第十九節 『師弟』
翌日、ミツキは約束通り魔法への対抗策をペルに披露した。
しかし、それを目の当たりにした少年の反応は、けっしてかんばしいものとは言えなかった。
「ナニコレ。紐?」
ミツキの手に乗っているのは、組み紐と皮革のパーツで作られた細長い道具だった。
「スリングって武器だ」
ペルは微妙そうな表情をミツキに向けた。
「てっきり弓でも教えてくれるのかと思った」
「そういうのはこの村の連中の方が得意そうじゃないか?」
「ああ、確かに、弓ならリーズ姉に習えば十分だと思う」
「へえ、あいつ弓とか得意なのか」
呟きつつ、ポーチから取り出した鉄球を紐の中央の皮革製パーツに収めると、片側の紐の端に作った輪に指を通し、もう一方の紐の端を握る。
「こいつは弓ほどの威力も射程もないが、かなり手軽に使えるのが利点だ。そうだな……」
ミツキは少し離れた木立に目を向けると、数秒間凝視してからその一点を指差しペルに声を掛けた。
「オレが合図したら、あの辺りに向けて石を放れ」
「石? まあいいけど」
ペルが石を拾って構えると、ミツキは右手に構えたスリングを回し始めた。
風切り音の想定外の迫力に、ペルは息を呑む。
「今だ」
ミツキの声に続いて、ペルの放った小石が木の葉を揺らすと、驚いた野鳥が飛び出す。
ミツキが握った紐を離すと、遠心力によって放たれた鉄球は、意外な程の威力で野鳥の翼を貫いた。
「おお! すっげえ!」
駆け出したペルは、墜落した野鳥を回収すると、再び駆け足で戻って来た。
己の手から逃れようと暴れ回る鳥を、ペルはまじまじと観察する。
「翼を貫通してる……これなら、人間でも当てた場所次第で大怪我させられそうだ」
「魔導士相手にも有効だ。要するに、詠唱を中断させちまえばいいわけだからな。弓と違ってかさばらないし、何よりそこいらの石でも弾にできるのがおいしい」
「へえ……」
ミツキからスリングを受け取ったペルは、早速手頃な小石を乗せて振り回し始める。
数メートル離れた樹に狙いを定め紐の先端を離すが、石は前方ではなく真上に投擲され、石の行方を探ろうと上空を見上げたペルの額へと落下した。
「いってぇ!」
額をおさえつつ蹲ったペルを見て、ミツキは先程射止めた野鳥を絞めながら呟いた。
「まあ、気長に練習しな」
当初、ミツキは村への滞在は長くて半月程度になると読んでいた。
しかし、待てど暮らせどアタラティア本陣への帰還命令は届かず、気付けば五十日が経過していた。
「まだまだぁ!」
木剣で打ち据えられ転がされたペルは、即座に立ち上がり挑みかかって来た。
上段からの一撃を受け、この短期間でよくぞここまでと、ミツキは少年の成長に感心していた。
体力や剣の腕ばかりではない。
スリングの技術も飛躍的に向上し、今では飛行中の鳥を狙ってもかなりの確率で命中させられるようになっていた。
少年の熱意に押し切られるかたちで始めた特訓だったが、こうも著しく成長していく姿を見せ付けられると、ミツキ自身特訓にやり甲斐を感じないわけもなかった。
「うおっ!」
大振りの一撃をミツキが受け止めた瞬間、ペルの振るった木剣が半ば程で真っ二つに折れた。
「ああ、くそっ。またか」
「木剣を消耗するペースが上がってるな。打ち込みの威力が上がっているからとも言えるが、無駄な打ち込みが多いからとも考えられる。強引に相手の体勢を崩すんじゃなく、工夫して隙を作るよう頭を使え」
「わかってるよ。〝ふぇいんと〟だろ? でも、あんた引っ掛からないじゃん。それに、奇策には頼るなって、前言ってなかったっけ?」
「フェイントは奇策じゃない。ただの駆け引きだ。オレに通じないのは引っ掛けようってのが見え見えだからだよ。もっと無心で使えるようにならなきゃな」
「なんだよ無心って……言ってる意味がよくわからねえんだよなぁ」
ぶつぶつと文句を言いながら、ペルは腰の鞘に挿したナイフを抜き、近くの木から手頃な太さの枝を選んで斬り落とす。
枝を拾うと、先日ミツキが〝飛粒〟で倒した樹の幹に腰掛ける。
斬り落とした枝から小枝を斬り落とすと、新しい木剣を拵えるべく削り始めた。
ミツキは隣に腰掛けると、ペルの手元を観察する。
既に十本以上の木剣を折っているだけあって、随分と手慣れている。
ただ、これだけスムーズに木を削れるのは、道具の品質のおかげでもあるようだった。
「……そのナイフ、たいした切れ味だな」
「え? ああ、短刀のことか? これ一応オレの家の家宝みたいなもんなんだ」
「へえ、どうりで」
子どもの持ち物にしては上等すぎると思ったが家宝というのであれば、家族を亡くした以上、ペルが持っているのは当然と言えば当然だった。
よく見ると、柄などの拵えは素朴だが、刀身には細かな波紋が浮かんでいる。
ダマスカス鋼だ。
この世界の金属加工技術が意外な程発展していることに、ミツキは軽い驚きを覚えた。
「とはいえ、こう短く薄いと戦闘には不向きだな」
「ああ、じいちゃんも親父も、狩った魔獣の解体とかに使ってたらしいよ。オレとしちゃどうせ遺してくれるなら、こんな短刀より剣とかの方がよかったんだけどな」
そう言いつつも、木剣を作るのに向いた硬い木材を難なく削る切れ味を見れば、ペルがこのナイフの手入れを欠かしていないことは容易に察せられた。
会話が途切れると、しばし無言の時間が続いた。
空を見上げれば青空に浮かんだ雲が風でゆっくりと形を変えている。
耳をすませば、草木のざわめきと鳥の声ばかりが聞こえてくる。
戦場からそれなりに離れているとはいえ、ブシュロネアとの戦争の真っ最中というのが嘘のようだ。
「……あ、あのさ」
ミツキがあくびをかみ殺していると、木を削りながらペルが話しかけてきた。
「なんだよ」
「いつ頃、村からいなくなるんだよ、あんた達」
「そりゃ、戦争が終わったらだろ。あとは、この村が警備を付けなくても安全と判断されたらかな」
「そうなんだ……まあ、それはともかく、この村での生活はどうよ?」
「どうって、快適だよ。正直、アタラティアの本陣は勿論、王都の根城よりよっぽど過ごしやすい。こんな穏やかに過ごせる日が来るなんて思ってもみなかったぐらいだ」
「ふぅん。そりゃ、良かったな」
しばしの無言。
何なんだこの脈絡のない会話はと思い、意図を問おうとミツキは口を開きかけるが、先に言葉を発したのはペルの方だった。
「そんなに居心地が良いんならよ、ずっと居たらどうだ、この村に」
「ん? そりゃどういう意味だ?」
「どういうって、そのままの意味以外にないだろ。気に入ったってんなら王都になんか帰らずここに残れよ。ガキどもだって喜ぶし、何ならレーナ姉と所帯を持ったっていい。今は闇地に潜ってる村の連中だって、あんたの腕を知れば歓迎するだろうし、リーズ姉もあんたが村を守ってりゃ安心して軍に戻れるだろ」
ペルの意外な発言を受け、ミツキは少年の顔をまじまじと眺めた。
唇を尖らせてどこか不貞腐れたような顔を作り、視線は明後日の方向へ向けられているが、ふた月近くの日々をほとんど一日中ともに過ごしてきたミツキには、ペルの縋るような感情が伝わったような気がした。
「オレは――」
当然、残れるはずなどない。
ミツキには死の呪いがかけられている。
もし、帰還命令に背いたなら、その時点でレミリスはミツキを処分するはずだ。
しかし、そうとわかっていてなお、拒絶の言葉が喉元で止まったのは、ペルを気遣ったという以上に、ミツキ自身がその未来を脳裏に思い描いてしまったからだった。
施設でレーナや子どもたちと寝食を共にし、村の人々と協力して開拓に励み、たまに里帰りしたリーズやその仲間たちと酒を酌み交わす。
もちろん、ペルにも引き続き修行を付けられる。
いずれ成長したら、ふたりで魔獣を狩りに行くこともできるだろう。
生意気な弟子だが、きっといいバディになるはずだ。
その空想はあまりにも甘美で、しばしミツキに現実を忘れさせた。
だから異変に気付いたのは、空想に浸るミツキよりペルが先だった。
「おい……なんだよありゃ」
呟いたペルの声は微かに震えていた。
その不穏な響きによって我に返ったミツキは、不安そうに顔を歪めた少年の視線の先に目を向け、絶句した。
村の方角の空に、黒々とした煙が立ち上っている。
内心で、火事かと考え、即座に否定した。
煙の筋が複数上っていたからだ。
開拓村の家々は、土地の制限がないため、広々と間を空けて建っている。
つまり、隣家への延焼の恐れがない以上、火事で煙が幾筋も上がるということはまずあり得ない。
であれば何だ。
決まっている。
ブシュロネアの襲撃しかない。
しかし、何故このタイミングでとミツキは疑念を覚えた。
リーズから聞いた話では、アタラティアは盆地で行われた初戦に快勝したらしい。
後退を余儀なくされたブシュロネアに村を襲う余裕などあるのだろうか。
いや、と考え直す。
後退したからこそ、闇地外縁部からアタラティア後方へ回り込む作戦をとり、その途中でたまたま村を発見したとは考えられまいか。
あるいは、負け戦で軍からはぐれたか、脱走した兵士たちに襲われたとも考えられるのではなかろうか。
「い、行かなきゃ……レーナ姉……みんな」
僅かな間思考を巡らせていたミツキは、ふらふらとした足取りで村の方角へ進もうするペルに気付き、慌てて襟首を掴んで制止した。
「馬鹿! ちょっと待て」
「な、なんだよ。離せよ! 早くしないとみんなが!!」
ペルは服ごと後方へ引かれる感覚に気付くと、ミツキへ必死の形相を向け、もがいて手を振り払おうとする。
ミツキは思い切り服を引っ張りペルの体を強引に引き寄せると羽交い絞めにした。
「落ち着け! おそらく、村は襲撃を受けている! 救援にはオレが向かうからおまえはここに残れ!」
「ふざけんな! オレの村だぞ! どうしてそんなこと言うんだ!」
「おまえが、まだガキで足手まといだからだ!!」
ミツキの言葉を聞き、振り払おうと暴れていたペルの動きが止まった。
「オレがブシュロネアの兵三千を退けたのは知っての通りだ! だが、おまえを守りながらだとかえって動きを阻害される! だから、まずはオレがひとりで行ってブシュロネア兵を殲滅する! おまえの出番はその後だ! いいな!?」
ペルの体から急速に力が抜けるのを感じ、ミツキは彼の脇に回していた腕を解放した。
少年は震える膝で己の体を支え切ることができず、その場にへたり込んだ。
「……くそっ……わかったよ……言う通りにする……だから、みんなを助けてくれ……頼むよ」
「任された! ここにも奴らは来るかもしれないから、どこかに身を隠しておけ!」
そうペルに言い聞かせると、ミツキは村に向かい走り出した。
林道を駆けながら思考する。
奴らは何処から来た。
己らは村の南東の森林にある開けた場所で稽古をしていた。
そして村の北から東にかけての方向には闇地が広がっている。
自分たちが煙を発見するまで敵の襲撃に気付かなかったということは、おそらくは北西から南西方面からやって来たのではないか。
「くそっ! だからどうした! 敵は既に村を焼いてんだ!」
しかし、村の警備はリーズたちが固めているはずだ。
何故易々と攻め入られたのか、ミツキは疑念を抱いた。
彼女たちでは手に負えぬ戦力だったとして、それなら何故発見した時点で己に知らせに来ないのだ。
まさか発見する暇もなく急襲されたとでもいうのか。
「いや、それはない! 絶対!」
このあたりの地理について、敵兵がリーズたち以上に詳しいはずがない。
地の利は間違いなく警備の側にある。
さらに、道を除いた村周辺には魔獣対策として大量の罠も仕掛けられている。
そして何より、今は正午に近い真昼だ。
こんな時間に奇襲を仕掛けるアホはいないし、いたとしてそれをリーズたちが許すはずもない。
では一体どのようにして襲撃を受けたというのか、ミツキには見当もつかなかった。
「構うか! ブシュロネア兵が見えたら片っ端から〝飛粒〟をぶち込んでやる! とにかく最速最短で奴らを鎮圧するだけだ!」
だが、この焦りと先入観が致命的なスキを作り、その代償としてミツキは、取り返しのつかないものを失うこととなるのだった。




