第四百二十二節 『迅雷』
ふたりを見送ったアニエルは、足早に伝声管へ近寄ると、操縦席のヴァンに指示を出す。
「フュージとミラを降ろした。ふたたび飛行性の魔族が襲って来る前に、最後の目標へ向かってくれ」
「あの巨大な樹ですね?」
「そうだ。上空からこのオレたちが降下した後は速やかに離脱し、予定通り第三副王領のジュランバー要塞を目指すのだ」
「了解」
王領の北に位置する第三副王領のその要塞は、かつて民兵軍を組織した際、要塞に収まりきらぬ兵のキャンプ地とするため、周囲の平野を広く均していた。
魔族の勢力圏外で航空機の着陸ができる場所としてはもっとも距離が近い。
航空機で応援に駆けつけることを想定し、事前にミツキから知らされていた情報だった。
機体が針路を変えると、アニエルは降下に備えてパラシュートを背負いはじめる。
「……あの樹、我らでどうにかなると思うか?」
クリッサの問いに、アニエルは苦笑いを浮かべる。
「無理だろうな。あれはおそらく人の手には負えん代物だ。ただ、ミツキであればどうにかできるだろう」
天龍の核石を吸収したミツキは〝咆哮〟を習得しているはずだ。
あの攻撃であれば、天を衝くような巨大な樹も、文字通り根こそぎ吹き飛ばせるだろうとアニエルは確信する。
シュパリエの周囲を飛行し、上空から炎を放って死体の山を焼き払うところを見ているだけに、クリッサも納得する。
「では私たちが向かう必要などないのではないか? 不用意に近付けば、あの暴れまわっている根に潰されかねんぞ」
おそらくはミツキから討伐の助勢を依頼された敵であるとわかっていながら、後回しにしたのはそれが理由だ。
「それなら街の兵たちを支援した方が貢献できるのではないか?」
「いや、ああして姿を現し暴れている以上、未だあの樹の魔族と戦っている者たちが居るのかもしれん。あれの討伐はできずとも、あそこからティファニア兵を救出することぐらいは可能であろうよ」
「ん、そうか」
気後れした様子のクリッサに、アニエルは笑みを消して伝える。
「まあ、気乗りせんなら無理につき合う必要はない。そなたは〝大聖女〟の側近で、今や軍を束ねる立場にあるのだろう。危険をおかすわけにはいかんというのも仕方のないことよ」
「見くびるな」
クリッサは厳しい視線をアニエルに返す。
「ティファニアから受けた恩はあまりに大きい。だがそれは必ず外交によって返すつもりだ。ただ、ミツキにはマルリットの命と名誉を救ってもらった。こればかりは簡単に報いることなどできん。ならばせめて、マルリットの名代たる私が体を張るしかあるまい」
「ふっ。いい覚悟だ。精霊騎士の心意気、しかと見せてもらった」
アニエルはふたたび不敵な笑みを浮かべると、手を振りかざし、無駄に大きな声を発する。
「ではともに行こうではないか! ティファニアとミツキへの義理を果たすためにな!」
クリッサはあくまで冷静に応じる。
「いや、私は空から行くので、別々にな」
一方地上では、讐怨鬼が頭上を見上げたまま呟いた。
「そうか……あれが魔導兵器か。余の時代にはなかったな、あのようなものは」
最初は得体の知れぬ飛行物体に驚き戸惑っていた讐怨鬼だったが、魔王の記憶を辿り人間の兵器であると気付いた。
その記憶によると、上空の飛行物体には地上を爆撃する機能があるはずだった。
だから、敵が街ごと自分たちを殲滅しようと送り込んできたのかと警戒し、空を見上げ続けていたのだが、一向に攻撃して来ない。
そのうち高度を下げると、飛行性の魔族が撃墜しようと一斉に飛び立った。
ただ、少しの間、旋回する飛行物体を追っていたものの、強力な攻撃魔法で返り討ちにされ、生き残りは慌てて飛び去って行った。
ともあれ、結局爆撃するつもりはないらしい。
そう判断し、讐怨鬼はようやく顔を下げ、相対するジャメサにあらためて剣を向ける。
「待たせたな」
「くっ!」
讐怨鬼が空を見上げている間、ジャメサは膝をついたままその場から動けずにいた。
満身創痍となった今、もはやジャメサには長い時間動くだけの体力は残されていない。
まして、背後で倒れているトモエを担いで逃げることなど不可能だった。
耀晶刀が折れてしまった以上、もはや地を這う斬撃も使えない。
だから、隙を見せる敵を前にしても、ジャメサには為す術もなかった。
そうとわかっていたからこそ、讐怨鬼もあえて彼を放置していたのだ。
「では愚かなティファニア兵よ、己が非力を呪いながら逝くが――」
ジャメサから盗んだ技である地を這う斬撃でとどめを刺そうと剣を振り被った讐怨鬼の声と動きが、途中で止まる。
なんだ、と思うジャメサの耳が、遠くから近付いて来る男の声を捉えた。
「トーモーエーちゃーんーにぃー……」
讐怨鬼はふたたび頭上を見上げると、剣を下ろして丸盾を構えた。
「なぁにさらしてけつかんねやボォケがあぁ!!!」
怒声とともに、緑の雷が讐怨鬼に落ちる。
それは、矛を構え雷を纏った細身の男だ。
己に向かって突き出された矛の穂先を、讐怨鬼は丸盾で受け止めていた。
が、その凄まじい勢いに押され、石畳を砕きながら退がっていく。
「がっ! な、んだ、コイツは!」
「受け止めたやと!? ワイの渾身の一撃を!?」
両者は互いにたじろぐも、讐怨鬼の後退が止まり、数秒の圧し合いを経て、フュージと盾が同時に弾き飛ばされる。
宙返りして着地したフュージに対し、讐怨鬼は剣を杖のように突いてその身を支える。
「ちっ! 仕損じたわ。まあええ。電撃で体痺れて動かれへんやろ。ちょい待っとけや」
フュージは背後を振り向くと、ズタボロの状態で転がっているトモエを確認し顔を歪める。
「くそっ! もっと早う着いとれば、こんなことには……」
だが同時に安堵も覚える。
意識は失っているようだが、呼吸のため微かに体が動いている。
フュージは視線をずらし、膝立ちで折れた刀を構え、困惑の表情を浮かべた男を見る。
どうやらこいつがトモエを護ったらしいと察する。
そしてこの男自身も、彼女に劣らず傷だらけの血塗れだ。
「そこのティファニア兵!」
声をかけられたジャメサは、ただ無言で相手を見つめ返す。
いきなり空から降ってきた男の正体がわからず、どう対応したものかわからない。
フュージはかまわず続ける。
「ええ気概や。褒めたるわ。うちの国の兵にも見習わせたいぐらいや」
「……うちの、国?」
戸惑うジャメサに背を向けると、フュージは矛を構える。
「奴はワイが始末したる。それまでトモエちゃんを任せたで」
讐怨鬼も剣を持ち上げ、フュージに切っ先を向ける。
「貴様、何者だ。何故余の復讐の邪魔をする」
「オドレの復讐なんぞ知らんわ。せやけどまあ、名前ぐらいは教えといたる」
フュージは派手に槍を振り回し、即興の演舞を披露する。
「ワイは現ジョージェンス王選将が筆頭、〝雷槍〟のフュージ・ディッツや!」
名乗りを上げたところで、矛の穂先を讐怨鬼に向けて止まる。
「ジョージェンス? 聞いたこともない国だな」
「ああ? なんやと?」
「どこのカッペか知らんが、余の前に立ち塞がったこと後悔するが良い」
フュージのこめかみに青筋が浮かび、怒りで口元が引き攣る。
「誰がカッペやねん。それに、人に名を訊いて自分は名乗らんのかい」
そう言いつつ、腰を深く落とし、足先に力を溜める。
「まあええ。トモエちゃんをいじめた奴や。ワイもこれ以上無駄口叩くつもりはない。〝雷纏・鳴〟!」
ふたたび雷を纏うと、落雷のような音を伴い凄まじい速度で踏み込んだフュージは、矛を突きながら吠える。
「バチボコにしばき倒した後、首ぃもぎ取ったるわ!」