第四百十一節 『信頼』
人間らしき鎧武者を発見したミツキは、手綱を引いて龍馬を止めつつ、片手を挙げ後続の味方にも従うよう促す。
事前の情報では、王都の人間は監獄に集められているはずだった。
一部の人間は、都市機能の管理や、製造業に従事させるため街の外に出されている可能性はあるが、それなら武装しているはずがない。
一瞬、魔族の手から逃れて地下に潜り、レジスタンスとして動いている人間がいるのかもしれないと想像するが、すぐにあり得ないと思いなおす。
他国によって占領されているならともかく、魔族の中には人とは比較にならぬほど感覚の鋭い種も多いのだから、隠れたところですぐに発見されてしまうはずだ。
「……敵か?」
完全武装して、自分たちの進路に立ち塞がっているのだから、そう考えるのが妥当ではある。
ということは、魔族に寝返ったのだろうか。
そう考え、やはり違うだろうと己の憶測を否定する。
魔獣や魔族は人間を敵視し、憎悪すら抱いている。
憎しみや殺意といった負の感情に染まった汚染魔素に浸されている影響で、多くの個体は人を前にすると理屈抜きに襲い掛からずにいられない。
そんな相手にどう取り入ろうとしたところで、問答無用で殺されるだけだろう。
ということは、もしかして人間ではないのだろうか。
たとえば、人間用の甲冑の中に、軟体や不定形の魔獣種が入って動いているだけということはないか。
もしそうなら、魔素の探知能力で中身を確認すれば正体が判明するだろう。
そう考え、ミツキは鎧の内に意識を向ける。
直後、ギョッと驚いて身を硬くした。
「なんだ、こいつは!?」
鎧の中身は、ほとんど汚染魔素の塊だ。
魔族も汚染魔素に浸食されてはいるが、他の生き物と同じように、身の内に魔力の流れは持っている。
だがこいつは、あまりの魔素の密度ゆえ流れるどころか停滞し、凝っている。
もはや生き物であるのかさえ怪しいとミツキは思う。
ともあれ、少なくともこんな化け物が味方であるはずはないだろう。
「というか……もしかしてこいつが〝近衛〟か?」
仕掛けてみればわかるだろうと考え、馬上で対魔戦式耀晶刀を構える。
そんなミツキに、鎧武者は左腕を突き出し、掌を上向け手招きしてみせる。
「……随分と人間的な反応を返してくれるじゃないか」
ミツキは馬の横腹を蹴り、鎧武者に向かって駆け出す。
一部の兵が続こうとするのを、ティスマスが手で制して止める。
龍馬の全速力ゆえ、敵との間合いは一気に縮まり、ミツキは右手の刀を大きく振りかぶる。
馬の踏み込みに合わせて放った斬撃は、ミツキの腕に敵を断ち斬った手応えではなく、強い痺れをもたらした。
盾で受け止められたのだ。
仕損じたと思考した途端、視界が上下し、体が宙に投げ出される。
「なっ!?」
宙を泳ぎながら、ミツキは己が駆っていた龍馬の首が落ちるのを見る。
「くそっ!」
身を翻して着地すると、その横を頭を失くした龍馬がよたよたと通り抜け、背後でどうと倒れた。
ふたたび剣を構えると、義体の二の腕がぴしりと鳴り、視線を向けると亀裂が入っている。
龍馬の首を落とした斬撃が届いていたのだとミツキは気付く
カウンターで己に一撃入れるとは、かなりの手練れだ。
「どうやら間違いないな……こいつが――」
讐怨鬼なのだろうとミツキは確信を得る。
ゆっくりと振り向いた讐怨鬼は、巨大な剣を片手で悠々と持ち、切っ先をミツキに向ける。
〝屑星〟や〝晶筍〟で仕留めようとすれば、攻撃が当たる前に距離を詰めて斬りつけられると読み、八相に構えて剣戟に応じようと踏み出しかける。
しかし、空気を切り裂く音が鳴ったかと思うと、讐怨鬼が視線も向けずに背後へ突き出した丸盾が派手な金属音を発した。
「今のは」
ミツキが味方の方へ目を向けると、龍馬から降りたトモエが、長巻を振り抜いた姿勢から構えを戻すところだった。
「〝飛剣〟か」
続いて馬から降りたジャメサが、トモエの隣に立って剣を抜き、ミツキに向かって声を張る。
「行ってくれ、ミツキさん! こいつなんだろ!? オレたちの相手は!」
「そう、みたいだけど」
一合切り結び、ジャメサ達の手には余る相手かもしれないとミツキは判断する。
せめてトモエの目が明いていたら、互角程度にはわたり合えただろう。
「なにを躊躇っている! こいつの相手をさせるために、あんたはオレたちを鍛えたんだろ! それとも、この期に及んで敵の一匹も任せられない程、オレたちは頼りないか!?」
そんなことはない、とミツキは思う。
眼前の相手は間違いなく強敵で、彼らが負ける可能性は低くないが、それでも善戦はするだろうし、勝つ目もないわけではない。
にもかかわらずジャメサ達に任せるのを躊躇するのは、自分ならばおそらく勝てる相手を押し付けた結果彼らが死ぬのを、怖れているからだ。
だがそれは、結局己の気持ちの問題だとミツキは気付く。
彼らは己を信じて過酷な特訓を乗り越えた。
それなのに己が信じて任せないのは、彼らを侮ることに他ならない。
ミツキは歯を喰い締め拳で己の額を叩くと、仲間たちの後方へ視線を向け叫ぶ。
「オメガ!!」
名を呼ばれ、味方の護衛についていたオメガが、一瞬でミツキの傍へ駆け付ける。
「呼んだか?」
「ああ。黒曜宮まで一気に駆け抜ける」
「へっ。ようやくかよ。いい加減味方のおもりにゃ飽きてたところだぜ」
ミツキは微苦笑すると、トモエとジャメサとティスマスを順に見て、短く伝える。
「任せたぞ」
ジャメサは不敵に笑って呟く。
「承知した」
ミツキとオメガが味方に背を向けると、讐怨鬼はふたりの方へ踏み出す。
しかし、ジャメサが摺り上げるように放った地を這う斬撃が、石畳を跳ね上げ讐怨鬼の前の地面までを断ち割る。
その隙に、ミツキたちは人の目には捉え得ぬほどの速度でその場から走り去る。
讐怨鬼は僅かに首を捻り黒曜宮の方を気にするそぶりを見せるが、追っても無駄だと悟ったのか、ティファニア兵の方へ向き直る。
トモエとジャメサがあらためて敵に剣を向けると、溜息を吐いてティスマスも馬から降り、背後の味方へふり向く。
「おし、おまえらともここまでだ! 巻き込まれないようすぐに離れてくれ! その後、各部隊は本部の指示に従って行動するようにな!」
「な、なあ、ティスマス」
近くの仲間に声をかけられ、ティスマスは首を傾げる。
「ん? どしたの?」
「敵はひとりだ。皆で囲んでボコっちまえば手っ取り早いんじゃねえか?」
「あー……」
ティスマスは讐怨鬼に顔を向け苦笑いを浮かべる。
「私としてはありがたい提案なんだけどね……ひと太刀合わせただけとはいえ、ミツキのダンナが仕留めるどころか逆にやり返された奴だぜ? ちょっと相手が悪い気がするな」
「う、やっぱそうか……オレたちじゃ無駄死にが関の山だろうな。だが、おまえらは大丈夫なのか?」
「まあ、なんとかするさ。ダメそうだったらトモエを抱えてトンズラするよ」
「そうか。せっかくここまで生き残ったんだ。死ぬなよ?」
「ああ、そっちもね」
味方が走り去ると、ティスマスはジャメサの隣に進み出る。
「エウルは狙撃できる場所を探しに離れた」
「ああ……なあティス。相手が人間のような奴で良かったな」
「ん?」
「ミツキさんとの特訓を最大限活かせる。奴をあの人だと想定して戦えばいい」
「たしかに。ああ、いやでもさ、私ら結局ダンナに一勝もできなかったよね?」
「そうだな。だが問題ない」
「え? なにが?」
「奴があの人より強いはずなどない。だから、今回はオレたちが勝つ」
ティスマスは呆れたように首を振りながら槍を構える。
「そんな単純な話かね」