第三百九十七節 『光破』
ミツキはブリッジへ戻ると将兵らに向かって声を張る。
「間もなく〝勇者〟が魔王の障壁に魔法を放つ! 光魔法だ! 目が潰れるから直視するな! できれば物陰に身を隠して掌で目を覆え!」
皆が慌ただしく動く中、ミツキに近寄る者がいる。
「ミツキ」
「オメガか。なにしに来た?」
「〝勇者〟のこたぁ聞いてる。奴はミラの兄貴だ。最期だっつうんなら、見届けて、オレからあいつに伝えてやりてえ」
「そうか」
ミツキは手の中に、〝黒鎧〟のサングラスを作り出し、オメガに渡す。
「かけてろ。光を遮れる」
「おう……ん? おいこれ、なんにも見えねえぞ?」
「普通の光はほとんど通さない」
太陽を観察するための遮光板のようなものだ。
「ヴィエンの口ぶりから判断するに、そのぐらいのもんじゃなきゃ、たぶん目をやられる」
そう言ってミツキは、自らも顔を〝黒鎧〟で覆う。
「それと、見届けるのはかまわないが、障壁が消えたらすぐに要塞基底部に向かえ。既に部隊が出撃準備を始めているはずだ」
レミリスとアリアも、既に姿を消している。
ミツキがヴィエンを送っている間に、出撃部隊と合流しに向かったのだ。
「言われるまでもねえ。つうかオレのことより自分の心配をしてろ。露払いはおめえの役目だろ」
「そうだな。それもあいつ次第だ」
そう言って甲板に目を向けると、既に凄まじい魔力が膨れ上がっている。
「おいすげえな」
オメガの呟きに、ミツキは内心で同意する。
幻獣にさえ攻撃が通りそうな力を感じる。
かつて大国の代表が集った会談で、他国の強者たちが示した〝勇者〟へ過剰な期待と、今の姿を見た際の失望の理由を、今更ながらに痛感する。
「頼むぞ」
命懸けの魔法だ。
作戦のためという以上に、報われる結果をミツキは期待する。
一方ヴィエンは、小指と薬指の欠けた右手で手刀を作り、前方へ差し向ける。
その手の前に、光が収束していく。
同時に、首に下げた王耀晶が解け、彼の全身に光となって纏わりつき、腕を伝って先端の光の中へ流れ込んでいく。
彼に残された僅かな体内魔素は、魔法を発動させるための、いわば着火剤となる。
そして発動した魔法は、大ぶりの王耀晶ひとつを消費して放たれる。
〝黒鎧〟で光を遮っているミツキたちは気付いていないが、周囲は徐々に薄暗くなっている。
ヴィエンがまわりの空間より光を集めているためだ。
その現象と反比例するように、彼の前の光は小さな太陽のように輝きを放つ。
そして王耀晶が完全に消失すると同時に、取り込んだ光の制御が己の限界に達したと感じた瞬間、ヴィエンは口を開いた。
「光よ討ち掃え!」
周囲を白一色に染めていた輝きが収まり、光が小さな球状に圧縮される。
「〝輝煌閃〟!!!」
光球が弾け、光の奔流が魔法障壁に向け放たれた。
目を覆ってなお、視界を焼くほどの光に、オメガは口元を引き攣らせる。
「おい! 大丈夫かこれ!? 空中要塞がもつのか!?」
「問題ない。極めて指向性の高い光だ。おまえの〝炎叫・錐〟と同じで、放った方向以外にはほとんど影響はないだろ。たぶんな」
「くそっ、なんて威力だ。ミラが同じ魔法を使ってたが、まるで別もんじゃねえか。あいつが兄貴の下に見られちまうわけだぜ」
その時、〝情報の祝福者〟から与えられた魔素の知覚能力によって、ミツキは白く染まった視界の向こうで、光線が障壁を貫いたのを察知する。
途端、障壁はシャボン玉のように弾ける。
と同時に、空の彼方へと伸びた光線も急速に減衰し、数秒で完全に消えた。
オメガがミツキの肩に手を置き、短く伝える。
「じゃあ後でな」
「ああ」
手を放し、踵を返したオメガは、走り去る直前に〝黒鎧〟のサングラスを放る。
ミツキは義手でキャッチすると、握り潰して義体に吸収する。
「次はオレの番だな」
光が収まったことで、ブリッジの中央、要塞長の席の下から顔を出した人物に、ミツキは声をかける。
「ヴォリス!」
「は、はっ! ミツキ殿!」
慌てて立ち上がったのは、第十七副王領出身の将官、ヴォリス・ドゥ・ヴァーゼラットだ。
レミリスが出撃し、高齢のカナルは参加していないため、彼がこの作戦の指揮官に抜擢されている。
「オレは甲板から出るから、空中要塞を頼んだぞ。それと、ヴィエンの回収を頼む。あとでハリストンに返すから、扱いは丁重にな」
「心得ております。ご武運を!」
「ああ、そっちもな」
ブリッジがにわかに騒がしくなる中、ミツキは正面のハッチを開けて甲板へ出る。
足早にその先端まで歩くと、ヴィエンの隣に立った。
「〝勇者〟の肩書に恥じない、見事な魔法だった。あとは任せてくれ」
そう伝えるも、反応はない。
車椅子に座ったままうな垂れたヴィエンは、既にこと切れていた。
その満たされた死に顔を横目で確認すると、ミツキは前へ進み出る。
甲板の先端部は、ヴィエンの魔法が掠めたため融け落ちている。
そこから身を乗り出し、下界を覗く。
「……なるほど」
消えた障壁の内側の大地を埋め尽くさんばかりの魔族が犇めいている。
その上空にも、数え切れないほどの飛行性の魔族が翼を羽ばたかせている。
その光景に、ミツキは苦笑する。
「障壁を破られると予測し、大軍で待ち伏せていたわけね」
これでは、自軍の兵を地上に降ろすこともできない。
それどころか、すぐに飛行性の魔族が四方八方から空中要塞に襲い掛かり、そう時間もかけずに墜とされるだろう。
だがミツキの表情にも態度にも、焦りはない。
「残念だったな。こっちも予測していたよ」
ミツキは甲板の先端から一歩踏み出す。
しかし、前方に床はなく、そのまま地上へ向け落下する。
「雑魚っつっても、これだけ大挙して来られるとさすがに厄介だ。ただ、考えようによっちゃあ好都合とも言える。敵戦力を一気に削れるわけだからな」
魔族共はミツキを発見すると、落下地点で襲いかかろうと走り出す。
空を飛んでいる個体も、一斉に動きはじめる。
「とはいえ、あんまり強力な攻撃を行えば、王都にまで被害を出しかねない。捕らえられている住民がいる以上、それは避けなければならない。それに、ヴィエンのおかげでせっかく力を温存できたんだ。こんなところで大技を使い、消耗したくはない」
ミツキの落下速度が、徐々に落ちる。
〝黒鎧〟の翼を形成するまでもなく、宙に浮かぶ程度なら念動だけで十分可能なのだ。
「そこでおまえらを一掃しつつ、そこまで魔素を使わない攻撃手段を考えてみた」
王耀晶の義手を強く握り込み、魔力を込める。
その掌を開くと、一滴の雫が、念動で浮かび上がった。
「こいつには、オレも殺されかけた。生き残る奴がいるか見ものだな」
掌を下に向けると、雫は地上へと落下する。
しかし、小さな一滴の雫に、魔族は気付かない。
殺気立ったまま無我夢中で駆け続ける。
そして、雫が地上に落ちる。
すると、その一点を中心に地面が白く変色し、波紋のように霜が広がっていく。
上を見上げて走っているため、その変化に気付かない魔族は、速度を緩めることもなく広がり続ける霜を踏む。
すると、足裏からみるみる体が凍っていく。
しかも、全力で駆けていたため、ほとんどの魔族は凍った足が折れ、前方に放り出された上体もすぐに凍りついため、地面に激突して粉々に砕ける。
霜はさらに広がり続け、後方の魔族も次々に凍っては体を粉砕させていく。
その光景を見下ろしながら、ミツキは百日以上も凍っていた記憶を思い出して身震いする。
「不凍體の体を構成する液体だ。負温度でなんでも凍らせる。今の一滴で、ここから王都の前ぐらいまで、効果が及ぶはずだ」
しかも、被害を受けたのは地上の魔族ばかりではない。
急激に地面が冷やされたため、地上付近の空気が一気に縮んだことで、上空から大量の空気が流れ込み、凄まじい下降気流が発生した。
飛行中の魔族は、不意に頭上からの突風に圧され、硬く凍りついた地上に為す術もなく叩きつけられた。