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第四百十八節 『卑しき黄金』

 後に金泥(エルドルブロ)という名で呼ばれることとなる魔族は、元々は闇地の奥で他の生き物の死体や排泄物にたかって生きるアメーバ状の単細胞生物に過ぎなかった。

 その生き物が、汚染魔素によって自我を得た瞬間に感じたのは、比類のないほどの劣等感だった。

 食物連鎖からさえ弾かれたこの世界でもっとも矮小(わいしょう)で卑しい生き物。

 そんな己の存在に絶望し、自分以外のすべての高等生物を妬んだ。

 中でも、万物の霊長を自認する人間に対しては、魔獣・魔族がおのずと感じる憎悪も手伝って、強烈なルサンチマンを抱いた。

 ただ同時に、高貴なる者に対しては、強烈な羨望も感じずにはいられなかった。

 生まれついて卑しき己には、どう転んでも手の届かぬ高嶺の花。

 そんなものは、犯して腐らせ、己以下の存在に(おとし)めなければならない。

 だから金泥は、この世のすべての尊き者を(けが)すことを求めるようになった。

 そうしてすべてを穢し尽くせば、相対的に己こそが高貴なる存在となる。

 そんな渇望が汚染魔素による進化を促し、他の多くの魔族を圧倒する力を金泥に与えた。

 そして高貴なる者への憧れが、その身を貴き色である黄金に染め上げたのだった。



 複数の分体に分かれてティファニア軍の女たちを捜す金泥は、頭上からの不意打ちを受け胸の中の核石を砕かれた。


「なっ!?」


 背後から己を貫く光の刃の先、近くの建物の屋根の上で、レミリスという女騎士が魔力の剣を構えている。

 核石は他の魔族を殺して得たダミーなのでダメージはない。

 だが、それでも金泥は憤る。

 この核石は、己が力で得た勝利の証だ。

 かつては、この世でもっとも卑しく非力だった己が、今は他の魔族を食い物にする立場に登り詰めた。

 そんな己の戦利品を、よりにもよって高貴なる者の手で壊されるなど、決して受け入れられることではなかった。


「小賢しい真似を!」


 金泥はすかさず黄金の粘液をレミリスに向け放つ。

 しかし、人の肉を吸収した際の、甘美なる味を感じない。

 避けられ逃げられたのだと金泥は気付く。


「くっ! ちょこまかと逃げ回りおって! それが高貴なる者の戦い方か!」


 姿を消したレミリスに届くよう、金泥の分体たちはそれぞれ異なる方角を向いて声を張る。


「出て来なさい! そして正々堂々と勝負するのです! それが高貴なる者の義務というものでしょう!」

「私は逃げも隠れもしません! なぜ人の中でも尊き存在たるあなたが卑しき私から逃げ回るのです!」

「あのメイドはどうなったのですか!? 死んだのですか!? 少なくとも腕一本は失くしたのでしょう! 仇をとろうとは思わないのですか!?」


 すると、分体のひとつがふたたび奇襲を受け、胸の核石を射抜かれる。

 金泥たちは即座に攻撃の構えをとるが、青い残影を残してレミリスは姿を消す。


「そうか、あの獣女が奴の足になっているのか」

「粘液の動きはどうしても緩慢になる。ゆえに私では奴の動きに対応できない」

「しかしそれならそれで、こちらにも考えがある」


 複数の分体がそれぞれにしゃべると、金泥たちは寄り集まってひとつにまとまりはじめた。



 民家の屋根に突き出た煙突の陰に隠れ、テトは息を整える。

 特別膂力(りょりょく)が強いわけでもない彼女は、レミリスを抱えて建物の上を跳びまわり続けたことで体力を大きく消耗していた。

 傍らに腰を下ろしたレミリスは、周囲に警戒しながらテトを気遣う。


「大丈夫か?」

「あ、はぁ、ああ、問題(もんらい)、ない」

「すまんな。私たちふたりだけでは、こんな戦い方しか思いつかなかった」

「謝ることなんて、ない。今のところ、うまくいっているらろ」

「そう、だろうか」


 アリアを仲間に託した後、レミリスはテトを伴い、金泥と戦うため非市民区の街中へと戻った。

 といっても、あらゆる攻撃が効かないという相手に正面から挑むのは無謀だ。

 だから、建物の(ひし)めく非市民区ならではの地形を利用することにしたのだ。

 金泥は土中に潜んで地面から姿を現す。

 ならば建物の上を移動すれば、奴の奇襲を受けることも、こちらの動きを悟られることもない。

 それに、足のない金泥は、屋根の上に跳躍(ちょうやく)して追って来ることもできない。

 地上からの攻撃も。建物の陰に隠れればやり過ごすことができる。

 ただ、複数の体に分裂し囲まれれば、民家程度はあっという間に腐食され足場を崩される。

 そうして地上へ落ちれば、奴らが一斉に群がり、取り込まれて溶かされ終わりだ。

 だからそうならぬよう、レミリスが対魔戦式耀晶刀弐型で金泥に一撃を加えては、テトが彼女を抱えて逃げるという、一撃離脱のゲリラ戦で対抗することに決めたのだ。

 目論見通り、今のところ金泥はふたりの戦い方に対応できていない。

 既に、最初に砕いたものを含め、相手の核石を十個破壊している。

 平然としているところを見ると、すべて他の魔族から奪ったダミーだったようだが、このまま核石を狙い続ければ、いずれ奴自身のそれを壊すことができるかもしれない。

 そう考え、本当にそうかと自問する。

 金泥の分体は、皆これ見よがしに核石を体の内に容れている。

 間違いなく、こちらを攪乱(かくらん)するためだとレミリスは理解している。

 だとしたら、その中に自身の核石を紛れ込ませたりするだろうか。

 己が奴なら、分体にはすべてダミーを容れておくとレミリスは思う。

 そして本物は見つからないところに隠しておくのだ。

 たとえば土中であれば、自分たちには見つけることができない。

 奴が地中より姿を現したことを鑑みれば、その予想が当たっている可能性は高いだろう。

 そんな核石を壊すのなら、地面ごとあたり一帯を吹き飛ばすほどの威力の魔法でも放つ以外に、方法は思いつかない。

 そして、騎士である彼女には、そこまで高威力の攻撃魔法は使えない。

 二級程度の魔法であればいくつか会得しているが、一級殲滅魔法となると個人で使用できる魔導士はごく限られている。

 軍で運用する際には、複数の魔導士が協力して発動するのが一般的だ。

 魔族相手に対人用の広域魔法を使うのは、魔力の消費ばかり激しく斃しきれない可能性が高いため、非効率と考えられている。

 ゆえに一部の例外を除いて、味方にも使える者はほとんどいないはずだ。

 〝勇者〟ヴィエン・シンの放ったような、魔族にも通用する広域殲滅魔法となればなおさらだ。


「……火力がほしいな」


 おもわず呟いたが、ないものを求めても意味はない。

 幸いと言っていいのか、たとえダミーでも、核石への攻撃を金泥は嫌がっている。

 そして、自分たちを殺すことに固執しているように見える。

 ならば今の攻撃を続けることで、奴が他の仲間へ向かうのは防げるはずだ。

 そう己を納得させたところで、テトがそわそわと周囲を見回しているのにレミリスは気付く。


「どうした?」

「いや、なにか……なんら?」


 要領を得ない回答に、レミリスは首を傾げる。

 ただ、見た目通り動物的な勘を持つテトがなにか感じているということは、十分警戒に値するはずだ。

 そう考え、立ち上がろうとしたところ、足元が傾き、咄嗟(とっさ)に煙突に手をついて体を支える。


「どうしたのだ!?」


 耳をピクピクと動かしたテトが、屋根の上を這うように動き、地上を覗き込む。


「ま、まういろ!」

「ん? マズい、と言ったのか?」


 レミリスは足元に気をつけながら、足早にテトへ近付き、自らも下を見る。

 その顔が、急激に青褪(あおざ)めていく。


「こ、れは……!」


 眼下の通路を、金色の液体が満たしている。

 その液体に触れている建物は腐食し、徐々に沈んでいた。


「くっ!」


 建物の反対側に走って下を覗くと、同じような状況だった。

 それどころか、この周囲一帯に金泥の体が広がり、少しずつその(かさ)を増しているのがわかった。


「いかん! すぐにここから離れて――」


 言い終える前に、周囲の建物が次々と倒壊する。


「奴め! こんな体積が――」


 言葉の途中で、テトがレミリスの体を抱える。


「テト!?」

足場(あしわ)あなくなる!」


 テトは焦燥を隠さず、駆け出しながら続けて言う。


「奴は逃げ()を失くして、周りの建物ぅおと私たちを呑み込むつもりら!」

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