第六節 『虎口』
鬼神のような戦いぶりを見せた女の姿に畏怖を抱いたミツキだったが、部屋へ引き上げてきた女の表情を見て緊張した内心が一気に弛緩した。
「見たか私の戦いぶりを! 魔法など使わずとも、瞬殺だっただろう? さぁ、褒めたければ好きなだけ褒めていいんだぞ!?」
記憶の無いミツキでも、そうそうお目にかかれないとわかるほどの、渾身のドヤ顔だった。
ニマニマと緩んだ笑みを浮かべ己を見つめる女に、ミツキは小さく言葉を返した。
「ああ、凄かったな」
「……え? ……それだけ?」
「……それだけ、とは?」
「いや、その……もっと、惚れた! とか、抱いて! とか、劇的な反応を期待してたんだ……」
ミツキのリアクションの乏しさにテンションの下がった女は、気落ちした表情で俯いてしまった。
「それより、試合に勝ってもまたこの部屋に戻されるんだな」
「え? ああ、兵士から元の控室に戻るよう言われたんだ。私も勝ったら別の場所へ連れて行かれるんだと思っていたから少し意外だったけど、おかげでまたキミと話すことができたな」
そう言って女はほほ笑んだ。
今さっき落ち込んだばかりだが、どうやらあまり引きずらない性格らしい。
出会った直後のクールで凛々しい印象は、会話を重ねるほどに損なわれていたが、少なくとも親しみやすい人となりではあるようだった。
人懐っこい笑みも、悪魔じみた見た目でさえなければ可愛らしく感じられたのかもしれないと、ミツキは少し残念に思う。
そうこうしている間にも、次の試合が始まっていた。
手斧で武装したローブの出場者は軽快な足さばきで魔獣を翻弄し、あわや三人目の勝利者になるかと思われたが、結局、甲殻類のような分厚い殻に覆われた魔獣に決定打を与えられず、体力が尽きたところを蟹のような腕で頭から叩き潰されてしまった。
鬼女と話を交わすうち不安が紛れかけていたミツキだったが、百人以上のうちの既に過半数が出場して、未だ勝利者が二人という事実に、己の置かれた状況が如何に絶望的であるかをあらためて認識させられた。
「どうかしたのか?」
先程の試合を目の当たりにして、青褪めたミツキを気遣うように、女が話しかけた。
「オレは、あんたみたいには戦えない……たぶん負けるよ」
自嘲的な口調で言葉を返すミツキに、女は笑みを浮かべながら言った。
「ずいぶん弱気だが、大丈夫だ。キミなら勝てる」
「それは……何か根拠があっての発言なのか?」
気休めだろうと思ったが、自信に満ちた女の表情に、何か秘策でも授けてくれるのかと、ミツキは希望を抱きかける。
「もちろん! 闘技場に入場してから魔獣が姿を見せるまでには少しの猶予があるだろう? そこで、入場したらすぐに攻撃魔法の詠唱を始めるんだよ。魔獣の入場口は決まっているのだから、姿を見せると同時に発動するようタイミングさえ合わせれば、敵は狭い通路に動きを阻害され避けることなどできないというわけさ。キミの体格を見れば魔獣と格闘して勝つのが難しいのは当然だよ。無理せず安全な間合いから攻撃して確実に仕留めればいい」
僅かな間であろうと期待を抱いていただけに、女の策を聞いたミツキの落胆は大きかった。
また、魔法だ。
「それは、オレが魔法を使える前提の作戦だよな。今までの出場者で魔法を使ったのは、高熱で広場ごと魔獣を焼き払ったヤツひとりだけ。あんたを入れてもふたりだ。それで何故、オレが魔法を使うと思った?」
「それはキミがあの兵士らとほとんど同じ種族だからさ。私はこの部屋の中だけでなく、ここに来る間にも兵士らが魔法を使うのを目にしている。なら近い種族のキミだって魔法を使うと考えるのが道理だろう? そして、兵士たちは魔法を使う際に詠唱を必用としているようだった。だからキミもそうだと踏んだわけさ。加えて、キミの種族は男の方が戦向きだというのを先程聞いたからね。それなら攻撃魔法のひとつふたつは使えるはず。どうかな、なかなかの洞察力だろ?」
得意げに答えたが、女の推理は完全に的外れだった。
確かに、ローブの集団の中から逃亡を図った者が、兵士の使う奇妙な力で殺されるのをミツキ自身何度も見ている。
しかし、当然ミツキには魔法など使えない。
それに、男の方が戦いに向いているからといって、即ち攻撃魔法が使えるという女の考察もよくわからなかった。
「……もしかして、あんたの種族じゃ女なら誰でも戦うのか?」
「え? そんなの当然じゃないか。成人してから老いて動けなくなるまで、狩りや戦はすべての女が負うべき義務だ。君らの種族では男がそうなのだろ?」
「いや、狩りって……」
女の返答を聞いたミツキは、狩猟採集民のような生活を脳裏に思い描いた。
あるいはそこまで原始的ではないにしても、現代日本とは比較にならない程に文明が未発達な土地から、彼女はやって来たのだと想像できた。
「……どうりで話がかみ合わないはずだ」
「何の話だ?」
首を傾げた女の問いには答えず、ミツキは質問に質問を返した。
「なあ、今オレらが居るこの建物をどう思う?」
「大きいな。こんな巨大で複雑な造りの建築物は見たことがない。まあ、記憶がないのだから、見たことあるかどうかなんてわからないはずなんだが、自分がどんな場所にいたかは不思議とよく思い出せるんだ」
「やっぱりそ……記憶!? あんたも記憶がないのか!?」
「ん? キミもそうなのか? それは奇遇だ」
ただの〝奇遇〟なわけないだろ、と心の中でツッコミを入れる。
単に記憶がないだけなら、同じ状況に置かれている以上、同じような理由で記憶喪失になるということも、あり得なくはないのかもしれない。
しかし、女は自分のいた場所のことはよく思い出せると言った。
ミツキも同じだ。
おそらく自分が暮らしていたのだと推測している日本社会のことなど、普遍的な知識は気味の悪いほどによく憶えている。
ふたりそろって自分自身の情報だけがすっぽりと抜け落ちているなど、どう考えても偶然なわけがない。
「だとすれば、他のローブの連中もまったく同じ状況か」
どのような方法を用いたのか不明だが、ローブの集団はそれぞれに異なる土地から集められたのだろう。
独房に囚われていた時は、ここが異国の地で、自主的に訪れたところを拘束され、その際に頭を打つなどして記憶喪失になったのではないかと考えていた。
しかし、ローブの連中の容姿や見たこともない化け物を嗾けられ戦わされているという状況、そして魔法という現実離れした力を使う者がいるという事実を鑑みれば、ここはミツキの知る地球上のどの場所とも異なる、未知の世界なのではないかと考えるしかなかった。
当然、そんな場所に自分の意思で来ることなど、少なくともミツキの知る現代文明の技術ではできるはずがない。
であれば、おそらくは拉致かそれに近いかたちで連れて来られたのではないのか。
そして、何らかの人為的な処置によって、自身の記憶だけが消されたのではないか。
「でも、いったい何のために……」
「なにブツブツ言ってるんだ?なにか考え事しているみたいだけど、試合はもう大丈夫そうかな?」
「――そっ!!」
そうだった、と我に返り、ミツキは表情を強張らせた。
完全に思考が脱線していた。
女の種族の生態とか自分が記憶を喪った理由とか、今考えても意味はない。
今必要なのは、自分に魔法は使えないということを女に話し、そのうえでどう戦うべきか助言を得ることだ。
そう考え、女を見上げると、女はミツキの背後に視線を向けていた。
釣られて振り向くと、背後に三人の兵士が立っていた。
「貴様の出番だぞ。来い」
「えぇ! もうオレの番!?」
最悪のタイミングだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうしても彼女に聞いときたいことがあって、せめてひとり後にできないか?」
どうにか時間を稼ごうと交渉を試みるが、ふたりの兵士に両脇を抱えられてしまう。
「貴様らに順番を決める権利などない。まあ、そこの女のように自分から進んで戦いたいというもの好きなら融通してやらんこともないが。それに、周りをよく見てみろ」
そう言われ、室内に視線を巡らせると、残ったローブの集団は座り込むか床に倒れ伏していた。
「これは……」
「さっきの熱波でやられたんだ。貴様、観戦とおしゃべりに夢中でまったく周りを見てなかったろ」
先程の魔法のとばっちりで残っていたローブの集団に被害が出ているのはわかっていたが、いつの間にかこれ程の事態になっているとは気付いていなかった。
それだけ周囲を気にする余裕がなかったということなのだろう。
鬼女に庇われなければ自分も戦う前に終わっていたと思い至り、ミツキのこめかみに冷や汗が伝った。
「オレたち兵士は鎧布の付与魔法のおかげで全員無事だが、他にこの部屋で立っているのは貴様とその女だけだ。他の部屋には無事なヤツもいるらしいが、残り少ないことだしまずは雑魚から片しちまおうってことになってな。さっきの魔法の後、拘束具組以外で残ったのは、今さっき死んだ奴と貴様だけなのさ」
「拘束具組?」
「ああ、貴様はわからんでいいことさ。そんなことより後がつかえてるんだ。ちゃっちゃと歩けよ」
兵士がそう言うと、両脇を抱えていたふたりがミツキを引きずるように歩き出した。
「キミ!」
部屋を出る直前、鬼女に呼び止められた。
「さっき言ったことを忘れるなよ! そうすれば必ず生き残れる」
もはや魔法が使えないことを説明する暇もない。
女の方に振り向いたミツキは、辛うじて笑顔を作ってみせた。
「……幸運を祈っていてくれ」
そう言って室外に伸びる廊下へ踏み出すと、背後で扉の閉まる硬質な音が響いた。
兵士たちは尚も両脇を固めるようにして歩いて行く。
まあ、無理もない、とミツキは思う。
死刑台に続く道を歩かされているようなものだ。
恐慌をきたして暴れたり、泣き崩れて進めない者だっていたはずだ。
そう考える自分とて、まるで雲の上でも歩いているような、浮遊感にも似た足元のおぼつかなさを感じている。
兵士たちの支えがなければ、足がもつれて倒れてしまいそうだ。
それにしても長い廊下だった。
兵士が足を踏み出す度、鎧がガチャガチャと金属質な音を響かせ、石壁の狭い通路に反響した。
「なあ、さっきの部屋で倒れている連中はどうなるんだ? 戦えなくなったとしても生きてるヤツだっていただろ?」
恐怖を紛らわそうと話しかけたミツキの問いに、兵士のひとりが端的に答えた。
「……知りたいか?」
「あぁ……いや、やっぱいい」
酷薄そうな声音から、なんとなく察してしまった。
戦う能力を試されているのに、戦えなくなった者など、不要以外の何物でもないのだろう。
彼らの最後が、せめて、逃亡を企てた者たちのような無惨なものでないことをミツキは祈った。
さらに、しばらく歩き続けると、廊下の突き当りに扉が見えてきた。
あそこの外が闘技場かと、一瞬身構えるが、建物の構造と歩いてきた方角的に違うような気がした。
先導していた兵士が扉を開き、三人同時に通るにはやや狭い入り口を兵士たちと身を寄せるようにして潜る。
殺風景な部屋の中にふたりの兵士がおり、正面の壁一面に様々な武器が立て掛けてあった。
先導していた兵士が、部屋で待機していたふたりと小さく言葉を交わすと、ミツキの方へ振り向いた。
「好きな武器を選べ。いくつ持ってもいいが、そのローブじゃ身に着けることもできんだろうし、まあせいぜいふたつまでにしとくべきだな。で、選び終わったらそっち」
ミツキから見て左手の方へ視線を送る。
釣られて見ると、木製だが金属で縁取られた頑丈そうな扉が設置されていた。
「その扉から出て行って、あとは殺されるだけの簡単なお仕事だ」
「笑えるか」
おもわず日本語で呟きつつ、両側を固めていた兵士たちの手を離れ正面の壁の前まで進む。
剣、槍、斧、槌、弓、短剣、メイス等々、武器の種類は豊富で、中には見たこともないような形状のものもあった。
それに、どれも使い古されてはいるものの、刃はこぼれておらず錆も浮いていない。
手入れはよくされているようだった。
さて、とミツキは端から吟味していく。
間合いを考えるなら槍が無難だが、距離を詰められると無防備になる。
短剣などでカバーするにしても、槍は両手で使用するので持っていくのは難しい。
兵士が言うように、この服装では腰などに下げるのも無理だろう。
それなら、とミツキは槍から剣に視線を移す。
日本刀と違って両刃の直刀だが、長さは竹刀や木刀とそう変わらなそうだ。
もし、自分がかつて剣道など嗜んでいたなら、それなりに扱えるのではないか。
希望的観測ではあるが、独房で確認した己のスペックを鑑みるに、存外あり得るのではないか。
そう考え、ミツキは剣を手に取った。鞘を払い正眼に構えつつ、近くの兵士に尋ねる。
「ちょっと素振りしてみてもいいか?」
「かまわんが、時間が押している。巻きで頼むぜ?」
そう言って、手を払うようなジェスチャーをする。
早くやれということだろうか。
元々この部屋に待機していた兵士だが、控室の兵士らに比べやや対応が緩かった。
とはいえ、警戒されないよう、剣を振る前に少し兵士との距離を空ける。
そうして再び正眼に構えると、振りかぶり、前進と同時に剣を振り下ろす。
小気味よい風切り音が鳴った。
続けて前後への移動に合わせ数度素振りして、剣の重さや間合いを確認する。
やや柄が短いと感じるが、見た目ほどには重くなく、どうにか扱えそうだった。
「これにする」
「それ一本でいいのか?」
「ああ」
剣一振りの方が身軽だし、両手に得物を持って行ったところで扱いきれないだろうとの判断だった。
「では扉の前に立て」
促されて扉の正面に移動する。
兵士が部屋の脇に設置されたレバーを下ろすと、扉は重苦しい音を立てながら観音開きに開いた。
「もうわかっていると思うが、でかい音が鳴るのが開始の合図だ。闘技場に出たら、好きに戦えばいい。ちなみに、びびって立ち往生するようなら槍で追立てにゃならん。手間は掛けさせてくれるなよ?」
先程、観戦していた際、闘技場に出てきた時点で血を流している者が何人かいて気にはなっていたが、そういうことだったのかと納得する。
「問題ない。もう、腹はくくった」
兵士への返事ではなく、自分に言い聞かせるために呟いていた。
せめて、醜態は晒すまい。
そう考え、己は意外と自尊心の強い人間なのかもしれないと気付き苦笑した。
この期に及んで体面を気にしているとは。
未だ自分自身のことさえ何もわからない。
こんな理不尽極まる状況で死んでたまるかと、ミツキは強く思った。
次の瞬間、〝ビーーー〟という、もはや聞き慣れた音が、しかし先程まで待機していた部屋よりも大音量で鳴り、ミツキは弾かれたように闘技場へと駆け出した。