第三十二節 『一撃』
鉄と鉄のぶつかり合う音が響き、肌が痺れる程に空気が震える。
無数に咲き散る火花を挟んで、トリヴィアと甲冑の巨人が猛烈な勢いで獲物を振り回し、その凄まじさのため周囲には旋風さえ発生していた。
そんな光景を目の当たりにし、ミツキはトリヴィアとの圧倒的な実力差を痛感させられていた。
普段の稽古で、相当手を抜かれていたことは間違いない。
仮にミツキが今のトリヴィアと打ち合えば、一合と持ちこたえることができず、上半身を潰れたトマトのように撒き散らすこととなるだろう。
しかし、それでも甲冑の巨人にやや押され気味だ。
剣戟が始まってから、ミツキの体感で二、三分というところだが、既に二度、トリヴィアは体勢を崩し、危うく命を落としかけている。
どす黒い顔色で苦し気に表情を歪めながら打ち合っている様子からも、コンディションが最悪なのは明白だった。
おそらく、立っているのも辛い状態なのだろう。
強敵相手に踏み止まっているのも、奇跡的だとミツキには思えた。
そんなトリヴィアをオメガはよく援護していた。
トリヴィアの攻撃を妨げないよう注意しつつ、甲冑の巨人に纏わり付くように攻撃を加えている。
甲冑の巨人にしてみれば、ほとんどダメージはないのだろうが、攻撃で受ける僅かな衝撃が、トリヴィアとの撃ち合いに少なからず影響を及ぼし、攻めきれないようだ。
トリヴィアが体勢を崩した際にも、甲冑の巨人の膝裏と利き腕に攻撃を加えて動きを阻害し、窮地を救っている。
普段の不仲からは想像もできないような、見事な連携だと言えた。
それに比べて己は、とミツキは歯噛みする。
トリヴィアと甲冑の巨人の間合いを考慮すると、〝飛粒〟で援護することはできない。
片足を痛めているうえ剣も折られた今、オメガのように近付いてトリヴィアを補助することも叶わない。
何もできない状況を歯がゆく思いつつ、落ち着けと内心で己に言い聞かせる。
長時間走り回ることはできないが、一瞬であれば今の自分にも素早い動きは可能だ。
ならば、今は機を窺うべきだ。
しかし、その機会が生まれるまで、トリヴィアが持つのか。
そう考える間にも、体力を削られ続け限界に達しつつあるトリヴィアは、甲冑の巨人の斧を受けきれずたたらを踏んだ。
畳みかけようと大きく戦斧を振り上げた甲冑の巨人の背後に、オメガが現れる。
「ったく世話の焼け、っぶ!?」
攻撃を仕掛けようとしたオメガの頬を甲冑の巨人の左の籠手が捉えた。
既に二度、トリヴィアの隙をフォローしていたため、三度目は動きを読まれていたのだ。
裏拳を食らったオメガは、盛大に吹き飛ばされた。
だが、そのおかげで、戦斧は右手のみで振り上げたまま、左手は背後に突き出されている。
こんな体勢では、トリヴィアの打ち込みを躱すことも受けることもできるはずがなかった。
「もらっ――ガハッ!!」
袈裟懸けに斬り掛かろうと大きく踏み込んだトリヴィアの腹に、戦斧の石突きが食い込んでいた。
大きく振り上げたのは、斧を振り下ろすのではなく、石突きを突き出すため。
オメガを迎撃して、わざと左手を使えなくして見せたのも、トリヴィアの攻撃を誘うためだったのだ。
先程治療し焼灼したばかりの傷を鉄の突起で抉られ、トリヴィアはたまらず喘ぎながらよろめく。
そして、甲冑の巨人は、今度こそ戦斧の柄を左手で握ると、木を伐り倒すようなフォームで、トリヴィア目掛けて斧を振り下ろそうと振りかぶった。
「ようやく、隙を見せたな」
甲冑の巨人の動きがぴたりと止まる。
ミツキが掛けた言葉の不穏さを警戒したからではない。
その声が、耳元で聞こえたことに意表を突かれたのだ。
「鎧でがちがちに守ってりゃ確かに付け入る隙は少ないだろうが、こんな兜を被ってたんじゃ視界が狭くなって後ろから飛び乗られても見えないよなぁ」
肩車のように、甲冑の巨人の兜を股で挟みながら上に乗ったミツキは、腰から光るものを抜いて構える。
それは、開拓村で彼の英雄から受け継いだ短刀だった。
「短く薄い刃は戦闘に向かない。だが、今はそれが良い」
甲冑の巨人が再び戦斧から離した左手を伸ばす前に、両手で逆手に握った薄刃をバイザーのスリットに突き入れた。
何か柔らかいものを突き破る感触を刃を通して感じたミツキは、甲冑の巨人が大きく身悶えし振り落とされる前に、その肩の上から跳躍していた。
兜を抑えながら、頭上に戦斧を突き出そうとしていた甲冑の巨人に、トリヴィアは低い声で囁いた。
「今度こそ、もらった」
胴に向けて放たれた渾身の一撃は、巨人の体を大きく吹き飛ばした。
その甲冑の一部は空中で分解し、城壁の下へと落ちていった。
巨人の体はというと、ジャイロ回転しながら最初に降ってきた塔に激突し、瓦礫とともに壁上広場へと落下した。
その光景を見届けながら着地したミツキは、手に握った血まみれの短刀を見下ろし呟いた。
「ありがとな、相棒」
そんなミツキに、剥きだした牙の間から血を垂れ流したオメガがよろよろと近寄る。
「クソがっ! 損な役回りだぜまったく! だが、まあいい。やっと鎧を引っぺがしたんだ。つっても、あんぐれえでくたばるタマじゃねえだろ。一気に畳み掛けるぞ」
「いや、待て」
振り向いたミツキの視線の先には、息を荒げたトリヴィアが片膝を付いていた。
顔色は異常と感じさせるほどに青黒く変色し、大量の脂汗を滴らせ、視線は定まらず泳いでいる。
これ以上の戦闘は不可能、どころか、早急な医療処置が必要なのは火を見るよりも明らかだった。
「悪いがオメガ、おまえにはトリヴィアを担いですぐに本陣へ戻ってもらいたい」
「ああ!? 何言ってやがる、テメエがやりゃあいいだろうが!!」
「トリヴィアの状態は一刻を争うんだよ! でもオレじゃ、彼女の体を担いで、走って戻るにはかなり時間を食うはずだ。屍兵が溢れた下の様子を見るに、馬車も使えないだろうしな。でも、おまえの足と腕力なら、そう時間を掛けずに本陣まで駆け抜けることができるだろ?」
「ふざけんな!! 手負いの獲物を前にして、オレに退けってのか!?」
「そうだ! おまえにしか頼めないんだ! オレは以前、彼女に命を救われている。だから、できれば自分でどうにかしてやりたい! でもダメなんだ! オレにできるのは、おまえに頭を下げることだけなんだよ!」
「……クソッ!」
逡巡を経て、そう吐き捨てたオメガは、トリヴィアの脇を首で支えるようにして持ち上げた。
「いいか! これは貸しだからな! 憶えておきやがれ!」
「ま、待って、くれ……私は、まだ、戦える、ぞ」
そう言ってオメガを押し退けようとするトリヴィアをミツキは制止した。
「おまえは起死回生の好機を作ってくれた。ここから先の手柄は、オレに譲ってくれないか?」
「しかし、キミひとりを、危険に晒す、わけには――」
「オレを信じられないのか? 普段オレを立ててくれてるのは嘘だったのか?」
「ち、がう」
ミツキはトリヴィアの目を正面から覗きながら言った。
「だったら、信じてくれ! 絶対に勝って戻ると約束する!」
トリヴィアは何か言おうと口を開きかけたが、そのまま意識を失った。
その表情は、微かに微笑んでいるようにミツキには見えた。
「チッ! マジでヤベえな。おい! もう行くが、テメエ大口叩いて負けたりしやがったら焼いて食っちまうからな!」
「ああ! そっちこそ、トリヴィアを頼んだぞ!」
最後に言葉を交わすと、オメガはトリヴィアを担ぎながら城壁の外へ向かって跳躍した。
「……さて」
オメガの姿を見送ったミツキは、塔の方へ視線を移す。
崩れ落ちた塔の瓦礫から立ち上る粉塵の中に、巨大な人影がゆらりと立ち上がるのが見えた。
「やっぱり、まだ立って来るか」
その時、瓦礫の傍ら、塔に開いた広場への入り口から、兵士たちの集団が走り出てきた。
おそらく、バリケードを作って屍兵の侵入を食い止めていたが、遂に突破され追い立てられて来たのだろう。
兵士たちは目の前に立ち昇る粉塵に戸惑い、入り口付近で足を止めた。
その刹那、兵士らの体は、甲冑の巨人が一振りした戦斧を受け、弾けるように飛び散った。
さらに、巨人は塔の壁面を叩き壊し、瓦解した石材によって入り口を完全に塞いだ。
「勝負の邪魔はさせないってことか、それともオレを逃がさないつもりか」
いずれにせよ、望むところだ。
今は、ブシュロネア兵も屍兵も、相手にしている余裕などない。
甲冑の巨人は、粉塵の中をゆっくりと進み、やがてその姿を現した。
上半身の甲冑の大半は吹き飛んだが、首から上、肘から先、そして下半身は、未だ黒鉄の鎧に覆われている。
剥き出しになった上半身は、分厚い筋肉に覆われていたが、人間のそれとは見た目が大きく違っている。
腹直筋が鎧のように割れているのは人のボディビルダーを彷彿とさせるが、その左右の腹斜筋まで異常に盛り上がっているのは明らかに人間離れしている。
また、大胸筋から三角筋にかけて、直線的なつながりが見て取れた。
これでは関節が曲がらないのではないかと、一瞬訝しく思ったが、もしかしたら人が服を纏うように筋肉が多層構造になっているのではないかとミツキは考察した。
黄土色の肌にはところどころ黒い斑があり、迷彩柄のようにも見える。
いずれにせよ、この巨人が、極端に上背のある人間などでないことは明らかだった。
「じゃあ魔獣か? それとも人類の亜種?」
いや、と思う。
今更そんなことはどうでも良い。
重要なのは、ここでこの怪物の息の根を確実に止めることだった。
粉塵の中から姿を見せた巨人は、足を止めると兵士の血肉に塗れた戦斧を血振りし、肩に担いだ。
ミツキとの距離は二十~三十メートルといったところだ。
左足を痛めた己は、接近されたらその時点でアウトだ。
だから、出し惜しみはなしだとミツキは考えた。
腰のウエストポーチを外すと、その中身を眼前にばら撒く。
飛び散った鉄球は、地面に落ちる前に浮遊すると、ミツキの周囲に漂った。
これまで操ったことのない数の鉄球に囲まれたミツキは、甲冑の巨人を見据えて呟いた。
「さあ、ケリを付けよう」




