第四百二十三節 『集大成の一撃』
ジャメサの手から折れた刀が滑り落ち、足元の石畳に転がる。
「……ジョージェンスの、フュージと言ったか」
ジョージェンスは、一応同盟国のはずだ。
他国から応援が来るとは聞いていないが、とにかく助かった。
しかも、フュージと名乗った男は、自分達が束になっても敵わなかった讐怨鬼と、今のところ互角に渡り合っている。
どうやら己の役目はここまでのようだ。
そう思いながらも、ジャメサは軋みをあげる体で立ち上がる。
「……まだ戦う気か?」
己自身に問い掛け、考えるまでもないと気付く。
まだ腕も脚も動く。
ならば最後まで兵士としての本分を貫くまでだ。
腰のベルトに固定した革の鞘には量産型耀晶器・乙型の短剣を差している。
ただ、讐怨鬼を相手にするには心許ない武器だ。
ジャメサは後ろで倒れているトモエに視線を向ける。
彼女の長巻は讐怨鬼の一撃を受け砕けている。
しかし、腰には未使用の打ち刀と小太刀が差してある。
ジャメサは体を引きずるようにしてトモエに歩み寄ると、腰の刀を鞘ごと引き抜き、気を失ったままの彼女に短く声をかけた。
「借りるぞ」
残像によって矛が数十本に分かれて見えるほどの速度で突きを繰り出しながら、フュージは戸惑っていた。
己の動きは〝雷纏・鳴〟によって飛躍的に向上している。
並みの使い手であれば反応すらできず突きを浴び続け、数秒で挽肉を包んだ屑鉄の塊に成り果てているはずだ。
ところが目の前の敵は、身の丈ほどもある巨大なだんびらを盾代わりにして、すべての攻撃を防いでいる。
力も体捌きも常人離れしている。
魔法であらゆる能力を底上げした己と、ほぼ互角の実力だ。
業腹だが、それ自体はあり得ないわけではない。
かつて義兄弟の盃を交わしたラムドゥールや、今や自国の代王となったラース・ヘルツ、そしてなによりミツキのような規格外の実力者であれば、己の全力の攻めを捌ききることも可能だろう。
ただ、この鎧武者は雷を乗せた突きを鉄剣で受けている。
何の対策もしていない生身の人間であれば、突きを防いだところで感電は免れない。
そして、痺れて動けなくなるどころか、重度の雷撃傷を負い、最悪ショック死するはずなのだ。
にもかかわらず、敵は電撃をものともせずに動き続けている。
そもそも雷が効くのであれば、初撃で行動不能となっていたはずだ。
おそらく、纏っている骨董品のような鎧にでも防御魔法が付与されているのだろうとフュージは推察する。
だが、その読みは、外れている。
たしかに、王族の装備だけあって讐怨鬼の鎧には、かつては複数の魔法が付与されていた。
しかし、七百年もの歳月を風雨に晒され、魔法はとっくに消失していた。
ではなぜ讐怨鬼に雷撃が効かないのかといえば、彼が汚染魔素に侵された影人間だからだ。
汚染魔素は魔法を吸収する。
ミツキは義体に封じた汚染魔素のその性質を利用することで、他人の魔法を義体に吸収して留め、使用するという能力を得ている。
自我を残した影人間というだけの讐怨鬼にはミツキのような能力こそないが、魔法は汚染魔素を膨れさせ、力を与える餌となる。
そんな相手の性質など把握していないフュージは、攻撃を受けるほどに敵の反応速度が増し、手数で圧倒していたはずが、防御を突き崩すどころかかえって堅固になっていると悟り、焦りを覚える。
元々、速攻でかたをつけるつもりではあった。
〝雷纏〟の強化版である〝雷纏・鳴〟は、出力を増した分、体内魔素の消耗が激しい。
長時間使用すれば、あっという間に魔素欠乏を起こしてしまう。
にもかかわらず、己の消耗に反比例するように、相手は状況に順応している。
これ以上長引けば程なく形勢は逆転し、疲労によって動きに精彩を欠いた己は敗北を喫することとなるだろう。
そうなる前に一気に決着をつけてやる。
覚悟を決めたフュージは、突きを弾かれたふりで一歩跳び退きつつ呪文を唱える。
「〝紫震電雷〟!」
強力な雷撃魔法が讐怨鬼に直撃し、周囲は紫の光に包まれ雷鳴が響き渡る。
だが当然、ここまで電撃が通じなかった讐怨鬼には効果がない。
ただし、閃光と音は相手の知覚を遮り、一瞬の隙を作る。
フュージは矛の間合いの内へと大きく踏み込みながら、左腕を突き出し掌打を放つ。
その腕は、ラムドゥールの形見の耀晶器だ。
フュージは自国の首都マージ奪還に際して、魔族軍〝摂政〟人貌蝶への奇襲に失敗し、左腕を喪失している。
ラムドゥールの死後、彼の義手でもあった耀晶籠手を受け継いだフュージは、義兄弟の技を再現することに成功していた。
鳩尾に受けた掌打から発せられた魔力の波動を浴び、讐怨鬼はその身を大きく跳ねさせる。
辛うじて倒れずに踏みとどまるも、全身を痙攣させる讐怨鬼の様子に、フュージはたしかな手応えを感じる。
掌打から流し込まれた魔素は、魔法によってなんらかの性質を付与されたものではない。
つまり、汚染魔素にとっては毒とも言える純粋魔素に近い。
だから雷撃とは異なり、讐怨鬼は重篤なダメージを受けていた。
ふらふらと後退る敵に対し、フュージは好機と見てふたたび左腕を振りかぶりながら前へ出る。
もう一撃を叩き込めば、さしもの讐怨鬼も行動不能となっていただろう。
だがフュージは、讐怨鬼の復讐への執念を見過ごしていた。
「んごっ!?」
こめかみに衝撃を受け、フュージは大きく吹っ飛ばされる。
掌打を突き出した彼の側頭部に、讐怨鬼の裏拳がヒットしたのだ。
綺麗にカウンターが決まったため、完全に意識を刈り取られ、白目を剥いたまま動かない。
讐怨鬼はギクシャクとした動きで、倒れ伏したフュージへ近寄っていく。
「よ、余、の、復、讐を、邪魔す、す、す、る者、は、何人、た、た、たりと、も許しは、せ、せ、ぬ! さ、さ、先に、貴様、を、始末し、それか、ら、こ、こ、今度こそ、てぃ、ティファ、ニア、を――」
もう一歩で、フュージの首を刈ることのできる間合いというところで、不意に讐怨鬼の歩みが止まる。
ぎこちない動きで振り返ると、背後に傷だらけの兵士が立っていた。
身を引きずってどうにか讐怨鬼に追いついたジャメサだ。
「き、貴様、ま、だ」
しかし、トモエから拝借した差料は鞘に納まったままで、両腕はだらりと下ろして身構えることさえできていない。
どうやら、最後の執念で剣の間合いにまで迫ったものの、そこで遂に力尽きたのだろうと讐怨鬼は察する。
「終、わ、り、だ」
讐怨鬼は剣を大きく振り上げると、微動だにしないジャメサの頭頂部目がけて振り下ろす。
同時に、ジャメサの右手が素早く刀の柄を掴んで抜き払われると、讐怨鬼の両腕の肘から先が、剣を握ったまま斬り飛ばされた。
そのひと振りは、ティファニア軍兵士としての、ジャメサのルーツとも言うべき技。
ミツキが決闘で彼を負かした、居合術だ。
納刀状態から放たれる、必殺の抜き打ち。
百戦錬磨の己が知らぬその剣技に魅せられ、彼はミツキに教えを請い、血の滲むような修練によって刀術を練り上げたのだ。
さらに、分厚い金属の甲冑を断ったのは、バーンクライブ軍の精鋭、〝王命・黒閃鉄騎団〟との死闘の中で習得した技術だ。
ほとんど隙間のない鉄騎兵の鎧に刃を通すため、ジャメサ達は戦の最中に命懸けの修練を積み、魔閃砲と鉄騎という最新鋭の兵器で武装した敵を刀剣だけで斬り伏せていったのだ。
それに比べれば、もはや骨董品に等しく、しかも長年風雨に晒され歪んだ鎧の関節部を両断することなど、ジャメサには児戯に等しい。
「バ、カな、腕、を!」
驚愕のあまりよろめいた讐怨鬼の、兜のバイザーのスリットを目掛け、ジャメサは逆手に持った耀晶短剣を突きこんだ。
そして眼窩に深々と突きさ刺さった手応えを得た瞬間、小指と薬指で鍔元のトリガーを引くことで、刃を還元し純粋魔素を発生させた。