第二十九節 『遭遇』
血痕は階上へと続いている。
階段を上ると、一階と二階の間の踊り場に、大量の兵士の屍が散乱していた。
誰かを逃がそうとしたのだろうか、兵士たちは必死に戦ったように見える。
床や壁面の石材はところどころ砕けており、この場で力を振るった者の攻撃の凄まじさが想像できた。
一階の廊下で屍兵を食い止めていた者たちは、皮肉にも前面から迫る敵を退けることに夢中で、背後で行われていた戦いに気付くことなく、命を長らえたようだ。
ミツキはさらに階段を上るが、兵士たちの遺体は増え続け、建物の損壊も更に目立つようになっていった。
四階に到着したミツキは、さらに階段を上るか迷い、一度壁上へ出てトリヴィアたちと落ち合うことに決めた。
進んだ先にいるであろう化け物に、自分一人で挑んで勝てる自信がなかったからだ。
それに、屋内では〝飛粒〟という能力の特性を十分に発揮できない。
「集合まで未だ間があるかもしれないが、仕方ない」
この主塔は、四階部分が壁上の広場と一体化している。
階段脇の扉を開け、壁上広場へ出ると、生き物の焼ける匂いが鼻を突いた。
この異臭は前に闘技場で体験しているなと思いつつ、視線を城壁の上に向けると、遥か遠方まで続く壁の上が炎に包まれていた。
おそらく、単独行動になったオメガが、いつか見た遠吠えの魔法で焼き払ったのだろう。
城壁の上は攻城戦に備えて壁の縁が一段高くなっている。
炎に煽られた敵兵たちは、壁から飛び降りることもできず、逃げ場のない壁の上で焼け死んだことだろう。
あるいは、苦しむ暇さえなく、一瞬で絶命したのだろうか。
遠く伸びる炎の道から、目の前に広がる広場へ視線を移したミツキは、そこにトリヴィアとオメガの姿をみとめて驚く。
炎上した城壁の上を見ればオメガが自分の役割を果たしたのはわかったが、近接戦を好むトリヴィアまで敵兵の掃討が済んでいたとは思わなかった。
ミツキに気付き手を振るトリヴィアと、サルエルパンツのポケットに手を突っ込んだオメガのもとへ、ミツキは小走りで駆けた。
「無事だなミツキ?」
「ああ、ふたりとも早かったな」
「大したことはない。壁上の敵は完全に浮足立っていたからね。城壁の端まで行って戻ってくるのに多少時間は要したが」
「多少、ね」
砦の壁は、正門を中心に片側だけでも端までの往復に徒歩で半日を要すると聞いていた。
ミツキの体感にして一時間そこそこで制圧してしまうとは、相変わらず規格外だった。
「オレらのこたぁいいんだよ。テメエも将軍とやらは見つけられなかったのか?」
「ああ、そのことなんだが、少し――」
ミツキの言葉の途中で、主塔の最上階付近で爆発が起こり、周囲の空気が震えた。
一斉に建物の上へ視線を向けた三人は、爆発が起こったあたりから何かが飛び出すのを視界に捉えた。
「なんだ?」
爆煙の中から姿を現したそれは、自由落下の果てにミツキたちのいる壁上広場に着地した。
余程の重さだったのか、落下の衝撃に耐えかねた床の石材は大きく陥没し、砕けて飛び散った石の破片がミツキたちの足元まで転がった。
「なんだありゃ? 人か?」
陥没した床から這い上がるようにして出現したのは、厳めしい黒鉄の甲冑に身を包んだ巨人だった。
ミツキたちとの間合いは三十メートル程で、遠目にもトリヴィアより頭ひとつ分以上の上背があるとわかった。
鎧はまともに動けるのか疑わしい程に重厚で、しかも左右の二の腕にはサーフボードを真ん中で〝く〟の字状に折ったような形状の盾を固定し、左手には刃の最大幅が一メートル近く、太い鉄の柄は成人男性の身長を超えそうな長さの戦斧、背中には先端がシャベルのように幅広い大型の槍を背負っている。
その姿は、もはや鎧武者というより、アニメにでも登場する人型ロボットを彷彿とさせる。
容貌は兜のバイザーに覆われて窺えないが、その隙間からは不気味な眼光がふたつミツキたちの方へ向けられていた。
「ま、さか、あれ」
ミツキは目の前に現れた甲冑の巨人が、先程まで自分が追跡していた牢獄の主だと直感していた。
甲冑の巨人はゆっくりとした動作で右腕を持ち上げる。
その手は、豪奢な鎧を纏った騎士の胸倉を掴み持ち上げていた。
おそらく、あれが司令官だとミツキが察する間もなく、甲冑の巨人は前方十メートル程の床に向かって騎士の体を投擲した。
石材の床に叩き付けられた騎士は、数回バウンドしながらも勢いが死なず、ミツキの方へと飛ばされて来た。
「うおっ!」
咄嗟に体を開いて躱そうとするが、あり得ない角度に拉げた腕が肩を掠め、ミツキは痛みに顔を顰めた。
騎士の骸は更に二十メートル程転がって停止した。
その姿は、もはやどこが関節だったのかもわからない程、滅茶苦茶に変形していた。
「ミツキ、大丈夫か!」
「問題ない、掠っただ――」
治療するため自分に駆け寄ろうとしたトリヴィアの姿が、次の瞬間ミツキの視界から消えていた。
「え?」
次いで、右方向から、大型車両同士の交通事故を彷彿とさせるような破砕音が鳴り、空気を震わす程の衝撃を身に感じた。
咄嗟に音の方へ視線を向けたミツキは、驚愕に大きく目を見開いた。
「トリ、ヴィア?」
今まで目の前にいたはずのトリヴィアが、腹を巨大な槍に貫かれ、城壁の縁壁に磔にされていた。
背後の石壁には大きな亀裂が入っており、彼女が叩き付けられた衝撃がいかに強烈だったかを窺わせる。
そして、その体からは完全に力が抜け、腹の傷からは臓物が溢れ、傷口はもちろん口や鼻からも青い血液を大量に溢れさせている。
「うそ、だろ? なにが――」
「避けろ!」
オメガの叫びを耳にして、ミツキは反射的にその場を飛び退いていた。
その目の前に、甲冑の巨人が現れ、巨大な戦斧がミツキの立っていたあたりの床を砕いていた。
腕力は言うまでもないが、三十メートル程の距離を一瞬で詰める脚力も常軌を逸していた。
「あの槍、おまえのものだな」
距離をとりながらも、ミツキは甲冑の巨人に怒りの視線を向ける。
「……よくもトリヴィアをやってくれたな! 何者か知らないが、ただで済むと思うなよ!」
ポーチに手を差し入れつつ、ミツキは後方の少し離れたところに立つオメガに向かって叫んだ。
「オメガ! おまえが前衛に出てくれ! オレよりおまえの爪の方が近接戦向きだ。そのかわり奴の攻撃は全部オレが叩き落す」
「……無理だ」
「え!? 何だって!?」
「勝てない。こいつは強い。オレは降りさせてもらう」
「はあ!?」
踏み込んできた甲冑の巨人の攻撃を躱しながら、ミツキは抗議の声を上げる。
「ふざけるなよ! トリヴィアがやられたんだぞ!! それに、俺たちは命令に背いたら呪い殺されるんだ! わかってるのか!?」
「あの女がどうなろうと知ったこっちゃねえんだよオレは! それに、後で呪い殺されるかもしれなくても、今ここで確実に死ぬよかましだろうが!」
「こ、の野郎!」
ミツキは歯噛みした。
実のところ、オメガについては、こうなるということを事前に示唆されていたのだ。
出立前のサクヤとの会話がミツキの脳裏に過る。
「危機的状況では、あの犬を当てにするな」
そうサクヤが助言してきたのは、闇地内に屍兵を配置し、彼女が本陣に引き上げる直前だった。
「犬ってオメガか? なんでだよ?」
サクヤの犬呼ばわりを気にして、ミツキは周囲に視線を巡らせた。
本人に聞かれれば、面倒なことになると警戒したからだ。
幸い、哨戒に出ていたためオメガの姿は見当たらなかった。
「私は側壁塔ではじめて引き会わされた時から、ずっとおまえたちを観察してきた。あれは見た目通りの獣だ。そして前回の迎撃作戦を見て確信したが、奴にとって闘争とは狩りの延長でしかない」
「見たって……どうやって見たんだよ」
「それは今重要なことか? 私が言いたいのは、獣の狩りというものは、狩られる対象、すなわち己よりも弱者に対して仕掛けられる行為ということだ」
「自分より強い奴が現れたら、その時点で狩りではなくなる。だから、戦えなくなる。そう言いたいのか?」
「御明察だ」
「考えすぎじゃないのか? 普段、あんなにイキってるんだ。相手が強いからって逃げるのは、プライドが許さないんじゃないか?」
「プライド? はっ! 獣風情にそんなものあるわけなかろう。普段の虚勢など、示威に過ぎん」
「示威?」
「犬の類は群れるうえに序列を決めたがるからな。普段の威勢は、おまえやデカ女へのけん制というわけさ」
「なるほど。でも、ブシュロネア兵の中にオメガよりも強い奴なんていないだろ?」
「おそらくはな。だが確実ではない。砦がひと晩足らずの間に占領されたことを忘れたか? 結局、どうしてそのようなことができたのか、この期に及んで何もわかっていない」
「砦を落とした精鋭がいると考えているのか?」
「人の精鋭で済むなら問題にはなるまい。私が懸念を覚えているのは、それが人を超越した存在だった場合だ」
「おいおい、おまえらみたいな化け物が敵陣にもいるってのか? だったらどうして今までの戦闘で出張って来なかったんだよ。杞憂だって」
「ならいいがな」
言うだけ言うと、サクヤは本陣へと戻って行った。
オメガのことも敵のことも、あの女の勘は当たっていたのだとミツキは痛感していた。
この巨大な甲冑の化け物が今まで戦場に投入されなかったのは、おそらく、あまりに強すぎてブシュロネア軍ではコントロールできなかったからだ。
砦を落としたのもこいつだろう。
しかし、これ以上は手に余ると判断され、地下の牢獄に閉じ込められた。
牢屋の床に描かれていた魔法陣には、拘束用の魔法でも込められていたのだろう。
しかし、今回の奇襲を寸前で察知した指揮官は、慌てて封印を解き、襲撃者を撃退させようとした。
だが結局、行動を制御できず、暴れ回る化け物に追い立てられるように上階へと逃げたが、最後は指揮官も殺された。
不意打ちとはいえトリヴィアを瞬殺するような奴だ。
普通の人間が束になったところでどうしようもなかっただろう。
そしてそれは、アタラティアに派遣されてから修羅場を潜り抜けてきたとはいえ、己自身にも言えることだろうとミツキは考えた。
「……だからどうした」
トリヴィアが脱落し、オメガは戦意を失い、サクヤは遠く離れた本陣に待機中。
圧倒的な脅威を目の前にして、ミツキは己の戦意が些かも揺らいでいないことを怒りに染まった思考の片隅で自覚した。
そもそも、街道での迎撃も村への襲撃もひとりで戦ったのだ。
今回もそうだというだけの話で、いちいち絶望などしていられない。
それに、先日ペルを失ったばかりだというのに、今度はトリヴィアだ。
もう、いい加減、うんざりだった。
ミツキは鉄球を無造作に掴みながら吐き捨てるように呟いた。
「わかったよ、犬。おまえはそこで尻尾を巻いてろ。このデカブツとはオレひとりでケリを付けてやる」
己に向かって突進してくる甲冑の巨人を見据え、ミツキは掌中の鉄球を一斉に放った。




