第二十三節 『害虫』
第二十一副王領サリミアの北のはずれにある寒村で生まれ育ったその少年は、幼い頃より物語の英雄譚に親しみ、いつかは自分自身が英雄になるのだと信じて疑わなかった。
「魔獣どもめ、蹴散らしてやる! そら、死ね! 死ね!」
彼の日課は地中に沸く線虫の駆除だった。
ミミズに似た姿をしたその虫は、しかし作物の根を食い荒らす害虫ゆえ、小まめに地中から取り除く必要があった。
鍬で掘り起こした虫共を魔獣に見立て、英雄になりきって踏み潰すのは、田舎住まいの幼い少年にとって数少ない娯楽だった。
厳しく無口な父と優しい母、勝ち気でお転婆な姉と過ごす退屈だが穏やかな彼の日常が唐突に終わりを迎えたのは、彼が十二歳になって間もなくだった。
「オレ等だって鬼じゃねえんだ。できりゃあこんなことしたくねえ。ええ? わかってくれるよなあ?」
村の広場に住人達を集め、そう問いかけたのは三十人強の盗賊をまとめる四十がらみの男だった。
その足は、家族を守ろうと盗賊に立ち向かったものの、あっけなく返り討ちにあい絶命した、少年の父親の顔を踏み付けていた。
居並ぶ男たちは、皆俯いて震えている。
なぜ誰も立ち向かわないのだ。
そう心の中で非難する少年だったが、彼自身も足がすくみ、震えることしかできなかった。
「理解を得られたみたいで嬉しいぜ」
そう言って下卑た笑みを浮かべた盗賊が手下どもに合図を送ると、女たちは村で最も大きな村長の屋敷の中へと連れ込まれて行った。
少年は彼女たちがどのような目に遭うのかわかっていたが、それでも恐怖に竦んで動くことはできなかった。
屋敷に連れ込まれる寸前、一瞬だけ姉と視線が合った。
その縋るような目を見ても、少年は目を逸らす以外にできることはなかった。
そして、英雄に憧れた彼の少年時代は、その瞬間に幕を下ろしたのだった。
盗賊たちは攫った子どもを鍛え部下に仕立てる。
少年も例外ではなかった。
闇地との境界域にある山の隠れ家で、厳しい訓練を受ける子どもたちの多くはその過程で命を落とし、盗賊として活動するようになってからも、捨て駒扱いされる者がほとんどだった。
しかし、少年は村の友人たちが死んでいくのに目もくれず、生き汚い程に生き抜いた。
盗賊の幹部たちにはへつらい、自分以外の子どもで優秀な者は、利用できそうなら懐柔し、敵対するようなら蹴落とした。
村や旅人を襲撃する際には率先して汚れ役を受け持った。
数年もすると、少年は盗賊団の中でも若手のまとめ役として重宝されるようになっていた。
「しかしオメエも大したタマだよなぁ。手前の親父を殺った男に愛想笑いで酌をするたあよ!」
「いやあ、自分はお頭をオヤジと思ってますんで、当然っすよ」
そう言って笑いながら盗賊団の頭領の盃に商人から略奪した酒を注いだ。
その夜、盗賊団が眠りこけた後、副王領の精鋭騎士団が隠れ家へ踏み込み、一味は一網打尽となった。
完全に熟睡していた頭領は、捕縛された後、激しい拷問を受けてから火炙りにされたという。
他の仲間たちもだいたい似たような処罰を受けたが、ただひとり隠れ家から抜け出していた少年だけは難を逃れた。
離れた場所の闇に潜み、仲間たちが捉えられていく様子を観察しながら、少年はほくそ笑んでいた。
副王領の官吏に密告したのは己だが、これ程うまく事が運ぶとは思ってもみなかった。
心に浮かんだのは喜悦の感情だったが、彼の目的は復讐ではなかった。
「礼を言うぜお頭。あんたのおかげでオレも一端の盗賊になれたよ。でも、上にあんたらがふんぞり返ってたんじゃ、オレぁいつまで経ってもガキの使いだろ?」
その後、少年はならず者や浮浪児を束ね、自ら盗賊団を率いるようになったのだった。
かつての少年が自ら組織した盗賊団は、第二十一副王領の各地を荒らし回るようになり、その狡猾にして冷酷な手口から人々に恐れられた。
副王領の騎士団は何度か盗賊団の壊滅に成功したが、頭領であるかつての少年だけは必ず逃れ、数年もすると再び盗賊団を組織し暴れ回った。
十数年が経過した頃には、別の副王領にまで度々遠征するようになった。
かつての少年の悪名は、ティファニア北部全域にまで轟くようになった。
しかし、それがかつての少年を破滅に追いやることとなる。
中央から王国軍が派遣されて来たのだ。
練度の低い領国軍しか知らなかったかつての少年は、王国軍の迅速な作戦に為す術もなく追い詰められた。
しかし、拿捕される直前、彼は影武者を用意し、己は下っ端の盗賊として身柄を拘束されることとなった。
捕らえられたかつての少年が移送されたのは、首都ティファニアの巨大監獄だった。
この施設に収監されることになった者は、まず体内魔素量を計測される。
その際、かつての少年は、魔素量微量と判断された。
体内に魔獣の核石を移植した彼は、実際は常人離れした魔力を身に宿していたのだが、都市部に潜伏する際にその魔素と魔力から目を付けられぬよう、〝偽装〟の彫紋魔法を付与していたのだ。
彼が収監された棟には、同じように魔素量や魔力値の低い者が集められていたが、よくよく調べてみると、彼と同じように何らかの処置により計測値を欺いた者もごく少数ながら存在しているようだった。
そこで彼は、他の囚人と接触する僅かな機会を利用して、仲間を募った。
その棟に収監された者は、魔法能力値が低いという性質上あまり厳重には警戒されておらず、食事も食堂で摂らされ、棟内施設の清掃作業などにも駆り出されていたのだ。
まず彼が探したのは、魔導機構に通じた技師だった。
彼らが収監される際に、腹に装着させられた拘束具を外すためだ。
目当ての人物は、意外に早く見つかった。
その男は、貴族の屋敷などに設置される警備用の魔導装置を製作する職人だったが、ギャンブル狂だったために破産しかけ、自分が装置を卸した屋敷で盗みを繰り返した。
警備用の装置がいとも容易く破られ、しかもすべての装置が同じ職人の手で作られていたのだから、犯行はすぐ様明るみとなり、捕らえられたその職人は監獄に入れられたのだった。
その職人いわく、囚人が身に着けさせられた拘束具は、いくつかの機構を簡略化して作られた廉価版のような作りだったのだという。
もし完成品だったら、自分の手には負えなかった。
そう言って職人は、彼の前で自分に取り付けられた拘束具を外して見せた。
彼が収監された棟の囚人たちは、いずれ闇地の開拓に回されるはずだった。
開拓と言えば牧歌的な響きだが、実際は連日のように魔獣狩りをさせられる過酷な環境という噂だった。
一方、魔素量の多い連中は、大規模な魔導施設の燃料役として死ぬまで労役させられるらしかった。
どちらがマシかと言われれば、脱走が容易そうな前者だと彼は考えていた。
王都の監獄の警備は、半端ではなかった。
だから、彼は募った仲間たちと密かに連絡を取り合いながら、開拓地送りとなる日を待ち続けた。
そして、収監から二年近くが経過したある日、彼はようやく監獄から移送されることとなった。
当初、協力して脱走するよう話をつけていた仲間たちも、皆一緒に出されるという情報を得て、彼は小躍りするほど喜んだ。
しかし、どういうわけか収監された囚人たちはすべて出されることになったらしいと知って、何かきな臭いものを感じた。
どこかで囚人を使うような事件でも起こったのか、それとも監獄そのものを国が必要としているのか、おそらくそのどちらかの理由だと彼は推測した。
後日、先の予想が当たったと彼は確信することになったが、実際はその両方が正解だとは結局死ぬまで気付くことはなかった。
監獄からの移送の際、乗り心地最悪の護送車に押し込まれ、長時間激しい揺れに晒されたのはかなりの苦痛だった。
そして連れて来られたのは、ティファニア王都から遠く離れた闇地遠隔地の軍事演習場だった。
事前情報とは異なり、彼らはここで軍人としての訓練を施されることとなった。
どうやら己らは、囚人兵として使われるらしいと彼は知った。
囚人をまとめて出獄させた国の対応にきな臭いものを感じたのは、どうやら間違いではなかったようだと確信した。
数ヶ月に亘って行われた軍事訓練は、監獄暮らしでなまった体にはきつかったが、おかげで盗賊時代の体力を取り戻すことができたのは僥倖だと言えた。
そして、数ヶ月間にわたる訓練を施された後、彼らが派遣されたのは、西の果て、第十七副王領のさらに西端、隣国が砦を落としたという飛び地のような領地だった。
副王領軍に引き渡された囚人たちは、拘束具で行動を制限されているのをいいことに、砦を落としたという隣国の軍との戦闘の斬り込み役をさせられることとなった。
逆らえば、牙のような金具で腹を締め上げられ、地獄の責め苦を味わうことになる。
戦場に向かう途中、彼は密かに仲間たちへ情報を回した。
拘束具の解除法と、戦闘のどさくさに紛れて脱走した後の集合場所についての情報だった。
隣国の軍は精強で、味方の軍は油断が過ぎた。
副王領軍はあっという間に総崩れとなり、戦場を離脱した彼は、仲間たちとともに森の中で息を潜めた。
本土へ戻るには、街道を使う以外に方法がなかったが、間違いなく後退した副王領軍が出口を固めている。
隣国の軍がその防御を突破するか、副王領軍が封鎖を解くかしなければ、自分たちが戻る術はなかった。
周辺の開拓村を襲って食料を調達したかったが、隣国の軍が平野に陣を敷いているため、目立った動きはできず、しばらくは狩りや山菜で飢えを凌いだ。
仲間の中には我慢できずに村を襲おうとする者も少なくはなかったが、彼は容赦なく粛清を下し、集団の上下関係を明確にしていった。
数ヶ月が経過し、街道に軍を差し向けた隣国軍に動きがあった。
進軍した先発隊はほうほうの体で逃げ戻り、隣国軍は街道口に防衛線を張りつつ後退して再布陣した。
その街道口の防衛線も、あっけなく突破された。
偵察させていた部下の話によれば、各街道口で隣国軍を切り崩したのは、ただ一騎の異形の兵士だったという。
それから盆地内へ侵入した副王領軍は、初戦の緩慢な動きが嘘のように、迅速に布陣を済ませた。
こうして仕切り直しとなった盆地での決戦は、初戦とは真逆の結果に終わった。
彼自身が〝魔視〟を使って観察した戦場には、確かに、恐るべき魔力を発する二騎の異形の姿があった。
副王領にあれ程の戦力があったなら、初戦で投入していたはずだ。
おそらく、中央の切り札であろうその化け物じみた兵士らを警戒し、情報収集は注意深く行われた。
砦を取り戻すべく布陣した副王領軍陣地に忍び込み、兵士たちに紛れて戦況や街道の情報を集めたところ、先日街道へと兵を進めたブシュロネア軍は、闇地低深域から本土へ侵入するという作戦でアタラティアに奇襲かけるという作戦を見抜かれ、ティファニア中央から派遣された切り札によって退けられたらしかった。
その切り札というのが、自分の目で確認した異形の兵士たちだろうと彼は確信した。
だが、それよりも注目すべきは、ブシュロネアの作戦だった。
闇地低深域を抜けるという作戦は、自分たちが本土へ戻る際にも使えるかもしれないと彼は考えた。
さらに情報を集めると、本土側街道口の警備は大分手薄になっているらしいと発覚した。
しかし、第三、第四街道には数カ所検問が設けられ、第二街道は結界が破壊され使えないという。
ただ、ほとんど廃道の第一街道だけは、検問を敷かれていないらしかった。
その分、街道口の警備が厳重な可能性はあったが、ブシュロネアに習って闇地低深域を抜ければ、本土に戻ることは可能と彼は考えた。
魔獣に襲われるリスクは伴うが、アタラティア軍に悟られないためには、他に方法などないだろう。
脱出経路が決まった彼らは、戦場跡やアタラティア本陣から盗むことで武具などを調達した。
ようやく脱出の準備が整うと、出発前の景気付けに、どこかの開拓村を襲おうという話になった。
部下たちの鬱憤は限界まで溜まっていたため、いい加減発散させる必要があると考えた彼は反対しなかった。
というか、彼自身が、久々に盗賊らしい楽しみを味わいたかった。
標的は、盆地北部の闇地外縁にある村に決定した。
隠蔽の魔法が掛けられ目立たないうえ、隣国に占領された砦の近くに位置するので、何かあっても副王領軍は派手に動けないと考えたのだ。
偵察の結果、村には副王領軍の警備兵数人が駐留しているようだったが、自分たちの纏う味方の甲冑を見れば油断するはずだ。
王国軍に捕縛されてから忍従の日々を送って来たが、ここから己の盗賊としての再起が始まるのだ。
そんな考えに浮かれながら、彼は仲間たちを引き連れ、襲撃先の村へと向かったのだった。
「かはっ……!」
胸を圧迫する重みに、ヤンブ・リゲルは意識を覚醒させた。
見開いた視線の先に、全身焼け焦げた男の上半身が見えた。
己はどうやらこの男に胸を踏み付けられているらしい。
そう理解しつつも、なぜそんなことになっているのかがわからず、頭の中で状況を整理する。
己は村を襲っていたはずだ。
部下が女を見つけてきたのは憶えている。
その女を助けようと、森の中から飛び出してきた小僧をボウガンで射抜いたのも記憶にある。
それからどうした。
たしか……部下のひとりが頭を吹き飛ばされたのだったか。
そこまで思い至り、急速に記憶がよみがえる。
そうだ、部下を殺った男を殺そうとして失敗したのだ。
そして、分が悪いと判断し、残りの部下らを捨て駒にして逃走を図った。
しかし、失敗した。
つまり、己を見下ろすこの男こそが、たったひとりで部下たちを皆殺しにしたのだ。
ということは、先程の夢は、死を前にして、走馬燈を見たということなのか。
冗談じゃない。
そう思い、四肢を動かしどうにか抜け出そうとするが、すぐに足を失ったことを思い出す。
それでも、胸に乗せられた足を両手で掴み、退かそうと渾身の力を込めた。
「て、めえ……この足を、ど……け……!」
しかし、足はビクともしない。
それどころか、徐々に重さを増し、ヤンブの胸を更に押し潰していく。
男の細身の体を見て、ヤンブは混乱する。
どうしてこんな軽そうな男が、今にも己の胸を踏み抜こうとしているのか。
ミツキが念動で自分自身の体を下へ押していることなど、この盗賊には知る由もない。
「かっ……な……んで……?」
自分の胸骨が軋むメキメキという音を聞きながら、ヤンブは理不尽な想いに囚われていた。
こんな真似ができるのは、化け物でなければ英雄しかいない。
そして、己を見下す男は、人以外の何物にも見えない。
つまり、この男こそ、彼が少年時代に憧れた英雄という存在なのではないか。
では、なぜ今回は助けに来たのだ。
あの時、自分の村が襲われた時は、誰も助けてなどくれなかった。
だから、希望などその場ですべて捨てたのだ。
それなのに、自分が襲ったこの村には、何故手を差し伸べるのだ。
「ず……る、い……だ、ろぉ」
そうだ、ずるい。
同じ条件なのに、いったい何が違うというのだ。
その時、ヤンブの脳裏に、ある光景が浮かんだ。
己の部下に担がれた女を助けるため、森の中から現れたあの小僧。
武装した盗賊ふたりから、一瞬とはいえ女を取り戻してみせた。
あの時、あの小僧に激しい苛立ちを覚え、ほとんど反射的に狙撃していたのは、己が同じ状況でできなかったことを容易くやってのけて見せたからだ。
まさか、それが違いだとでも言うのか。
「じょ……だん……じゃ、ね……ぞ」
故郷が襲われたあの時、そんなことをすれば、己は間違いなくその場で殺されていた。
だから、姉がされることをわかっていて見捨てたのは正しかったはずだ。
しかし、と思う。
仮に、あの場で殺されたとして、もし立ち向かっていたなら、己は己が夢見た英雄として最期を迎えることができたのだろうか。
大切なのは生き延びることではなく、たとえ死んでも己の理想を貫くことではなかったのか。
あの場から生きながらえ、長い時間を生き続けたからといって、今こうして惨めに踏み潰されようとしている人生に何の意味があるのだ。
それならば、あの場で英雄としての死を選んだ方が、余程意味のある人生だったと言えるのではないのか。
その答えを探ろうと、目の前の英雄の顔に目を向ける。
どうか教えてくれ。
もしあの時、勇気を振り絞っていたなら、あんたやあの小僧のようになれたのか。
しかし、声の代わりに口から吐き出されたのは、肺と心臓を潰され溢れた大量の血液だった。
最期の瞬間、ヤンブ・リゲルが己の疑念の答えを見つけようと凝視した英雄の瞳には、一匹の害虫が映り込んでいた。
そして英雄は、かつて第二十一副王領の北のはずれに住んでいた少年が日課としてそうしたように、一片の慈悲もなく害虫を踏み殺したのだった。




