第三節 『準備』
「正直、意外だった」
円卓の会議場から引き上げる途中、王宮の廊下をサルヴァと並んで進みながら、ミツキは呟いた。
「何がだい?」
「てっきりあのままセルヴィスを引きずり下ろし、ティア様を王に据えるかと思ったから」
「これからこの国はいろいろ大変なことになるからね。ティアはしばらく第三副王領に身を潜めてもらい、国内の情勢が安定してから王都へ戻らせるつもりさ。それまでは、今の陛下には頑張って国を立て直してもらい、最後はいろいろ泥も被っていただいたうえで玉座から退いていただくよ」
この男は、とミツキは考える。
ブリュゴーリュによる侵攻という予想外の危機への対応を水面下で迅速に進めながら、事実上、当初の目的であった王位の簒奪まで同時に実現させてしまった。
軍の不在に加え、国民や家臣の安全まで秤にかけられ、セルヴィスは契約に応じる以外の選択を完全に絶たれた。
ミツキは巻物に書かれた内容までは把握していないが、おそらくセルヴィスはもうサルヴァの意に反する行動はとれないのだろう。
逆境を利用して目的を為したこの男の手腕は、認めない訳にいかなかった。
「おまえ……前オレに、王族に対して不敬だとかなんだとか言ってたよな? 二枚舌も大概にしろよ」
「私はちゃんと敬意をもって貶めているんだよ。それよりもミツキ、こうなった以上はすぐにでも民兵軍を動かす必要がある。伝達は任せたよ」
後顧の憂いがなくなったとはいえ、本番はこれからだということをミツキは思い出す。
数で勝っていたはずのティファニア軍を圧倒したというブリュゴーリュ軍を烏合の衆で打ち破らねばならないのだ。
しかも、敵方には、己らと同じ異世界から召喚された者まで加わっている。
分が悪いのは明白だった。
「顔色が悪いね」
「そりゃこれから戦争に行くんだから、平静でいられないのは当然だろ」
「そのための準備は整えた。あとは、それを実戦でぶつけるだけさ」
「ああ、そうだな」
恐怖なのか高揚なのか、それともそれ以外のなにがしかの感情なのか、理由もわからぬまま高鳴る胸を押さえながら、ミツキはこの二百日余りの日々を振り返る。
「壮観だな」
戦地へと赴くため平原に集結したティファニア連合軍を城壁の上から眺め、ミツキは呟いた。
「アタラティアでも軍隊は見たけど、今回は規模が桁違いだ。ティファニアは勝てると思うか?」
ミツキの問いを受け、サクヤは素っ気なく呟く。
「現状、我々に不足しているのは敵勢力への理解だ。おおまかな数と編成程度は把握しているが、どのような戦術を用いるのかなどは未だに不明だ」
「つまり、わからないってことだろ?」
「〝わからない〟ことを〝わからない〟と言い切るのは簡単だ。大切なのはどのようにして〝わからない〟を〝わかる〟に変えるかということだ」
そう述べたサクヤが両腕を前に突き出すと、袖の内の影が蠢き、無数の羽虫が空へ飛び立っていった。
「あの眷族どもを連合軍の兵士に寄生させる」
「蟲憑きか? あれは使い勝手が悪いって言ってなかったか?」
「いや、蟲憑きとは違う。兵士が寝ている間に耳から侵入させ、神経と同化させる。兵士自身に対する影響は皆無だが、私は虫を通して兵士が五感から得る情報を共有できる」
「相変わらず気色の悪い……」
とはいえ、これなら連合軍がブリュゴーリュ軍と激突すれば、敵の闘い方を知ることができるだろう。
その情報を自分が活かすことにならないよう、この時のミツキは祈るばかりだった。
発言を求められた円卓会議の後、側壁塔へやってきたサルヴァは、ミツキら四名とレミリス、アリアを前にして打ち明けた。
「第三副王領で民兵を募ることにした」
「それは、連合軍が負けると考えてのことか?」
「どうかな。勝てるかもしれないし、勝てないかもしれない。ほとんどの者は数で圧倒する我が軍の勝利を確信しているようだが、こういうのは最悪を想定して動くべきだろう?」
それはそうだとミツキは思う。
軍の高官の慢心が大敗を招いた実例を、ミツキらはアタラティアで目の当たりにしている。
「質問があるのだが、かまわないか?」
こういった場ではめずらしく、トリヴィアが口を挟んだ。
「どうぞ、何なりとお聞きください」
「おまえは誰だ?」
「え?」
トリヴィアに向けていたサルヴァの笑顔が引き攣った。
「以前、一度お会いしましたよね?」
「ん? 記憶にないな」
そりゃ記憶にないだろうとミツキは思う。
あの日の記憶の大部分は、サクヤの毒が原因で消えているのだ。
「しかし、言われてみれば確かにどこかで会ったような……」
「ま、まあ、憶えてないことを無理に思い出す必要はないって、なあ!?」
ドロティアのことを思い出されて再び逆上されてはたまらない。
ミツキは咄嗟に誤魔化そうと口を挟み、オメガに話を振る。
しかし、オメガはサクヤの背後に隠れるようにして震えていた。
「お、おお、どうしたオメガ?」
「ぱ、ぱ、〝ぱいぷかっと〟だけは、勘弁してくれ」
「おまえ、まだそれ引きずってんの?」
以前、生殖能力を奪われかけたミツキの体験を聴いて以来、この犬面人はドロティアやサルヴァに対してトラウマ染みた苦手意識を植え付けられてしまったようだった。
「話が進まんから、おまえたちは黙っていろ。で、なぜそれを我らに話す?」
「勿論、協力してもらうためさ。何せ、ブリュゴーリュの侵攻があまりに急だったために、伝手を使って各副王領の傭兵や冒険者の組合などに破格の条件で募集をかけているが、正直どれだけの者が集まるか、集まったところで使えるのか判断できない。それに、武器も馬も兵糧も、全く足りていないのが現状だ。そして、それ以上に足りていないのが、このにわか軍団を編成、管理するための人材だよ。そこでだ、キミたちが戦に同行するのは決定事項として、異世界の知識とアタラティアでの功績を見込んで、軍を創りあげる段階から協力を頼みたいのさ」
「待て。そもそも百年以上も戦争をしていないこの国に、それだけの数の私兵がいるのか?」
「ああ、そこは問題ないだろう。闇地に接する副王領では越流を見越した村落の警備、あるいは商人が物資の輸送をする際の盗賊対策にも傭兵は欠かせない。都市部でも、軍の管轄外である非市民区では傭兵によって治安活動が行われていることが多い。あるいは、冒険者と呼ばれる連中も荒事には慣れている」
「傭兵はわかるが、冒険者とはどんな連中だ?」
「闇地の探索や素材収集、あるいは魔獣や盗賊、犯罪者を対象にした賞金稼ぎといったことを生業にしている奴らさ。傭兵も冒険者も、この国では極めて一般的な職業だよ」
「なるほど。そういうことであれば、承知した。できる限りの助力を約束しよう」
サクヤの回答に、ミツキが渋面を作る。
「いいのかよ。そんな安請け合いして。アタラティアでの従軍経験があるって言っても、ほとんど単独か、このチームで動いていただろ。軍隊を創るなんて、オレ等には荷が重くないか?」
「これはできるできないの話ではない。ブリュゴーリュ軍が我らだけ見逃してくれるとでも思っているのか? できなければ死ぬ。ならば力を尽くすしかあるまい」
正論で言い返され、ミツキは口を噤む。
おそらくサクヤの真意はまったく別の所にあるとは察しているが、言われたことはもっともなのでぐうの音も出ない。
「さて、兵士を鍛えるのも部隊を編成するのも物資を仕入れるのも必要だが、民兵の集団ということを鑑みればもうひとつ欠かせないものがあると提言させていただこう」
サルヴァが興味深げに身を乗り出す。
「なにかな?」
「軍監だ」
「それは、軍を監督する者ってことだよね?」
「ああ。職業軍人のおまえたちにとって部隊の規律遵守など当然かもしれんが、金で雇われた連中に秩序を守らせるのはなかなか骨が折れるはずだ。軍規を定めたうえでこれを徹底させ守らぬ者には厳罰を与える。手柄を立てた者には十分な報酬を与える。飴と鞭を使い分けねば集団の維持は難しかろう」
「たしかにね。正直、頭数を揃えることができたとしても、それを指揮する私たちの人数が少なすぎる。まして、軍の管理までとなると、とても手が回らないな。連合軍の選抜に漏れた連中を加えるという手もあるが、そうなるとティファニアの治安維持などに支障が出るだろう。で、それを言い出したということは、キミに何か宛があるのかな?」
「ああ。王妹殿下の権限で用意してほしいものがある。それで軍監はこちらで揃えよう」
「わかった。言ってみてくれ」
サクヤの口元が僅かに吊り上がる。
また禄でもないことを考えているなとミツキは考え、次の一言で自分の考えの正しさを確信する。
「監獄に捕らえられている重犯罪人すべての身柄」




