上に落ちても、沈むまでには多少時間がかかるはずだ。貴様ひとりであれば、その上をとび跳ねて粘液の外へ逃れられるのではないか?」

「それれ、あなたはろうするのら?」

「さすがにどうしようもない」

「ひとり残って奴の餌食(えりき)になると?」

「不本意ではあるがな」


 テトは眉間(みけん)に皺を寄せ、舌打ちする。


(あなろ)るな。仲間を見捨ててひとりれ逃えるような卑怯な真似あれきるか」

「なにを言っている。ふたりでここに残ったところで、なにもできずに死ぬだけだ。だから貴様ひとりだけでも――」

「くろいろ! らいたいあなたを見捨ててひとり逃えのいて、メイロ長にろんな顔をして会えというのら! それならここれ死んらほうあマシら!」

「……くそっ!」


 レミリスは膝をつくと、足場の銅板屋根を殴りつける。

 敵を討つどころか、アリアの腕とテトを犠牲にしながらここで果てるのか。

 敗因は明白だ。

 対魔戦式耀晶刀弐型による先制攻撃で魔族の弱点である核石を破壊するというプラン自体は悪くなかったが、失敗した際にとるべき次善の策がなかった。

 そもそも、今回の作戦で己は、自分以外の人間を勘定に入れていなかった。

 アリアもテトも、本当は他の班に組み入れたかったが、己に同行すると強硬に主張し、カナルやミツキにも説得されてふたりの申し出を渋々受け入れたのだ。

 その結果が、この状況だ。

 ふたりの助けがなければ、己は最初に対峙した時点で金泥に殺されていた。

 しかし、仲間を犠牲にしながら最後まで挽回もできなかった。

 何故、そんなことになったのか。

 結局己は、この期に及んでも、心の深いところでは自らの死を望んでいたのだろうとレミリスは思い至る。

 かつて、たくさんの仲間を犠牲にしながらも闇地より生還してから、己はずっと罪悪感と後悔に苛まれてきた。

 敬愛していた仲間が自分を庇って影人間となり、彼を解放するためだけに生きてきたが、その目的は果たした。

 だがその行動が結果的に魔王を生み出し、償いのためこれまで力を尽くしてきたが、心はとうに限界を迎えていた。

 本当は、罪を上塗りし続けるような生に疲れ果て、すべてを放棄し終わらせたかった。

 作戦の詰めが甘かったのも、ここで死ぬことを無意識に受け入れていたからだろう。

 そんな己の本心を敏感に察知していたからこそ、空中要塞の甲板でミツキは己を叱咤(しった)し、アリアは別れ際に再会を約することで、生還させようとしたのだ。

 だがそんな仲間の心遣いさえ、死を目前にするまで気付くことができなかった。


「……救いようのない愚かさだな」


 とっくにわかってはいたが、莫迦(ばか)は死ぬまで治らないらしい。

 そんな彼女を(あざけ)るように、哄笑(こうしょう)が響く。


「ふほほほほ! いがみ合いは終わりですか!? どうせもうすぐふたりとも腐れて死ぬのです! 最後は存分に腹の内をぶちまけ合ってはいかがですかな!?」


 耳障りな声に、レミリスは顔を上げる。

 周囲を満たす黄金の泥の一部が盛り上がり、顔に大きな口だけが開いた人型が姿を現す。


「さあもっと見せてごらんなさい! あなたたちの気高き魂が、死の恐怖を前に濁っていく様を! それこそが、私にとってこのうえなき娯楽――」


 言葉の途中でその首が両断され、金の粘液の中へ落ちる。


「黙っていろ」


 対魔戦式耀晶刀弐型の柄から光の刃を伸ばし、レミリスがゆっくりと立ち上がる。


「たしかに私は愚か者ではあるが、下種(げす)に嘲られる筋合いはない」

「……なるほど。死の恐怖にも屈しない、というわけですか。さすがは私が見込んだ御方だ」


 建物周囲の粘液がボコボコと泡立ち、そこから無数の金泥の体が浮き上がってくる。


「「「もう少し怖がらせて楽しむつもりでしたが、心が折れぬのであれば致し方ありません! 体が腐る苦痛に(さら)されれば、さしものあなた方も取り乱すでしょう! その姿と味をじっくりと楽しませていただきますよ!」」」


 金泥たちが両腕を拡げると同時に、粘液の上昇が加速する。

 レミリスは光の刃を振るい、金泥たちを両断していくが、それが相手にほとんどダメージを与えないと理解している。


「せめて一矢報(いっしむく)いたかったが、これまでのようだな! テト、貴様の忠節に報いることができなかった私を、どうか許してほしい!」

「……なにか来る」

「なに?」


 光の剣を振るっていたレミリスが、呟きを耳にしてテトの方へ振り向くと、猫の獣人は頭上を見上げていた。

 彼女の視線をなぞったレミリスは、上空を巨大な飛行物体が飛び去って行くのを目にして息を呑む。


「ディエビア連邦の爆撃機!? どうしてここに――」


 航空機は一瞬で北へ飛び去ったが、機体から放たれた光が自分たちの方へ向かって来るのにレミリスは気付いた。

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