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第七節 『危局』

 闘技場の土は意外と柔らかく、裸足のミツキでも特に痛みを感じずに歩くことができた。

 足の裏がほんのりと温かいのは、先程の魔法とやらの熱が未だ地面に残っているからだろう。

 見回せば、ところどころで小さく煙が上がっている。

 何が燃えているのかと目を凝らしかけ、反射的に視線を逸らした。

 魔法が使われる前に殺されていた出場者たちの遺体だ。

 躊躇うように見回せば、骨まで焦げた骸もあれば半焼けでくすぶっているものもある。

 そんな遺体の横を通ると、肉を炙る際の香ばしい臭いが鼻に届き、おぞましさに顔をしかめるが、意に反して腹の虫が鳴った。

 そういえば、独房で目覚めてから碌なものを食べていなかったのだ。


「……冗談じゃない」


 そう呟いて足を止めた。見据える正面の扉が開いていく。せめて剣での攻撃が効く相手であることを祈った。


「キミ! 何をやっている! 今のうちに詠唱を始めろ! 早くしないと魔獣が出て来るぞ! まともに戦っても勝ち目はないだろ!? ぐずぐずしないでとっとと魔法を使うんだ!」


 後ろから鬼女の声が聞こえてきた。

 自分を気遣っての助言ということは理解していても、こうも余裕のない状況で、しかも的外れなことを喚き散らされては、苛立ちを覚えずにいられない。

 おもわず、ぼそりと毒づく。


「集中させろ、デカ女」

「な、なにぃ!? デカ女とは私のことか!?」

「え? 今の聞こえたの?」


 あまりの地獄耳に驚き、女の方へ振り返りかけたその時、魔獣の登場口の奥から不気味な唸り声が響き、ミツキは体を硬直させた。


「……グッ……ググッ…グッグ……グ……」


 籠るような声音だが、不思議と良く響くその唸りは、次第に大きさを増し、やがて一頭の魔獣が姿を現した。

 それは、鈍色の体毛に覆われた四つ足の獣だった。

 体躯は獅子よりも大きく、細長い四肢としなやかな流線形を描く背中が動きの機敏さを窺わせる。

 顔は、鼻が前方へと迫り出し、大きく裂けた口に人の指先程の牙が隙間なく並んでいる。

 イヌ科ともネコ科ともつかない姿だが、肉食獣の特徴を不足なく備えていることだけは間違いなかった。

 そして、最も特徴的なのが、望遠レンズのように突き出た眼球だ。

 肉食獣の目は獲物との距離を正確に測るため前方に付いているというが、その魔獣は極端すぎた。

 ミツキが連想したのは、ボウエンギョという深海魚だったが、体はシンプルな陸棲の肉食獣である分、その異様さはいっそう際立っていた。

 突き出た眼球の中の瞳がきょろきょろと素早く動き、やがてミツキの姿を捉えると、魔獣はのそのそと歩き出した。


「あぁ……まあ、刃物が通じそうなだけマシか……」


 そう呟いて剣を構える。

 様子を窺っているのか、自分を中心に弧を描くようにして、徐々に距離を詰める魔獣に対し、ミツキは相手の喉元に向けた切っ先が外れぬよう、慎重に体の向きを動かしていく。

 これまでの試合を見た限り、魔獣という生き物は、例えば無数の触手を絡めて捕食したり、傷を付けた場所から毒液を噴射して反撃するといった、極めてえげつない攻撃や防衛の手段を例外なく備えていた。

 だが、眼前の魔獣がどんな攻撃を行うのかなどわからない以上、まずは相手の動きに迅速に反応できるよう備える外ない。

 だからミツキは、鬼女の喚き声が完全に聞こえなくなるほどの集中力で、魔獣の挙動に目を凝らした。

 面構えこそ不気味だが、体の構造は犬や猫とそう変わりないのだ。

 であれば、狩りの仕方とて犬猫とそう変わるまい。

 魔獣の歩みは徐々に速度を上げていく。

 助走だ、とミツキは考えた。

 このまま少しずつ速度を上げていくつもりか、と予想したため、意表を突かれた。


 視線を向けていた辺りに砂埃が立ったと思った次の瞬間、視界の隅に大きな影がよぎった。

 ヤバい、と思う間もなく、体が動いていた。

 左に跳び退き、地面を転がって身を起こす。

 慌てて視線を巡らせると、目測で二十メートル程度は離れたあたりで、魔獣がこちらの様子を窺っていた。


 もうあんな所にいるのかと、魔獣の素早さに驚く。

 しかし、その一方で、どうにかならないこともないのではないかと、心の中に微かな希望も芽生えていた。

 不意を突かれたにもかかわらず、なんとか躱すことができたのだ。

 しかも魔獣は、地面を転がるミツキに追撃を加えず、そのまま走り抜けて距離を取ると、連続して攻撃しようとせず獲物の様子を観察している。

 用心深いのか、それとも格闘戦が苦手なのか、いずれにせよ体格で負ける以上、近接戦闘にならないのはミツキにとって好都合だった。


「グッ……ググッ……」と呻きつつ、魔獣は再びミツキを中心に歩き始めた。

 先程と同じように、疾走からの一撃で己を狩ろうとしているのであれば、好都合だとミツキは思う。

 カウンターを合わせることができれば、相手も速度に乗っている以上、躱すことなどできないはずだ。

 ミツキは魔獣の挙動に注意しつつ立ち上がると、今度は正眼ではなく、半身を開いた体勢で下ろした剣を右後方に隠すような構えを取った。

 剣道で言うところの脇構えだ。

 これで魔獣は、ギリギリまで剣の間合いと軌道を測れないはず。

 更に、こちらは振りかぶる動作を省いて素早く剣を振り切ることができるだろう。

 魔獣は先程と同じように、少しずつ間合いを詰めている。

 だが、向かってくる際には進行方向を変える以上、体勢を変えるため一瞬のタメができるはずだ。

 その瞬間に合わせる。

 そう決意し、先程以上に魔獣の一挙手一投足に意識を集中する。


 最初の攻撃の後に歩き出してから、もう少しでミツキの周りを一周しようかというところで、魔獣の歩調が変わった。

 ここだ、と思い、踏み込みのためつま先に力を込める。

 魔獣が踏み切ると同時に、ミツキは左前方へ倒れ込む様に踏み出していた。

 一気に間合いを詰め、爪を剥き出しにした前足をミツキに伸ばした魔獣だったが、獲物が己の動きに対応するなどとは予想していなかったのか、首の横すれすれで空を切った。

 すかさず、後方に下ろしていた剣を、体を捻るようにして振り抜く。

 その軌道は魔獣の躰側面を確実に捉えており、たとえ仕留めることができずとも、かなりの痛手を与えることは間違いないとミツキは予測した。


 切っ先が魔獣の身に触れる感触が柄から掌に伝わる。

 目論見の成功を確信しかけたミツキの表情は、沈まぬ切っ先と剣身を震わす細かく硬い感触に強張った。

 耳障りな金属質な音が響き、魔獣の横をすり抜けたミツキの手に痺れが走る。

 予想外の事態だが、何が起きたか確認するよりも、まずは振り向いて魔獣の姿をさがす。

 先程追撃がなかったからといって、二度目もそうであるとは限らない。


 魔獣はやはり数十メートル程離れた位置まで走り抜けていた。

 その体には傷ひとつない。あの異音と妙な手応えは何だったのかと剣を見れば、斬り付けた刃が()()()のように(こぼ)れている。


「何が、起こった?」


 肉や皮膚が刃を弾く程に硬いというだけなら、剣がこうも無惨に毀れる道理はない。

 だとすれば、剣にこれ程のダメージを与えたのは何なのか。

 ミツキは再び歩き出した魔獣に警戒しつつ、ボロボロの剣身を観察した。


「なんだこりゃ?」


 毀れた刃に鈍色の毛が数本挟まっていた。


「あの魔獣の毛か……って、硬って!」


 人の毛髪よりも細いのに、指の力では曲がらない。

 この太さであれば、鉄の針金でも折ることは容易なはずだ。


「つまり、鉄より硬い毛皮を着てるってことかよ」


 初見で刃物が通じそうなどと言ったが、とんでもなかった。

 一度斬り付けるだけで刃が使えなくなるのでは、もはや手の出しようがない。

 ミツキの動揺を見透かしたように、今度はさほど間を置かずに魔獣が攻撃を仕掛けてきた。

 反射的に足を斬り付け、後方へと転がる。

 急いで身を起こし魔獣を確認するも、やはり斬り付けた箇所から血は流れておらず、逆に剣は両刃ともに使い物にならなくなってしまった。


「ああ、クソ。これじゃもう斬れな、痛って!」


 立ち上がろうとしたミツキは、裸足の足裏に痛みを感じ、足元を見下ろした。

 足の下に、黒く煤けた何かのパーツのようなものを踏んでいる。

 持ち上げて見ると、長さ二十センチ程度の槍の穂先であることがわかった。

 一瞬、何故穂先だけが落ちているのかと疑問に思ったが、表面が煤けていることから、すぐに先程の炎の魔法で柄が焼け落ちたのだと気付いた。

 そういえば、死体や武器は試合の後も放置されていたはずだ。燃えやすいものは魔法に焼かれ炭化したが、武器の金属部分は燃え残ったのだろう。


「グッ……グッグッ……ググッグ……グッ……」


 魔獣の唸りに気付き、ミツキは慌てて立ち上がった。

 特に深い考えはなかったが何かに使えるかもと考え、穂先はローブの袖の内に放り込んだ。

 魔獣は再び、遠巻きにミツキを窺っている。

 続けて攻撃すれば確実に己を仕留められたはずなのに、どこまで用心深いのかと、ミツキは呆れた。

 だが、おかげで最後の手を思いついた。

 体を斬れないなら、弱点を突くしかない。

 今度は平正眼に構える。

 そして、次に攻撃すべき一点に、視線を注ぐ。


 魔獣の歩幅が変わった。

 ミツキは微かに切っ先を上げ、剣を突き入れる位置を調整する。

 弾かれたように迫る魔獣に向かって、一歩踏み込むと同時に、両腕を突き出した。

 狙いは極端に迫り出した魔獣の眼球だ。

 どんな獣とて、ここだけは守りようがない。

 しかも、魔獣は弾丸のような勢いで飛び込んでくるのだ。

 ミツキはただ切っ先の狙いだけ定めれば、あとは勝手に魔獣の方から脳まで刃を突き込んでくれるはずだ。

 しかし、次の瞬間には、それが甘い考えだったと思い知らされることとなる。


 ミツキの腕に鈍い衝撃が走り、砕けた刃の破片が飛び散って頬を切った。

 辛うじて躱すことができたのは、刺突の衝撃に魔獣の足が一瞬止まり、進行方向も僅かにズレたからだった。

 魔獣が通り過ぎたのを確認し、ミツキは剣に視線を移した。


「……そんな」


 鍔元に僅かな残骸を残すだけで、剣身のほとんどが砕けていた。

 魔獣を窺えば、目から血を流している様子もない。

 ミツキは知る由もなかったが、この魔獣の眼球は毛髪と同じ成分で構成される超硬質の角膜によって保護されていた。

 先程の刺突によって爪先程度の傷は付けられたが、視界に影響はなく、時間の経過で塞がることもあり、魔獣にとっては痛くもかゆくもなかった。


「どうすれば……」


 もはや得物さえ失った。

 勝率は極めて低いと理解していたつもりだが、ここまで追い詰められ、とうとう心が折れそうになる。


「……そうだ……まずは、武器を……」


 先程拾った穂先のように、死んだ出場者の得物が落ちているはずだ。

 中には、この魔獣にも有効な武器があるかもしれない。

 そう自分に言い聞かせ、一歩踏み出す。

 べちゃり、と足が泥濘を踏んだ。

 しかし、この焦土になぜ水があるのか。

 疑問に思い地面を見下ろすと、足元に血だまりができていた。


「……は?」


 その血液は、ローブを赤く染め、脇腹から沸き出ているようだった。


「……え? ……え!?」 


 攻撃は受けていないはずだった。

 それなのに、下手をすれば致命傷ではないかという手傷を受けている。

 恐怖と疑念にパニックを起こしかけながら魔獣を見れば、体の側面が赤く染まっていた。

 無論、最初の攻撃が通っていたわけではない。


「グッ……グッグ……グッグッ……」


 魔獣は唸り声を上げながら、毛を逆立ててみせた。

 それだけで、体が二回りほど大きく見える。

 その際、逆立った毛の先端から血液が滴るのが見えた。


「まさか……あれで斬ったのか?」


 鉄よりも硬く毛髪よりも細い繊維を尋常でない速度の突進に乗せ一瞬で逆立てたなら、鋭利な刃物を振り抜くのも同然なのではないか。

 その推察が正しいことは、ミツキ自身の体が証明していた。


「……武器は……いや、まずは止血を……何か、お、押さえる物は……」


 傷を手で押さえながら、ミツキは半ば放心して周囲を見まわした。

 当然だが、出場者の屍のほとんどは炎の魔法で燃え尽きている。

 彼らが纏っていたローブにしても同じことであり、止血のため包帯の代わりになるようなものなどあるはずがない。

 そんな判断もつかない程、ミツキは狼狽えていた。

 だから、魔獣からも完全に意識が逸れていた。


「ヤツから目を離すな! 次が来るぞ!」


 鬼女の声にハッとしてミツキは顔を上げたが、既に魔獣は眼前まで迫っていた。

 食い付かれる、と思った次の瞬間、腹部に衝撃を受け、宙を舞った。

 腹を強打されたショックで気を失いかけたが、地面に叩き付けられ転がる痛みで意識を繋ぎ留め、停止するまでの数秒で状況を把握した。


 魔獣は食らい付けるところをあえて鼻先から衝突しミツキを吹っ飛ばしたのだ。

 何故そんなことをするのか。

 先程まで、過剰に用心深いと思っていたが、魔獣が一息に勝負を付けなかったのは別の理由からではないのか。

 十メートル以上も吹っ飛ばされたミツキが空を見上げながら考えた推測を裏付けるように、今までにない魔獣の声が響いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「彼らが纏っていたローブにしても同じことであり、止血のため包帯の代わりになるようなものなどあるはずがない」 包帯の代わりになるものがあれば、戦闘中に傷口をそれでどうにかしようと思ったわけで…
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