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第四百十七節 『タナトスの花』

 肉体を得た汚染魔素、後の魔王が大闇地帯の奥地で自分自身、つまり大量の汚染魔素を散布したことで、それに侵された魔獣は膨大な情報を得て自我を獲得し、魔族となった。

 魔族自身からすれば、自我が発生した瞬間、唐突にこの世界と己自身を認識することとなったのだ。

 闇地で芽吹いてから、数千年の時をかけて大樹となったある植物は、自我が発生した瞬間、己自身の悠久の生に対して、深い失意を覚えた。

 他の生き物が生を謳歌する中、自分は生きることに歓びも恐怖も抱くことなく、ただただ無感情にその根と幹を伸ばしてきた。

 そんな生にいったいどんな価値があるだろう。

 たしかに、花実が他の命の糧となり、枝や幹が生き物たちに住処を提供し、散らした葉が肥沃(ひよく)な土を育み、根が地盤を支え、地中に水を貯え、森を形成するのに大きく貢献はした。

 だがそれは、自分自身が望んだものではない。

 そんな己に比べ、定命の種族が送る生は、あまりに鮮烈だ。

 捕食して命を繋ぎ、命を脅かす存在から逃れ、繁殖して分身を生み出し、病や老いに蝕まれ朽ちていく。

 ひとつひとつの生の行程に、彼らは一喜一憂する。

 さながら、(まばゆ)く輝き一瞬で燃え尽きる、マグネシウムの燃焼反応の如き印象を、その植物は他の生き物の命に対して抱いた。

 その中でも、とりわけ強く惹かれたのが、〝人〟という種の生だ。


 汚染魔素は人の放散した負の感情に染まっている。

 だから自我の獲得とともに、その植物は人類の歩んだ負の営みの歴史を、一瞬のうちに追体験することとなった。

 己の利のためあるいは欲のため、他者を害し時に殺め、盗み騙し裏切り犯し、見下し嘲り妬み憎み恨み執着し依存し愛しその果てに死ぬ。

 長くて百年という、その植物にしてみれば一瞬の間に、人はあくまで自分自身のため濃密な生を楽しむのだ。

 それに比べて、数千年もの間、ただただ無為なる生を送り、自らの意思とは関係なく他の何者かのために差し出し続けた己の、なんと虚しくくだらぬことか。

 だからこそその植物は〝人〟という種族に対し、強烈な羨望を抱いた。

 そして己も、己自身のため何もかもかなぐり捨て、一瞬のうちに命を燃やし尽くしたいと願うようになったのだった。



 笹のように細く滑らかで、刃の如く薄く鋭い葉が鞭のように振られ、耀晶鞭剣(ヴェリスケイラ)とぶつかり無数の火花を散らした。

 シェジアは剥き出しになった巨大な樹の根の上を駆けながら、音速を越える速度で得物を振るう。

 その動きを真似るように、千遍万華(サウズフラブレム)も手から生やした葉を武器に見立てて応戦する。


「ちっ!」


 攻防の最中、シェジアはおもわず舌打ちする。

 千遍万華の酔ったような笑みが目についたからだ。

 続いてその耳に敵の声が届く。


「すごいわ人間さん! やっぱりあなたを選んで良かった! 体ひとつで私とここまでわたり合えるなんて! でもまだ足りない! もっともっと頑張って! そして私を殺して! さあ!! さあ!!!」

「イカれ女が!」


 シェジアは耀晶鞭剣を大きく振って千遍万華の葉を弾くと、跳び退(すさ)って一旦間合いを取る。

 タフな魔族と違い、人間は傷を受けなくとも疲労によって消耗する。

 疾走しながらも、瞬きするほどの間に高速の斬撃を重ねるシェジアなら、尚のことインターバルは必要だ。

 しかし、魔族の千遍万華がそんな人間の事情に忖度(そんたく)する理由などない。


「逃げてはダメよ」


 千遍万華は掌の中に生み出した種を握り込むと、つい先ほどまで自分自身の体だった木の根に拳を叩き込む。

 一瞬で種から発芽した蔓が、根の中を圧し割るように(はし)り、シェジアの足元を突き破って現れる。

 蔦は瞬時に先端の形状を変え、獣の顎のような器官を形成して彼女に襲いかかる。

 しかしシェジアは体を回転させることで、己に纏わりつかせるように鞭剣を振り、喰らい付こうとする植物の顎を幾重にも斬り裂く。


「さすがね。ではこれはどう?」


 千遍万華の肩から芽が生えたかと思うと、顔程の長さの豆の(さや)が次々と生る。

 緑の鞘はみるみる色を変え、黄色から茶色に至った途端、破裂音とともに弾ける。

 弾丸同然の速度で放たれた無数の豆を、シェジアは凄まじい速度で振るった鞭剣で撃ち落とす。

 命中は免れたが、休むどころか更なる負担を受けた体が(きし)みをあげる。

 それに、相手の手数が多いうえに多彩すぎるのが厄介だ。

 今の連続攻撃には対処できたが、次の一手も防げるとは限らない。

 やむなくシェジアはふたたび間合いを詰める。

 すると千遍万華は満足げな様子でほほ笑む。


「そう、それでいいの。命の削り合いこそ闘争の醍醐味でしょ? 逃げていたらつまらないわよ」

「勝手なことを、言ってくれますね」


 ジリ貧だ、とシェジアは思う。

 自らの死を望むと言っておきながら、千遍万華は手を抜く素振りさえ見せない。

 あくまで全力で戦った果ての死でなければ意味はないと考えているのか。

 このままでは程なく体の疲労がピークを迎え、動きが鈍ったところを押し切られ敗北を喫することとなるだろう。

 それを避けるためには、自ら仕掛けて相手より先に攻め勝つしかない。

 シェジアがあえてギアを上げ攻撃速度が上がると、千遍万華も夢中になって手数を増やす。

 そうして敵の意識を攻撃に向けたまま、シェジアは木の根の上を駆け、さり気なく相手を誘導する。


「いいわ! その調子よ! やればできるじゃない人間さん! もうちょっとで私の命に届くわ! ほら、頑張れ頑張れ!」


 戦いにのめり込む千遍万華に対し、シェジアの頭は冷えていく。

 攻撃の合間のほんの刹那に、意識を周囲に向け地形を観察する。

 根の上を走り下っていくと、周囲に他の根が絡み、立体的な迷路のようになっていく。

 自分たちの向かう先に、頭上の太い根から枝分かれした細い根が垂れ下がっているのに気付き、シェジアはこれだと思う。

 千遍万華を引き付け、垂れ下がった根を挟むような位置に来た瞬間、シェジアは耀晶鞭剣を頭上に向けて振るう。

 耀晶鞭剣に当たるはずだった千遍万華の葉は、そのままシェジアの体を斬り裂き、肩口から血が噴き出る。


「へ?」


 思いがけず己の攻撃が命中したことで、千遍万華は呆気(あっけ)にとられる。

 千遍万華にしてみれば、この戦いで相手を殺して生き残るのは、本意ではない。

 己が相手を殺すにしても、己も相手に殺されなければ望みは果たされないのだ。

 だから千遍万華は動揺し、一瞬、意識に隙が生じる。

 一方シェジアは、攻撃を受けることを予測していた。

 ただし、ぎりぎりで急所は避けている。

 出血が続けば死ぬだろうが、それまでに決着をつければ問題ない。

 そんな二人の間に、耀晶鞭剣によって切断された木の根が落下する。

 一瞬視界を遮られるも、さして大きくもない根はすぐに落ちて転がり、ふたりの間から消える。

 だが、千遍万華の視界が塞がれた瞬きする程の間に、シェジアはの量産型(ヴェリスヴェ)耀晶器(イプ・ロア)・乙型の短剣を投擲(とうてき)している。

 狙いは千遍万華の胸の核石だ。

 しかし、意表を突いてなお、千遍万華は短剣を叩き落とす。

 動揺を誘って意識の隙を作り、視界を塞いで攻撃への反応を遅らせ、それでも千遍万華の弱点に攻撃を通すことはできなかった。

 が、シェジアはそれも予想していた。


「あぐっ!?」


 頭部に衝撃を受け、千遍万華の上体が仰け反る。

 その頭には、シェジアの手斧が突き刺さっている。

 弱点を狙った短剣を囮にして、カーブを描く軌道で手斧を放っていたのだ。

 勝機と見てシェジアは、耀晶鞭剣を振り上げながら大きく踏み出す。

 植物である千遍万華には脳がないはずなので、頭の深手も致命傷にはなり得ない。

 だが全身を満遍なく斬り裂かれれば容易に再生はできまい。

 そしてシェジアの実力であれば、体勢を崩した相手を一瞬で引き裂くことなど雑作もないことだった。


 しかし、シェジアの斬撃が放たれることはなかった。

 踏み込んだ足から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 振り上げた腕も、辛うじて耀晶鞭剣を握りながら、だらりと下がる。


「な……んだ?」


 唐突に己の体の自由が利かなくなり、シェジアは戸惑う。

 ただすぐに、以前にも一度同じような経験をしていると思い出す。

 大闇地帯で暴走したトリヴィアを制圧しようとして反撃された直後も、吐血し体が動かなくなった。

 今は血こそ吐いていないものの、あの時以上に急速に肉体の感覚が失われつつある。

 魔獣の核石で無理矢理性能を引き上げていた肉体が、遂に限界を迎えたのだとシェジアは思い至る。


「……さっきまで燃え盛るようだった魔力が、急激に萎んでいる」


 千遍万華が体勢を戻しながら、頭に刺さった手斧を引き抜く。

 シェジアを見下ろすその顔は、失望と落胆に沈んでいる。


「もう一歩で、私の命に届いたというのに……先にあなたの命が尽きてしまうなんてね。本当に残念だわ」


 冷めた口調でそう言うと、千遍万華は手斧を放り捨てた。

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