第四百八節 『偽装』
突然背後から背を押され、レミリスはつんのめりながら三歩前へ進む。
「な、なんだ!?」
立ち止まったところで、慌てて振り返った彼女は、息を呑んだ。
「お怪我は、ありませんか? お嬢、様」
主を突き飛ばしたアリアの左腕が、金色の粘液に塗れている。
「うっ!」
その腕の穢れた部分が、服の袖もろとも、みるみる赤黒いく変色し、煙と異臭を放ちながら崩れ落ちていく。
その臭気から、腐れているのだと三人は察する。
しかも、腐食は粘液に触れていない部分まで浸食を始め、肘から二の腕へと変色が広がっていく。
アリアは腕を伸ばして大声を出す。
「テト!!」
瞬時に意図を察したテトは、表情を歪めながら爪を振るう。
肩口から斬り飛ばされたアリアの腕が、ヘドロの中へ落ちた。
「ぐぅうっ!」
「アリア!」
レミリスがアリアに駆け寄り、激痛に崩れ落ちそうになっている体を支える。
「すまないメイロ長! 私あ、気付くうぇきらった!」
人よりも聴覚の鋭いテトは、敵の攻撃を察知できなかったことに自責の念を覚える。
しかし、責任はテトよりも己にあるとレミリスは思う。
先程の攻撃には、たしかな手応えがあった。
だから間違いなく金泥を仕留めたと確信し、その判断が自身とテトの油断を招いた。
「ふほほ! なんと甘やかな肉の味! やはりあなたたちを極上の獲物と見抜いた私の目に間違いはなかった!」
ごぼごぼとヘドロを泡立たせ、地中よりふたたび金泥が姿を現す。
その姿に目を凝らしたレミリスは、砕いたはずの核石が相手の身の内にあるのを、〝魔視〟によって認める。
「それにしても、先程の攻撃は見事でした。〝魔視〟を用い核石の位置を特定したうえでピンポイントに狙い撃つ。一件シンプルな作戦に思えますが、実戦で成功させるのは至難の業です。何故なら魔獣や魔族は人の魔法如きでは傷付けることさえ困難。核石自体も種にかかわらず極めて頑強です。しかも大抵は体の深い部分にあります。となれば、まず一発で核石に通る攻撃というものがそうそうないわけです。さらに、一部の例外を除き、魔獣も魔族も、人の感覚からすれば非常に素早く動くもの。それを小さな一点に絞って狙い撃つなどほとんど不可能に近い。ゆえに、成功すれば効果的な戦法とわかっていても実践する人間はまずいない。それをあなたは、魔族特攻の魔法武器である光の剣の威力を、その触媒を用いることで極限まで高めたうえ、伸縮自在という特性も利用することで、見事に成し遂げてみせた。無論、あなた自身の剣腕も相当なものである必要があったでしょう。まさしく、あなたにしか成功させられない戦法というわけですね」
金泥は余程感心したのかレミリスをほめちぎる。
そしておそらく、こいつは敬意に値する相手程、貶めることに歓びを見出すのだろうとレミリスは察する。
これだけ言葉を尽くして己を賞賛するのは、これからそんな相手を凌辱するためのスパイスのつもりなのかもしれない。
だが言葉を交わすつもりがあるのなら、それを利用させてもらうとレミリスは考える。
「そうだ。そうして私は確かに貴様の核石を破壊した。あの感触は、私の勘違いではなかったはずだ。それなのに、どうして生きている?」
簡単に秘密を訊き出せるとは思っていない。
だが、奇襲を成功させいい気になっているこいつは、うまく言いくるめれば口を滑らせるかもしれない。
そう目論むレミリスだったが、金泥はあっさりと種明かしをする。
「なに、簡単なことですよ。他の魔族の核石を身の内に忍ばせておいたのです」
「……そういうことか」
魔族や魔獣の体から摘出されても、核石自体は長く魔素を内包し、魔力を発し続ける。
だから、魔道具の素材として利用されてきたし、中には、シェジアのように体に埋め込んで自身の魔力器官として利用する者もいる。
ただし、核石の放つ魔力は、その魔獣や魔族の力に比例する。
もし、凡百の魔族の核石であれば、己も欺かれることなどなかったとレミリスは思う。
「さっき砕いた核石は、強い力を持った仲間の遺体から得たわけか」
「ええその通り。殺すのにはなかなか難渋しましたよ。弱い魔族から得た核石では、私の核石のダミーにはなり得ませんのでね」
「なに?」
レミリスはおもわず目を見張る。
「殺して奪ったのか?」
「ええ、それはもちろんそうですとも。私の欲する質の核石の持ち主が、たまたま死ぬのを待っていたのでは、いつ手に入るかわかったものではないでしょう? 幸い、大抵の魔族は人間こそ自分たちの敵と思っている。だから、味方からの不意打ちには、存外弱いものなのですよ」
「仲間を……それも〝近衛〟に匹敵する魔力を持った優秀な個体を、騙し討ちで殺したというのか」
「ええそうですよ? 信じられないという顔をされていますね。そういえば人間には、仲間意識というものがあるのでしたか。しかし私たちにとっては強さこそがすべて。殺されたなら、殺された方が悪いのです。というか、私にしてみれば、〝近衛〟の地位を脅かすライバルを消すこともできて一石二鳥でしたよ」
「下種が。ならばもう一度だ。今度こそ貴様の核石を砕いてやる」
レミリスは、アリアをテトに預けると、ふたたび対魔戦式耀晶刀弐型を構える。
しかし、なかなか攻撃しようとしない。
「……どうしたのですか? 今話している間にも、また私の核石の位置を把握できたのでしょう? ならばさっさと破壊して御覧なさい」
その余裕の態度に、レミリスは歯噛みする。
「くっ!」
「くふほほほ! どうやら気付いたようですね」
金泥がそう言うと、別の場所のヘドロが波打ちながら盛り上がり、もう一体の金泥が姿を現す。
「あなたと今まで話していた私の核石も、やはりダミーですよ」
と話す間に、離れたところにまた別の金泥が浮かび上がる。
「そして今の個体もまた然り。ダミーというのはいくつも用意してこそ効果を発揮するものです」
さらに、四体、五体と、金泥は増えていく。
そしてそのすべてに、強力な魔力を放つ核石が確認できる。
「……貴様、いったいどれだけの仲間を手にかけた」
「ふほほ、さて何匹でしたでしょうか。仮に百匹だったとすれば、あなたは百体の私の中から本物の核石を探して破壊しなければならないということになりますねぇ」
「くそっ! ふざけるな!」
レミリスをせせら笑っていた金泥たちは、同時に笑みを引っ込め、一斉にしゃべる。
「「「人の身で私を斃せる者がいるとすれば、あなたのように核石を直接狙ってくる敵だと思っていましたよ。ゆえに私は事前に備え、結果、あなたに殺されるどころかこうして追い詰めている。人間は時に策によって魔族との力量差を覆しますが、魔族が人を上回る知恵を発揮すれば、負ける道理などないということです」」」
レミリスたちを囲うように出現した金泥たちは、一斉に動き出し包囲網を縮める。
「さあ、攻撃なさい! 我々があなた方を捕らえるまでに本物の核石を破壊できればそちらの勝ちです! ただし私に触れられれば、そこのお嬢さんの腕と同じように腐れ果てて死んでいくことになりますよ!」
奴らが自分たちのところまで辿り着く前に、何体の核石を破壊できるかと、レミリスは頭の中で予想する。
だが同時に、そんなことを考えても意味などないとも理解している。
何故ならば、今姿を見せている金泥たちの中に、本物の核石の持ち主が含まれる可能性など極めて低いからだ。
これだけ周到な相手が、この局面で唯一の弱点を晒すような下手を打つわけがない。
先程の発言は、自分たちに希望を与えることで、そこから絶望していく様を楽しむために放ったのだろうと推察できた。
「「「さあどうしたのです!? 抵抗して私を楽しませて御覧なさい! さあ! さあ!!」」」
己を煽る金泥たちに、レミリスは視線を巡らせる。
どうにか突破できるような包囲の綻びがないか探しているのだ。
その背後で、テトに抱えられたアリアが身じろぎし、切断された腕の断面を上向けた。