第三節 『王女』
「一同、おもてを上げよ」
目の前の布が開ききると、間もなく声を掛けられた。
先程と同じ声だ。
王女の紹介をしたことを鑑みると、王女自身の声ではないだろう。
そう思考しながら、ミツキは指示に従って顔を上げた。
と同時に、息を呑んだ。
天蓋の内には高さニ十センチ程度の段が設置されており、その中心の座具にひとりの少女が座っていた。
歳の頃は十代後半程度で、白い肌に、瞳が赤み掛かったグレーなのは色素が薄いゆえだろうか。
アッシュピンクの髪は複雑に編み込まれ、両の肩から腰の上まで垂れている。
顔は、大きな目に少し不釣り合いと感じる程、鼻と口が小さく、ひとことで言えば童顔だ。
ミツキの周囲の女性の中ではサクヤと近いタイプの見た目だが、受ける印象は真逆と言えた。
見る者に緊張を強いる程の冷徹さを漂わせるサクヤに対し、王女は無垢であどけなく、王族という極めて高い身分でありながら相対する者の庇護欲を掻き立てる。
服装は、白を基調にピンクのフリルのあしらったドレスだ。
肩から胸元にかけて肌が露出しており、幼い顔立ちもあって妙に背徳的だ。
それにしても、こんな小娘が、異世界から召喚された化け物の隔離施設にいったい何の用だとミツキは訝る。
王族だとしても、軍事に通じているような人間であればまだ理解できるが、目の前の少女が自分たちに会う理由などまるで想像できない。
ミツキが思考する間にも、王女はゆっくりと立ち上がると、その視線を正面に跪く一同に巡らせる。
ひと通り眺めると、その視線をミツキに据え、じっと見つめた。
王女に注目され、ミツキは内心おおいに狼狽えた。
状況がまるで理解できない。
会ったこともない王族に、どうしてこうまで凝視されるのか。
それとも、何か作法を間違えたりしたのだろうか。
冷や汗が流れ始めたミツキを注視したまま、王女がゆっくりと口を開く。
おもわず、ぐびりと唾液を飲み下したミツキに耳に、王女の声が届いた。
「やあぁぁぁぁぁぁぁぁん」
「……は?」
気の抜けるような声音に、ミツキはおもわず戸惑いの声を漏らしていた。
王女の顔を窺えば、ミツキに向けた顔をほにゃりと崩して微笑んでいる。
ますます意味が解らないと混乱するミツキに対し、王女はドレスの裾を持ち上げ、足早に駆け寄った。
「みっちいぃぃぃぃ! やっと会えたぁぁぁぁぁん!」
そう言って王女は、跪いたミツキの頭を胸に押し付けるように抱きしめた。
「はぁ!? ちょっ!? むぐぅ!?」
もはや何が何だかわからないミツキは、王女を引き剥がすこともできず、ただされるがままとなるしかない。
背丈の割に大きい胸に呼吸を妨げられ窒息しそうだが、それも悪くないなどと考えていると、背後から強烈な殺気を感じ、あわてて首を捻って後ろを窺う。
そこには、瞳をネオンブルーに光らせた鬼女が、能面のような表情でゆっくりと身を起こそうとしていた。
「おい、小娘……何をして――ぐベっ!!」
立ち上がりかけたトリヴィアは、背後のレミリスに足を払われたうえ、後頭部を掴まれ顔面を石の床に叩き付けられた。
あのポジション取りは、この状況を予想してのものだったのかと、ミツキは監督官の機転に舌を巻く。
一方、ミツキを胸に抱いた王女は、無様に抑え込まれたトリヴィアを見てくすくすと笑った。
レミリスに押さえ込まれたトリヴィアは、右腕の関節を極められているにもかかわらず、左手を床に付いて身を起こそうとしている。
その怒りに染まった表情に、ミツキは戦慄する。
感情のまま暴れられて王女に怪我でも負わせでもすれば、トリヴィア自身はもちろん、ミツキたち四人とも今度こそお終いだろう。
諫めようと口を開くが、それよりも早くレミリスがトリヴィアの背後から何かを耳打ちする。
ミツキの耳に監督官の声は届かなかったが、一瞬で顔色を変えたトリヴィアは、悔し気に表情を歪めたかと思うと、おとなしく押さえ込まれた。
おそらく、己の身を盾に脅迫でもしたのだろうと、ミツキは察した。
助かったと安堵する一方で、自分を利用して仲間を黙らせた監督官のやり方には、不快感を覚えないでもなかった。
「もおぉぉぉ! みっちぃってばぁ、抱き締めてるのはわらわなのにぃ、他の女なんか見てちゃイヤぁ!」
そう言って王女は、トリヴィアたちの様子を窺っていたミツキの頭を掴み、強制的に自分の方に向かせる。
「うっ……あ、あの何ですかその、〝みっちぃ〟って」
「ええぇ、みっちぃはみっちぃだよぉ。ミツキだからみっちぃ。可愛いでしょ?」
「あ、えっと……はい、そうですね」
どうやらあだ名だったらしい。
戸惑いを飲み込んで、ミツキは王女に同意した。
「あ、あの、ところで王女様は――」
「ティア!」
「え? えぇっと、何でしょう?」
「わらわのことわぁ、ティアって呼ぶのぉ!」
「あ、あぁ、はい。ティア様は、どのようなご用件でこのような場所へお越しになられたのですか?」
「ええぇ、それわぁ、みっちぃに会いに来たんだよぉ」
だから、何で己に会いに来たのかと聞いているんだ、などとは言えない。
なにしろ相手は王族だ。
無礼を働こうものなら、その場で手打ちにされても文句は言えないだろう。
決して、押し付けられる胸の感触をもっと堪能したいから、話を進めたくないわけではない。
それにしても、めちゃくちゃいい香りだ、何この甘いバニラみたいな匂い、この世界に来てこんなの嗅いだことない、などと思っていると、王女の背後から声が掛かった。
「ティア。そのぐらいにしておきなよ。抱き着きたいなら、そのうちいくらでもできるようになるだろ?」
イケメン騎士のサルヴァ・ディ・ダリウスだった。
王族相手にかなり砕けた口調だ。
そういえば、〝第一王女親衛隊筆頭騎士〟と言っていたなとミツキは思い出す。
おそらく近しい間柄なのだろうが、やはり王族相手にほとんどタメ口というのは尋常でない気がした。
「もう、せっかく久しぶりにみっちぃと会えたのにぃ。サルヴァの意地悪ぅ」
「話が進まないだろう? ほら、いい子だから」
騎士に引き剥がされるように、ドロティア王女はミツキを抱き締める腕を解いた。
未練を感じつつ、王女の言葉に疑念を覚える。
「……久しぶり?」
「ああ、キミは覚えていない、というか全く気付かなかっただろうが、彼女は以前キミのことを目にしているんだ。まあ、と言っても遠目にだけどね」
遠目に見たと言われても、これまで、少なくともこの王都では、底辺を這い回るように生きてきたというのに、どこで王族などと接点があったというのだろうか。
アタラティアでは副王や地方豪族と関わったが、王都からは遥か遠方だったはずであり、王女がその場に居合わせたはずなどないだろう。
「わからないのも当然だろうね。何しろ君は死の淵に立たされていたわけだし、周囲に注意を払う余裕などなかっただろう。それに、そもそも遠すぎて、ティアや私の顔など確認できなかったはずさ」
〝死の淵に立たされて〟という言葉に、ミツキは思い当たるものがあった。
「円形闘技場での選別か」
「御明察。私たちはあの場に居合わせた。無論、命懸けのキミとは違い、その様子を鑑賞する側としてだけどね」
闘技場での記憶が脳裏に蘇り、ミツキは目眩を覚える。
何もわからず独房から連れて来られ、境遇を同じくする者たちが食い散らかされるのを見ながら魔獣と戦うために待たされ、逃亡を企てる者は容赦なく殺された。
そして、実際に相対した魔獣は、当時の非力なミツキには完全に手に余る相手だった。
勝てたのはほとんど奇跡のようなものだ。
実際、トリヴィアとアリアの魔法に助けられなければ、あの時死んでいたはずだ。
「すまない。嫌なことを思い出させたね」
「みっちぃ、お顔が真っ青だよぉ」
「……大丈夫です。それより、見ていたってことは、観客席に?」
「それは気付いていたか。その通り。あの日、闘技場を取り巻く観客席に私たちは居た」
急に、目の前のふたりが、得体の知れない怪物か何かのようにミツキは感じた。
数百という命が失われる様子を見世物にするなど正気とは思われない。
「ああ、勘違いしないでほしいのだが、我々はなにも好んであのような場所に居合わせたわけじゃない。ティアは国王の代理としてあの場に参加したんだ。もちろん、私はその護衛として。そして、どうか信じてほしいのだが、あんな趣味の悪い見世物を楽しんで観ていたわけでもない。と言っても、キミにとっては我々もキミらを酷い目に合わせた連中と同じに見えるのだろうけどね」
申し訳なさげに述べたサルヴァの表情を目の当たりにして、ミツキは大きく息をつき、どうにか気を静めた。
「あなたたちは、オレらがこの世界に召喚された経緯について知っているのか?」
「私たちは君たちを召喚する計画に直接関わったわけじゃない。というか、計画のことを知ったのは、キミたちが既にこの世界へ召喚された後だった。でも、計画の主導者の方でいろいろあってね。紆余曲折の末に、キミたちはティアの保護下に入ったのさ」
「は?」
サルヴァの発言に意表を突かれ、傍らの王女に視線を送る。
微笑み返す少女の様子からは、自分たちの庇護者としての威厳は感じられない。
「てっきり軍に管理されているものと思っていたんだけど」
「それはレミリスが軍属だからかな? 確かに、彼女は今、第一王女親衛隊に籍を置いているから軍属と言えば軍属だ。とは言っても、うちの隊は軍内はもちろん近衛の中でもかなり特殊というか、ほとんど組織図の中から外れた立ち位置だから、おそらくキミのイメージしているような〝軍に管理されている〟という状況とはだいぶ異なると思うよ」
「だ、だったらなぜ、アタラティアの援軍なんて――」
そこまで言って、ミツキは思い出した。
レミリスは、確かに自分が〝王家の名代〟だと副王に対して公言していた。
さらに、自分たちは公的な援軍ではないという理由からアタラティアを早々に引き上げている。
つまり、軍からの指令ではなく、王家からの勅命で派遣されたのだと考えることができる。
そして、王家とは、つまるところ目の前の少女を指すのだと言えるのではないか。
「ティア、様が、オレらのボスってことか」
「やぁぁぁん、〝ボス〟だなんて可愛くなぁい!」
「可愛くはないかもしれないが、正解だよミツキ」
〝ボス〟と呼ばれたのが気に入らなかったのか、風船のように頬を膨らませる目の前の少女と、自分たちを側壁塔に押し込めたうえ戦地に送った人物が、ミツキの中ではどうしても一致しない。
いや、と考える。
彼女自身はあくまで責任者という体裁で、別の誰かがミツキらの処遇を決定しているという線の方が濃厚だろう。
例えば、目の前でアルカイックスマイルを浮かべる青年騎士などは、肩書的にもその当人である可能性が高いのではないか。
「これだけは言っておくけど、キミたちはとある事情から計画主導者の管理を離れたことで、国と軍の上層部はかなりの長期間に亘って処遇を議論することになった。ティアが預かると言い出さなければ、殺処分されていた可能性も十分にあっただろう」
だから感謝しろとでも言うのか。
勝手に呼び出しておいて、随分と恩着せがましい言い草だ。
などとは、間違っても口にはしない。
今のところ友好的な印象ではあるが、このふたりが己らの生殺与奪を握っている可能性が高い以上、言葉は慎重に選ばなければならない。
「オレたちをアタラティアに送った理由は? 軍が領国の戦に援軍を送るのはわかるが、王女様の都合に何の関係がある」
「ああ、あれはキミたちに、というかキミに手っ取り早く手柄を立てさせるためさ」
「手柄? 何のために」
訝しむミツキに、サルヴァは含み笑いを漏らす。
「それなりの功績を立ててもらわなければ、釣り合わないからね」
「だから、何とだよ?」
「わらわとだよぉ」
予想外のタイミングで口を挟んできた王女に、ミツキの思考が停止する。
〝わらわと〟とはいったいどういうことなのか。
戸惑うミツキに構うことなく、ドロティアはサルヴァの傍らからミツキの方へと進み出る。
「あのねぇみっちぃ、わらわわぁ、みっちぃにぃ、わらわのダーになってほしいのぉ」
ミツキの脳内の疑問符が増える。
このお姫様は何を言っているのか。
〝ダー〟とは、何かやんごとなき方々だけに通じる隠語か何かなのだろうか。
頭を捻らせたところで解りそうもないので、ミツキは思ったまま疑問を投げ掛けてみた。
「あの、〝ダー〟とは何でしょう?」
「ダーはねぇ、ダーリンのダー」
「だー、りん?」
「そう! みっちぃわぁ、わらわのぉ、ダーリンになるのぉ。それでぇ、わらわと一緒にぃ、王宮で暮らすんだよぉ」
そう言って王女は、再びミツキに抱き着いてきた。
当のミツキはといえば、もはや理解が追い付かず、密着する少女の甘い香りと柔らかな感触に呆けるばかりだった。




