第四百二節 『黒い森の攻防』
森に鳴り響いていた金属音が、唐突に止んだ。
味方の騎兵を逃がし終え、フレデリカが〝ムーンディガー〟の射撃を止めたのだ。
「それで? ここからどうするというの?」
千遍万華のアバターは、目の前で耀晶鞭剣を構えるシェジアに問いかける。
「私は闇地の植物をほとんど無限に成長させ、この土地が砂漠になるまで森を維持することができる。つまり、いくら森の草花を斬り払ったところで、際限なく再生することができるのよ。それに、本体である大樹をあなたちの手にしている武器で伐り倒すこともできない。仮にそれができたとしても、地下深くまで伸びた根を枯らさなければ私は殺せない。つまり、あなたたち人間さんにはもう為す術がないの。この状況で、どうやって強かさとしぶとさを証明してくれるのかしら?」
要するに、もはや自分たちにできることは何もないと言われたのだと察し、シェジアは一笑に付す。
「テメエがどんだけの力を持った魔族なのかなんざ知ったこっちゃねえが、うちらを見縊りすぎたな」
「え?」
千遍万華が首を傾げた瞬間、森に炎が奔り、周囲の植物が次々と燃え上がる。
「これは……」
「いひひひひ! 敵がみんな植物なんて、燃やしてくれって言ってるようなもんじゃねえですか!」
甲高い笑い声の方へ千遍万華が注意を向けると、魔導書らしきものを拡げた小柄な女が、複数の魔法陣を展開して周囲に炎をまき散らしていた。
「凄まじい火力ね……これほどの威力の魔法を、ひとりの魔導士がたて続けに発動させているの?」
汚染魔素を介して人を深く理解しているからこそ、森を焼いている魔法の威力が尋常でないものだと、千遍万華は察する。
それに、この場に残った兵たちのことは、魔王の記憶を通じて多少なりとも知っているが、こんな高威力の魔法を使えるような者はいなかったはずだ。
微かに戸惑った様子の千遍万華に、フレデリカは種明かしをする。
「うちの魔導士の実力じゃあなく、軍が開発した武器が優秀なんだよ」
〝血獣〟の魔導士、ファン・リズに与えられた耀晶典籍には、彼女の父親が蒐集していた貴重な魔導書に記された魔法がコピーされ、ページを開いて魔力を流すだけで発動させられる。
しかも、使用者自身の魔素は魔法の発動に際してしか消費されず、ほとんどの魔力は耀晶器自体から供給される。
そのため、高威力の魔法をいくらでも連発できるのだ。
「〝大焼炙獄炎瀲〟!」
ファンの発動した一級魔法の炎が、森を呑み込みどこまでも広がっていく。
「頭ぁ! こいつらちょれえですよ! このまま私が燃やし尽くしてゲホッ、ぐっ、ゴホゴホおぉぇ!」
話している最中に、大量に発生した煙を吸い込み、ファンは盛大にむせ返る。
周囲の仲間達も、同様に口を押さえて咳き込んでいるのを見て、シェジアは呆れて怒鳴りつける。
「炎の魔法使うんなら風向きぐれえ考えろや!」
「ゲッホ! すんませ……〝風拡纏〟」
風が巻き起こり、周囲の煙を吹き飛ばす。
千遍万華は、感心した様子で微笑を浮かべる。
「すごいわね。こんな切り札があったなんて。でも、草花は際限なく再生できると言ったはずよ?」
氷が解けてぬかるんだ地面から、凄まじい速度で草が生え、その内から伸びた棘の生えた蔦が、ファンへ向かって蛇のように伸びる。
しかし、その尽くを他の〝血獣〟の団員たちが斬り払い、彼女を護る。
その隙にファンは、ふたたび魔法を使い、新たに生えた植物を焼き払う。
「無駄だ。他の連中にはファンを最優先で護るよう指示してある。闇地でも植物系の魔獣は、生命力は強くても攻撃のバリエーションに乏しく、攻略法さえわかっていりゃあ脅威度は低い。この後テメエは護衛に阻まれファンを仕留められず、魔法で延々削られることになる。どんだけタフでも、一方的に攻め続けられりゃあ、いつかは死ぬだろ」
千遍万華が植物の魔族だということは事前にわかっていた。
ゆえに、事前に攻略法を考えておくことができたのだ。
情報を持ち帰ったサクヤの大手柄だなとシェジアは内心で感謝する。
ドチャリ、という水気を含んだ音が唐突に鳴り、シェジアは眉を顰める。
「……あぁ?」
音の方へ視線を向けると、灰と泥の混じり合った地面に、黒い塊が転がり、半分潰れているのが確認できた。
「なんだこりゃ? いったいどこから――」
言葉の途中で、疑問の答えに思い至ったシェジアは、弾かれたように頭上を見上げる。
すると、先程まで黒い葉ばかりだった大樹の枝に、数え切れぬほど大量の丸い塊が垂れ下がっていた。
「これは、果実か?」
「そう。ただし、ただの果実じゃあないわ」
千遍万華の言葉に続いて、果実が次々と地面に落ちる。
敵の言葉に不審なものを感じたシェジアは、ふたたび地上に転がった果実に視線を向ける。
すると、潰れた果実が蠢き、中から腕が突き出された。
「おい……なんだ、こりゃ?」
果肉を掻き分けるようにして、割れた果実の中から姿を現したのは、人間だった。
それだけではない。
他の果実からは、魔獣も這い出ている。
黒い果汁に塗れたその体からは、無数の枝葉が生え、いずれの個体も後頭部が異様に膨らんでいる。
シェジアばかりでなく、他のティファニア兵たちもその異様な光景に見入る中、千遍万華が歌うように語る。
「この子たちは、地下で休眠中、私の魔力供給源だったの」
「なに、言ってる」
「魔王様の空中要塞で各地を巡る間に、体内魔素の豊富な生き物を捕獲して取り込んだのよ。おかげで大地から栄養補給をしなくても、休眠している分には十分生命維持ができていたわけね」
一瞬、これだけの巨体で、どうやって空中要塞に乗ったのかと、シェジアの頭に疑念が生じるが、すぐに、そんなことを考えている場合ではないと気付く。
果実の中から立ち上がった生き物たちの、全身から生えていた枝葉が伸びて、体に絡みついていく。
「ただ、休眠状態が解けた今、この子たちを取り込んでおく必要はなくなったの。そして、この子たちにはもうひとつ使い道がある」
千遍万華に搾取されていた者たちの体は、分厚い枝葉に包まれて、鎧を纏ったようになる。
「寄生植物を憑けることで、兵隊としても利用できるのよ。私はあらゆる植物を操ることができる。つまり、この子たちを操る寄生植物を私が操るというわけね」
いかにも凶悪そうな、禍々しい見た目となった人間や魔獣が、一斉にティファニア兵たちへ襲いかかる。
「くそっ! 応戦するぞ!」
〝血獣〟の団員たちは、襲い来る植物の寄生体を迎え撃とうとする。
しかし、寄生体は驚異的な反応速度で攻撃を躱すと、即座に反撃する。
爪や牙のように尖らせた木は、鎧を貫き兵士たちに深手を負わせる。
その様子を見て、千遍万華がせせら笑う。
「速いでしょう、その子たち。脳を乗っ取られて肉体のリミッターが外れているうえ、衰えた筋肉を全身を覆った寄生植物が補っているのよ」
一方、仲間を倒して己に向かって来る寄生体に魔法を放つため、ファンは耀晶典籍を左手で開きつつ、右手を差し向ける。
「バッカども! てんで頼りになんねえじゃねえですか!」
だが、倒れた仲間たちを巻き添えにしてしまうと気付き、攻撃魔法を発動できない。
「やっぱり。魔法は乱戦に弱いのよね。これであなたたちの切り札もお終い――」
千遍万華の声が風切り音によって掻き消されるのと同時に、ファンに向かっていた魔族が斬り刻まれ、ばらばらになった体が地面に転がる。
続けてシェジアが耀晶鞭剣を振り回すたび、後続の寄生体もなますのように刻まれる。
さらに、金属音が鳴り響き、シェジアとの対角線上からファンに迫っていた寄生体の体が、大きく抉れたように消失する。
「はっ! ようやくオレが楽しめそうな状況になってきたじゃねえか!」
フレデリカがはしゃぎながら、自分や仲間に向かう寄生体を〝ムーンディガー〟でまとめて消し飛ばしていく。