第十四節 『殺到』
「正気を失ったか?」
先程まで左右に走り回りながら徐々に間合いを詰めてきていたティファニアの実験兵は、あろうことかアスルに向かって足早に直進していた。
先程まで己が光弾を外していたのは、奴が走り回っていたからだとアスルは考える。
これだけ距離が詰まっているうえ、動き回っていない的など外しようもない。
しかし、想定外の事態ではある。
もし、奴が何か奥の手でも隠し持っていたら、己が返り討ちになるのではないか。
そう思考し、即座にその可能性を否定する。
それならば、ああもボロボロになるまで逃げ回り続けるわけがない。
もはや、奴は限界に近い。
だからこそ、破れかぶれで同士討ちでも狙っているのだろう。
その証拠に、奴の頭上には魔素を帯びた鉄球がひとつ旋回し続けている。
無駄だ、と思う。
こちらが光弾を発射すると同時に、奴も鉄球を放つつもりだろう。
距離さえ詰めればわずかなりとも当てられる可能性があると考えているのだろうが、奴の鉄球の軌道は右目の魔視が完全に捉えている。
万にひとつも防御をしくじるはずがない。
一方、過剰に警戒して、背後の部下たちに援護などさせようものなら、攻撃の矛先が自分ではなく部隊に向けられるかもしれない。
そして、眼球に魔視の魔法を付与した者などいない以上、部下たちは奴の攻撃に対して無防備だ。
間違いなく被害は甚大なものになるだろう。
だからこそ、アスルは部下たちに援護を禁じ、己のみでこの襲撃者に対応しているのだ。
保険として、自分が死んだ場合は即座に撤退するよう命じてあるが、それも杞憂だったなと今になって確信する。
「ティファニアの兵よ!」
アスルが叫ぶと、真っ直ぐに進んできていた敵が足を止めた。
背後の部下たちも、騒ぐのを止め、森は木々のざわめき以外の音を失う。
「ただひとりでよくぞ戦い抜いた! だが、ここまでだ! 貴様の鉄球が私を撃ち抜くことはなく、逆に私の光弾は確実に貴様を捉えるだろう! これまでの奮戦に敬意を表し、頭上の鉄球を捨て投降するならば命の保証はするが、如何か!」
念のため勧告したが、応じるなどとは思っていなかった。
単騎で数千の部隊に挑もうという命知らずだ。
元より決死なはずだろう。
案の定、頭上の鉄球が魔力の輝きを増した。
攻撃に移るため、より多くの魔素を注ぎ込んだのだろう。
旋回していた鉄球は軌道を変え、敵兵の後方へと空中を移動した。
遠くから勢いを付けることで、軌道を見切れなくしようとでも考えているのだろうか。
だとすれば逆効果だ。
飛行距離が長い程、鉄球の軌道は明確に視認できるだろう。
「良かろう! ならば決着を付けようではないか! 来るがいい!」
そうアスルは叫んだが、鉄球も敵も動く気配はない。
カウンター狙いかと考え、腕を眼前の敵に向けて掲げた。
どちらが先に仕掛けようが、奴の攻撃が己に届くことはない。
ならば、望み通りこちらから仕掛けてやろう。
そう思考した直後、アスルは己の掌の中で膨れ上がった光をティファニア兵に向けて放っていた。
敵が動く気配はない。
決まったと思った瞬間、ティファニア兵の思わぬ行動がアスルの目に映った。
またこれかよと、ミツキは泣きたい気持ちだった。
だが、避けようもない程の距離であの光弾を防ぐには、他に手立てなどない。
迫り来る光弾に視線を向けながら、首に巻いたストールを剥ぎ取ると、腕を回して巻き付けた。
以前、これと似たような真似をしたことをミツキは思い出していた。
闘技場で魔獣の口に腕を突っ込んだ時だ。
あの時も、遺体から剥ぎ取ったローブを片腕に巻き付け、魔獣の牙から腕を守ろうとしたのだ。
ただし、今回はあの時より幾分ましな状況ではある。
このストールは鎧布とかいう対魔法用の装備で、直撃しなかったとはいえ、敵が二度目に放った光弾から首から上を守ってくれたのだ。
もちろん、光弾の直撃を受けても無事な保証はないが、他に方法など思いつかなかったのだから、賭けるしかない。
「くっそ! もうどうにでもなれ!」
突き出した腕で飛来した光弾を受け止める。
腕が軋むような衝撃に次いで、肌を削る痛みと熱湯を浴びたような高熱を感じた。
思わず腕を引きそうになるが、歯を食いしばり、足を踏ん張ってどうにか耐える。
光弾は剣で弾いた時のように弾け散ることなく、その輝きを保ったままミツキの体を二メートル程後方へ押しやった。
しかし、野球の硬球程の大きさだった弾は徐々に収縮すると、ミツキの掌に煙だけ残して消滅した。
「耐え……切った、ぞ!」
手に巻き付けたストールはズタズタに裂け、腕には焦げ目と赤黒い傷が満遍なく付いていたが、右腕のように動かないということはない。
ミツキは震える手を急いで腰のポーチに伸ばす。
痙攣する手で鉄球を取り出すまでの間が、酷くもどかしい。
前方に意識を向ければ、敵兵たちは呆気にとられた顔で己を見ていた。
まさか、手で受け止めるなどとは予想してもいなかったのだろう。
だが、相対する護衛の武者は、驚愕はしているようだったが、その目から油断は感じられない。
全身からも張り詰めた気配を発し、ミツキの反撃に対応する用意があることを窺わせる。
だが、魔素を見るという己の予測が正しければ、この攻撃は必ず奴の思考の裏をかけるはずだ。
そう考え、ようやく取り出した鉄球を思い切り頭上に放り投げた。
その場の全員の視線が、鉄球を追った。
同時に、ミツキはボロボロになった左手の人差し指を微かに動かしていた。
森の中に、スカァァァンという小気味よい音が響き渡った。
ミツキが視線を下ろし相対する敵を窺うと、護衛の武者は首を後方へ大きく反らしていた。
間違いなく直撃したと、ミツキは確信する。
この男は先程の鉄球の軌道を視認することができなかった。
なぜなら、射出された鉄球には念動を使っていなかったからだ。
ではどのようにして打ち出したのかと言えば、事前に後方へ飛ばしていた鉄球を高速でぶつけたのだ。
頭上に放った鉄球は、ビリヤードの玉のように弾かれ、軌道を視認できると油断していた護衛の武者を撃ち抜いたのだった。
「殺った……だろ?」
敵の様子を窺うミツキは、無意識に呟いていた。
しかし、次の瞬間表情を凍らせる。
ぐらりと後方へ傾きかけた護衛の武者の体は、右足の踏ん張りによって立て直された。
そして、仰け反っていた頭が、ゆっくりと本来の位置に戻された。
男は右目から血を流しつつ左目でミツキを睨み付けていた。
「マジ……かよ」
起死回生の策も通じなかったことで、ミツキの気力が途切れた。
膝が折れ、地面にへたり込む。
「はは……今度こそ、終いか」
死を受け入れた顔は、微かに笑みさえ浮かべていた。
だが、ミツキの放った鉄球は通じていないわけではなかった。
それどころか、敵の右目を捉えた鉄球は、眼窩から頭蓋へと入り込み、中で幾度も跳弾して脳髄を撹拌していた。
そんな状態で一瞬でも体勢を立て直し、最期の言葉さえ吐いてみせたのは、長年を掛け体に染みついた兵士としての条件反射だったのか、それとも脳髄をシェイクのように掻き回されてなお消えることのない祖国への忠誠心の為したる奇跡だったのか。
「全、軍……てっ、た……」
しかし、その言葉が最後まで言い切られることはなかった。
顔面の穴という穴から、赤と薄桃の混ざったマーブル模様の液体を溢れさせ、アスル・グークスは頽れた。
その瞬間、森全体が静寂に包まれた。
「へ? ……勝った……のか?」
間の抜けたミツキの呟きに続いて、ブシュロネア兵が大きくどよめいた。
しかし、その声を掻き消すように、最前の兵の中心から叫び声が上がった。
「全軍、撤退せよ!」
ミツキは知る由もなかったが、その兵士はアスル・グークスの副官と言うべき古参の兵士だった。
己が死んだら即撤退、という上官からの命令を即実行したその顔は、敬愛する男を失った悲しみと怒りに歪んでいた。
「撤退、だと? ……え? ……まさか、助かるのかよ?」
敵兵の叫んだ意味を理解するのに数秒を要し、ミツキの顔に期待の色が浮かぶのとほぼ同時に、兵士たちの間から複数の絶叫が上がった。
「ふざけるなよ! 副長を殺られたのに黙って逃げろってのか!?」
「うわぁぁあ、副長! 尊敬していたのにぃぃぃ!」
「畜生! 絶対に許さねえ! 命令なんざ知るものか! オレは殺るぞっ!」
「奴を見ろ! もうほとんど死にかけで何もできやしねえぞ!」
「八つ裂きにしてやるぁ!!」
アスル・グークスという兵士は余程部下から慕われていたのだろう。
上官の敵を討とうと息巻いた兵たちが、副官の制止を振り切ってミツキへと駆け出した。
その数、十や二十では収まらない。
「ちょっ……はあ!?」
ボロボロの成りでへたり込んだミツキは、土煙を上げながら突進してくるブシュロネア兵たちの迫力に圧倒され、立ち上がることも忘れて後方へと身を引きずった。
「う、ウッソだろ……こんな、こんな」
手に槍や斧を構えた兵士たちは数十メートルの間合いを一気に走り寄って来た。
その表情は怒りに歪み、目は真っ赤に血走っている。
あと数秒もすれば、ミツキの体はなます切りにされるだろう。
自分の体に何度も得物を突き立てる敵兵を想像し、恐怖に顔を引き攣らせながら、ミツキは腰のポーチから無造作に鉄球を掴むと目の前にばら撒きながら叫んだ。
「くっ……来るなぁ!」
その声に呼応するかのように、数個の鉄球が弾かれたように空を切り裂き、次の瞬間には突撃してくる兵士たちの先頭に無数の血煙が上がった。
その一撃で絶命した兵士は少なかったものの、転倒したり、驚いて立ち止まった先頭の兵士たちが後方の兵に押し倒され、集団はドミノ倒しのように崩れた。
「はっ! はぁっ! あ、あれ!? 何で、効いて!?」
先程死闘を繰り広げた護衛の武者のように、盾で防がれると想定していたミツキは、己が苦し紛れに放った鉄球が効果を上げたことに、喜ぶよりも呆気にとられた。
「気を付けろ! 妙な攻撃を仕掛けてくるぞ!」
「構うものか! 数で押し潰せ!」
それでも、怒りにかられた敵兵たちの突撃は止まることがなかった。
ミツキは咄嗟に先程放った鉄球へ意識を向ける。
敵兵の体を貫いた鉄球のいくつかは、その勢いのまま飛んでいた。
それを急旋回させ、走り来る敵兵を背後から襲う。
再び鮮血が飛び散り、絶叫とともに集団が崩れた。
そしてミツキは、敵の指揮を執る立場にあると思われた護衛の武者が、己との一騎打ちに臨んだ訳を理解した。
他の兵たちには、〝飛粒〟の軌道が見えないのだ。
それに、ほとんどの兵が皮革製の鎧しか身に着けていないため、どこに当たっても重傷を負わせることができる。
何度鉄球をぶつけようと弾き返された護衛の鎧武者との戦いが何かの間違いだったのではないかと思えるほど、あまりにも簡単に人が倒れていく。




