第四百一節 『千遍万華』
「〝近衛〟……早速か」
こんなに早く出張って来るとは思わなかったと驚きながら、ミツキは納得もする。
地下に広がる、おそらくは根の質量を鑑みれば、並みの魔族でないのは明らかだからだ。
「オレたちを待ち伏せていたのか?」
「まさか。地中で眠っていたら上が騒がしいから起きてしまっただけよ」
待ち伏せでないというのは、たしかに、それもそうかとミツキは思う。
こいつは王都よりも広い範囲に根を伸ばしている。
ということは、自分たちがやって来るよりずっと前から地中に身を潜めていたというのは間違いないだろう。
しかし、魔王を守護する〝近衛〟が眠っていたとはどういうことなのか。
ミツキの疑問を察したように、千遍万華は続ける。
「私の大きさで普通に生命活動を行えば、周囲の土壌からすぐに栄養を吸い尽くして、この一帯は砂漠化してしまうのよ。だから仕方なく、普段は地中深くに潜って休眠しているの」
そう言って千遍万華のアバターはミツキに穏やかな笑みを向ける。
妙だなとミツキは思う。
こいつからは、ほとんどの魔族が人に対して示す、憎悪と敵意が伝わってこない。
「魔族のくせに随分と人に馴れ馴れしいな、おまえ。植物だから憎しみのような激しい感情がない、ってことなのか?」
「ちょっと違うわね」
千遍万華は考えるようなそぶりを見せる。
人間を模した花は、見蕩れそうになるほど美しいが、同時に、人の真似をするロボットのような薄気味の悪さも感じる。
「憎しみや敵意っていうものは、己の生命活動を守ったり、他の生き物より優位に立つために必要な感情なのよ。自分に不利益をもたらすものを排除するため憎んだり、外敵を殺すために敵意を抱いたりね。でも私は、あなたが察している通り人なんかには害することができない程に大きい。それに、三千年ぐらいは生きているから、もう生命活動に対する執着なんてない。だから、憎しみとも敵意とも無縁なのよ」
「三千年……だと?」
幻獣並みに長生きだ。
その長い歳月の間に大きく成長するとともに、膨大な魔素を溜め込んできたということか。
〝近衛〟とやらが強い力を持った個体だということはわかっていたつもりだったが、さすがにこいつは規格外だ。
どう考えても、人の手には余る。
「……そんな化け物が、どうしてオレたちに話しかけてきた」
「あなたたちは、私たち魔族と魔王様を退治しに来たのでしょう? 小さくてか弱い存在なのに」
千遍万華のアバターは、頬に手を当てティファニア兵たちに優し気な視線を向ける。
「儚き者たちが、命を燃やして強大な存在に立ち向かう……愚かで哀れだけど、とても愛おしいわ」
「見下しやがって……勝てないと思っているのか?」
「勝てるかもしれないわね、あなたなら。魔王様を斃せるとは思えないけど、他の魔族なら私も含めて殺せるでしょう」
そう言って千遍万華は、ミツキを見つめる目を細める。
「そう……あなたならきっと、私の望みを叶えてくれるのでしょう」
「望み?」
「でも、気乗りしないのよね、あなたと戦うのは。だってあなた、私の好みじゃないのだもの」
「……さっきからなんの話をしてる」
怪訝な顔のミツキに、千遍万華は溜息を吐くかのような仕草を見せる。
「魔王様の朋輩……たしかミツキといったかしら。その半身はあの御方に吹き飛ばされたのよね。そんな状態から、どのようにしてかは知らないけど、生き延びた。素晴らしいわね。きっと、逃れようのない死を前にしながら必死で運命に抗い、命を繋いだのでしょう? ……でも、今のあなたはいただけない。人を大きく超越し、魔族以上の生命力をその身に宿してる。そんな体じゃ、あなた簡単には死ねないわよ。私と同じでね」
嘆かわしいと言いたげに、千遍万華は眉根を寄せ首を振る。
「そんなあなたに殺されるなんて、つまらない最期だわ。こんなことを言っても、若いあなたには理解できないでしょうけど」
その言葉の通り、ミツキには千遍万華がなにを言いたいのかさっぱり理解できない。
わかるのは、この大樹の魔族は仲間の手に負えないということと、時間をかけてはいられないということだ。
だからミツキは、龍馬から降りると、義体の右手から白炎を噴き上げながら大樹に向かって踏み出す。
「おまえの言っていることはまるでわからないし、これ以上戯言に付き合うつもりもない。この炎で消し炭にしてやる」
「燃やすつもりなら、簡単じゃないわよ? 地中の根まですべて焼き尽くさなければ私は殺せないもの」
「不可能じゃないさ」
ミツキが炎を放とうとした瞬間、耳元で風切り音が鳴り、千遍万華の首が飛んだ。
「あ、あれ?」
前方に手を突き出したまま呆気にとられたミツキに、背後から声がかけられる。
「なにやってんですかミツキさん。そいつが千遍万華だっつうなら、私と〝血獣〟の獲物じゃないですか」
ふり返ったミツキは、馬から降りて歩いて来るシェジアに、おもわず声を荒げる。
「な、なに言ってんだ! あの樹の大きさを見ろ! その耀晶鞭剣で斬り倒せると思ってんのか!? それに樹をどうにかしただけじゃ奴は殺せない! 地下に広がっている根をすべて処理しなきゃ――」
「関係ねえな」
シェジアはミツキの胸倉をつかんで引き寄せる。
「どんな敵だろうがなあ、仕事ならきっちり相手すんのが傭兵だ。その私らから仕事を奪おうっていうんですかあんた」
「仕事っておまえ」
「それに、あんたがこいつの相手して、消耗したまま魔王に勝てるって保証はあんのか? あ? 最初っからうちらが足止めしてあんたは進むって話だったろうが。敵が予想より強かったぐれえで今更日和ってんじゃねえ」
胸を押され突き放されたミツキは、額に手を当て深く溜息を吐く。
「ああ、わかったよ。あんたたちに任せる」
「それでいいんですよ」
首を飛ばされた千遍万華のアバターは、花弁が伸びて見る間に再生する。
「人間さんたちが相手をしてくれるの? 元人間の化け物よりずっと素敵だけれど、それだと私の望みは叶わないわね」
そう言って腕を振り上げると、凍結した大地を割り、魔族の屍を押し退け、黒い植物が次々と生える。
ほんの数秒で、白く凍った大地に黒い植物の生い茂る森が出現する。
「私は大闇地帯に棲息するあらゆる植物の種子を身の内に含み、自在に操ることができるの。これであなたたちと遊んであげる」
悲痛な嘶きが聞こえ、ミツキとシェジアは背後に振り返る。
すると、先程までシェジアが乗っていた龍馬に蔦が絡みつき、森の奥へと引きずり込んでいった。
直後、消えた龍馬の絶叫が響きわたり、ティファニア兵たちは息を呑む。
「闇地の植物は人界のそれとはまったくの別物。危険な毒草や食獣植物、寄生植物がうようよしているわ。簡単に先へは進めないわよ」
その時、けたたましい金属音とともに、周囲の植物群が薙ぎ払われた。
「植物女の相手は傭兵共だけの役目じゃねえぞ」
特異な意匠の銃を構えたフレデリカが、ミツキに向かって声を張る。
「あら、すごい武器ね」
「ミツキ! 〝ムーンディガー〟で道を切り拓いてやる! 仲間を連れて先へ進め!」
「すまん!」
ミツキは龍馬に跳び乗ると、ふり返ってティファニア兵らに叫ぶ。
「進むぞ! ついてこい!」
同時に、フレデリカが〝ムーンディガー〟を連射する。
その薙ぎ払われた道を、ミツキを先頭に騎馬が駆け抜ける。
フレデリカはさらに騎兵に迫る蔦や草を撃ち払っていく。
だが、射撃を続ける彼女の背に、無数の蔦が迫る。
それを、〝血獣〟の団員たちが量産型耀晶器で斬り払う。
「テメエら!」
「後ろは任されましたぜ、姉さん!」
「あんたはそのまま援護射撃に集中してくださいや!」
横目で〝血獣〟の団員たちを窺い、フレデリカは口の端を釣り上げる。
「なかなか気が利くじゃねえか! さすがはあの女の部下だ!」
その様子を見つめ、千遍万華のアバターが呟く。
「随分逃がしてしまったわね。想定外だわ」
「テメエさっき、人間は小さくてか弱い存在とか言ってたよな?」
相対する人間に声をかけられ。千遍万華はシェジアに向きなおる。
「教えてやるよ。私らがどんだけ強かでしぶといかをなぁ」
そう言ってシェジアは、耀晶鞭剣を構えた。