第十六節 『前宵』
ティファニア第二十六代国王、メイルスト・ライティネン・ガラル・ティファニエラの国葬は厳粛に執り行われ、国民のすべてが喪に服し、七日間を黒い服で過ごした。
非市民区では、喪服を買えない者のために配給まで行われ、その喪服を喪が明けきらないうちに売ったということで多数の非市民が厳罰に処され、あるいは喪服が手持ちの服よりも仕立ての良いものであったために、喪が明けてからも着続ける者が多くいたと、後日ミツキはイリスから聞かされた。
そして、喪が明けるとすぐに、新王であるセルヴィス・ライティネン・ガラル・ティファニエラの即位が発表され、国は一転してお祭りムードとなった。
市民区では、喪中の反動からか、祭り騒ぎが連日続けられ、その太鼓や笛の音は側壁塔内にまで響いてきた。
「うぅ、うるさい……頭痛い」
ベッドに伏したトリヴィアが苦し気に呻く。
耳が良いからこそ、余計にこの騒音は辛いだろうとミツキは思う。
「耳栓でもする?」
「……大丈夫、ありがとうミツキ」
サクヤの予告通り、きっかり十日でトリヴィアは目を覚ました。
しかし、簡単に毒は抜けきらないらしく、目覚めて五日が経過した今も床に臥せっている。
そんなトリヴィアの身の回りの世話をミツキは買って出た。
自分のためにこうなったのだという罪悪感からの行動だった。
「それにしても情けない。自分がどうして倒れたのかも憶えていないとは」
「アタラティアで甲冑の巨人にやられたダメージが抜けきっていなかったんだろ。頭痛も倒れた時に頭でも打ったんだよ、きっと」
「ミツキがそう言うのなら、そうなんだろうな」
トリヴィアはサクヤに昏倒させられるより以前の記憶を約半日分喪失していた。
おそらくは、サクヤがそういう効果の毒を調合したのだろう。
当然、ドロティアのこともまったく憶えていない。
もし憶えていれば、再び王宮に攻め入るなどと言い出しかねないと容易に想像できるだけに、ミツキは心の底から安堵した。
忌々しいが、サクヤのこういう抜け目のなさは、時に非常に頼りになる。
「ところでトリヴィア、オレは明日用事があって出かける。一応、アリアに世話を頼んでおいたから、何かあったら彼女に頼ってくれ」
「ああ、大丈夫。たぶん、もうひと晩も寝たら動けるようにはなると思うから」
そう言って少しすると、トリヴィアは寝息を立て始めた。
その様子から、うまく緊張を悟らせずに済んだようだとミツキは安堵する。
〝用事〟などと、まるで野暮用でも済ませるかのように言ったが、明日行われるパレードで、ミツキは王位に就いたばかりのセルヴィスを狙撃する予定になっていた。
トリヴィアには、そのことを話していない。
暗殺を強制されたなどと知れば、彼女は再び暴れ出しかねないだろう。
トリヴィアに漏らされる可能性を考慮して、オメガにも秘密だ。
四人の中で、ミツキ以外では唯一この企みを知るサクヤは、自ら計画への協力を申し出た。
虫の眷族を改造して拵えたという通信機を用いて、ミツキをナビゲートするのが彼女の役目だ。
元の世界のコオロギに似たその昆虫は、羽を振るわせ離れた相手の声を再生し、また自身に向けて発せられた人の声を超音波で遠距離に伝達する。
無線連絡を可能にするという虫を前にして目を丸くしたのは、ミツキばかりではない。
この世界には無線通信というものが存在しない。
遠距離との通信には、鳥の使い魔での伝書が一般的だ。
サルヴァなどは、普及すれば世界に革命を起こせる技術だと即座に見抜いた。
「と言っても、何せ急ごしらえでな。あまり長距離の通信はできない。せいぜいが、大声で叫べば声が届く程度の距離が限界だろう」
それでも、十分ありがたいとミツキは思う。
当日は、一人で行動しなければならないからだ。
何かあったときに指示を聞けるような備えがあるだけでも心強かった。
「……オレも寝るか」
明日は早い。
夜中に出発し、日の出前には狙撃ポイントに到着したら、正午頃までその場に潜んでいなければならない。
しかし、眠れるだろうか、と思う。
膝に置いた手を見ると、微かに震えている。
トリヴィアの世話を焼いている最中は明日のことなど忘れられたが、ひとりになると不安に襲われる。
アタラティアの戦場では散々人を殺してきたが、明日の標的は一国の王で、しかも暗殺だ。
成功すれば、その時点で己は、大罪人となり果てる。
その夜、結局ミツキは眠ることができず、迎えが来るまでの間、側壁塔の外で星を見ながら過ごしたのだった。
ミツキが不安な夜を過ごした一日半前、ティファニア王領の首都から大分離れた平地にそびえる転移塔でその事件は起こった。
「……なんだこれは!」
取り乱した部下から事情を聴き、慌てて転移魔法陣の間へと踏み込んだジエン・スーテル施設長は、何の処置もしていないのにもかかわらず光を放っている魔法陣を前に立ち尽くした。
「施設長! 先程、突然魔法陣が起動したんです! 我々は何もしていませんので、別の転移塔からの転移としか考えられません」
「しかし、本日転移の予定など、何の連絡も受けておりません! これはいったい!」
転移塔を用いた転移魔法の行使に際しては、転移元と転移先の入念な打ち合わせが義務付けられている。
転移先の魔法陣に不備があったり、整備などの理由で人が入り込んでいたりすれば、それだけで大惨事になりかねないからだ。
ただし、転移先の準備が整っていなくとも、魔法自体は転移元で発動するので、リスクにさえ目をつぶれば転移自体は可能なのだ。
つまり、この転移はどこかの転移塔からの事前通告なしの強制転移ということになる。
そのことに思い至ると、ジエン・スーテルは狼狽える部下に檄を飛ばした。
「塔内の攻撃魔法を使える者をかき集めよ! 最悪、侵略者が転移してくる可能性も有り得るぞ!」
「はっ! しょ、承知いたしました!」
部下たちを見送ってから、ジエン・スーテルは魔法陣の中心を睨み付ける。
今の内に魔法陣に細工を施せば、転移を防ぐことは可能だ。
ただし、転移者の命は確実に失われる。
通告なしの転移ではあるが、悪意を持って行われたものかは判断がつかないのだ。
仮に、緊急の要件でやむなく転移してきた伝令などであった場合、阻害すれば取り返しのつかない事態になる恐れもあった。
「くそっ! 強制転移など、私が塔に来て初めてだぞ!」
マニュアルにもないので、どう対応すればよいのか判断がつかなかった。
「衛兵はなにをやっているんだ!」
「そ、それが、今日はよく晴れて気持ちが良いので、皆で遠乗りに行くと言って昼前に出かけました」
「ば、馬鹿なのか奴らは!」
重要な施設である以上、転移塔には兵士も常駐している。
ただし、僻地である転移塔へ派遣されるということは左遷に等しく、塔職員以外に人もいない以上トラブルも起こらないので、兵士たちはとにかくやる気がなかった。
「施設長、転移が始まりました!」
塔内の広大な空間に構築された立体魔法陣がひときわ激しい光を放つ。
もはや一刻の猶予もなかった。
「こうなったら、ここにいる者だけでどうにかするほかない! 皆、詠唱を始めよ! ただし、転送されてくるのが敵であるとは限らん以上、魔法は中途での詠唱破棄が可能なものに限定する!」
「施設長! わ、私は攻撃魔法なんて使えませんよ!」
「そんなの、私もだ! 生活魔法でもなんでもいいから、とにかく動きを止めるのだ!」
その時、塔内に放たれた光彩が収束し、魔法陣の中心に転移者の姿が浮かび上がった。
しかし、光は一瞬で霧散し、広大な空間は闇に満たされる。
ジエン・スーテルは即座に詠唱を終えた照明魔法を前方の空間に向ける。
これなら相手の目をくらましつつ、その正体を見極めることができる。
しかし、彼は光に映し出された転送者の姿を目にし、驚愕のあまり目を見開いた。
「な、なんだ、おまえはいったい――」
自分の発した明りが道標になるなどと予想もしていなかったジエン・スーテルは、己目掛けて高速で迫る巨大な影に対し、ただ手をかざすしか為す術がなかった。
狙撃ポイントへ向かう馬車には、サルヴァとレミリスの他に少女がひとり乗り込んでいた。
歳の頃はドロティアに近そうで、顔は人形のように整っている。
栗色の髪にバイオレットの瞳。
着用しているゴスロリ風のドレスは、なぜか、ミツキには見覚えがあった。
「そちらのお嬢さんは?」
「私だ間抜けめ」
その声と口調で、ミツキは一瞬にして理解した。
「おまえサクヤか!?」
「ああ。人に化けてみた。これなら民衆に紛れていても怪しまれまい」
確かに怪しまれはしないだろうが、悪目立ちはしそうだとミツキは思う。
ただの町娘にしては、容姿が整い過ぎている。
「その服は?」
「おまえが以前、私用にしつらえたものだ。正直趣味ではないが、いつもの白無垢では怪しまれるだろうからな」
いや、ゴスロリも結構微妙な線だろうと思うが、今のミツキにはツッコミを入れるような余裕がない。
「顔色が悪いけど大丈夫かい?」
気遣いの言葉を掛けるサルヴァに、ミツキは顔を顰めてみせる。
「体調が悪いって言ったら代わってくれんのか?」
「今日は君のひとり舞台だ。私などに代役は務まらないさ」
ひとり舞台なのはセルヴィス王だろうとミツキは思う。
先日見た若き王子の顔が、心の中でリンカーンやケネディの肖像とオーバーラップする。
「まぁ、泣いても笑っても、この国の未来はこれの一撃で決まる」
そう言ってサルヴァが取り出したのは、第二王子が掌握しているという第一騎士団の幹部のみが扱えるという矢の鏃だ。
「頼んだよミツキ」
一瞬ためらってから、差し出された鏃をミツキは受け取った。




