第二十六節 『帰還』
ミツキが本陣に加わり会議によって最後の作戦が決定した二日後、早朝から砦の正面にアタラティア兵が展開し、昼過ぎまで散発的な攻撃が続けられていた。
城壁の上からその様子を眺めるブシュロネア軍の指揮官は呆れ混じりの溜息をついた。
「いったい何がしたいのだ? 奴らは」
敵兵が放つ三級の遠距離攻撃魔法は、抗魔処理を施された城壁によってことごとく掻き消されていた。
しかし、こちらが迎撃しようとすると、波のように引いて射程外へと逃れるので、お互いにほとんど損害無く小競り合いが続いている。
「よもや陽動ではあるまいな」
「可能性は低いかと。城壁には満遍なく兵を配置し見張りに当たらせております。正面に意識を向けておいて別の個所から登ろうとしたところですぐに露見するはずです」
傍らの副官の言葉に、司令官は少しの間考え込む。
「城壁に接する闇地は密林地帯だ。城壁の上から地上に潜む敵は見つけ難かろう。兵にはそれも踏まえて警戒を徹底させよ。それと、地下の抜け道はすべて塞いだな?」
「工兵によって完全に閉鎖が完了しております」
「では、単なる牽制か?」
「おそらく。あるいは嫌がらせとも考えられます」
「嫌がらせ?」
「奴らにしてみれば攻め手を欠いているとはいえ、我らが追い詰められていることには変わりませんので。心理的な揺さぶりをかけつつ、もしこちらが痺れを切らして兵を出すようなことがあれば、戦力を削ることもできると考えているのかと」
「ふん……そんな手に乗るわけなどなかろう」
と言いつつ、まったく無意味な行動とも言えないと司令官の男は思っていた。
確かに、城砦の造りは堅固で敵を寄せ付けず、食料も元々砦に備蓄されていたものを含めれば、節約して軽く二年以上は籠城できる。
しかし、援軍を要請した本国からの回答は、あれを使ってどうにかしろという冷ややかなものだった。
増援が来ない以上、心理攻撃は確実に部下たちの精神を削っていくことだろう。
とはいえ、本国の決定も仕方ないとは思う。
二万をかき集めるのでも精いっぱいだったのだ。
敗戦が濃厚となった今、援軍を送るどころか、後方の守りさえ十分ではないだろう。
かと言って、撤退もできない。
自分たちがこの砦を放棄すれば、アタラティアとの立場は逆転する。
しかし、あれでこの戦況を覆すというのは、あまりにも危険と言わざるを得なかった。
たしかに、あれの力はこの砦を短時間で陥落させた実績から判断しても、ずば抜けている。
盆地に集結したアタラティア軍にけしかけたとして、壊滅させるのは難しくとも、大打撃を与えられるかもしれない。
そもそも、本国がこの侵攻作戦を決行したのも、あれを得たことが大きな後押しとなったという話は間違いないと考えられた。
この危機的状況でこそあれを使えというのは、真っ当な命令と言えばその通りだ。
しかし、と司令官の男は思う。
あんなものが、自分たちの手に負えるのか。
この砦に連れて来るまで、複数の兵士に管理を任せてきたが、その過程で命を落とした者は十や二十では利かない。
しかも、何がきっかけで暴発するのか全くわからないのだから始末に負えなかった。
一方で、魔獣などとは違い、高い知性を感じさせられることが度々あった。
言葉は話さないが、こちらの言っていることはわかるようで、砦の攻略に際してはそれまでの犠牲を埋めて釣りがくるだけの結果を出したのも事実だ。
しかし、あれが落とした砦内の様子を目の当たりにして、司令官の男はこれからの活躍を期待するよりも、こんなものを手元に置くリスクを恐れた。
作戦中、何かの拍子に暴走などされては、勝てる戦いも勝てなくなる。
幸いなことに、あれを除いても、アタラティアと戦うには十分な戦力が揃っていた。
ティファニアという大国の傘の下で長きに亘り平和を享受して来たアタラティアと、越流や内乱により常に戦い続けてきたブシュロネアの兵では、同じ兵数でも練度に格段の差があると考えられた。
そして、闇地に接する砦の地下には、魔獣を捕獲しておくために特殊な魔術処理を施された檻があった。
あれと同様に特殊な経緯で随伴することになった封印魔法の使い手の力も重ねれば、高深域の魔獣とて拘束可能だろう。
司令官の男は、メリットとリスクを秤にかけた結果、あれを地下の檻に閉じ込めることに決めた。
その後、後から到着した本隊とともに、街道を進んできたアタラティア軍との戦闘に勝利をおさめ、十分に準備を整えてから四街道に先発隊を進軍させた。
当然、敵の迎撃部隊は街道口で待ち構えていると予想し、闇地の低深域から街道を逸れ、闇地を抜けて奇襲を行うという策を立てた。
ここまでは順調だった。
しかし、第一から第三までの街道を進んでいた先発隊は、待ち伏せを受け大きな損害を出し撤退して来た。
第四街道の部隊に至っては、使い魔による連絡が途絶えて以降行方不明となり、今に至るまで一人の兵も戻っていない。
三街道の生存者で隊の前方を行軍していた者らの証言によれば、街道の途中に待ち構えていたのはアタラティア軍ではなく、常軌を逸した力を持ったたったひとりの兵士だったという。
目撃証言の中には、襲撃者は化け物のような姿をしていたというものもあり、司令官の男も含め報告を聞いた士官の多くは、魔獣と勘違いしたのではないかと考えた。
結界で保護されているとはいえ、街道は闇地に挟まれている。
アタラティアは何らかの方法で街道の結界を局地的に解除し、闇地の魔獣を街道内へ引き入れ先発隊を襲わせた。
そんな司令官らの憶測は、再び街道を登って来たアタラティア軍との戦闘で覆された。
敵の先頭に立った二騎の異形。
その力は一万を超える軍勢を蹴散らす程にすさまじいものだった。
司令官自身、戦場でその双方を目撃したが、間違いなく魔獣などではない。
そう、あれではまるで――
「指令!」
副官から大声で呼びかけられ、司令官の男は我に返った。
「どうした?」
「……なにか変です」
「なにかとはなんだ? 上官への意見具申は簡潔かつ具体的にせよ」
「し、失礼しました! アタラティア軍が陣形を乱しています。その……敵兵は何かに動揺しているように見えます」
「なんだと?」
副官から差し出された望遠鏡を片目に当てた司令官は、砦に散発的な攻撃を行っていたアタラティア兵たちが取り乱し走り回っている様子を確認した。
レンズによってその姿を拡大された数人の兵士は、向かって右の方を指差し何か喚いているように見える。
闇地に囲まれた盆地の窄まりに建てられた砦の左右には森林の闇地帯が広がっている。
ということは、魔獣が出没したのかと司令官が推測した直後、アタラティアの陣の中心で火柱が上がった。
「なっ!?」
砦の司令官と副官が揃って驚愕の声を漏らした直後、さらに二度三度と火柱が上がり、右手の森、闇地の中から見覚えのある甲冑を纏った軍勢がわらわらと走り出てアタラティアの兵士たちに襲い掛かった。
「なんだ奴らは!? あの装備は、わが軍のものではないか! 誰が攻撃命令など出した!」
「い、いえ、指令! 盆地側への出入り口であれだけの人数が迅速に出入りできるのは正門以外にありません! あれは砦から出撃した味方などではないかと!」
「ではいったいなんだというのだ! あの数、ここから確認できるだけでも数百、いや千を超えるか、しかもまだ森の中から現れ続けているぞ! あのような数の味方がなぜ外に……待て、奴らが掲げているあの旗は、まさか――」
「第四街道先発隊だ!」
司令官が言う前に、離れた場所から兵士の声が上がった。
眼下の戦場に視線を落としていた司令官の男が、声に連られて視線を上げ、城壁の上に視線を巡らすと、いつの間にか騒ぎを聞きつけた兵士たちが城壁の上に殺到していた。
再び火柱が上がると、兵士たちは口笛を吹き、戦場の仲間へ喝采を送る。
横腹を突かれたアタラティア兵は、陣形を立て直そうとするも一気に押し込まれ、為す術もなく潰走しはじめた。
「信じられん……本当に行方不明だった第四街道先発隊なのか? まさか、闇地に潜んで奇襲の機会を窺っていたというのか?」
「件の隊は強力な炎熱魔法の使い手を複数抱えています。先程の火柱はそ奴らの魔法攻撃かと」
司令官と副官が言葉を交わす間にも、砦前の戦闘は決着が着き、第四街道先発隊と思しき兵士たちは勝鬨を上げている。
城壁の上の兵士たちも、仲間の声に呼応し、大声を上げながら手を振ったりしている。
そんな中で、司令官の男は、眼下の味方へ視線を落としながら考えていた。
これは、罠ではないのか。
望遠鏡で見ても、兵士たちは泥や埃に塗れて顔はほとんど窺えない。
今の今まで闇地に身を潜めていたというのであれば、あの成りは当然と言えば当然だ。
だが、擬装ともとれないだろうか。
つまり、第四街道先発隊は作戦時に敗れており、奴らから鹵獲した装備を纏ったアタラティア兵による自作自演ではないのか。
「どう思う?」
「はっ! 罠か、ということですね?」
質問の意図を即座に悟った副官の反応に、司令官は小さく首肯した。
「十分にあり得るかと。作戦の性質上、先発隊は闇地内での行動にも耐える人材で組まれております。それでも、あれだけの集団で闇地へ踏み入れば、魔獣からの断続的な襲撃は避けられないでしょう。今に至るまでそのような過酷な環境に身を置いていた兵士たちが、あれ程鮮やかにアタラティアの虚をつけるかといえば、疑念を覚えます。それに、そもそも味方に知らせもせず、闇地に潜む意味がわかりません。いや、作戦の放棄も含め、何らかの理由あってのことかもしれませんが、とにかく慎重に見定めた方がよろしいかと」
「そうだな。あのぼろぼろの様子を見ればすぐにでも砦内へ入れ労ってやりたいところだが、危険を冒すわけにはいかん。まずは様子見の兵士を差し向けて――」
「待ってください!」
司令官と副官は同時に声の方へ顔を向けた。
声を発したのは、傍でふたりの会話を聞いていたらしい若い兵士だった。
正規兵の鎧を着ていないことから察するに、おそらくは開拓村からの徴発兵だろう。
「あれは味方です! 間違いありません!」
「貴様、適当なことを言うな! それに、士官でもない者が司令官殿に対して――」
「かまわん。非常時である。根拠を聞かせてみよ」
「仲間の望遠鏡を借りて下の連中を見たところ、同郷の友人がいるのを確認しました! 間違いありません!」
「友人? あのような泥まみれでわかるのか?」
「ガキの頃から一緒だった腐れ縁です! 多少汚れているぐらいで見間違えるはずなどありません! それに奴の装備は着付けが独特なんです! 何より、あいつおふくろさんから持たされたっていう布で口元を覆っているんです。見間違えるはずがない!」
「わ、私の連れも見つけました! あの体格と装備は、奴以外に考えられません」
「あの頭の禿げてる奴、ここに来るまでの行軍中によく話した男です。額にある痣の形が独特なんです」
「いた! オレのダチも見つけました。あの野郎、心配かけやがって!」
司令官と副官は顔を見合わせた。
兵士たちがここまで仲間を特定している以上、成りすましという可能性は低いだろう。
では魔法で洗脳されている可能性はと考え、すぐに首を振った。
ひとりふたりならともかく、これだけの人数の精神を支配する魔法など非現実的にも程がある。
「入れるしか、ありませんね」
「……そうだな」
できればよく調べて安全を確認してから招き入れたかった。
しかし、長く続いた籠城戦で兵士たちの不満はピークに達している。
仲間の帰還という希望に水を差すような真似をすれば、暴動にでも発展しかねない。
同郷者などに対する仲間意識の高い徴発兵が多いことが仇になったと、指揮官は苦々しく顔を歪めた。
「仕方ない、門を開放せよ。ただし、アタラティアには十分に警戒して兵を配置するのだ」
「は!」
「それとな」
指揮官は副官に近付くと、そっと耳打ちした。
「あれを出す準備をさせるぞ」
「は、はッ!? えっ、今お使いになるのですか? あれを!?」
「念のため、保険だ」




