第四百二十四節 『浄化の光』
影人間である讐怨鬼は汚染魔素によって命を保っている。
ゆえに、汚染魔素を浄化する純粋魔素を流し込まれ、致死毒に侵されるのと等しい苦痛を感じて絶叫する。
「ぎぃぇぁあぁあぁああああああああああああああ!」
ジャメサはようやく致命的な一撃を加えた相手を逃がすまいと、腕に力を込めて刃を押し込みつつ前へ出る。
だが、ここで誤算が生じた。
讐怨鬼の持つ汚染魔素は、七百年もの歳月をかけて蓄えられたうえに、魔王から注がれたものまで加わり、他の魔族とは一線を画すほど膨大だ。
だから量産型耀晶器・乙型の純粋魔素還元量では、短時間での浄化には至らない。
凄まじい勢いで汚染魔素を失いながらも、讐怨鬼はティファニアに対する怨念に衝き動かされ、一歩前へ踏み出す。
結果、双方が歩み寄る形となり、両者の間合いは肘の関節から先を斬り飛ばされた腕が届くほどに縮まる。
全身が総毛立つほどの悪寒と不快感を腹に覚え、ジャメサが視線を下げると、讐怨鬼の両腕の断面を押し付けられているのに気付く。
剥き出しになった讐怨鬼の腕からは汚染魔素が立ち昇っており、ジャメサの体は接触箇所から浸食され、黒い穢れが広がっていく。
「ぐっ、がぁあぁああああああぁああああああ!」
今度はジャメサの方が叫声をあげる番だった。
まるで、凍りつきながら燃えるような、得体の知れない苦痛が全身へ広がっていく。
それと同時に、己のものではない強烈な負の感情が心に流れ込み、思考がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
「ふはは! 迂闊、だったな、ティファニア兵! ぎ、貴ぃ様も、憎しみに、染めてやる!」
讐怨鬼の嘲笑を耳にし、ジャメサは押し付けられた腕を払いのけるため、刀を手放して左腕を持ち上げようと試みるが、体の自由が利かない。
それどころか悪意に心が塗り潰され、己が何者なのかわからなくなっていく。
痙攣しながら口の端から泡を吹き溢し、白目を剥きかけているジャメサに向け、讐怨鬼は勝ち誇ったように宣う。
「無駄、だ! 貴様如き凡夫が、有史以前より人類が垂れ流し続けてきた悪意の淀みに、抗う術などない! 余と同様に穢れ、ティファニアに、災厄をまき散らす存在と、成り果てるがいい!!」
そう叫んだ直後、讐怨鬼は背後から衝撃を受け、脇の後ろに鋭い痛みを感じる。
「なっ!? なん、だ!?」
眼窩に刃を差し込まれたまま、ジャメサがなおも踏みとどまっているため、振り向くこともできずに狼狽する讐怨鬼に、背後から声が届く。
「おいおい、私の仲間になにをしてくれてるんだ? ええ?」
「その、声ぇ……さっき吹っ飛ばしてやった、風魔法を使う槍兵か!? い、生きていたのか!」
「ぎりぎりだけどね。防御魔法がなければたぶん死んでたよ」
半壊した建物の中から這い出て来たティスマスは、全身の打撲と腹の負傷に耐えながらも讐怨鬼の背後へ近寄り、鎧の隙間から左脇深くへと耀晶短剣の刃を押し込んでいた。
讐怨鬼は咄嗟に振り払おうと身を捩りかけるが、今度は右の腰あたりに激痛が走る。
「ボクもいるよ」
「ぐぅぁ! こ、今度は、何者だ!」
「酷いな。さっき鐘塔ごと吹っ飛ばしておいて、もう忘れたの?」
盲目の女剣士の技を真似て、遠距離から足場の塔諸共に斬り払った狙撃手のことを、讐怨鬼は思い出す。
エウルは敵の飛剣の直撃をすれすれで跳び下りて躱すも、落下した近くの建物の屋根に叩きつけられ、受け身を失敗して利き腕を解放骨折していた。
こうなってはもう、弓兵としては役に立たない。
それでも認識阻害のマントで身を隠しながら近付いて機を窺い、ティスマスの動きに合わせて仕掛け、片手で構えた耀晶短剣を讐怨鬼の腰へ突き込むことに成功したのだ。
「下郎、共がぁ! ティファニアの兵の分際で、姑息にも背後から不意を突き、王族を弑そうというのか!! あの頃からまるで変わらぬ浅ましさ!! やはり貴様らは、余が手ずから討ち滅ぼさねばならん!!」
「なに言ってるのこの人。殺されそうな友だち助けるのに、なり振りなんて構っていられないよ」
「何百年も未練たらしく復讐にしがみついて生きてるあんたの方がよっぽど浅ましいって。いい加減終わらせてやるよ」
ふたりは視線を交わすと、呼吸を合わせて得物のトリガーを引く。
耀晶器の刃が同時に光を放ち、先程までの三倍の純粋魔素が讐怨鬼に流れ込む。
「あぁあぁぁあぁああぁああぁあぁああぁあああ!!! おぉおのれぇ!! おのれ!! おのれぇぇえ!! 呪ってやる!! 永遠に呪ってやるぞぉ!! ティファニアぁああああああああああああああ!!!」
強烈な光に包まれながら讐怨鬼は断末魔とともに怨嗟の叫びをあげる。
やがて武器から伝わっていた手応えが消えたことで、三人が指の力を抜き、トリガーが押し戻されると、刃の輝きも収まった。
一瞬の間を置き、讐怨鬼が傾いた直後、その体が崩れ、鎧が石畳の地面に落ちて、けたたましい音が鳴り響いた。
同時に、汚染魔素を失ったことで急激に風化した讐怨鬼の体は、白い灰のようなものとなって周囲に散らばり、風に運ばれどこかへ消えた。
「ぐはっ!」
讐怨鬼が鎧を残して消え、目の前で膝を折ったジャメサに、ティスマスとエウルが身を寄せる。
「ジャメサ!」
「大丈夫!?」
己を覗き込むふたりに顔を向け、ジャメサは問う。
「や、奴は、どうなった?」
「斃した! おまえの手柄だよ!」
「え? もしかして見えてないの?」
「ほ、ほとんどな、目が、霞んで、ぐうっ!」
苦痛に顔を歪めるジャメサの体を蝕む汚染魔素は、消えていない。
それどころか、装備ごと彼を黒く染め続けている。
「これは……汚染が広がっているのか」
動揺するふたりに、ジャメサは苦笑いを浮かべながら乞う。
「すまないが……とどめを頼みたい」
「はあ!?」
たじろいだエウルが声を荒げる。
「なに言ってるの!? ボクたちは勝って、生き残ったんだよ!?」
「こ、このままでは、オレは直に、影人間となる。自分でわかる……体だけでなく、心も侵されてるんだ。今も誰かの憎しみや殺意が流れ込んで、もうすぐにでも正気を失いそうだ。だがオレは、できれば人として死にたい。だから、急いでくれると、助かる」
「そ、そんなこと、できるわけ――」
途方に暮れるエウルの横で、ティスマスが耀晶短剣を構える。
「ちょっ!? ティス! まさかジャメサを殺すつもり!?」
「落ち着きなってエウル、そうじゃない」
ティスマスは戸惑いの表情を浮かべるエウルから、ジャメサへ視線を移す。
「汚染魔素なら、こいつで浄化できるはずだ」
「あ、そうか!」
「ただジャメサ、おまえはもう体の内側まで浸食されているように見える。だから――」
刃の切っ先を、ジャメサの脇腹に向ける。
「おそらく讐怨鬼と同じようにしなければ、浄化できないだろう」
刃を突き刺した状態で還元するということだと察し、エウルは息を呑む。
ジャメサも理解したらしく、息を荒げながらも口の端を釣り上げ、頷く。
「エウル、おまえもやるんだ。讐怨鬼を見たろ? 私の耀晶短剣一本じゃ足りないかもしれない」
「うぅ、わかったよ」
エウルは内臓を傷付けぬ位置に刃を向ける。
急所を貫く術は心得ているが、仲間の急所を貫かぬように刺す羽目になるなどとは思ってもいなかった。
「いくぞ」
ティスマスの合図で、ふたりは同時に刃を突き出す。
肉を刺し貫いた感触に顔を顰めながら、間髪入れずにトリガーを引いた。
還元された王耀晶の放つ凄まじい閃光がジャメサを包み、心を侵していた負の感情諸共、彼の意識は眩いばかりの光の中へと消えていった。