第四百十五節 『猿猴将』
猿猴将の言葉を受け、オメガが鼻を鳴らす。
「奴はオレの相手をしてえとよ。好都合じゃねえか」
「いかにも罠っぽいけど大丈夫か?」
「考えるまでもねえだろ。元より奴の相手がオレの仕事だ」
ミツキは口を引き結ぶと猿猴将に視線を向ける。
「話はまとまったようですな。ではミツキ殿は、あちらの階段へ」
大猿が指差した先に、これまで登って来たものと同程度の幅の、巨大な階段が上へ延びている。
「上のフロアに繋がっております。この王宮は三層構造となっておりまして、最上層が玉座の間となります」
「そうかい。ご丁寧にどうも」
最後にもう一度、ミツキはオメガに視線を向ける。
「わかってるな? おまえが追い付かなきゃ話にならないんだ。あんなのに時間をかけるなよ?」
「油断するなっつったかと思えば速攻で片付けろか? ったく、わかったからとっとと行っちまいな」
「……後でな」
王耀晶の床を砕いて駆け出したミツキは、一瞬で階段まで辿り着き、駆け登って行った。
「それでは始めましょうか。私とあなたの戦いを」
猿猴将の言葉を、オメガは鼻で笑う。
「はて、なにがおかしいのですかな?」
「はっ! 〝私とあなた〟だあ? 〝私たちとあなた〟の間違いだろ」
オメガの指摘に、猿猴将は口の端を釣り上げる。
「ほう? さすがは犬人間。鼻が利くようですな」
続いて大猿が耳を劈くような吠え声を発すると、直方体の影から屍喰猩々が次々と姿を現す。
「ったく何匹居やがるんだ? めんどくせえ」
「ここは我ら屍喰猩々のコロニー。王の腹心たる私の一族は、特別に黒曜宮に縄張りを持つことを許されているのです。そしてこの王宮に侵入する不届き者があれば、一族総出で始末するのだ」
「だったらテメエ、ミツキを行かせちまったのはまずかったんじゃねえか? 警備員の役目を果たせてねえじゃねえか」
オメガの指摘を受け、猿猴将はほくそ笑む。
「ご心配には及びませんな。黒曜宮の中層には、最後の護衛たちを配置しております。我が魔王軍の切り札にして、総合的には我ら〝近衛〟すら凌ぐ戦力ですからな。たとえミツキ殿とて易々と突破することは適いますまい。よしんば切り抜けたとしても、消耗は必至。魔王様とわたり合う余力など残らないでしょう」
「……テメエはナメすぎだ。オレのことも、ミツキのこともな」
身を低めたオメガが顔の前で両腕を交差させると、爪の先からバーナーのように炎の刃が噴き出す。
「たしか〝炎爪〟とかいう技ですな。魔王様より授かった知識で存じておりますぞ。しかしこれだけの数を相手に近接戦を挑もうとは、そちらこそ我らを侮っているのでは?」
「思い上がんな。猿如きに本気を出す必要なんざ――」
「〝炸熱礁爆炮〟」
「なっ!?」
唐突に、猿猴将が突き出した掌より放たれた光球が炸裂し、爆炎と粉塵が噴きあがる。
生き物のように膨れあがる煙を突き破って跳び退ったオメガが、宙返りを繰り返してから着地した。
左腕を押さえた右手の指の隙間から血が滴り、オメガは痛みに顔を顰める。
「ちっ! 今のはまさか――」
「その通り。人間の魔法です」
手負いのオメガを見下ろしながら、猿猴将はしたり顔を浮かべる。
「最初に魔王様の薫陶を賜ったこの私は、汚染魔素の恩恵によりふたつの能力を身に着けました。そのひとつ目が、脳を喰らうことで相手の能力を奪うというものです」
「脳を……」
嫌悪感から、オメガの表情が険しさを増す。
「じゃあ今の魔法も」
「さよう。人間の脳を喰らって奪ったものです。元々の使い手は、たしかこのティファニア王都の王宮で我らに挑みかかってきた騎士でしたな。そ奴自体は情けない男でしたが、魔法はなかなかのもので重宝しておりますよ。〝祝福持ち〟というのでしたかな? 威力もさることながら、無駄な詠唱を必要としないのがいい。他にも私は魔王様に付き従い、幾多の戦場をわたりながら、数え切れないほどの人間の脳を喰らってきたのです。今となっては、私ほどの魔法の使い手は人間にもいないでしょうな」
得意げな猿猴将に、オメガは吐き捨てるように言う。
「人間の魔法なんざいくら使えたところで問題になるかよ。今のは油断したが、わかってさえいりゃオレの脚ならもう喰らわねえぞ」
「果たしてそうですかな?」
猿猴将がバチリと指を鳴らすと、周囲の屍喰猩々たちが一斉に腕を突き出す。
その掌に熱を帯びた魔力が膨れ上がるのを確認し、オメガは一歩後退る。
「こ、こいつら、まさか――」
「そう! 私のもうひとつの能力とは、群れの配下との能力の共有! 私が使うことのできる魔法は、すべての屍喰猩々が使うことができるというわけですなぁ!」
「マ、ッジか!」
「「「〝炸熱礁爆炮〟!!」」」
屍喰猩々たちの放った魔法がたて続けに弾け、黒曜宮の下層フロアは轟音と振動に支配される。
しばらくして、ようやく法撃が収まると、猿猴将は爆撃地点に視線を向け目を細める。
「……ふむ」
熱を孕んだ煙が渦巻き、視界が利かない。
猿猴将は風の魔法で吹き飛ばそうと口を開きかけるが、大きく眼を見開き息を呑む。
「オオオォオオォオオオオォォォォォォォオオオォォォォ!!!」
咆哮と同時に、爆炎を熱波が吹き飛ばし、フロアに灼熱の波が広がる。
オメガの切り札、〝炎叫〟だ。
自分の周囲一帯を焼き尽くすこの技は、一対多の戦闘で比類のない殲滅力を発揮する。
咆哮が収まると、加熱された空気の中、息を荒げたオメガが膝をつく。
魔法を浴びたためか、全身の毛が焦げ、滴る血が床に落ちて蒸発し、赤い煙を上げる。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! く、っそ! 猿風情が、手こずらせやがって!」
「犬風情に見下される謂れはありませんなぁ!」
「なっ!?」
弾かれたようにオメガが顔を上げると、直方体の陰から猿猴将が這いあがって来るのが見えた。
「凌いだってのか!? オレの〝炎叫〟を!」
「いえいえ、直であの熱波を浴びれば私とてただでは済みませんでしたよ。しかし、ここは汚染魔素に染まった王耀晶で構成された黒曜宮。魔法は吸収されるのです。そしてこの通り、フロアには我ら屍喰猩々の巣が無数に設置されております。その後ろに隠れることで熱波の直撃は免れ、魔力が吸収されることによって空気の過熱も半減する。さらに、事前に防御魔法を何重にも重ね掛けすることによって、あなたの〝炎叫〟をも耐えきったというわけですな」
「魔力の吸収、だと!?」
オメガが周囲に視線を巡らせれば、直方体の陰から次々と屍喰猩々が顔を出す。
「これだけの手勢に囲まれ、虎の子の〝炎叫〟まで防がれたのでは、さしものあなたも為す術はないでしょう。とはいえ、さすがは魔王様のかつての朋輩。この特殊なフィールドでなければ、我らとて勝つのは難しかったでしょう。だからこそあなたひとりをこの場に残したのです」
猿猴将はオメガを見つめて舌なめずりする。
「あなたの言うように、人間の魔法など我ら魔族にとっては十分な威力と言えません。だからこそ、あなたの〝炎叫〟と〝炎叫・錐〟が欲しかった! それを身に着ければ私は魔王軍のナンバーツーとして申し分のない実力を身に着けることができる! あなたたちが攻め入って来た時は正直かなり動揺しましたが、私はこの危機を好機に変えることで更なる躍進を果たすのです!!」
「…………そうかよ」
オメガはゆっくりと立ち上がる。
「たしかに油断するべきじゃなかったぜ。ムカつくが、ミツキの言う通りだ。認めてやる」
その視線が猿猴将に向けられる。
この期に及んで、戦意が挫けていないと悟り、屍喰猩々たちは鼻白む。
「だがな、テメエらが知ってるのは、トリヴィアとつるんでた頃のオレたちだろ。だから、やっぱりテメエらの負けだ!」
「なにを――っ!?」
「オオオォオオォオオオオォォォォォォォオオオォォォォ!!!」
オメガが再び咆哮したことで、屍喰猩々たちは咄嗟に巣の陰に逃げ込む。
「往生際の悪い……ん?」
しかし、いくら待っても熱波は発生しない。
「まさかブラフか?」
猿猴将が警戒しながらも顔を覗かせ、オメガを窺う。
自分たちの警戒を誘って逃げるつもりかと思ったが、先程と同じところに立ち尽くしたままだ。
「なんだ? よもや魔素切れ――」
言葉の途中で、猿猴将は身を硬くした。
オメガの周囲が揺らいで見えたかと思った次の瞬間、足元から炎が噴き出し、全身を包んだからだ。
「これは!?」
炎は赤から緋色、白へと色を変え、最後はオメガの全身を青く染めた。
「……体半分吹っ飛ばされ、汚染魔素にまで侵されて、それでも死の淵から這い上がったミツキは、大きな代償と引き換えに人間を遥かに超越した強さを手に入れた」
オメガの静かな語り口に、大猿たちはかえってたじろぐ。
「そんなあいつに追いつくため編み出したのが、この〝炎叫・炮〟だ」
「ば、バカな! こんな、こんな力、私は知らないぞ!」
猿猴将は己の全身の毛が逆立つのを自覚する。
闇地に居た頃、格上の魔獣と遭遇した際に、同じように体が反応したのを思い出す。
「光栄に思えよ猿共。こいつが今のオレの全身全霊だ!」
「ぐぅぅ! だからどうした犬が! いくら貴様が個として強くとも、我が一族三千頭の数をもって磨り潰してやる!」
青い炎を噴き上げて駆け出したオメガと、屍喰猩々の群れが一斉に放った魔法が激突し、黒曜宮を凄まじい衝撃が揺さぶった。