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第五節 『鬼女』

 おもわず、ミツキは息を呑んだ。


 二重(ふたえ)(まぶた)と厚い唇、鼻筋が通り眉は細いながらもきりりと吊り上がっている。

 目と口がやや大きすぎるものの、全体としては例えようも無いほど美しい顔立ちだった。

 だが、ミツキが驚いたのは、整った顔の造形より、それ以外の部分だった。

 肌の色は手と同じく灰色で、毛穴もシミも視認できず陶器のように滑らかに見える。

 髪は金属のように光沢があり、角度によって黒からターコイズブルーへと色が変化する。

 その美しくもどこか不吉な印象を受ける色味は、ブラックオパールや黒真珠といった宝石を想起させた。

 ローブに収まっていた髪を女がかき上げると、針のような直毛がザラリと腰のあたりまで落ちた。

 ヤマアラシの(たてがみ)のようで、触ると刺さりそうだ。

 唇と血膜(しろめ)は爪と同じ深い藍色で、瞳は白銀。

 そして最も目を引くのが、頭部の左右と両側頭部から後方に向かって伸びる四本の角だ。

 根元の幅は十センチ弱といったところで、先端に向けナイフのように尖っており、微かに湾曲しながら頭部に沿うようにしてうなじの辺りまで達している。

 大迫力の上背も含め、鬼か悪魔にしか見えなかった。


「実は……」


 一瞬、相手の美しくも怖ろしい外見に身を強張らせたミツキは、女が話し始めたことで我に返り、冷静さを繕いつつ耳を傾けた。


「ここに来るまでの間に、周りのローブの連中に話しかけてみたんだ。五人に話し掛けて、そのうち三人は言葉が通じなかった。残った二人も、どうやらこの国の言語こそ解するようだったが、それでも意思の疎通は難しかった。いきなり襲い掛かって来たヤツもいたし、もう集団の中から協力できそうな者を見つけるのは諦めていたんだ。だから、キミの行動を見た時、ようやく意思の疎通ができそうな相手を見つけたと思ったんだ。と言っても、ここに至っては協力して何かできるとも思えないが……」


 確かに、移送の途中ならともかく、部屋に閉じ込められ複数の兵士に監視された現状では、力を合わせて脱出するのは難しいだろう。

 しかし、とミツキは思う。


「それでも、独房で目覚めてからここまで、ずっとひとりだったんだ。こうして話せているだけでもオレは心強いよ」


 そう言ってミツキは、目深に被ったフードを後ろに引き下げた。

 馬車内で他のフードの面々を化け物だと感じた以上、相手にもそう見られる可能性は高いと思い、これまで顔を隠してきたが、この女は比較的人と外見が近く、素顔を晒しても問題ないと判断したのだ。

 それに、相手が顔を見せたのに、自分は隠したままというのは無礼だろう。

 ミツキの顔を見た女は、驚いたように目を見開くと、少しの間しげしげと観察した。


「キミの顔は兵士たちとよく似ているな……ただ、若干印象は異なるか……よく見れば髪や目の色も少し違うようだ。それと、あの妙な印を顔に入れられたのか。惨い真似を……」


 目の下の幾何学的な記号を見て、女は同情を示した。


「ひとつ確認なのだが、キミはもしかして男か?」

「え? そりゃ男だが、見てわからないか?」


 自分が相手を見て迷いなく女性だと判断できたため、女の質問はミツキにとって意外なものだった。

 とはいえ、異なる種族の性別を見分けるのが難しいというのは理解できる。

 犬猫の雌雄を見分けるのは難しいし、先程襲われた化け物の性別もわからなかった。


「そうか、いやすまない不躾な質問だったか。私の種族は男性が極めて希少でな。それに背丈が非常に低く華奢だ。君の体格は私の種族の女性と男性の中間ぐらいなもので、判断しかねたのだ」


 そう言う女の声は、先程よりも少し柔らかくなったようにミツキには感じられた。

 どうやら自分たちホモサピエンスとは大分異なる生態の種族のようだ。

 男性が希少で、体が小さく非力となれば、大切に扱われているのだろうとミツキは推測した。

 であれば、男である自分への口調が優し気なものに改まったのは、人間の男性が女性を労わるようなものなのかもしれなかった。


「言っておくけど、オレの種族は比較的男の方が体が大きくて力も強い。だから気を使う必要はない。というか、多分この世界の兵士共のほとんども男だよ」


 ミツキの言葉に女は驚愕の表情を浮かべた。


「ええ!? ということは、まさかこの部屋の兵士も皆男なのか!? だって、あんなに体格が大きいじゃないか!」

「いや、だから人間は男のがでかいんだよ。オレよりガタイが良いのは、人種的な差異だと思う。それに、胸だって膨らんでないだろ?」

「そんなの、鎧を着ているからわからないよ……そうか、あれは男か……あんなにたくさん……しかも、いやに大きい……そしてむさ苦しい……なんという種族だ……」


 女はなにやらショックを受けているようだが、ミツキはそれどころではない。

 今も広場では死闘が繰り広げられているはずで、次は自分の出番かもしれないのだ。


「男がどうとか、そんなことはどうでもいいって。それより、今考えるべきなのはどうやって生き残るかだろ? 魔獣の種類がすべて異なる以上は対策の立てようも無いけど、一対一の試合形式ってことならせめて何か――」

「魔法さ」

「え?」

「おそらくだけど、私たちは魔法の素養の有無を試されてる。まぁ、仮に使えなかったとしても、生き残れるならそれはそれで有用ってところだろうね」

「……は?」


 女の言っていることがわからず、ミツキは数秒ほど言葉を失った。


「……今、〝マホウ〟って言ったか? ちょっと待ってくれ、まさかこの期に及んでふざけて――」


 そのセリフを言い終わる前に、背後の闘技場から緋色の光が放たれ、次いで火傷しそうなほどの熱を含んだ風が室内に吹き込んできた。


「あづっ……!」


 反射的に屈んだミツキを庇うように、女が背中から覆いかぶさってきた。


「ちょっ……だから、気遣いは無用だって……!」


 顔を上げたミツキは、奇妙な光景を目の当たりにした。

 風で舞い込んだ広場の砂塵が、ミツキと女の周囲を避けるようにして空中を舞っていた。

 何事かと女の顔を窺い、さらにギョッとする。

 瞳が強いネオンブルーの光を放っていた。


「な……んだ、それ」


 ミツキが呟いた直後、風の勢いは急速に弱まった。

 女は立ち上がると格子窓にへと駆け寄り、ミツキは背後を気にしつつも後に従った。

 未だ埃と熱気の充満する室内では、ローブの集団の多くが倒れて呻いており、先程の熱風の威力を窺わせた。

 一方、兵士たちは咳き込んでこそいるものの、倒れている者は皆無だった。

 そして、奇妙なことに、彼らの身に着けた布の文様の一部が、女の瞳のように鈍い光を放っていた。


「これは……なかなか凄まじいな」


 女の言葉を聞いて闘技場に目を移したミツキは、広場一面が燃え盛っているのを目の当たりにして息を呑んだ。

 広場の中央付近では、何か大きな塊がブスブスと煙を放っている。

 おそらくは魔獣なのだろうが、全体が黒焦げて、もはやどんな姿だったのかわからなかった。

 そして、そんな煉獄さながらの空間を平然と歩く人影があった。

 ローブの大部分は炎で燃え落ち、体が剥き出しになっているようだが、距離があるうえ炎と煙で視界を遮られよく見えない。

 ただ、その顔は人よりも犬に近いシルエットだった。


「見事な炎熱魔法だ。これほど広範囲に影響が及び、熱量は計り知れない……群れた敵に囲まれてもこれなら一網打尽にできる」


 感心する女をよそに、ミツキは愕然としていた。

 まさか、本当に〝魔法〟だというのか。

 そんなものが実在するということ自体、馬鹿げていて認めがたいが、なによりの問題はその使用こそ選抜の条件と女が推測したことだ。

 あんなものを使わなければ突破できないという前提で戦わされているのであれば、ミツキが生き残れる可能性など無に等しいように思われた。

 そして、ふと気付く。

 先程、吹き込んできた熱風から自分を守ったのも魔法なのではないか。


「これでは魔獣が気の毒だな。なにせ広場全体が焼け野原なんだ。逃げ場なんかどこにもなかっただろう。魔法防壁さえ突破して熱波が部屋に吹き込むぐらいだし、一瞬で骨まで消し炭だったはずさ。しかし、それはむしろ救いか。半端な炎で生きながら焼かれるよりはずっとマシだろうね」

「あんたも、使うのか?」

「え?」


 先程使われた魔法を興味津々に分析していた女は、ミツキの唐突な質問をおもわず聞き返した。


「だ、だから、あんたも使うのか? 戦いで、魔法をさ」


 それは、単純に女が魔法を使うのか確認するための質問だった。

 しかし、ここで誤解が生じた。

 繰り返されたミツキの質問を聞いた女は、しばらく言葉の意味を考えると、急に表情を厳しくした。


「……それは、魔法を使わなければ私が魔獣に勝てないと考えての質問か?」

「え、何……?」

「そうだろう!? 私もさっきの奴みたいに、魔法でも使って戦わないと勝てるわけないって、そう思っての質問なのだろう!?」


 先程までの温和な態度を一変させ捲し立てる女に、ミツキは唖然とした。

 いったい何に憤っているのか、まったくわからない。


「いいだろう! 魔法などに頼らずとも、私なら身ひとつで魔獣を圧倒できると証明してみせようじゃないか!」


 どうリアクションすればよいのか判断しかねているミツキを尻目に、女は大股で兵士の方へと歩いて行った。

 気付いた兵士が槍を構えるのもかまわず、女は大声で言った。


「おい! 次は私を魔獣と戦わせろ! それとも順番でも決まっているのか!?」


 意外な要求に、兵士たちは顔を見合わせた。

 まさか自分から戦わせろなどと言い出す者が現れるとは思ってもみなかったのだろう。


「どうなんだ!? 戦わせるのか戦わせないのか、どっちだ!」


 詰め寄る女に戸惑ったのか、兵士たちは皆、指揮官へと視線を向けた。

 指揮官は首をすくめてみせると、部下に小さく声を掛けた。

 指示を受けた兵士は、控えの間への扉を開くと中に入って行った。

 別の兵士が女に声を掛けると、二人は扉の方へと歩き出す。


「キミ!」


 呆然と見守るミツキに、女が声を掛けた。


「見ていろ私の戦いを! 自分の目が節穴だったことを思い知らせてやる!」

「え! あ、うん……」


 最後に女は不敵にほほ笑むと、扉の中へと消えて行った。

 首を傾げながら、ミツキは女の反応の意味を考えてみた。

 女は魔法で勝つことなど不名誉だとでもいうような態度だった。

 そういえば、ミツキを助けた際の対応といい初戦の出場者に対するアドバイスといい、どこか戦いに慣れているようなところもあった。

 例えば、彼女が武士道や騎士道精神のような戦士としての矜持のようなものを持っていたとして、魔法を使わない相手に魔法で対抗するのを潔良(いさぎよ)しとしないということはあるまいか。

 さらに例えるなら、剣や槍を使う決闘で自分だけが銃を使用するような、卑怯な振る舞いだと考えているのではないか。

 そして、戦への矜持を持つ彼女が、ミツキの言葉を〝どうせ、あんたも魔法でちゃちゃっと勝っちゃうんだろ?〟といったニュアンスで捉えていたとすれば、あるいはプライドを傷付けられ激昂するかもしれない。


「この状況で?」


 自分の常識の中ではあり得ない、とミツキは考える。

 しかし、彼女は意思の疎通こそできるが、己とは違う生き物なのだとも理解していた。

 価値観だって当然違うはずなのだ。


 〝ビーーー〟というブザーが鳴り、ミツキは思考を遮られる。

 未だところどころで煙を上げる広場に視線を向けると、壁に設けられた入り口からローブを纏った大柄な人物が現れた。

 後ろ姿ながら、金属のように光沢を放つ髪がよく目立つ。

 間違いなく、彼女だった。

 右手に身長ほどもある馬上槍を持ち、左手には大振りの戦斧を握っている。

 ちょっと待て、とミツキは思う。

 そんな意図など毛頭なかったにしろ、自分が焚き付けたせいで魔法を使わず女が死んだら、それは己のせいではないか。

 広場の向こうの壁が開き、何か大きな生き物が見え始めた時、ミツキは思わず叫んでいた。


「さっきは悪かった! というか、別に魔法を使うとか使わないとか、そんなことであんたを貶めるつもりはなかったんだ! だから、頼むから魔法を使えるのなら使ってくれ! こんな馬鹿げたところで無茶をして死なないでくれ!」


 女が振り返り、ほほ笑むのが見えた。

 わかってくれたのか、と思いつつも、不安は晴れない。

 向こうの入り口から魔獣が姿を現した。

 カバを二回り程大きくしたような見た目だが、牙が鋭く頭部に巨大な角を備えている。

 なにより、体の両側面から無数の触手が生えており、威嚇のつもりか猛烈な勢いと速さで地面を打っている。

 角や牙を警戒して側面に回り込めば、触手による痛打が待っているというわけだ。


「距離があるうちに、魔法で……」


 呟きながら女を見ると、武器を構えもせず直立で魔獣の方を向いていた。

 何をやっている、と焦りながら、再び魔獣を窺えば、既に身を低くして攻撃の姿勢をとっているようだった。

 まずい、と思い女に向かって声を上げようとした瞬間、魔獣の背後で土煙が上がり、その姿が急速に膨らんだように見えた。

 それが驚異的な脚力による跳躍だと気付き、カバのような見た目からは想像もできない動きに戦慄する。

 女はというと、元の位置から微動だにしていない。

 ダメだ、とミツキが諦めた瞬間、女は馬上槍を逆手に持つと腰を低く落とした。

 そして、既に数歩先まで迫る魔獣の角の真下、人間なら眉間のあたりを狙い、槍投げの要領で馬上槍を投擲した。

 突進の勢いを殺せない魔獣は、回避動作をまるで行うことなく、槍の直撃を受けることとなった。

 根元に向かって円錐状に広がる馬上槍は、魔獣に深々と突き刺さりながらも貫通することなく、魔獣の体を弾丸のような勢いで押し戻すと、轟音とともに闘技場の壁へ磔にした。

 この時点で、魔獣の体は半分以下の厚みに潰れ、肉団子のようになっていたが、千切れ飛ばなかった数本の触手がウネウネと動いており、未だ息があるようだった。

 壮絶な威力の初撃に唖然としていたミツキが、怪物から女へと視線を移すと、先程まで立っていた位置には既に彼女の姿はなかった。

 次の瞬間、空気を震わすような金属音が闘技場に響き、続いて赤い雨がパラパラと降りそそいだ。

 大音響に身を強張らせたミツキは、弾け飛んだ怪物の前で戦斧を振り下ろした姿の女に瞠目した。

 槍を放ると同時に、吹き飛んだ魔獣が固定される壁の位置まで予想して跳躍した女は、落下の勢いを載せた斧の一撃を魔獣に浴びせたのだ。

 魔獣の身は四散し、馬上槍と戦斧がかち合ったため、大きな金属音が鳴ったのだった。

 女は馬上槍に食い込んだ戦斧を手放すと、何事もなかったように振り向き入口へと向かった。

 青と黒の髪は、魔獣の血を含み、赤紫色に変色して見えた。


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