第九節 『依頼』
側壁塔広間の片隅で、ミツキは膝を抱えて震えていた。
その顔は色を失い、噛み合おうとしない歯をカチカチと鳴らし続けている。
そんな同胞の様子を、サクヤとオメガは醒めた表情で見つめていた。
「それで、怖気づいて逃げ帰って来たと?」
問い掛けたサクヤにチラと視線を向けてから、ミツキは小さく頷いた。
ドロティア王女から、彼女のハーレムに加わるための処置について聞かされたミツキは、もはや完全に進退窮まり、庭園に設置されたステンドグラスを〝飛粒〟で破壊すると、男たちの隙を突いて庭園を脱出した。
迷路のような王宮内を記憶を頼りに走り回り、どうにか出口へとたどり着いた。
幸い、衛兵たちには未だ通達が来ていなかったらしく、全速力で宮殿の外へと走り出たミツキの背に何か大声で叫んでいたものの、追手は来なかった。
レミリスは、宮殿に入る前の言葉通り馬車で待っていた。
ミツキが飛び込むように馬車へ逃げ込むと、彼女は何も聞かずに御者に発車を命じ、そのまま側壁塔へと戻ったのだった。
怯え切った様子で側壁塔へ戻ったミツキを目の当たりにし、サクヤとオメガは最初警戒したが、事情を聴いて呆れかえった。
サクヤは大きく嘆息し、頭を押さえながら首を振った。
「ミツキ、おまえは私を失望させる天才だな。まさか一日と経たずにとんぼ返りとは。正直、私にストレスをあたえるためにわざとやっているのではと疑う程だ」
「まったく、情けねえ野郎だ。尻尾を巻いて逃げ戻るとはよ。恥を知りやがれ」
ふたりに詰られて、ミツキはおもわず声を荒げる。
「うるせえ! パイプカットされそうになったんだぞ! パイプカット!! まともな男なら逃げ出すに決まってんだろ!!」
そんな様子を見ても、サクヤは尚も冷めた様子で肩を竦める。
オメガも軽蔑しきった目で、床に唾を吐く始末だ。
「やらせてやればよかっただろう。どうせここにいたところで使うあてなどなかろうに」
「お、おまっ! なんてこと言いやがる! 血も涙もないとはこのことだ!!」
「ケッ! 負け犬の遠吠え程見苦しいもんはねえな。ところでパイプカットとは何だ?」
先程からいちいちうまいことを言おうとするオメガに、ミツキはイラついていた。
それに、パイプカットの意味も知らずにこれ程己を蔑んでいたことにも腹が立つ。
説明しようと口を開きかけるが、サクヤが先に答えていた。
「文脈からだいたいわかるだろう。ま、言ってしまえば断種だな。性行為をしても子どもができんよう、精管に何らかの処置を施すといったところか。種の元自体を取ってしまう方が手っ取り早いとは思うが、愛人にしようというのであればその方が妥当か」
サクヤの説明を受け、オメガの顎が落ちる。
「し……」
「し?」
「死刑より酷えじゃねえか! コイツがいったい何をやったってんだ! そこまでされるようなことをしでかしたのか!? いや、何をしたってそんな悍ましい刑罰はいくら何でも惨すぎんだろうが!!」
「は? 別にミツキは何もやっていないだろう。おまえは今まで何を聞いていたんだ?」
「あぁ!? じゃあ何でこいつは断種なんてことをされかけたってんだ!?」
「子どもをできなくするためだと言っただろう」
「だから、それがどうしてだって聞いてんだよ!!」
「子ができる心配をせずにまぐわえるからじゃないか?」
「なっ!?」
オメガは大きく見開いた眼でサクヤとミツキを交互に見ながら、よろよろと後退った。
「なんつぅ冒涜的なことを考えやがるんだ。子を成すための神聖な行為を快楽を得るためだけに行う? しかも、それを何のしがらみもなく行うために子をできねえようにするだと? 完全に本末転倒じゃねえか。イカレてる。どう考えても狂ってるとしか思えねえこの猿共」
「だから逃げて来たんだっつぅの」
「というか私まで一緒にするな」
三人は同時に大きなため息をついた。
「断種のことなどどうでもいい。それよりミツキ。おまえが仕でかしたことが、どういう結果を招くことになるか、考えていないとは言うまいな?」
「うぅ、わかってるよそんなこと」
サクヤに睨み付けられ、ミツキはよろよろと立ち上がる。
「でも呪いがある以上、ここから逃げることもできない。どうしようもないじゃないか……まあ、もう夜も遅いし、オレを捕らえに来るなら夜明け以降だろ。今夜だけはゆっくり休んで明日に――」
「いや、そういうわけにもいかんらしいぞ」
「なに?」
サクヤの言葉に眉をひそめたミツキは、出入り口の扉が開く音を耳にして、ビクリと身を竦ませた。
しかし、扉から入って来たのがアリアだとわかり、胸をなでおろす。
ミツキが戻った直後、彼女はレミリスとともにどこかへ出かけていた。
間違いなく、ミツキの逃走の件に対応するためなのは、火を見るより明らかだ。
「なんだよ、アリアか。脅かすなよ。レミリスは――」
「ミツキ様にお客様でございます」
「え?」
レミリスに続いて、厳めしい甲冑を纏った騎士たちがどやどやと側壁塔内に入り込んできた。
甲冑の男たちを率いるのは、サルヴァ・ディ・ダリウスだ。
昼間と同じアルカイックスマイルを浮かべているが、気さくと感じられた笑顔は、今のミツキには恐怖の対象でしかない。
「やあ、ミツキ。昼間はやってくれたね」
ミツキは咄嗟にサクヤの背後に隠れた。
何故か、オメガもサクヤの背後に割り込もうとする。
「ちょっ、おい! なんでおまえが怯えてんだ!」
「だ、断種は……〝ぱいぷかっと〟は嫌だ」
先程の会話が余程ショックだったらしい。
丸まった尾を股の間に挟み、きゅーきゅーと怯えた声を漏らしながら、オメガはサルヴァに警戒の視線を送っている。
「そう身構えないでくれないか? 呪いがある以上、キミたちが我々に危害を加えることはできないのだろうが、こちらとしても一国の軍を四人で退けるような相手と積極的に事を構えるつもりはないんだ。まずは話をさせてほしい」
「……良かろう」
ミツキではなくサクヤが答えていた。
サクヤはミツキの首根っこを掴むと、強引に引き摺り、むりやり椅子に座らせた。
そして、その隣の席に自らも腰掛ける。
「応じてくれて助かるよ」
卓の正面に、サルヴァも座る。
その背後の騎士の中には、昼間ミツキが見た顔もあった。
庭園でミツキに嫉妬心を向けてきたワイルド系イケメンだ。
剣呑な目でミツキを睨み付けている。
他の騎士たちにしても、ミツキに向ける視線は似たり寄ったりだ。
ということは、とミツキは推測する。
こいつらはあの王女の親衛隊か。
王女を袖にしたばかりか、逃走のためとはいえ殺傷力のある能力で彼女の持ち物まで破壊したのだ。
こいつらにしてみれば、己をなます切りにしたくで仕方がないのだろうと想像し、ミツキは身を縮めた。
そんなミツキにただひとり涼やかな視線を向けるサルヴァが口を開いた。
「さて、単刀直入に言わせてもらう。ティアは逃げたことに関してはキミを許すと言っている」
「え!?」
唐突に、サルヴァから言われた言葉に、ミツキは呆け顔になる。
不敬罪で斬首刑にでもされると思っていただけに、拍子抜けだった。
「驚いた顔だね。彼女はお気に入りの男には寛容なんだよ」
「そ、そうなんだ」
「とはいえ、だ。キミが王女の聖域で危険な能力を行使したのをなかったことにはできない」
「ですよね」
「ついでに言うと、キミが破壊したステンドグラスは、キミが五十年鉱山で肉体労働に従事しても到底弁償できない程の値打ちものだ」
「なんとなく、わかってました」
安心したのもつかの間、サルヴァから突き付けられる非情な現実に、ミツキはうな垂れていく。
「もし今回の件を上に報告すれば、キミやキミの仲間は、最悪消されることとなるだろう。あるいは、良くてアタラティアなどとは比べ物にならんほどの修羅場に送られるか、といったところだ」
まあ、そんなところだろうとミツキは思う。
上というのが他の王族を示すのか、それとも軍やそれ以外の機関のことなのかは判断しかねたが、いずれにせよ召喚者を処分してしまいたい連中に格好の口実を与えることになるだろう。
いくらドロティアが許したところで、目の前の親衛隊長の行動如何で己の、あるいは己等の命運は絶たれる。
自分の仕出かしたことの巻き添えで、他の三人まで危機に立たされるのだけは避けたかった。
だから、どうにか自分ひとりが犠牲になれば済むよう、ミツキは口を開きかけた。
しかし、ミツキの言葉は、サルヴァの声に遮られる。
「ただ、もしミツキ、キミがティアと我々の頼みをひとつだけ聞いてくれるのなら、今回の件は不問にしよう」
「なっ!? ほ、本当か!?」
「ああ、二言はないとも。それに、報酬も出そう。少なくとも今の境遇が改善されるよう取り図ろうじゃないか」
「それなら、なんだってやるよ! オレは何をすればいい」
自分と仲間の命が掛かっているため、ミツキは必死だ。
そんなミツキを前に、サルヴァは笑顔をまったく崩さない。
ミツキの隣に座るサクヤは、サルヴァの様子をじっと見つめている。
「ところでミツキ、これは極秘中の極秘情報なのだが、実はこの国の王、メイルスト・ライティネン・ガラル・ティファニエラ陛下が病床に伏している。もう長くはないんだ」
「へ?」
いったい何の話だと、ミツキは戸惑う。
サルヴァはかまわず話を続けた。
「陛下がお隠れになられれば、すぐにでも第一王子であるセルヴィス・ライティネン・ヨズル・ティファニエラ殿下が王位を継ぐこととなる。そしておそらく、国王陛下の喪が明けた直後に即位式が行われ、市民区で大規模なパレードが行われる。なにしろ陛下の病状を見越して、既に秘密裏に準備が進められているぐらいなんだ」
「はあ」
サルヴァの意図するところが、ミツキにはまるで解らなかった。
王族の代替わりと己への頼みごとに、いったいなんの関係があるというのか。
「そこでだ。ミツキ、キミにはパレードの最中に、即位直後のセルヴィス殿下を狙撃してもらいたい」
「………………は?」
一瞬、側壁塔の正面広場は静寂に包まれた。
言葉を失ったミツキに、サルヴァはまるで変化しない笑みを向けたまま言葉を継いだ。
「つまり、キミには王子殿下の暗殺を頼みたいのさ」




