第十七節 『少年』
「もしかしてお料理が口に合わなかった?」
考え事をしていたミツキは、いつの間にか隣に座ったレーナから話し掛けられ、ビクリと肩を震わせた。
「え!? い、いや、何で?」
「さっきから難しい顔をして黙り込んでるから……」
「あ、ああ、そういう……いやいや全然美味いよ? 記憶にある限りで、レーナの料理以上のご馳走は食ったことないし」
「まあ、お上手」
世辞ではなかった。
確かに、元の世界の料理に比べれば劣るが、ミツキに経験として食した記憶があるわけではないので、ノーカウントとした。
側壁塔でミツキ自身がこしらえる料理は、食材も調味料も未知のものばかりということもあってとても比較にはならなかった。
それ以外で食べたまともな料理といえば、非市民区の屋台飯とこちらに来てからの軍隊飯ぐらいだ。
どちらもなかなかパンチの効いた味だったが、毎日食いたいと思うのは間違いなくレーナの料理だ。
ミツキにはやや薄味だが、子どものための料理なのだから、当然だろう。
「でも良かった。王都から来たって聞いて、最初はこんな田舎料理食べてもらえないんじゃないかって心配だったの。だってほら、都会の人って舌が肥えてそうじゃない? だから、こんなに喜んでもらえて嬉しいわ」
「いやいやホントに絶品だって。特にこの、シチュー? とは言わないかこっちじゃ……えっと、この中に入ってる肉とか特に好みだね」
「ああ、それ昨日妹たちが捕って来てくれた魔獣のお肉なの」
笑顔で会話していたミツキの口元が強張った。
闘技場で死にかけた苦い思い出が脳裏によみがえる。
「……家畜の肉とかじゃ、ないんだな」
「開拓村だと畜産はできないのよ。ほら、魔獣を引き寄せちゃうから。だからお肉は、内地から届けられるもの以外だと、闇地で狩ってくるしかないの。あ、たまに矢じりが刺さったままになっていることがあるから気を付けて食べてね」
「へぇ…………ジビエとは贅沢だなぁ」
そう言って汁に浮かんだ肉の欠片を匙で掬い、口に流し込んだ。
噛み締めると、肉汁が溢れうま味が口いっぱいに広がる。
同時に、闘技場で目の当たりにした数々の異形を思い出し、ミツキは心の内で願った。
この肉の原型が、せめて動物的な見た目でありますように。
「あら、ちょっとごめんなさい」
離れた場所に座る子どもたちに呼ばれ、レーナが席を立った。
彼女は子どもたちの人気者なのだ。
当然だろうとミツキは思う。
大人たちが狩りに行っている間、親兄弟に同行できず、開拓者としての一線を退いた身内も居ない、そんな子どもたちを預かり世話をするための施設をほとんどひとりで切り盛りするのが彼女だ。
また、闇地で魔獣を狩る以上、命を落とす大人も少なくはない。
そうして身寄りを失くした子どもたちも施設で引き取っているという。
つまりレーナは、村の子どもたちにとって第二の母であり姉なのだ。
村にやって来たミツキらの世話を買って出てくれたのも彼女だった。
ミツキ以外の兵士は皆この村出身だが、ほとんどの者は身内が不在だった。
残った大人の村人が年寄りばかりでは、分宿することもままならず、途方に暮れる一行を受け入れてくれたのだ。
多くの子どもを預かっているだけに施設は広く、食事もまとめて作るので大した手間ではない。
そんな彼女の提案に甘え、その翌日からミツキは、保父の真似事を続けている。
「……ん?」
子どもたちと戯れるレーナを眺めていたミツキは、ふと背中に視線を感じ振り返った。
背後のテーブルの少し離れた位置に座っているひとりの少年が、ミツキに鋭い視線を注いでいた。
自然とため息が漏れ、またこいつかと内心で呟く。
施設に暮らす子どもたちの中でも最年長だというその少年は、ペル・クロッソという名だとミツキは記憶していた。
話したことはなかったが、村に来て以降、気が付くと少し距離をおいた場所からミツキに険しい視線を向けてくるので、自然と名を憶えたのだ。
田舎の村というのは案外閉鎖的なところがあるので、こういう反応も覚悟はしていた。
まして、相手は思春期を迎えるかどうかというぐらいの少年だ。
他所から来た素性も知れない若い男に対し、過剰に反応するのは仕方ないとも理解している。
しかし、食事時まで剣呑な目を向けられれば、さすがに良い気持ちはしない。
我ながら大人げないとは思いながらも、つい、メンチをきってしまう。
すると、少年は席を立ち、テーブルを回りこんでミツキの方へ近付いて来た。
「おいおい、勘弁しろよ」
子どもに凄まれたところで何とも思わないが、せっかく居心地良く過ごせているこの施設で、揉め事を起こしたくはない。
そんなミツキの願いもむなしく、目の前にやって来たペル・クロッソは、座ったままのミツキを見下ろしながらボソリと呟いた。
「話があんだけど」
ミツキは顔を顰めつつ少年を凝視した。
整ってはいるものの、眉が薄く釣り目気味なため威圧的な印象の顔立ちだ。
引き結ばれた口も頑なな内面を窺わせる。
栗色の髪は癖が強いらしくところどころ上に向かって刎ねており、そこだけは年相応の可愛げを感じさせた。
服装は、麻のような生地で作られた半袖の襟無しシャツに膝丈のハーフパンツ。
足につっかけた皮革製の短靴は、ところどころ擦り切れかなりの年季を感じさせる。
粗末な身なりだが、それは他の子どもたちも同じだった。
豊かとはいえない環境に加え、身寄りを失くした子も多いのであれば、扱いの難しい奴がいてもおかしくはないのだろう。
そんなことを思いながら、ミツキは腰を上げた。
「わかった」
部屋の通用口に向かって歩き出した少年に続く。
視線を巡らせると、子どもたちにかかりきりのレーナはこちらに気付いていないようで、ミツキは安堵した。
彼女の心証を損ねるのは、できれば避けたい。
そのかわり、仲間たちとまとまって座るリーズと目が合う。
少し怪訝そうな表情をしていたことから、ふたりの不穏な様子に気付いたのかもしれなかった。
迎撃任務で行動を共にした彼女は、この場の誰よりもミツキの立場を理解している。
追いかけてきて仲裁してはくれまいかと、期待しつつ食堂を出る。
皆が夕食に集まっているため、当然廊下に人気はなかった。
昼間は常に賑やかなため、静まり返った薄暗い廊下は、寂しいのを通り越して、少し薄気味悪くさえあった。
廊下を進んだ角を曲がると、開けた空間に出た。
壁際に木製の椅子が二脚と小さなテーブルが置かれており、普段は談話室のように使われる場所だ。
そこでペルは振り返り、ミツキの顔に視線を向けた。
先程は座っていたため見下されるように睨まれたが、立って相対していると、ミツキの方が頭ひとつ半程は背が高い。
気持ち顎を上げ、今度は自分が見下すつもりで、ミツキは自分に鋭い目を向ける少年に問うた。
「こういう真似はレーナを悲しませるんじゃないか?」
「今はチビたちの相手で忙しいから、オレらが抜け出したことには気付いちゃいないさ。これからすることをレーナ姉には見られたくないんだ。手短に済ませるぞ」
ミツキはいつ殴り掛かられてもいいように、さり気なく体勢を変えた。
こんな子どもに何ができるとも思えないが、この世界で生き延びるためには、どんな相手にも油断するつもりはない。
それに、闇地近くに住んでいる以上、対魔獣用の魔法でも身に着けているかもしれない。
警戒するミツキの前で、ペルはゆっくりと屈み床に膝を付いた。
その意図をはかりかね、戸惑いの表情を浮かべるミツキに、少年は額を床に打ち付けながら乞うた。
「頼む! オレに戦い方を教えてくれ!」
呆気にとられたミツキは、一瞬の間をおいて理解した。
これ土下座だ。
「……えっと」
この世界に召喚されてから、土下座を見るのは副王に続き二度目だった。
どう対応したものか戸惑っていると、廊下の角から人影が飛び出し、ミツキはギョッとして体を強張らせた。
「どうした!? 今何か大きな声が――」
ミツキらの様子を不審に思い追って来たのだろうリーズは、まずミツキを見てから土下座したペルに気付き、もう一度ミツキに戸惑いの目を向け、再度ペルに視線を落とした。
そして三度目、ミツキに向けられた視線には、明確な呆れと侮蔑が込められていた。
おそらく、因縁を付け喧嘩を吹っかけてきた少年を返り討ちにしたうえで、詫びを入れさせていたとでも勘違いしたのだろう。
「誤解だ」
そう呟いて、ミツキは溜息をついた。




